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「宗教としてのナチズム−その系譜と実像」(1)〜敬和学園大学の卒業論文(1994)

序.

 「20世紀の悪夢」と呼ばれた第二次世界大戦が終結し半世紀が過ぎようとしている。この50年で世界システムは大きく変容した。ヒトラーが国民社会主義の存亡を賭して闘い、そして敗れたボルシェヴィズムはソ連及び東欧共産主義体制の崩壊により事実上消滅した。しかも大戦の敗戦国であった日本、ドイツは戦後の急速な復興の末、今や国際経済においてかつてないリーダーシップを発揮するに至った。これら国民社会主義がナチズム戦争を通して目指したものが、ヒトラーの死後、彼が想像もしていなかった歴史的経過を辿り、達成させられたことはまさに運命の皮肉と呼べるであろう。
 一般にこのナチズムという政治思想は、第一次世界大戦後のヨーロッパを席巻したファシズムの一類型として理解されている。その一党独裁体制における権威主義的コーポラティズムは、近代ヨーロッパの伝統的議会主義への反動として定義することができよう。だが、この運動に精神的基盤を与えたイデオロギーもまたファシズムの知的遺産に由来したものだった、と考えることは困難である。というのは、アウシュヴィッツに代表されるような、徹底性と能率性を伴ったホロコーストは、全体主義発祥の地ファシスト=イタリアにおいてさえも遂に起こることはなかったからである。それどころか、このドイツ流の恐怖政治は、それまで残虐さにかけてはヨーロッパ史上最悪とみなされていた、かのジャコバン独裁をも遙かに凌駕した。この事実は人々にユダヤ人ハインリヒ・ハイネの、次のような不気味な予言を想起させるに違いない。
 ドイツの雷は極めてドイツ的である。落ちるまでに時間がかかるが、必ず落ちる。歴史に類例を見ない破壊力を伴って落ちる。その時がやがて来るだろう……フランス革命もそれに比べたらのどかな牧歌にすぎないようなドラマが演じられるだろう……その時は必ずやってくる。(1)
 ではナチズムは、ヨーロッパ=ファシズムの系譜にではなく、ドイツだからこそ起こり得た、いわゆる「ドイツ特有の道」としてとらえるべきなのであろうか。それに肯定的な者は多い。F・ノイマン、J・F・ノイロールらは、既に戦時中においてナチ精神史を編み上げ、反ユダヤ主義やアリアン主義がドイツ固有の文化的伝統の中で醸成されてきたことを指摘した。だが、彼らだけでなくナチ自らもそのイデオローグに仕立てあげたドイツの偉人たち  ルター、カント、ヘーゲル、シラー、トライチュケ、フィヒテ、ニーチェ、・・・・ありとあらゆる「ドイツ的」思想を調べあげてみたところで、ドイツ国民が他のヨーロッパ人に比して格別残忍であり、また操作されやすいということは証明できなかった。彼らの著作の中には、確かに反ユダヤ的或いは汎ドイツ的傾向がみられるものもあったが、それをナチズムと直接結び付けるには明らかに無理があった。ユダヤ人はドイツにあって「ペスト、疾病、不幸のようにひどい重荷である(2)」と述べたルターは、ヴォルムスにおいてプロテスタント精神を高らかにうたったルターでもあった。フィヒテは、「ドイツ国民のみが永遠に根ざし、ドイツ国民のみがヨーロッパ文化再生のつきることなき泉である(3)」と偏執狂的に繰り返したが、それでも彼はベルリン大学講堂に集まった人々からボナパルティズムの精神的桎梏を解き放ったフィヒテに違いなかった。
