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「宗教としてのナチズム−その系譜と実像」(2)〜敬和学園大学の卒業論文(1994)

第1節 フェルキッシュからナチズムへ

 ノイロールは、その著『第三帝国の神話』の中で、ナチズムの起源について、次のように論じている。「もし、ヒトラーあるいはナチズムが、第三帝国の神話を考え出したとか、それを無から創造したとか考えるならば、それは誤りである。この神話はすでに早くから、地下に、ひそかに、ドイツ民族の中に生きていたのである(7)」。彼の言うナチズム神話とはどのようなイデオロギーであったのか。この書の別の箇所で彼はこう述べる。それは、「19世紀、とくに20世紀におけるドイツ民族の発展に陰に陽について廻った数々の思潮、運動、幻想、神話などの帰結であり、ドイツ人のあらゆる願望の夢、悪習、退化の総合なのである(8)」。
 ノイロールの主張については、余りにも多くの思想をナチズムに結び付けているきらいがあることは否定できない。しかし彼ほど極端ではないにしても、やはりナチ研究者の多くは、ナチズムの起源を1889年(9)以前に求める。ナチの神話がヒトラー個人のカリスマ性とその難解な著作における狂信的主張のみに依存しているのではないということは、四半世紀にわたるナチ党の歴史において明白だからである。ヒトラーのファシズムはムッソリーニの模倣から始まった。この国民社会主義者は組織の拡充のためにはカトリック教会や不倶戴天の敵であった共産党からさえも大衆動員の方法を盗むことを憚らなかった。では彼の反ユダヤ主義やアリアン主義は一体誰の借りものであったのか?
 本稿の主旨はナチ宗教の分析であるので、ノイロールほど近代ドイツ政治史全般にわたって「神話」を再確認する必要はないだろう。またノイマンのごとくルターにまで反ユダヤ主義を遡らせることも無益である。そのような微々たる事実を一つ一つ例証していったところで、ナチズム解明には何の意味ももたらさない。むしろもっと直接的なナチズムの源流  ヴィルヘルム期に興隆した、いわゆるフェルキッシュ思想に向かった方が遙かに賢明であるに違いない。ナチ宗教の神話は、この思想に依拠する部分が非常に多いと思われるからである。 一般に、フェルキッシュ(völkisch)とは「国粋的、民族的」と訳される言葉である。しかし1870年代頃からドイツで頻繁に使用されるようになったこの思想は、野田宣雄氏によれば「単に排外主義的、人種論的方向に誇張された民族主義思想であるにとどまらず、同時に国内の政治や社会の体制に関する一定の方向づけをもった主張を含み、更には個人の魂の救済の問題にも触れる宗教的次元さえ有していた(10)」。その思考要素として、氏は次の五つを挙げている。
(1)各個人は、民族を介してのみ、この世の目前の現実を超越した「より高次の実体」としての宇宙、コスモスと結び付くことができる。
(2)自然は、冷たいメカニックなものではなく、それ自体一つの魂をもった生きた存在であり、各個人はこの自然との内的交流を通じて民族の他の成員と共通の情緒的経験を分有し、民族への帰属感を強めることができる。この場合の自然とは、しかし、自然一般ではなく、一つの民族に固有な風土である。
(3)風土と並んで歴史もまた、民族を規定する重要な要素であり、民族は遠い過去から現在に至るまで連続する歴史的統一体である。そして、とりわけ近代の現実とは対照的な中世における素朴な民族のあり方こそ、憧憬に値する。
(4)こうして民族は風土と歴史によって規定されるものである以上、民族に固有なこれらのもののうちに「根づく」ことが、個人が民族を介してコスモスの生命力に触れる不可欠の条件となる。そしてそのために最もふさわしいのは、自分の生まれ故郷である地方の町や村に住まうことであり、逆に大都市の生活は、混乱と根なし草的状態をあらわすものとして、排斥されなければならない。
(5)市民や労働者を風土の中に根づかせ、それぞれを民族の不可欠の要素として統合することが必要であり、特に労働者には小さな地片を与え、彼らを疎外されたプロレタリアートから中世の手工業者に似た存在に引き上げなければならない。(11)
 これらを一瞥しただけでも、そこには極めて多くの領域にわたる主張がこめられていることがわかる。例えば(1)では、民族のみがコスモスとの精神的合一を介する、すなわち自我を喪失した個人を救済へと導くことのできる霊的手段として位置づけられている。また(4)においては、都市への人口集中を何らかの方法で抑制し、地方に人々を定着させることが叫ばれ、更に続く(5)においては、社会階級間の格差を民族において止揚させ、私有地の一定供与により彼らを政治的に糾合することまでもが述べられているのである。

