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2016.10.23「神は時間を気にしない」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
毎週、礼拝説教をこつこつアップロードし、いつ炎上するんじゃないかと冷や汗をかきながら、はや記事数も次回で300を数えます。
約5年のあいだに頂いたコメントは9!しかも半分が自分の返信。とほほ。打ち切り寸前の漫画家さんの気持ちです。
彼ははじめから書きません。
ソロソロやめようかと思っていた矢先、なんと関西のK市の読者さんから心のこもった贈り物を頂きました。
ありがとうございます。そんなあなたに送るみことばです。「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。」(箴言25:25)。
むしろ自分向けのみことばでした。気を取り直して、もう少し続けます。コメント、もっと入れてください。
週報はこちらです。

聖書箇所 『イザヤ書』46章3-4,12-13節 


序.
 おそらく名前を知らない人はいないであろう、日野原重明先生のお誕生日は、ちょうど今月、10月4日だそうです。
しかしほとんどの人々は、先生のお誕生日そのものより、で、今年いくつになったの、というほうに興味があるでしょう。
今年で満105歳だそうです。
日野原先生は、お父さまが牧師という家庭環境に生まれました。7歳でキリスト教のバプテスマを受けておられます。
3年前に93歳で亡くなられた奥様との出会いは、教会学校の先生をしていた姉妹を、その教会の役員に紹介されて、だそうで、
その生涯をクリスチャンとして堅実に歩んでこられました。
しかし60歳を前にして、あの有名な「よど号ハイジャック事件」に巻き込まれたとき、こう思ったそうです。
これまで信仰は持っていたけれども、内実は医師としての名声を追い求めてきた人生であった、
これからの人生は、神のために、人のために生きよう、と。それからの生き様は、私たちがテレビなどで知っているとおりです。1.
 聖書の中に、アブラハムという人物がいます。聖書では信仰の父と呼ばれていますが、彼が神に呼ばれたのは75歳のときです。
しかし75歳の時に、彼はそれまで暮らしていた町と、そこで培った人間関係をすべて捨てて、神の示された地へと旅立ちました。
アブラハムから、約500年を隔てた子孫にあたるモーセという人物も、聖書の中に出て来ます。
彼は、アブラハムよりももっと遅く、80歳の時に神に呼ばれ、イスラエル人をエジプトから解放するリーダーとなるように命じられます。
日野原先生は60歳、アブラハムは75歳、モーセは80歳、しかし神の選びに、もう遅すぎるということはないのです。
もう今さら信じてもねえ、とつぶやく必要はまったくありません。
まことの神、イエス・キリストに出会い、この方を信じるときに、その後の人生は、あなたの予想もつかないドラマの始まりです。
今日、私が皆さんにお伝えしたいことは、説教のタイトルがすべてを物語っています。
「神は時間を気にしない」。
私たち人間は、どうしても時間に拘束された生き物です。過ぎ去った時間を取り戻すことはできません。
取り戻すことができないゆえに、時間を無駄にしないように、忙しく生きなければなりません。
しかし、まことの神は時間の中に生きているお方ではありません。時間さえも作られたお方です。
私たちが、人生のパートナーとして神であるイエス・キリストを選ぶとき、私たちは人の時間軸ではなく、神の時間軸で生きるようになります。
それは、たとえどんなに人生が無駄に過ぎているように見えたとしても、何一つとして手遅れはないという人生です。

