いよいよクリスマスですね。当教会もご多分にもれず、
23日は近所の福祉施設二か所を訪問、24日はイブ礼拝、25日はクリスマス礼拝およびお祝い会。26日は家庭集会の予定です。
7月から豊栄から40キロ北にある村上の教会を兼牧していますので、25日は豊栄のクリスマス祝会も途中退場です。
村上のクリスマスチラシもラクスルさんで作りました。こちらはお試しということで1000部。ある意味、豊栄のチラシよりも力入っています。

聖書箇所 『ルカの福音書』2章1-7節
序.
毎年、年末になると流行語大賞や、今年の漢字というものが発表されます。
今年の漢字というのは、その年の特徴的な世相を漢字一文字で表すというものですが、2016年はどんな漢字が選ばれたでしょうか。
「金」でした。なんでも、今年はリオでの金メダルラッシュ、豊洲市場や東京オリンピック会場に関わる金の問題などがあったからだそうです。
ところが、そのニュースを聞いて、私は待てよ、と思いました。
じつは毎年、この時期の説教の導入で「今年の漢字」に触れているので、過去にどんな漢字が選ばれたかというのがだいたいわかるのです。
四年前の2012年に選ばれた「今年の漢字」も「金」でした。
当時の資料を見ると、こう書いてありました。
2012年はロンドンでの金メダル、年金偽装にかかわる金の問題の表面化。四年前とほとんど変わっておりません。
金メダルはともかく、金の問題は、悪いのは国か都か県かというのが変わるだけで、四年経っても同じことを繰り返しているのだなと思います。
来年の「今年の漢字」に何が選ばれるかまではわかりませんが、おそらく四年後の2020年は、また「金」が選ばれるに違いありません。1.歴史に働かれる神の御手
さて、近代オリンピックは4年ごとに開催されますが、ローマ帝国の住民登録は14年ごとにローマの支配する全域で行われていたそうです。
二千年前のユダヤは、自治権はありましたが、れっきとしたローマの属州のひとつであり、この住民登録に協力する必要がありました。
具体的には、すべての成人男性は、自分の先祖が住んでいた町へ赴き、氏名、職業、財産、家族をその町で登録するのです。
これは、今日の国勢調査が国民の福利厚生のためにあるのとは違います。
いざというときに、ローマ帝国と、そしてローマ皇帝アウグストが、どれだけの軍隊と戦費を一気に調達できるかということを把握するためでした。
皇帝アウグストは、神を知りません。むしろ皇帝自らがローマの神々の中心であり、臣民は皇帝を拝むべしという考えさえ持っていました。
しかしそのような、まったく人間の勝手な考えに見えるものが、じつは神の大いなる計画に、永遠の始まりから組み込まれていたのです。
イエスの父親となるヨセフは、このとき大工としてナザレの町に住んでいましたが、
もともと彼はかつてユダヤを統治していたダビデ王朝の末裔であり、彼の本籍はダビデの生まれた町であるベツレヘムにありました。
神はローマ帝国が誕生する何百年も前に、預言者ミカを通して、救い主はベツレヘムに生まれるという約束を与えておられました。
ローマ皇帝アウグストが、完全に自分の計画に基づいて始めた、わが臣民は生まれ故郷に戻って住民登録をせよという命令。
それは救い主はベツレヘムに生まれるという預言が成就するための、神のご計画に他ならなかったのです。
私たちの目の前に起こる出来事も、いまは隠されていることも、すべてのことの背後には神のご計画があるのです。
たとえそれが金メダルの数であろうと、政治家による金権不正であろうと、
あるいは私たちの家庭や個人の中での小さな小さな出来事であろうと、神が知らないこと、関わっていないことは一切この世界にはありません。
すべての出来事の背後には神がおられ、神はそれらの出来事を、ご自分の定めたご計画のために用いられます。
2.ある信仰者の生涯
来月、アメリカ第45代大統領としてトランプ氏が就任する予定ですが、第20代大統領にジェームズ・ガーフィールドという人がおりました。
彼は二歳のときに父を亡くし、貧しい家庭で育ちましたが、たいへん優秀な、そして努力家でありました。
船乗りとして学費を稼いで入った大学ではその優秀さを認められて、学生の身分でありながら、教師として教えることもありました。
それだけでなく、毎週日曜日には大学の隣にあった教会で、一回一ドルの約束で礼拝説教も引き受けていたそうです。
160年前ですので今とはまるで貨幣価値が異なりますが、優秀なだけではなく、熱心な信仰者でもありました。
彼の大統領としての業績はほとんど残っていません。
就任してわずか4ヶ月後に、駅で狙撃されて、そのまま帰らぬ人となったからです。
