今週は、月曜日から教団の伝道懇談会および松原湖研修会があり、更新が遅くなりすみません。
伝道懇談会では、教会ホームページ作成講座の分科会もありました。
私は別の分科会に参加しましたが、なんでも「ホームページは、左上から重要なことを並べる」のだそうです。
あまり考えないで作っていましたが、参考になれば。週報はこちらです。
聖書箇所 『ヨシュア記』14章6-15節
1.
おはようございます。先週は、45周年記念式典、お疲れ様でした。
お疲れ様という言葉は、週の初めの朝からふさわしくないかもしれません。
しかし教会が45年歩んできた感謝を、みなさんと一緒にお祝いすることができたのは、何にもまさる恵みでした。
今回、下川先生ご夫妻が新潟と柏崎を中心に六日間滞在されました。
私はあるときは運転手をしたり、またあるときは集会の聴衆のひとりだったりと、ほぼ毎日、ご一緒させていただきました。
その中で、至る所でご夫妻が、豊栄の教会員はすばらしいと、たいへんほめておられたことをご報告しておきます。
社交辞令を真に受けちゃいけないと、誰かに言われてしまうかもしれませんが、先生はこう仰っていました。
教会員みなが、自分から教会に仕えて、終わっても帰ろうとしない。これは、当たり前のようだが、決してそうではないのだ、と。
さらに、とくにあのふたり、後ろに座っていた、えっと、ハナさんとヨミさんがすばらしい、と特別に名前を挙げておられました。
自分の年ももう人のことを言えないが、ああいうお年を召した方が、二人仲良く座って、みことばを聞いたり、子どもたちの姿を優しく眺めている。
あれも得がたいよ、近先生は幸せだよ、と。
で、最後に下川先生らしく、こうおっしゃいました。
もう豊栄教会は、近先生たちがいてもいなくてもできあがってしまっているから、そろそろ次の場所を祈ったらどうか。
たとえばクナシリ島とか、エトロフ島とか。本当はヒダカと言いたかったかどうかはわかりませんが、
私は、「子どもたちがたくさんいて、うらやましいね」と言われるよりも、「お年寄りがたくさんいて、うらやましいね」と言われるほうがうれしいのです。
世の中の人々は逆ですね。ショウシコウレイカという言葉に、呪文のように縛られてしまっています。
子どもがいれば将来性があって、高齢者ばかりだと未来がないとか言います。
しかし、お年寄りがくつろげる教会は、子どもたちも楽しめる教会ではないかと思います。
教会は、小さな者も、年老いた者も、信者も、求道者も、あらゆる人がそのままで受け入れられるところです。
50年記念会を行うときには、この教会はどんな教会になっているでしょうか。神さまに期待して、励ましあって行きましょう。2.
今日の聖書箇所は、先週の特別礼拝のとき、招きのみことばとして与えられたところです。
聖書の中に、45年という数字が出てくるのはないかと探していたら、一箇所だけあったのですね。それが今日の箇所です。
ちなみに、もし45年という数字が見つからなかったら、少しごまかして46年ということばにしようかと思っていました。
46年ということばも、聖書66巻の中で一箇所だけ出てくるのですが、知っている方はおられますか。
正解は、ヨハネの福音書2章20節、イエス様に対するユダヤ人たちのクレームの言葉です。
「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを三日で建てるのですか」。
記念式典の意味そのものを揺さぶる、恐ろしいみことばですね。四十五年でよかったと心から思います。
さて、85歳の勇士カレブ。彼は荒野を歩いてきた45年間を振り返りながら、ヨシュアにこう語りかけました。
10節から12節を、もう一度お読みします。
今、ご覧のとおり、【主】がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、
イスラエルが荒野を歩いた45年間、【主】は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。
今や私は、きょうでもう85歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。
私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。
どうか今、【主】があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。
あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。
【主】が私とともにいてくだされば、【主】が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。
3.
カレブの信仰は、この言葉の中に凝縮しています。85歳の元気の源は、45年間、ひたすら主の約束を見つめてきたところにありました。
この45年前、モーセはイスラエルの十二部族から一人ずつ選抜された、十二人の精鋭を、カナンの地に偵察隊として派遣しました。
そのうち十人は、カナン人に恐れをなしてエジプトに帰ろうと報告しましたが、ヨシュアとカレブの二人だけは、信仰による勝利を主張しました。
45年前、彼が表した信仰は、年を経て弱まるどころか、むしろますます強くなり、同じく老人になっていたヨシュアを励ましました。
カレブの信仰の頂点は、12節のことばです。「どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください」。
この老いてなお燃えさかる信仰こそ、私たちに必要なものです。私たちは確かに神の約束を信じているでしょう。
しかし年を取ると、あとは若い人に任せたという、聞き分けのよい信仰者になってしまいます。
引き継がずに任せるのは、丸投げと言うのです。いつまでも既得権益を手放そうとしない年長者を「老醜」老いて醜しと呼ばれます。
しかしこの地上を去る最後の時まで、若い人々とともに戦い、自分のすべてを引き継ごうとする者、それがこのカレブという勇者です。
「今、私を遣わしてください。45年前のあの日、神が私に約束してくださったこの地へ、早く私を遣わしてください」と。
今日、教会は、この世の人々以上に、少子高齢化を恐れているようです。
教会学校の人数で教会の将来をはかり、自分の教会は高齢者ばかりですよと自嘲気味に語ります。
どうして高齢化をそんなに嫌がるのでしょうか。
年金暮らしで、教会が維持できなくなるからでしょうか。奉仕を担うことができる人がいなくなるからでしょうか。
もしそうだとしたら、それはヨシュアやカレブの信仰ではなく、残り10人の斥候たちと同じ、目に見えるところで判断してしまっています。
教会の高齢化、まことに結構です。
99%の未信の魂は、圧倒的に高齢者が多いのですから、高齢者の心がわかるのは高齢者です。宣教の門が開かれるということです。
たとえ高齢者ばかりの教会になったとしても、日野原先生やカレブのような人々が20人、30人集まっていたら、人々は福音の力を知ります。
そしてもし、この教会から若い人たちがいなくなり、教会解散ということになったとしても、それで教会が死んでしまうわけではない。
一粒の麦もし死なずんば、多くの実を結ぶなり。会堂がなくなっても、私たちがそれまでに撒いた種は残り、やがて再び芽をふくのです。
結.
今回の45周年記念会は、祝福も多く与えられましたが、準備の段階で大いに反省することもありました。
この場所に教会が建てられる前の十数年間、宣教師や青年信徒の子ども伝道で導かれた方、援助してくださった方々。
彼らに声をかけて、記念会を伝道の機会とすることができなかった、ということです。
しかし記念会の中で、下川ヨリ先生や、長谷部芳江姉から、実際に50年以上前に導かれていた方々の名前を聞かされました。
兄弟堀、新鼻、高森、そういったところで子ども集会に導かれた●●ちゃん、自分の家の納屋を集会場所に貸してくれた●●ちゃん、
色々な方々の名前を聞かせていただいたし、後でまた詳しくメールすると約束して、下川先生ご夫妻も戻って行かれました。
これらの方々は、今は60代後半くらいになっています。
子どもの頃にキリスト教に触れた方は、人生を振り返る年代になったとき、また教会に導かれるということが多いのだそうです。
そういう方々を、またみんなで協力して掘り起こしていって、恵みの上にさらに恵みをいただきたいと願います。
45年、それをただの数字に終わらせることなく、あの日に約束されたこの山地を私に与えてください、と主にしがみつく機会といたしましょう。