太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪ふりつむそんな名詩の叙情を吹き飛ばすかのような大雪です。先日は教会員の方に車を掘り起こして頂きました。
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ(三好達治『雪』)
こんな雪の中でも、礼拝を求めて集まってくるひとり一人。礼拝には、いのちがあふれています。
これを読んでくださっている方々もそういう方なのでしょう。今週も祝福がありますように。週報はこちらです。
聖書箇所 『士師記』7章1-8節
序.
有名な戦国大名、武田信玄の名前を聞いたことがあるかと思います。
彼の姉は、桶狭間で有名な今川義元と結婚して駿河、今の静岡県へ嫁いでおりました。
信玄が13歳の時、その姉から貝遊びのためにとたくさんのハマグリが送られてきたそうです。
すると信玄は、畳二畳ほどの小部屋にそのハマグリを積み上げさせて、その数を数えました。
そして、次に自分の何人かの家来をかわりばんこに呼んで、「このハマグリの数はどれくらいあるか、数を当ててみよ」と尋ねたそうです。
ある者は「一万くらい?」と言い、またある者は「二万はある」と答えました。
しかし実際には3700余りしかなかったのです。そこで彼は家来にこう言いました。
「人数は少なくてもよいのだ。三千の兵を持つ者なら一万の兵に見せることもできる。目で見たことに頼る者になってはならない」。
家来たちはわずか13歳の信玄の知恵に驚きを隠せなかったということです。1.
今日の聖書箇所を通して、私たちが目に見える、数の魔力にとらわれてはならないことを神様は教えています。
イスラエルの勇士ギデオンに勝利を与えたのは、ギデオン自身の知恵によるのではありませんでした。
共に戦う者たちの数を減らしなさいという神様のことばを彼はそのまま行いました。
3万2千人の勇士をわずか300人へ。1%以下に減らすことによる不安、
しかしその不安を乗り越えて、神のことばだけに従う信仰が、彼に勝利をもたらしたのです。
神はギデオンにこう言われました。「あなたといっしょにいる民は多すぎる」と。何と私たちの心の急所をつく言葉でしょうか。
私たちは、数を得ればそこに安心を得てしまいます。しかし神は、数を得て安住しているその心の中にこそ罠があると言われるのです。
武田信玄が言ったように、人数の少なさは問題ではありません。
神はギデオンにこう言われました。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。
イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」
本当の問題は、人数の多さの中に安心して、神にしがみつくことを忘れてしまうことなのです。
2.
日本では、クリスチャン人口が1%にも届きません。多くのクリスチャンがこれは少なすぎる、社会的影響力がないとつぶやきます。
しかし神が警告を発しているのは「少なすぎる」ではなく「多すぎる」ことです。
社会的影響力というのは数が集まれば生まれるものではありません。
一人からでも、この現状を変えようという人がいれば、神がその人を用いてくださるのです。
ひとりが立ち上がらないと自分も立ち上がろうとしない二人組、三人組を神は求めてはおられません。
たとえまわりに助けてくれる人がいなくても、私は神様に従って立ち上がる、というそのひとりを求めておられます。
神よりも人を意識して物事を決める人ではなく、だれよりも神を意識して、立ち上がり進んでいくひとり。
神が求めておられるのは、そういう信仰者なのです。
家族の中でクリスチャンが自分一人であったとしても、私はイエスを信じます。
職場の中でクリスチャンが自分一人であったとしても、私はイエスを信じます。
この町でたとえクリスチャンが自分一人であったとしても、私はイエスを信じます。
もしあなたがそう告白できるならば、あなたもまたギデオンの三百人の仲間たちに加えられる人です。
常に周囲にアンテナを張り、まわりが動いたら私も動くという人は、この世ではバランス感覚にすぐれた人と言われるかもしれません。
しかし神の国では違います。
たとえまわりがどう動こうとも、私はこの聖書のことばにだけ従います、という者が、神の国に入る資格を持つのです。
3.
ギデオンが「恐れおののく者はみな帰れ」と大きな声で呼びかけたとき、全体の7割、2万2千人がその場を去りました。
残った数は約1万人、対するミデヤン軍は13万人。こんな人数で勝てるわけがない。だれもがそう思う戦力比です。
しかしあろうことか、神はそれでもまだ多すぎると言われ、信仰の二次試験が始まりました。
残った1万人を水のあるところへ連れて行き、それぞれの飲み方によって合格者が決まる、という試験内容です。
犬のように直接水面から飲んだ者、また膝をついて飲んだ者は不合格です。口に手をあてて水を飲んだ300人だけが選ばれました。
口に手を当てて水を飲む者たちとは、片手には武器を持ち、もう片方の手で水をすくって飲んだ者たちです。
それは、どんな時でも気を緩めず、生活のあらゆるところで、神が見ておられる緊張感を手放さない者たちと言えるでしょう。
武田信玄と同じ頃、小田原城を本拠地とする、北条氏康というすぐれた戦国大名がおりました。最後に彼のエピソードを話します。
ある日、氏康が自分の跡継ぎである息子、氏政と食事をしていました。
すると突然、氏康は「ああ、北条もわしで終わりか」とため息をつきました。
まわりの家臣たちが驚き、どうしてそのようなことを言われるのですかと聞くと、氏康はこう答えました。
「お前たちも、わが子氏政が飯に汁を二度もかけたのを見ただろう。
一度かけて汁が足りなかったので、二度も汁をかけておった。
飯にかける汁の量さえ量ることのできない者に、民の心など量れるわけがない。民の心が量れなければ、いずれは滅ぶのみよ」。
結.
要するに、汁かけご飯をつくるのに息子が失敗したから、こりゃ跡継ぎとしてだめだ、ということなのですが、
一見ばかばかしい話に見えるこのできごとは、当時の武士が、日常生活の何気ない行動をいつも命がけの事柄として考えていた証拠です。
信仰生活は、緊張から解放されることではありません。
むしろ、いつも自分の心を見つめながら、神が必要とされるならば、いつでも自分を差し出す者として歩んでいく者を、神を求めておられます。
膝をつかずに手で水をすくって飲んだ300人は、ミデヤンとの戦いに臨もうとしている中、片時も気を緩めない人々でした。
そしてそのような者こそが、主の戦いにふさわしい器です。私たちはどうでしょうか。
ひとり一人が、主に用いられる者として、自分自身をささげる者になりましょう。