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2014.9.7「私が『ふうけもん』を勧める理由(わけ)」

「ふうけもん」ばかりですみません。週報はこちらです。

聖書箇所 テモテへの手紙 第一1:12-17
 12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。
13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。
14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。
15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
17 どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。

序.
 先々週の日曜日の夕方、まだ賛美練習が終わったばかりの頃ですが、教会を訪ねて来た方々がおられました。
そのときに居合わせた方々もこの中におられますが、私に「ふうけもん」という映画の新潟上映の世話人になってくれないかというお願いでした。
今、外の掲示板にも、会堂内のあちこちにもチラシやポスターが置いてある、というか散乱してますが、この映画「ふうけもん」です。
 すったもんだはあったのですが、結局の所、世話人を引き受けることになりました。
9/15日、新潟県民会館での試写会に一回1000人、三回で約3000人を集めなければなりません。その日から、眠れない夜が始まりました。どうやったらマスコミに取り上げてもらえるか、どうやったら新潟の諸教会に協力してもらえるか。
毎日何かしら文章を作ったり、手紙を送ったりしている、そして今日で残り一週間となりました。
今日の礼拝説教も、ほとんど「ふうけもん」の話になってしまうかもしれません。正直、3週間でよかったと心から思っています。
もしこれが一年前からの準備とかになっていたら、みなさんは毎週、ふうけもんの話ばかり礼拝で聞かされることになっていたかもしれません。

1.
 この『ふうけもん』という映画は、一般の映画館での公開を前提とした、商業作品です。
「ふうけもん」という言葉の意味は、佐賀県の方言で「愚か者」だそうです。原作者、右近勝吉というクリスチャンの半生を元に作られました。
どうしようもないチンピラだった右近さんが、宣教師を通してイエス・キリストの十字架の福音に出会い、その心と人生を変えられました。
右近さんは、当時のテレビドラマに出てくる「何でもやる会社」にヒントを得て、便利屋を始めました。
余談になりますが、このテレビドラマで主人公を演じていたのが俳優の中村雅俊さんであり、そして今回のふうけもんでも主人公を演じています。もしかしたらこの映画は、聖書や礼拝の場面は出てきても、言葉としては、イエス・キリストについてはっきりと語られないかもしれません。
しかし登場人物の生き様が、福音を伝えます。
聖書の中にも、エステル記のように神の名は出てこなくても、神のみこころを感じずにはいられない書があるのと同じです。
十字架をことばで前面に押し出しては一般映画館での公開は難しい、だからそのぎりぎりのところでどうやって人々に福音を伝えるか。
二時間の中で計算し尽くして、何とかキリストを伝えようとする。それは妥協ではありません。信仰と呼ぶべきものです。
しかし映画はできたのに、プロダクションの資金難でお蔵入りとなってしまいました。でも金さんはあきらめなかった。
全国を回り、クリスチャンからの献金だけでなく、一般の映画ファンからも支援をいただいて、試写会にまでこぎつけたのです。
この9月から来年の1月まで、43都道府県の会場を監督が回る、全国縦断試写会を行います。
その7箇所目に新潟県民会館でのこの試写会が予定されているのです。

2.
 右近さんは自分はふうけもん、愚か者です、と言います。そしてパウロは「私はその罪人のかしらです」と言います。
しかしパウロは、ただの罪人のかしらではありません。彼はこう言います。
私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています」と。
罪人のかしらに目をとめて、罪から引き上げて、強くしてくださる方がおられる。
そしてふうけもんもまた、ただのふうけもんでは終わらないことが、必ず映画の中で語られるはずです。
直接的に十字架や復活の聖書の言葉は語られないとしても、神がふうけもんを、神の器として用いてくださったことが、必ず伝えられるでしょう。
この映画そのものが福音の力を教えています。
一度は資金難で公開中止になったにもかかわらず、人々の祈りと熱意によって全国試写会にまで至ったことそのものが、福音の力を表します。人生や自分自身に意味を見いだせなかった者が、イエス・キリストと出会って「生きる」意味を見いだした。
それはパウロや右近さんだけでなく、すべてのクリスチャンに通じるものです。
私もそうです。そして神様は世話人を引き受けてくださいという願いの中で、私に語りかけてこられました。
もう時間がないと言うな、自分には力が足りないと言うな、私があなたを強くする、あなたではなく私がことを行うのだ、と。
この映画は訴えます。この映画を見た人それぞれの人生にも、確かな、生きる希望が輝いているということを。
暗い世相を反映するさまざまな事件が起こる中、県民のひとりでも多くの方々に、この映画を見て頂きたいと心から願っています。
どうかみなさんも、ご協力とお祈りをお願いします。

3.
 私は、今日の説教を閉じるにあたって、こう思います。
だが、たとえ当日、会場に入りきれないほどの人々で埋め尽くされたとしても、新潟の諸教会の協力が生まれなければ、意味はない」と。
今回、私が世話人を依頼されるよりずっと前に、豊栄教会には50枚のチケットが送られていました。
他の教会に話を聞くと、それぞれの教会がやはり何十枚かずつ、チケットを送られていたそうです。
招待券ではありません。これを教会で売ってくださいというチケットです。受け取った教会によっては、驚くどころか反発さえしかねません。
それを送ったのは、全国世話人会を務めている、ある教会の牧師でした。
その先生の教会では、信徒が総掛かりで、全国8000教会に約20万枚近いチケットを郵送し、今も送り続けているそうです。
なぜ、すべての教会に送ってきたのでしょうか。
それは、新潟県のすべての教会が、教派の違いを超えて、一致協力するために、この『ふうけもん』を用いてほしい、ということに他なりません。
新潟だけではありません。全国47都道府県すべての教会に送られたチケットに、同じ願いが込められています。
チケットを送りつけてくるなんて一方的だと言われるかもしれない。
それでも教会が一致協力して、このふうけもん試写会をやり遂げましょうという思いを知ったからこそ、私は協力を誓いました。
だからたとえマスコミへの案内が効を奏し、会場が満員となったとしても、それだけでは私の奉仕は報いられたとは言えません。
今回の新潟上映が、新潟の諸教会の関係に何も変化を与えないのであれば、私の中には徒労感しか残らないのです。
だからみなさんにはこう祈ってほしいのです。
まずクリスチャン、そして教会が、地域を越えて、祈りと支援の協力が生まれていくきっかけとして、この『ふうけもん』を用いてください、と。
それができて、初めてこの試写会は成功と言えるのですから。
posted by 近 at 18:05 | Comment(0) | 2014年のメッセージ
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