聖書箇所 使徒の働き13:1-12
1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。6 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った。7 この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。8 ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。11 見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。12 この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った。
序.
敬和学園の初代校長であった太田俊雄先生は、高校ができたとき、こう祈ったそうです。
「もしこの学校が主のみこころからそれるようなことがあれば、どうかつぶしてください」と。
この話は、私が敬和学園大学への入学が決まったとき、教会の牧師先生から教えてもらいました。
私は、敬和がつぶされないために自分は何ができるだろうかと考えました。そして出た答えは、大学で聖書研究会を始めるということでした。
すると少しずつ賛同するクリスチャン学生が4、5人集まり、聖書研究会が始まりました。
ところが、私はそこで初めて、キリスト教会には教派の違いがあるということを知ったのです。
私は同盟教団ですが、Aくんは日本基督教団、Bさんは日本ホーリネス教団、Cくんは日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団。
きよめとか異言という言葉を知ったのも、この時です。
聖書研究会だから当然聖書を学びますが、持っている聖書もみんな違っていました。
同盟は新改訳聖書、日本基督教団は新共同訳、ホーリネスは口語訳といった具合です。
私たちは自分たちのことをよく「クリスチャンのごった煮」と言って笑っていました。
しかし教派や教会は違っても、クリスチャンは一つなのだという喜びを知ったのもこの時です。
残念ながら、この聖書研究会は私たちの卒業と同時に消滅してしまいました。
しかし4、5人のメンバーの中で、私を含めて3人が牧師や牧師夫人として今も働いていることは、大きな恵みです。
1.
このアンテオケ教会もまた、「クリスチャンのごった煮」と言えるかもしれません。
1節には、アンテオケ教会の中枢を担っていた5人の名が記されています。
この中でひとり注目したいのは、「国主ヘロデの乳兄弟マナエン」です。
このヘロデとは誰のことかというと、バプテスマのヨハネを殺害したヘロデ・アンティパスです。
その乳兄弟と呼ばれる人物が、教会の主要なメンバーとして名前が挙げられている!
この事実こそ、アンテオケ教会がどんな人種や経歴にも左右されない、赦された罪人の集まりであったことを物語っています。
教会は、赦された罪人の集まりです。
とくにアンテオケ教会のようにさまざまな人種からなる教会の中には、言葉や生活習慣の違いによるトラブルも頻繁に起きたことでしょう。
しかし聖霊なる神は、このごった煮のようなアンテオケ教会をご自分の宣教のしもべとして確かに選ばれたのです。
私は、大学時代の聖書研究会の光景を思い出します。
週5日の平日、朝と昼にそれぞれ30分くらい、空き教室に集まり、賛美を一曲と、聖書を一章、そして学生と教職員のために祈りました。
それは、聖書研究会と言うよりは祈祷会であり、祈祷会と言うよりはれっきとした礼拝でした。
その礼拝を通して、出身教派の違いはあっても、キリストにあって一つなのだという確信を与えられました。
教会には一致が必要です。しかしその一致とは、人間的な一致ではなく、聖霊による一致でなければなりません。
そして聖霊による一致は、まず礼拝から生まれるのです。聖霊は、彼らが主を礼拝し、断食をしているときに語られました。
礼拝は儀式ではありません。礼拝は義務ではありません。礼拝は、生き生きとした自発的な喜びの中で、主とそのことばを慕う時です。
2.
