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緊張の説教論(7)「2-2.古代から宗教改革期にかけての説教者の緊張意識」

 この緊張意識は、その後の古代教会においては説教だけではなく信仰告白の整備といったかたちでも継承されていった。そこにはユダヤ主義やグノーシス主義といった思想的対決、また皇帝教皇主義などとの政治的対決といった外的要因が大きく関わっている。しかし中世に入り、徐々に説教はかつての律法主義的解釈のごとく訓話的なものとなっていき、そこに含まれていた緊張意識は希薄化する。聖書の代わりに公教要理が用いられ、教訓的ではあるが聖書的とは言えない説教が幅を利かせるようになっていく。泉田氏の言を借りるならば「説教はついに礼拝儀式の片隅においやられてしまった(14)」のである。 しかし決して神の言葉は中世カトリック教会の中で死に絶えてしまったわけではなかった。ルターやカルヴァンといった宗教改革者たちは、決してその聖書的説教を自分だけで学び発見したのではない。彼らもまた当時のカトリック教会における説教修道会の影響を受けていた人々であった。また宗教改革があれだけの大勢力に至ったのは、彼らの主張に対するカトリック内部からの隠れた、しかし広範な支持があった故であることも見逃すことはできない。彼らに先立って聖書的説教を主張していたウィクリフやフス、サヴォナローラといった前改革者たちも、当時のカトリック教会の中で説教者として名声を博していた者たちであり、それは中世においても健全な聖書解釈、説教態度が心ある「残りの者」によって保持されていたことに他ならない。彼らの系譜に連なる改革者たちの説教は預言者的であり、使徒的であり、旧体制との緊張関係の中で語られたものであった。そして同時に聖書に徹することにより、聖書のドラマから自ずと生ぜられる緊張意識をうかがわせるものであった。そして彼らの説教がそのようなカトリック教会内部に残されていた健全な解釈や説教姿勢から出発したものであるという事実は、この説教における緊張意識が明らかにキリスト教会の歴史的文脈に位置付けられるものであることを証明する。言い換えるならば、説教における緊張意識は決して特別な概念ではなく、聖書に忠実に向き直ってきた説教者たちが必ず直面させられる現実であった。

 ルターにとって、説教の緊張意識は「聖書のみ」という解釈原理に最も顕著に現れる。1530年から32年にかけてなされた『「山上の教え」による説教』を例に挙げて分析を試みたい。この年はメランヒトンによってアウグスブルク信仰告白が提出された年であるが、それを陰に指導したルターが説教者・神学者として最も脂の乗り切っていた時期である。この箇所は有名な「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」を中心とする戒めである。ルターの説教を概観してみると、まず与えられた聖書のテキストから他の箇所へ逸脱せず、また聖書自身からも決して離れないことが特徴として挙げられる。このマタイ伝のテキストからルターは四百字詰め原稿用紙にして約30枚程度の説教を展開しているが、その中で彼が他の聖書箇所に言及しているのはわずか三つ、しかもその内の一つはカトリックが根拠として用いる例として挙げたものである。またその説教自体、現代の訳者の脚注がほとんど必要ないほど、歴史的事件や他の聖書解釈者の言及が含まれていない。

