33年前、14歳の時に骨肉腫を発症して以来、私は半年に一度、大学病院で定期診断を受けており、今日はその日でした。
ちょうど一年前の説教で、最初の手術以来30年以上にわたって私の主治医をしてくださっているA先生のことを話しました。
今日、整形外科の診察室に入るとA先生はおられず、代わりに弟子?にあたるB先生が見てくださいました。
三十数年来、腫瘍外来一筋で豊富な臨床経験を持つA先生でしょうから、学会発表などで忙しいのかもしれません。
A先生よりずっと気さくな雰囲気を持つB先生に何気なく「A先生っておいくつになられたんでしょうかねえ」と聞きました。
すると「62歳ですが、・・・じつは先日、亡くなられました」という答えが返ってきました。長らく持病を抱えておられたのだそうです。
そしてB先生が続いてこう言われました。
「私は近さんとほぼ初対面ですが、じつは近さんはうちの整形医のあいだでは有名人なんですよ。私にとってA先生は30年付き合っても無口でとっつきにくい先生でした。
近さんは、この大学病院で扱った骨肉腫の患者の中で、治療後も長く生きている初めての方なんです。
(=当時、若年性骨肉腫の生存率は極めて低く、発見された時には手遅れということも普通だった)
だからA先生は、私たちによく『あの近さんは、自分たちの治療路線が間違っていないという希望なんだ』とよく言っていました。」
しかしその先生が、私のことをそのように話していたということを聞き、熱いものがこみ上げてきました。
一年前の診察の時に、遅ればせながらひと言ありがとうと言えたことは、今考えてみると、なんと幸いなことだったでしょうか。
今までの私は、救われた後の人生は「永遠のいのちが保証された後のおまけ」感があり、どちらかというと「死ぬこともキリスト」派でした。
しかし私が一日でも長く生きることで希望を持っていた人がいたと知った今日、「生きることはキリスト」もかみしめています。
A先生、安らかにお眠りください。先生のご遺族にイエス・キリストの豊かな慰めがありますように。
私も、一日も長く生きていきます。みこころのゆるす限り。週報はこちらです。
聖書箇所 『ヨハネの手紙 第一』1章5-10節
▼今回はメッセージ録画はありません。ご容赦ください。
1.
昨年のことですが、会議が茨城県であるということで飛行機で新潟と成田を往復しました。
新潟と成田のあいだは、なんと一日一便、夕方のものしかありません。
成田に着いたら一泊。翌日の会議が終わるのは夕方なので、また一泊。そして夕方になるのを待って、成田から新潟へ。
たった3時間の会議に二泊三日もかけるというのはどうなのかというのもあったのですが、
早割という飛行機の安い運賃が魅力だったので、そのようなプランになったわけです。
事件は、帰りの成田空港で起こりました。飛行機が出るのが午後6時。そこで午後4時には成田空港に到着。出発まで二時間あります。
せっかくだから成田空港のレストランで早めの夕食をとりました。ロビーに無料のマッサージ椅子がありましたので、10分くらい利用しました。
それでもまだ一時間はあります。そろそろと思い、出発口に向かいました。
しかし、私はある大変なことを忘れていたのです。いや、むしろ知らなかったといったほうがよいでしょう。
新潟空港の国内線利用者は年間80万人。それに対して成田空港は800万人。
利用者の数が10倍違うというのは、かかる時間もまったく違うということです。
受付があるエスカレーターを登り切ったとき、わが目を疑いました。
新潟では決してあり得ない、およそ100メートルにわたる行列がそこにはありました。北海道、大阪、沖縄、その他もろもろ。
その時間帯の国内路線の乗客たちが二列に並び、最後尾というプラカードをもった空港職員さえ立っています。
すでに出発時刻まで40分を切っていました。新潟空港であれば余りすぎるくらいですが、成田空港では短かすぎます。
30分、15分、しかし残り時間が5分になっても、目の前にはまだ数十人が並んでいます。
終わった。思わず目を閉じるとまるで走馬灯のように思い出が次から次へと浮かんできました。
ああ、なぜマッサージ椅子に10分も使ってしまったのか。なぜ立ち食いそばでなくて定食屋に入ってしまったのか。
なぜ新幹線ではなく飛行機にしてしまったのか。
しかしそれを選んだのはすべて自分。もう決して取り返すことのできない、自分の選択を憎みました。
しかしそのとき、遠くから若い女性の声が聞こえました。「新潟」と「近様」という言葉が聞こえます。
地獄で仏、と牧師が言ってはいけませんが、はい、はい、はい!と手を挙げて、その声がするほうへと近づきました。
その後はあまり記憶がありませんが、ひたすら周りの人々に頭を下げながら、行列をすっ飛ばして、予約していた座席に座ることができました。
しかしこんなことはたまたまですので、決して真似をしないでください。
2.