アンテオケ教会は、まだ生まれて数年しか経っていない、未熟な教会でした。
その、よちよち歩きのような教会員にみことばを教えていたのが、他ならぬサウロとバルナバであったのです。
彼らは、教会員の霊的成熟のために欠かせない人々でした。
しかし聖霊は、その二人を異邦人伝道へ遣わしなさい、と教会に命じられたのです。
聖霊が私たちに与える命令は、必ず犠牲を伴うものです。
犠牲を払う必要のない、そして神の心よりも人の目を優先するような道を決して聖霊は命じません。
アンテオケ教会にとって、サウロとバルナバを送り出すことは、確実に犠牲を伴う道でした。
人間の目で見れば、教会そのものがばらばらになってしまうかもしれない危険さえもありました。
しかし彼らがためらった記録は聖書にはありません。彼らは人間の目ではなく、神のみこころを優先したからです。
「そこで彼らは、断食と祈りをし、ふたりの上に手を置いてから、送り出した」と直ちに命令に従った様子だけが描かれています。
そこには、神が語られたという恐れがあったのです。神が用いられる教会は、人数の大小や、歴史の長さ、将来性などに依存しません。
小さな教会であっても、歴史の浅い教会であっても、神のみことばを恐れながら受け止めていく教会を神は用いられます。
聖霊はアンテオケ教会にこう語られました。「バルナバとサウロをわたしのために聖別せよ、わたしが召した任務につかせよ」。
主語は「わたし」、聖霊ご自身です。私たちは、ただ聖霊の用いる器の一つとならせていただきましょう。
聖霊のかすかな声を聞き取ることのできる礼拝をささげましょう。
3.
私たちが聖霊の命令に従うとき、そこには必ず対決が起こります。
サウロ、バルナバ、そして通訳者として同伴したヨハネ・マルコは、まずキプロス島へと渡り、ユダヤ人の諸会堂でみことばを語り続けました。
しかしそこには偽預言者であり、魔術師とも言われる、バルイエス、別名エルマがおりました。
そして彼は総督が真理の道に進まないように、サウロたちの伝道を妨害したのです。
この魔術師エルマの姿は、福音の真理が語られるとき、必ずそこには人々を福音から遠ざけようとする力も働くことを示しています。
多くの人は言います。宗教なんてみな同じだ、むしろイエス・キリストだけが真理だと言い張ることが、宗教対立を引き起こしているのだ、と。
しかし人々にこう問い返しましょう。もしあなたが心臓に痛みを感じて、病院に転がり込んだときに、
医者が「薬なんてみんな同じですよ。そこらへんの戸棚にあるものを適当に持ってってください」と言ったら、あなたはどう思いますか、と。
私たちを永遠の罪から救い、永遠の命を与える、正しい教えはたった一つしかありません。それがイエス・キリストです。
サウロとバルナバが語り、そして二千年間教会が語り続けてきたもの、
それはこのイエス・キリストだけがあなたを救うことができるお方なのだ、ということです。
このまことの福音を語ろうとするとき、魔術師エルマに象徴される、人々を真理から遠ざけようとする力は、死に物狂いで抵抗します。
しかし私たちは対決を恐れてはなりません。武器はどこにありますか。ここにあります。この聖書です。
この出来事を見た総督は、その出来事に驚いて信仰に入った、と書いていないことに注意してください。
はっきりと、主の教えに驚嘆して信仰に入った、と語られています。大切なのは主の教えであり、特別な出来事ではありません。
結.
この『使徒の働き』が書かれた時代には、聖書はまだ完成していませんでした。
だから宣教において、このエルマに起こったような力の対決がどうしても必要でした。
しかし今、私たちには聖書があります。そして自分で聖書を学ぶことができます。
どうかクリスチャンは聖書を毎日、「自分で」学んでください。祈りはクリスチャンにとって呼吸、聖書は食事です。
日曜日だけ、あるいは祈祷会も含めて週二、三回の食事で、自分の体を支えることはできません。たましいがひからびてしまいます。
私は大学で聖書研究会を始めたとき、まだ受洗して4ヶ月でしたが、毎日注解書を使って、聖書を学びました。
大学の友人に福音を伝えるためにです。そして実際に緊張しながら友人に伝えていると、自分もだんだんとわかってくるのです。
すべてのクリスチャンは、人に福音を教えることを目標とすべきです。
それをあきらめたり、初めから考えてもいないならば、何十年経っても赤ん坊のままです。
私たちに罪を示し、十字架を教え、救いを与えた聖霊は、私たちが主の教えを語るものになることを願っておられます。
そしてそのために、私たちはこの完全な聖書を与えられているのです。ひとり一人が、この聖書を伝えるために学んでいく者となりましょう。