 以上のことは「聖書のみ」を標榜し、そこから離れることを禁じたルターの聖書解釈の原則がはっきりと現れたものと言えるであろう。それはまさにパウロが戒める「神のことばに混ぜ物をして売るようなこと」(第二コリント2章17節)に対するルターの回答である。説教が神の言葉であるというルターの確信は、説教に聖書以外の要素を含めるわずかな妥協さえも許さない。それは説教を神の言葉の説きあかしという本来の任務からどんなにわずかであっても逸脱させるようなことがあってはならないという緊張意識である。「もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる」(黙示録22章18節)という使徒の戒言はこの説教者にとって、今日の私たちが考えている以上の重みを持っていたと言えるであろう。そしてその姿勢はこの説教の中における結論についても如実に現れる。
 この世の統治の中にある者に、法律家や法が教えるとおりに、悪に逆らい、裁き、罰するなどのことをまかせるがよい。
だが、私は、あなたがたが外的にどのように統治すべきかでなく、神の前でどのように生きるべきかを教えているのだから、私の弟子としてのあなたがたにこう言いたい、あなたがたは悪に逆らってはならない。むしろあらゆるたぐいのことを忍び、あなたがたに不正や暴力をふるう人々に、まったく親切な心をもつようにすべきである。あなたから上着を取る人があれば、報復を求めるのではなく、むしろ、防げないのならば、マントまでも渡すのだ。(15)
ルターの生きた時代において、政治権力に対して徹底的な無抵抗を貫くということはプロテスタント教会にとって死を意味した。抵抗権という政治思想もこの時期から生まれるが、聖書が抵抗するなと命じていても教会の現実問題としてそれを受容することは勇気を要した。しかしルターは聖書の命令を文字通り受け止める。この結論に示されているような彼の発想がいわゆる二王国論からナチ受容へと向かったと批判することは容易である。しかしルターはあくまでも聖書に忠実であることを目指した。そのような彼の説教が今日においても決して古さを感じさせないのは、聖書を唯一かつ至高の権威として認めていたことに尽きる。ルターは、「聖書中心」ではなく「聖書のみ」を説教の基盤とした。そして聖書は絶対であり不変である。だから彼の説教の調子は終始力強い緊張感に満ち、その論旨に迷いはない。

 この数世紀前の巨人は私たちに自問させる。私たち福音派は礼拝を信仰生活の中心とし、聖書の権威をすべての権威にまさるものとして告白する。しかし聖書に権威をおくといいながら、本文釈義よりも例話や人を惹きつける導入に心を砕く者がいかに多いことか。所与のテキストからいともたやすく離れ、他の聖書箇所の引用を乱発する者がいかに多いことか。聖書を主観的な経験や信念で曲解し、それを聖書の本来の主張として安易に適用してみせる者がいかに多いことか。みことばを通して真なる神の意図をまっすぐに説き明かすこと、それが宗教改革の聖書解釈である。このまっすぐとは、ただ与えられた聖書のみによって真摯に説教を語ることに他ならないことを私たちは覚えるべきであろう。

 説教史家E.ダーガンは、ルターと並ぶ改革者カルヴァンについても「一言ごとに一ポンドの重さがあった(tot verva tot pondera)」というテオドール・ベザの言葉を引用しながら、次のように述べている。「高質の雄弁度をカルヴァンの説教に見出すことは出来ないが、その思想の力、意志の勢い、文体の良さ、そしてとりわけ、神の真理が彼の言葉を通して光り輝くように努めたその真剣さが、彼を大説教家に作り上げ、キリスト教信仰の大原理を、聞くものの心に深く植え付けたのである(16)」。

 概して辛口の批評眼を持つダーガンをしてこのような賛辞を送らせたカルヴァンの説教の最大の特色もまた、まさに真剣さであった。説教者が聖書に徹するとき、真剣にならざるを得ない。ルター、カルヴァンといった宗教改革者たちの説教はそのことを如実に示している。しかし中世においてもかろうじて保持されつつ、改革者たちによって明らかに示された、この当たり前のことが当たり前になっていない時代が今や現にあるのだ。今日の危機的状況において回復されなければならない、その真剣さこそ、筆者が緊張という言葉で表現しようとしているものである。

脚注
(14) 泉田昭「聖書の権威と説教」、27頁。
(15) マルティン・ルター『「山上の教え」による説教(1530−32年)』(徳善義和・三浦謙訳)、「宗教改革著作集3 ルターとその周辺T」(教文館、1983年)、283頁。
(16) E.ダーガン著、関田寛雄監修、中嶋正昭訳『世界説教史U−14-16世紀−』(教文館、1995年)、171-172頁。
posted by 近 at 11:59 | Comment(0) | 説教論
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