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「宗教としてのナチズム−その系譜と実像」(5)〜敬和学園大学の卒業論文(1994)

おわりに

 「なぜナチは12年間にわたってドイツ国民を支配できたのか?」  これはナチ研究史半世紀来の、かついまだ確答の与えられていない疑問である。前述したように、ノイロールらはドイツ人の普遍的精神性にその根拠を求めようとした。しかし結局その試みは、カントやゲーテに象徴されるような知性的ドイツ人像をいたずらに歪曲するだけだった。そこで多くの歴史家はより説得力のある答えとしてテロを持ち出してきた。議会政治のルールにのっとって合法的に政権を獲得したヒトラーは瞬く間に独裁体制を確立し、オーウェル的な監視社会に人々を閉じ込めたのだ、と彼らは説明する。しかしその後の証言で、ドイツ人自身は外国人が考えているほど、ヒトラーを畏怖すべき独裁者としては見ていなかったことが明らかになった。
 例えば、ミルトン・マイヤーの友人たちは戦後、ヒトラーにだまされていたという怒りより、むしろ彼のほうがだまされていたのだという憐憫の情を示している。その一人、カール・ハインツ・シュヴェンケは、狡猾な党幹部たちにヒトラーは利用されていたのだ、とマイヤーに語った。「ヒトラーが本当のことをきかされていたら、ものごとは変わっておったよ(58)」。他の友人ハインリッヒ・ダムによれば、「連中のやり方は巧妙で、ヒトラー自身もとうとうそう思いこまされてしまった。それ以来、彼は妄想の世界の住人になった(59)」のである。イエッケルは「ドイツ人はヒトラーのことを恐れたというよりも、むしろ愛した(60)」と指摘しているが、これらの証言を聞く限り、その分析は一面の真理をついているように思われる。 このように伝統的知性史だけでなく、恐怖政治(テロ)でもナチ支配は完全に説明し切れない。そこで本稿ではそれを補足する一つのアプローチとして、モッセのシンボル政治史を援用した。それは彼の視点がナチヘの大衆支持をプロパガンダではなく、コンセンサスとしてとらえているからにほかならない。ヒトラーが大衆をひきつけた原因を宣伝や集団暗示に結び付けるプロパガンダ論は、ナチの教訓を卑小化させる。ナチス・ドイツは狂気のイデオロギーが生み出した12年間ではなく、疎外された大衆の願望が結実した12年間であったのである。
 なぜ大衆はナチに同意を与えたのか。それは国民主義の熱狂と政治参加の期待が結合した結果であった。更にそれは第三帝国の崩壊によって終焉を迎えたわけではない。冷戦終結による民族紛争の激化とそれに伴う政治への失望は世界各地で噴出しつつある。「ネオナチ」と言われている運動は、その一部でしかない。そしてマス・メディアもまた、政治と大衆の結合にかつてない影響を与えている。そういった意味で、モッセのシンボル政治史は、ナチの悪夢がドイツ特有のものでなく、今日の民主主義国家に現出する可能性を伴った現象であると理解する上で、多くの示唆を与えていると言えるであろう。

 とはいえ、ナチズムの性格を規定していたイデオロギーが単なる国民主義に限定されなかったことは既に見てきた通りである。本稿ではナチズムを一個の救済宗教としてとらえ、その源流をフェルキッシュに求めた。それは恐らく強引なアプローチとしての批判を免れ得ないであろう。しかし、フェルキッシュの救済観がヒトラー崇拝を個人の救済手段として昇華した可能性は否定できない。そしてナチ祭儀はモッセが述べた過去一世紀半の政治祭儀を大衆動員に利用し、更にその意図においてキリスト教の代用宗教たらんとした。その標的とされていたのは福音主義キリスト教だけではない。ナチ世界観との類似を帯びたGDCもその例外ではたかった。ナチ国家にとってヒトラー崇拝を中核とするナチ祭儀以外に国民宗教は必要なかったのである。その点において、ナチ支配の12年問は、究極的にはナチズムとキリスト教の生存闘争であったと結論づけることができるであろう。


脚注
(58)マイヤー、前掲書、p.71.
(59)同書、p.72.
(60)イェッケル、前掲書、p.126.


主要参考資料

ワルター・ホーファー『ナチス・ドキュメント−原資料による全体像−』(救仁郷繁訳)、ぺりかん社、1969年。
アドルフ・ヒトラー『わが闘争』(平野一郎/将積茂訳)、角川書店、1973年。
フランソワ・ジュヌー編「歴史への証言−ヒトラー語録−」『現代世界ノンフィクション全集11』(河野徹訳)、筑摩書房、1967年。
ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた−元ナチ党員十人の思想と行動−』(田中浩/金井和子訳)、未来社、1983年。
フランツ・ノイマン『ビヒモス−ナチズムの構造と実際−』(岡本友孝/小野英祐/加藤栄一訳)、みすず書房、1963年。
J・F・ノイロール『第三帝国の神話−ナチズムの精神史−』(山崎章甫/村田宇兵衛訳)、未来社、1963年。
ゲオルゲ・L・モッセ『大衆の国民化−第三帝国に至る政治シンボルと大衆文化−』(佐藤卓己/佐藤八寿子訳)、柏書房、1994年。
野田宣雄『教養市民層からナチズムヘ−比蛟宗教社会史のこころみ−』、名古屋大学出版会、1988年。
ダスティー・スクラー『神々と獣たち−ナチ・オカルティズムの謎−』(山中真智子訳)、大陸書房、1988年。
ゴードン・A・クレイグ『ドイツ人』(真鍋俊二訳)、みすず書房、1993年。
中村幹雄『ナチ党の思想と行動』、名古屋大学出版会、1990年。
柴健介「ナチズム・総統神話と権力−党大会における象徴化の過程−」『シリーズ世界史への問い7 権威と権力』、岩波書店、1990年。
宮田光雄「政治的言語と政治的祭儀−ナチ・ドイツの精神構造−亅『思想』664−666号(1979年10−12月)。
エバーハルト・イエッケル『ヒトラーの世界観−支配の構想−』(滝田毅訳)、南窓社、1991年。
清水望『国家と宗教』、早稲田大学出版部、1991年。
堀豊彦『デモクラシーと抵抗権』、東京大学出版会、1988年。
河島幸夫『戦争・ナチズム・教会』、新教出版社、1993年。
森平太『服従と抵抗への道−ボンへッファーの生涯−』、新教出版社、1964年。
雨宮栄一『ドイツ教会闘争の展開』、日本基督教団出版局、1980年。
W・ニーメラー/G・ハーダー編『ナチへの抵抗−ドイツ教会闘争証言集−』(雨宮栄一編訳)、日本基督教団出版局、1978年。

以 上 

(卒論指導 岩倉依子助教授)
posted by 近 at 05:00 | Comment(0) | 宗教としてのナチズム
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