 なぜこのような思想が19世紀後半に、しかもドイツに現出したのであろうか。その原因は以上の思考要素に混在する、中世の素朴な生活への懐古趣味と、それと全く対照的な都市における大衆消費文化への激しい憎悪から考えねばならない。すなわち、この時代におけるヨーロッパの極端な都市化及び工業化は、その社会的趨勢についていくことのできない者たちに中世回帰的なロマン主義傾向をもたらした。そしてそれはヨーロッパの中で最も急激かつ抜本的な産業構造の変化を体験したドイツにおいて極めて顕著な動きを示した。D・スクラーは、当時のドイツの社会状況について次のように述べている。
 ドイツではどこよりも早く産業革命が起こった。たとえば、1850年に150万トンあった石炭の生産量は、1871年には3000万トンに増加した。過去において農業主導型であったこの国は、一夜にして近代的産業国家にのし上がったのだ。・・・(中略)・・・農村から都市への人口移入は伝統的絆を断ち切ってしまった。科学の発見は、信仰心を喪失せしめ、人々はアイデンティティを確認すべく新しい価値観を求めようとしていた。だが、国家は次第に統制を強めて個人を打ち砕こうとしていた。(12)
 このような急激な社会変動に追い討ちをかけるように、1871年にはドイツ系ユダヤ人が完全解放され、東ヨーロッパ諸国から大量のユダヤ人がドイツ国内に流入してきた。以下はドイツではなくオーストリアの例であるが、ウィーンでは1857年から1910年までの間に、ユダヤ人人口が四倍以上にふくれ上がったという(13)。医学、芸術、商業、政治、すべての職業領域にユダヤ人が入り込み、国家を内側から奪われてしまうと感じたドイツ人の危機感と敵愾心はいやがうえにも高まった。
 こうした混乱の中、それまでドイツ文化の中核となっていた教養市民層の中から、「科学や工業の開花は、自分たちの国の道徳的、文化的な拠りどころを失わせ、いまやこの国は相対主義と物質主義の大海を漂流(14)」していると主張する者たちが現れたことは、至極当然のなりゆきであった。その先駆者ヴィルヘルム・ハインリヒ・リールは、ミュンヘン大学の地理学教授であったが、既に1850年代にはドイツの産業革命に警鐘を鳴らし、中世的な農民生活こそがドイツ文化に再び息吹を与えることができると説いた。また過激な反ユダヤ主義者であったパウル・ドゥ・ラガルドは、『ドイツ人の著作』(1878年)の中で、都市の宗教生活がユダヤ的な物質崇拝と化し、教育がエリート養成から大衆の啓蒙へと「堕落」した世相を批難し、自然に帰れと叫んだ。
 この卑むべき文明と教育の生活をさらに続けるよりも、むしろこの愛する森を裂いてしまうほうがよい。われわれは存在の源に、われわれが跡継ぎではなく祖先である孤高の山の頂にまで、戻らねばならない。(15)

