礼拝の中で、先日山形恵みキリスト教会を訪問された姉妹の証しがありました。
聖書箇所 ルカの福音書19:1-10
1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。
8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
※説教の理解を助けるために、こちらの記事も併せてご覧ください。
序.
私の敬和学園高校の同期で、寺田真実(てらだ・まさみ)という人がいます。
なぜ実名、しかも呼び捨てかと言いますと、普通の人ではなくて、芸能人であるからです。
「劇団四季」という名前を聞いたことがあるでしょうか。
俳優・スタッフ700人、一年間の公演が3000回、観客動員数は300万人という日本最大の劇団です。
研修生として入団するのも非常に狭い道ですが、「劇団四季に入るよりも、そこに留まるほうがはるかに難しい」と言われます。
彼はそこで13年間活動してきましたが、昨年そこを退団して、自分で小さな劇団を始めました。
今は全国の病院を訪問して、子供たちに本物のお芝居やミュージカルを見せてあげるという活動をしています。
交通費や上演の経費は、すべて自己負担です。
無料訪問の合間に有料の公演も行い、その売り上げを病院への訪問費用に充てています。
1.
先日、彼の劇団が新潟に来るというメールが、彼本人から届きました。
じつは彼と私には因縁がありまして、高校の頃、ライバルだったのです。仲が悪かったわけじゃないですよ。
「本気」と書いてマジと読む、「好敵手」と書いてライバルと読む、そういう関係です。
敬和では毎年フェスティバルという学園祭があるのですが、彼と私は3年間、ずっと演劇部門で張り合ってきた仲でした。
1年生のときはどちらもちょい役でしたが、3年生の時にはどちらもリーダーになり、そして私が勝ちました。
「もし私が卒業後も演劇を続けていたら、今頃は劇団四季で活躍できていたかも」。
そんな冗談を交わしてみようかなどと考えながら、舞台が行われる小さなホールを訪れました。
彼がその日に演じた舞台のタイトルは「My Story」というものでした。
「私の物語」。彼がどのような人生を送ってきたかをミュージカルにしたものでした。
「入るよりも留まる方が難しい」劇団四季の中で、彼は襲いかかるストレスの中でパニック障害になった。
それでも劇団に留まり続けたいという願いの中で、芝居に没頭し続けた。
そこまでして彼が手に入れようとしたもの、それはだれが見ても「生きる」というのはこういうことなんだ、と確かに伝わる演劇でした。
今喜んでいる人も、今悲しんでいる人も、どんな人でも「生きる」ことは苦しい、でも「生きる」ことはすばらしい、とわかってもらえるために。
彼が辿ってきた努力は、とても冗談めいて話せるような人生ではない。私はただ圧倒されながら、舞台を後にしました。
2.
帰りの車を運転しながら、私はザアカイの物語を思い出していました。
寺田君は牧師の家庭に生まれ、色々な人に愛されて、ザアカイとは正反対の人物です。
でも彼がすべての人に届く演技をするために、神様はあえて彼にザアカイの生き方を体験させました。
ザアカイは人を傷つけ、そして人に傷つけられてきた男でした。彼は「取税人のかしらで、金持ちであった」と書いてあります。
彼は人からだまし取ってまで、金を求めました。しかしだれが彼を責めることができるでしょうか。
現代社会は、数え切れないほどのザアカイがひしめいている世界です。
交際相手の男性から愛してもらいたいがために、自分のお腹を痛めた子どもを虐待する母親がいます。
家庭に自分の居場所がないことに気づき、会社で寝泊まりしながら仕事に没頭する父親がいます。
クラスの中で自分が仲間はずれにされないために、ほしくもないカードゲームを万引きしてまで手に入れようとする子どもがいます。
だれもが、本当にほしいものは何かを知っているのに、それが手に入らない悲しみを埋めようと、手近なもので心をごまかしているのです。
3.
しかし、金で心を満たし続けていたザアカイの心の中で、もうひとりのザアカイがもがいていました。
生きたい、生きたいともがいていました。
彼はイエス・キリストを見ようとしました。イエスを見たら何が起こるというのでしょうか。何を彼は期待していたのでしょうか。
それは人には説明することができません。まさに神様が私たちの心に働きかけてくださる不思議です。
ザアカイは走ります。いちじく桑の木によじ登り、イエスを見るために。
見て何になるのか。ザアカイにもわからない。だれにもわからない。しかしイエス様にだけはわかっていました。
木の上のザアカイと、木の下のイエス様との出会いは人の偶然ではなく、神の必然だったのです。
イエス様はザアカイに優しくこう呼びかけました。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」。
上演前に受け取ったチラシに「My Story」と書いてあったとき、私は「His Story」のほうがいいのにと思いました。
英語で「歴史」のことを「History」と言いますが、これは「His Story」、つまり「主の物語」から来ています。
歴史は、人間の勝手な営みに見えるが、それは神様がすべての人を用いてご自分の物語を紡ぎ出すというのが「His Story」の意味です。
でも帰りの車の中で、上演前にそんなこと言わなくて良かったあ、と胸をなで下ろしました。
クリスチャンである彼があえて「His Story」ではなく「My Story」にしたのかがわかったからです。
「His Story」が「History」につながるとすれば、「My Story」は「Ministry」につながります。
「Ministry」は日本語に訳すと「奉仕」です。神様に出会う時、私のための人生は、隣人に奉仕する人生へと変わっていきます。
「History」と「Ministry」は車の両輪のようです。
神様が寺田君の人生を導き、だれよりも生きる苦しみ、そして恵みを伝えることができる俳優にしてくださった。
そして彼は今、自分の劇団を立ち上げて、病気の子供たちを励ますために自分の経験を用いようとしている。私はそう確信しています。
結.
ザアカイに起きたことも同じでした。彼はイエス様に約束します。
「財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します」。
今、ザアカイのMinistryが始まったのです。
そしてイエス様は人々にこう宣言されました。「きょう、救いがこの家に来ました。人の子は、失われた人を捜すために来たのです」。
「人の子」、それはイエス・キリストのことです。
すべての「失われた人」を探し、罪を赦し、永遠のいのちを与えるためにイエス様は来られました。
きょうこの時、イエスさまはあなたにも語りかけておられます。今日はあなたの家に泊まらなければならないから、と。
それは神様があなたの人生をここから変えてくださるということです。
今までの苦しみも含めて、あなたの人生すべてが無駄にならない、あなたのMinistryを始めさせてくださるのです。
イエスさまを救い主としてその心に受け入れましょう。私の家に泊まってください。この心に入ってきてください、と。