 このようなドイツ人独特の精神志向を探る試みがなされる一方で、ナチズム発生当時の政治的ないし社会的状況にその成功の要因を求めるアプローチも当然なされた。その結論は次のように要約できるであろう。すなわち、度重なるインフレによる経済的並びにそれ以上の精神的疲弊、外国資本の跳梁と巨額の賠償支払いを甘受する「11月の裏切り者たち」ワイマール政府への反感、モスクワからバルト海沿岸を経由して近づくボルシェヴィズムヘの危惧などが、失業者には「我らの最後の希望亅として、資本家・ユンカーには「より小さな害悪」としてナチスを選ばせた、そして一度政治の桧舞台に上ったヒトラーは、ナチ世界観教育や宣伝(プロパガンダ)によって、最後まで観客(国民)を魅了し続けたのだ、という説明である。プロパガンダは、最大の被害者である以上に加害者でもあるドイツ人にとって都合のいい責任逃れになる危険性を秘めていたが、7000万ドイツ国民が一人のオーストリア人に身も心も捧げるという、この笑えない喜劇を説明するには十分すぎるほどの説得力も持っていた。こうして、プロパガンダがナチス成功の主要因であるという思潮は、戦後のかなりの期間、ナチ研究の主流的見解として認められるに至った。
 しかし1960年代後半以降、R・ダーレンドルフ、D・シェーンボウム、G・L・モッセらは、ナチスの国民社会主義化をプロパガンダによって説明しようとする旧来の研究傾向を批判し、ナチズム理解に対してそれぞれの新しい視点を提供した。とりわけ筆者がここで注目したいのはモッセの「シンボル政治史」である。このアプローチにおいては、「ヒトラーの成功は人々を操る宣伝技術によっていたのではなく、大衆が参加を体験しアイデンティティを獲得し救済されたシンボリックな同意承諾によって達成された(4)」と説明される。そしてここで言われている「シンボル」とは、政治祭儀における国民主義にほかならなかった。ここから、ヒトラーが必要としていた国民宗教は、いわゆる「ドイツ的キリスト教」でも「積極的なキリスト教(5)」でもなく、国民的統一性の象徴たる彼自身への崇拝を中核とするナチ祭儀そのものであったと言えるのではないだろうか。それを裏付けるがごとく、モッセはこうも指摘している。
 1935年のニュルンベルク党大会で、ヒトラーはこう述べている。国民が自らの記念碑を打ち立てる時にのみ、歴史は実際注目に値する国民を見いだすのである、と。この「記念碑」の言葉でヒトラーが表現していたのは、彼自身の体制の功績のみならず、あり得べき唯一の大衆運動としての国民主義の政治祭儀であった。(6)
 続けて彼は国民社会主義を次のように結論づける。「国民社会主義は、その運動が始まる百年以上前から催されてきた国民的祭祀の展開の上に成立した」。すなわち、ナチ体制における多くの疑似宗教的政治祭儀は、彼らによってプロパガンダの手段として画期的に創造されたのではなかった。それはフランス革命の理性宗教に端を発し、ドイツにおいて様々な政治祭儀の形で噴出した国民崇拝という歴史的文脈から見つめ直さなければならない。更に19世紀後半に興隆した、いわゆるフェルキッシュ思想はこの国民祭儀に、民族のみがコスモスと個人とを媒介するという宗教的要素を与えた。そしてそれは最終的には、ヒトラーをコスモスと同一視するナチズム神話とそれに基づく国民祭儀として昇華されることとなる。以上から本稿は、従来政治史的ないし社会階級的に分析されることの多かったナチズムを、新たな救済宗教としてとらえ直してみたい。
 無論、ナチズムを「第三の宗教」ないし「宗教代用物」としてとらえるアプローチは、ドイツ教会闘争研究を中心として今までにも存在したし、以下で展開する筆者の主張もそれらの学問的成果に大いに依拠していることは確かである。しかしそこにおいては、いわゆる「ドイツ的キリスト教」が、「ナチス的キリスト教」「新異教主義的キリスト教」として、ナチと友好的かつ同質的な宗教運動のようにみなされるきらいがあった。だがもしナチズムが真に目指していたものが「唯一の大衆運動としての国民祭儀」であったのならば、それは当然、ドイツ的キリスト教の祭儀とも抵触したはずであり、次のような疑問が提示される。すなわち、ヒトラーの目指したものは本当に「積極的キリスト教」だったのか。ドイツ的キリスト教は、果たしてナチ党にとって満足のゆく国民祭儀の担い手であったのか。それとも、完成されたナチ祭儀の前にはすでに必要ないナショナリスティックな大衆運動の一つとしてみなされていたのか。やがてはこの運動もナチ的な国民祭儀にとってかわられるはずであったのか。そして、もしナチ祭儀が、それへの参加によって個人の救済をも提供するものであったならば、なぜドイツ人があれほどまでにナチズムのとりことなったのかという疑問を解明する一端となるはずである。