 こういった、リールの農民ロマン主義、ラガルドの文化的ペシミズムがナチの反近代主義への下準備となったとするアプローチは決して今に始まったことではないし、新ロマン主義とフェルキッシュ思想の境界はどこで区切られるのかなど、幾つかの問題点が存することも事実である。とりわけ、ナチズムが反近代主義の運動ではなく、むしろ近代化の役割を担った社会革命であったとする、いわゆる「ダーレンドルフ・テーゼ」以来、反都市化ないし反工業化の思潮とナチズムを直結させる試みは多くの批判にさらされてきた。例えば最近では、G・イリーが 『新しい右翼の誕生と社会変化』の中で、「文化的絶望という概念は、[リールやラガルドといった]数少ない異端思想家たちの政治的インパクトを誇張(16)」しすぎであると述べている。
 しかし、リールらの思想を継承したユーリウス・ラングベーンの著作『教育者としてのレンブラント』(1890年)が最初の二年間で39版を重ねたこと(17)は、「数少ない」フェルキッシュ思想家たちがドイツ国民に与えた影響をうかがい知るに余りあるものであろう。F・スターンは、この書に込められている独特のプリミティヴィズムを「既存社会が破壊された後の、人間の基本的な熱情の解放と、芸術と特殊な才能と力にもとづいた新しいゲルマン的な社会の創造を狙いとしていた(18)」と分析しているが、ラングベーンはこのベストセラーを通してドイツ的かつ有機的な共同体の建設をドイツ青年に訴えた。青年層に着目した理由、それは「祖国を自由主義化し、ユダヤ化し、そしてテクノロジーの国になることを許した年長者たちに絶望していたからである(19)」。
 そしてそれへの応答は、19世紀末から20世紀初頭にかけて現出した様々な青年運動  教育改革運動、ワンダーフォーゲル運動、ブント運動、コロニー運動、汎ドイツ同盟等の中に垣間見ることができる(20)。更に言えば、ナチ党の前身であるドイツ労働者党も、これらの運動に比してより反ユダヤ的な立場にある、多くのフェルキッシュ的政治サークルの一つであった。中村幹雄氏は『ナチ党の思想と行動』の中で、この政党がもともとは「トゥーレ協会」という政治結社から派生したものであったことを指摘しているが、この協会が「反ユダヤ主義やウルトラ・ナショナルな立場を信奉する市民層から構成され、表向きはゲルマン古代文化の研究団体を標榜していた(21)」ことからも、以上に述べてきたラングベーンらの影響をそこにうかがい知ることができるであろう。

 ラガルドやラングベーンがその著作を通して主張していたことは、ユダヤ的唯物主義に冒された正統的キリスト教に代わる、新たな「ドイツ的宗教」の創出とそれによる国民の精神的再統合であった。彼ら以降、フェルキッシュはカトリシズム、プロテスタンティズムに続く「第三の宗教」としての地位獲得を目的としていく。そしてその第三の宗教、真にドイツ的な宗教とは、「汎神論的で情緒的、神秘主義的方向に大きく傾斜し、律法などによって拘束されることのない、人々の内奥に潜む自発的な精神的活力を重視するものであった(22)」。ここに私たちはナチ宗教の原型を見ることができるのではないだろうか。ドイツ国民はヒトラーという高次の民族的コスモスに精神的に同一化することによって、初めて民族としての一体感を得ることができる。そして彼に意志においても行動においても完全に帰属することが霊魂の究極的救済の手段とされる、というナチ宗教のドグマがこのフェルキッシュの説く「第三の宗教」と一致するのである。それはやがて「一つの民族、一つの帝国、一つの総統(ein Volk, ein Reich, ein Führer)」というナチのスローガンに忠実に投影されていく。
 だが、フェルキッシュが総統崇拝の宗教的昇華を導出したのであれば、ナチ宗教の外面的領域、すなわちその祭儀的特質はどのような運動から影響を受けたのであろうか。そこで次節では、前述したモッセの「シンボル政治史」に触れながら、ナチの政治祭儀において、大衆運動及びキリスト教祭儀がどのように転用されたかを論じてみたい。

脚注
(7)ノイロール、前掲書、p.27.
(8)同書、p.12.
(9)この年の4月20日、オーストリアのブラウナウでヒトラーが誕生した。
(10)野田宣雄『教養市民層からナチズムヘ  比較宗教社会史のこころみ』、名古屋大学出版会、1988年、p.52.
(11)同書、pp.53-54.
(12)ダスティー・スクラー『神々と獣たち  ナチ・オカルティズムの謎』(山中真智子 訳)、大陸書房、1988年、p.24.
(13)同書、p.18.
(14)ゴードン・A・クレイグ『ドイツ人』(真鍋俊二訳)、みすず書房、1993年、p.341.
(15)同書、p.344.
(16)G・イリー「新しい右翼の誕生と社会変化」(リチャード・J・エヴァンズ編『ヴィルヘルム時代のドイツ  「下から」の社会史』(望田幸男/若原憲和訳)、晃洋書房、1988年)、p.43.
(17)クレイグ、前掲書、p.346.
(18)同書、p.346.
(19)同書、p.345.
(20)それぞれの運動についての詳細は、野田、前掲書、p.60を参照。
(21)中村幹雄『ナチ党の思想と行動』、名古屋大学出版会、1990年、p.36.
(22)野田、前掲書、p.56.
posted by 近 at 10:00 | Comment(0) | 宗教としてのナチズム
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