聖書は言います。あらゆる人間が、やがてこのような場面に直面するのだ、と。それは、「最後の審判」と呼ばれます。
人はみな死にます、しかし、やがてこの世界が終わりの時を迎える時、死んだ者はみなよみがえり、神のさばきの座に立たなければなりません。
あのときは国内線の別々の利用者が二列に並んでいましたが、
終わりのさばきの時も、民族や宗教やことばに一切関係なく、すべての人間が神の前に集められます。
飛行機であればチケットを持っていて、時間どおりに来ていれば、ゲートを通ることができます。
しかし終わりの日の行列は、先着順ではありません。
そして人々がチケットのように考えている、生きている時にどれだけよいことをしたかという経験も、いっさい役に立ちません。
聖書ははっきりとこう言っています。
人はみな罪をもって生まれてくるので、どんなに自分でよいことをしてきたと誇ったとしても、いっさい神を喜ばせることはできないのだ、と。
それゆえに、すべての人が行き着く先は、永遠のいのちではなくて、永遠のさばきであり、永遠の滅びである、と。
私はあの日、自分がこのままでは飛行機に乗れないということがわかって、おびえました。
そこにあったのは無力感だけであり、どれだけ後悔しても決して事態を変えることができないというあきらめでした。
飛行機くらいで大げさな、と言われるでしょう。たしかに大げさです。
しかしやがて私たちが神さまのさばきの座に立った時、そこで多くの人々が同じように無力感に打ちのめされます。
もはや何をしても、永遠の滅びを免れることはできないのだ、ということを今頃になって気づかされて、打ちのめされます。
しかしそのとき、イエス・キリストを救い主として信じている人はおられますかあ、と大きな声で聞かれることはないとしても、
実際にイエス・キリストを信じている者たちは、神のさばきを通り抜けて、永遠のいのちへのゲートへと向かうことができるのです。
なぜでしょうか。それは、イエス・キリストが、私たちの罪をすべて引き受けてくださったからです。
人間の心の中にうごめいて、人生に怒り、ねたみ、憎しみを引き起こす、罪の原理。
自分は神になんか頼らなくても生きていける、神なんか必要ない、そのように高ぶるのも、罪が原因です。
この罪が私たちの中に残っているならば、私たちは決してさばきを免れることはできず、永遠の地獄と永遠の死が待ち受けています。
しかしイエス・キリストを自分の救い主として信じ、罪を悔い改めて告白した者は、神の恵みのなかで赦され、永遠のいのちを持つのです。
3.
ヨハネはこのように書いています。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」と。
これは、キリストを信じるときにも当てはまりますし、信じてからもあてはまる言葉です。
私たちは、いつも罪の影響を受けている、弱い者たちです。
もし神の審判に合格するためには、私たち人間の正しさが必要であるとすれば、だれ一人としてテストに受かる者はいないでしょう。
しかし神は、私たちの正しさによってではなく、イエス・キリストの正しさによって、彼を信じる者たちを永遠の救いの中に招き入れてくださいました。
私たちは、キリストを信じる、信じないにかかわらず、本当の自分の姿がわかっていない者であるかもしれません。
まさにヨハネが言ったように、光を歩むと言いながら偽りから離れられない者です。
あるいは、罪の中に生きていながら、自分は罪を犯してなどいない、と言い張り続ける者たちです。
しかし私たちが自分の心を見つめてみたら、そこにはおぞましい罪の性質が見いだされるのではないでしょうか。
どんな小さな罪でも、それは私たちから永遠のいのちへの道をふさぐには十分です。
だから、今日のみことばにあるように、自分の罪を神に言い表しましょう。そうすれば、必ず神はその罪から私たちをきよめてくださいます。
イエス・キリストは、私たちの罪をすべて引き受けるために、十字架のうえでご自分のいのちを捨ててくださったのです。
このイエス・キリストの血潮は、すべての罪から私たちをきよめることができます。
どうか、イエス・キリストを心の中に受け入れて、永遠のいのちへの扉を開いてください。