しかし彼は、いつ語ったものかわかりませんが、次のような言葉を残しています。
あえて英語で言いますが、「History is the unrolled scroll of prophecy」。
歴史とは、預言の巻物が今まさに開かれているものなのだ、という意味です。
どんなに小さな私たちの営みも、歴史の一部であり、それは神が永遠から定めておられた預言の成就なのだ、とガーフィールドは言います。
自分の人生が暗殺というバッドエンドであったとしても、彼は、歴史を治めておられる主イエスをほめたたえながら死んでいったに違いありません。
ガーフィールドの姿は、私たちがたとえどんなに無惨な死を迎えたとしても、すでに希望を得たキリスト者は怯えないという証しを与えてくれます。
たとえ目の前の事柄に失望することがあったとしても、その背後に神のご計画を見いだしましょう。
神がおられるのなら、神が私を愛しているのなら、どうしてこんなことが起きるのかとつぶやく唇を閉ざしましょう。
むしろ、神が生きておられ、私たちとともにおられるからこそ、この現実の中でも私は立ち上がることができるのだ、と神をほめたたえましょう。
それが、クリスマスが私たちに与えてくれる、主イエスが私たちの所に来られた、という恵みのメッセージが生み出す力なのですから。
3.神の計画に参与していく喜び
最後に、ヨセフが身重のマリヤをベツレヘムまで連れて行ったことの、ふたりの覚悟を振り返って説教を終わります。
まず、故郷に帰って住民登録をしなければならなかったのは成人男性だけであり、家族を連れて行く必要はありませんでした。
そしてヨセフとマリヤがいたナザレの町からベツレヘムまでは、高低差が500mもある山道を約170キロ、たいへんに厳しい道です。
常識的に考えて、今にも産気づくかもしれないマリヤを連れて、向かうべき道ではありません。
聖書には記されておりませんが、おそらくナザレの町の人々は、彼らの無茶な行動を止めたに違いありません。
しかしふたりは、一緒にベツレヘムの町へ向かいました。それは、神の預言が成就されるためです。
預言者ミカの約束、「ベツレヘムで救い主が生まれる」は、学者や祭司だけが知っているような秘密の言葉ではありませんでした。
数百年間も救いの約束を待ち続けていた、神を恐れるユダヤ人の中に親から子へ、子から孫へとはっきりと伝えられていたものでした。
ましてやダビデ王の末裔であるヨセフ、その許嫁であるマリヤにとって、この預言は幼い頃から心に刻みつけられてきたものでした。
マリヤはこう思いました。御使いが、私を通して神の御子イエスが生まれると約束してくださった。
そして私のお腹は今にも子どもが生まれそうになっている。
ならば、なすべきことはただひとつ、神の預言を成就するために、何ができるか。
ベツレヘムで神の御子が私のお腹から生まれるのだという確信をもって、マリヤはヨセフとともに旅立ちました。
それがどれほど苦しく、厳しい旅になるか、ヨセフもマリヤもよく知っていました。
しかし彼らには、覚悟がありました。
神のみこころがこの地上でなしとげられるために、どうか私たち夫婦をあなたのご計画のために用いてください、という覚悟があったのです。
結.
神のご計画は、皇帝アウグストのように、神を知らない人々が引き起こす事柄をも用いて進んでいきます。
であればなおさらのこと、私たち信仰者が覚悟を決めて、神のみこころが私たちを通してなされますようにと祈るべきです。
よくこんな質問を受けることがあります。神にゆだねるとは、何もしないことか、と。
確かに私もよく「ゆだねましょう」と言います。しかしそれを言うときは、祈る以外に何もすべきことがわからないときだけです。
自分が何をすればよいかは、聖霊なる神がみことばを通して心に示してくださいます。
今は心を沈めて、ただとりなして祈るときなのか、それとも立ち上がって行動すべきときなのか。
ヨセフ、マリヤは、自分たちが何をすべきかをはっきりと知っていました。
ベツレヘムに行き、神のご計画が成就されるために、私たちを用いてください。
そう祈りつつ、数日間の危険な旅へと足を踏み入れました。
必要なものは備えられ、あらゆる危険から守られました。
私たちがご計画に加わっていくために、神はあらゆるものを備えてくださいます。
必要なのは、自分をささげようとする、私たちの覚悟であり、祈りです。私を通してあなたのご計画を実現させてください、と。
私には力も計画もありませんが、あなたの全能の力をもって、あなたの完全なご計画を実現させてください、と。
神は、私たちひとり一人が信仰をもって立ち上がるのを待っていてくださいました。
どうか、今日、自分が何をすべきか、おのおのの心を神が示してくださいますように。