 とまれ、以下において筆者の企図するところは次のようなものである。すなわち、キリスト教に代わってドイツ、いやヨーロッパの精神的支柱たらんとしたナチズムとはどのような「宗教」であったのか。ナチ運動初期におけるヒトラーの宗教観としては『わが闘争』『25箇条の綱領』等にその基本姿勢をみることができる。前者においてはユダヤ主義に冒されたキリスト教精神を激しく誹謗する一方で、カトリックにおけるヒエラルキーをナチ党組織の手本として高く評価し、後者においては宗教的中立の立場をとることを主張しつつ、その実「ゲルマン人種の美俗・道徳感情に反しない限り」という民族主義的留保を設けている。しかしヒトラーの目指した宗教とは、実際はどのようなものであったのか。「積極的キリスト教」であったのか、それとも古代ゲルマン回帰的な「ドイツ的宗教」であったのか。或いは既成の宗教にとらわれない、全く新しい「救済宗教」ないし「宗教代用物」であったのか。
 しかし本稿の目的は決してナチズムのデモーニッシュな「教義」を非難したり、ヒトラーに抗した教会の勇気ある行動を称賛することではない。というのも、ナチ研究に対しては、我々は常識的人間のもつ道徳や良心、或いは信仰もすべて白紙に戻して取り組まねばならないからだ。そうでもしない限り、彼らのあまりにも人間性を無視した行為に対し、客観的判断は下せ得ないであろう。だが言うまでもなくそれは、過去の事象から現在を注視し、未来への教訓を引き出すという、歴史を学ぶ者に課せられた義務をも放棄するものではない。けだし現代日本社会の様相はナチズム発生前夜のドイツの状況に非常に酷似している。世紀末病と言い切ってしまうことは簡単だが、それよりも更に深いところで、人々は自らの存在を見失い、新たな価値観を求めて彷徨している。大人たちは過去の高度経済成長期を懐かしがり、若者たちは新々宗教に走る。このような時代、あえてナチ宗教というものを研究してみるのもあながち無駄とは言えまい。そしてそれによって、この混迷した時代にあって私たちが何をするべきなのか、或いは何をしなければならないのかが見えてくるのではないだろうか。

脚注
(1)ジョン・トーランド『アドルフ・ヒトラー〈上〉』(永井淳訳)、集英社、1979年、p.333.
(2)フランツ・ノイマン『ビヒモスーナチズムの構造と実際−』(岡本友孝/小野英祐/加藤栄一訳)、みすず書房、1963年、p.100.
(3)J・F・ノイロール『第三帝国の神話−ナチズムの精神史−』(山崎章甫/村田宇兵衛訳)、未来社、1963年、p.162.
(4)ゲオルゲ・L・モッセ『大衆の国民化−ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化−』(佐藤卓己/佐藤八寿子訳)、柏書房、1994年、p.234.
(5)「25箇条の綱領」第24条。以下はその引用である。(ワルター・ホーファー『ナチス・ドキュメント−原資料による全体像−』(救仁郷繁訳)、ぺりかん社、1969年、p.44)
 24.我々は、それが国家の存立を危うくせず、またはゲルマン人種の美俗・道徳感情に反しない限り、国内におけるすべての宗教的信仰の自由を要求する。我が党は、かくのごときものとして、宗派的に一定の信仰に拘束されることなく、積極的なキリスト教精神の立場を代表する。党は我々の内外におけるユダヤ的唯物主義的な精神に対して抗争するものであり、我が民族の持続的復興が、次の原則に基づいて、専ら内面から行われ得ることを確信するものである  公益は私益に優先する。
(6)モッセ、前掲書、p.191.

(卒論指導 岩倉依子助教授)
posted by 近 at 11:00 | Comment(0) | 宗教としてのナチズム
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