2.
 60年、70年、80年、それだけ生きていれば、その後の人生、だいたい予想がつく、と、人は長く生きるほど悟ったような気になってしまいます。
しかし勘違いをしてはなりません。永遠の神にとって、人間の何十年など、ゼロに等しいものです。
私たちがとうてい想像もつかないような深い計画を、神は信じる者に用意してくださいます。
それは、時間に追い立てられる、今までの延長のような人生ではありません。
イエス・キリストを信じて永遠のいのちが与えられた者は、過ぎ去っていく時を惜しみ、後悔して生きていくことから解放されるのです。
 もう一度繰り返します。神は時間を気にしません。そして、神に手遅れはありません。
今日、私たちがイエス・キリストを信じるならば、すべての罪が許されて、永遠のいのちをいただくことができるのです。
もし私たちが、罪を残したままでは、神に受け入れられることはできません。
しかし、私たちのすべての罪は、イエス・キリストが十字架の上で身代わりになって引き受けて、帳消しにしてくださいました。
イエス・キリストを信じるならば、私たちはまったくきよめられた者として、神が用意しておられるすべての祝福を受け取ることができます。
今日、それを受け取りたい方はおられませんか。たとえ今までどれだけ神を知らない生活が続いていたとしても、関係ありません。
どれくらい教会に長く通い続けたかということも関係ありません。
時間に追われ、人間関係に追われ、死の恐怖に追われ、自らの罪が引き起こしたトラブルに追われている。
それが、すべての人間が生まれついたときから例外なく歩まなければならない、見えない鎖に縛られている人生です。
しかしイエス・キリストを信じるとき、私たちは完全に解放されます。
かつて犯した罪の記憶は、もうあなたを苦しめることはありません。
今犯している罪は、心の中に住んでくださる聖霊が示してくださり、悔い改めに至らせてくださいます。
もし将来に大きな罪を犯してしまうかもしれません。しかしそのときにも、神は私たちに悔い改めのチャンスを与えてくださいます。
イエス・キリストを信じ、救われる者は、もはや時に拘束されることはないのです。

結.
 説教の最後に、黄色いランプのない信号機というのを想像してみてください。進めの青色と、止まれの赤色しかない信号機です。
スピードを出している車の都合に関係なく、いきなり青から赤に変わってしまう信号機です。
世の中の道路が、そんなものばかりだったらどうでしょうか。パニックに陥ってしまうと思います。
しかし人生は、まさにそうなのです。黄色信号はありません。突然、予想もしない中で青が赤に変わり、突然終わりを迎えます。
仕事がようやく軌道に乗り、いよいよこれからと思った矢先に、癌が発見されて、他人に会社を譲らなければならなかった経営者がいます。
定年まで堅実に勤め上げ、これからは夫婦二人で楽しもうと思っていた矢先に、病気が見つかって目の前が真っ暗になった人がいます。
しかし、イエス・キリストを信じて、永遠のいのちを受け取ってください。
そうすれば、たとえ突然、自分の人生が終わるということを知らされても、決して絶望することはありません。
なぜなら、私たちが地上で積み上げてきた人生は、天国で続きがあるからです。
この地上の人生で、培ってきた経験、知識、感動、それらは死ですべてが消えてしまうのではありません。
私たちが地上の人生で得た、あらゆるものは、それが悲しみや痛みであろうとも、すべてが良きものへと変わります。
それらを用いて、私たちは天国で神のために、神とともに歩んでいくのです。
すべてには時があります。しかしキリストを信じる者は、その一瞬たりとも、決して無駄になることはありません。
キリストを信じない人にとって、死は終わりであり、待っているのは永遠のさばきです。
しかしキリストを信じるならば、人生は裏返り、死はいのちに、のろいは祝福に、悲しみは喜びに変わります。
どうかひとり一人が、イエス・キリストを信じて、いのちの祝福にあずかることができますように。
posted by 近 at 12:27 | Comment(4) | 2016年のメッセージ
この記事へのコメント
ありがとうございます。続けて下さい。感謝
Posted by 黒田明美 at 2016年11月01日 08:37
ありがとうございます。黒田明美さんの紹介で先生のホームページを知りました。いつも楽しみにしています。力を与えていただいています。
感謝です!
Posted by 南 康文 at 2016年11月09日 17:53
南さん、はじめまして。これからも応援して頂けたら幸いです。
Posted by vachikan at 2016年11月10日 17:36
黒田さん、先日はありがとうございました。
とても感激しました。これからも応援して頂けたら幸いです。
Posted by vachikan at 2016年11月10日 17:38
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