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2019.1.6「悔い改めは喜びへの扉」(ルカ3:1-20)

 こんにちは、暖冬がいつまで続くのかと逆に落ち着かない、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
 さて、多くのプロテスタント教会では、通常の主日礼拝は「前奏」「招詞」という流れで始まるかと思います。
ある教会の礼拝に出席したとき、「招詞」が「序詞」になっていたことがありました。
悪くはないかもしれませんが、礼拝が「招かれざる者を招いてくださる恵み」であるという点で「序詞」では少しぶれます。
礼拝はささげるものですが、ささげることができるのは、私たちが神に近づくことのできる者とされているがゆえです。
罪人を義と認め、御子を十字架につけた者をわが子と呼んでくださる方から招かれている恵みが「招詞」という用語には込められています。
 さらに言うならば「前奏」は心を落ち着ける時というよりは、悔い改めの中で招きのことばを待ち望む時となります。
そういう意味では前奏よりも適切な表現があるかもしれません。「黙奏」?「悔奏」?「悛奏」?「望奏」?
英語ではだいたい「Prelude」なのでこだわる必要はありませんが、「前奏」「後奏」から一歩進んで、うまい表現があればと思います。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』3章1-20節 


1.
 刑務所に収監されている人々に、定期的に訪問したりお話を聞いたりする、教誨師という仕事があります。
私の先輩の牧師に、かつてその教誨師をされていた方がおられました。
その方が受刑者の方々に、「私もあなたも罪人です」という話をしたとき、ほとんどの方がこう言うそうです。
「いや、おたく(牧師!)は確かに罪人かもしれないけれど、俺は違うよ。罪を犯したんじゃなくて、ちょっとへまして捕まっただけなんだよ」
初犯に限らず、前科何犯、という自称歴戦の勇士たちも、自分は罪人じゃない、というそうです。あいつのほうがもっと悪いことをした、と。
 ほんとかな、と思いますが、しかし人間の本質とは案外、そういうものかもしれません。
「罪がわかる」というのは、頭でわかるのではなくて、心の中に神からの光が差し込んだときに初めて認めることができると聖書は伝えています。
私は教誨師の経験はありませんが、いままでの個人伝道のなかで、やはりこんな経験をしてきました。
まず初めに、神の話をします。神は愛であり、ただ一人のお方であり、私たちを含めてすべてのものを造ってくださったお方だということを話します。
ここで拒絶されるということは、あまりありません。心の中では、誰もが神という存在をどこかで受け入れている、ということがあります。
しかし問題はここからです。次に、私たちは誰もが罪人であり、イエス・キリストを十字架にかけた張本人だという話をします。
すると、そこでたいていの人がまず首を振るのですね。神の存在はいい、だが私が罪人だなんて許せん。お天道様に誓ってもあり得ない。
 その意味で、救いを受け取るための最大の障害は、「私は罪人である」ということをその方が受け入れられるかということになります。
神の愛を伝えるのに言葉はいらない、と言った人がいます。
確かにただ寄り添い、耳を傾け、無言で抱きしめるだけで神の愛が伝わることもありましょう。
しかし自分が罪人であることがわかるためには、人は神のことばが聖霊の光とともに語られることが必要です。
だからこそ、バプテスマのヨハネのような預言者が必要でした。罪を語る者がいなければ、世は罪がわかりません。
罪がわからなければ、救いもわかりません。

2.
 クリスチャンの多くが、ヨハネを誤解しています。いや、もっと正しく言うと、イエス・キリストを誤解しています。
ヨハネはまず罪を語り、イエスはまず愛を語った。そうではありません。ヨハネもイエス様も、宣教の第一声はまったく同じでした。
「悔い改めなさい、神の国が近づいたから」。ヨハネだけでなく、キリストもこう叫んで、宣教活動に入られたのです。
だからヨハネは、「主の道を用意する者」と預言されていました。ヨハネもキリストも、「悔い改めよ」と大きく書かれた道を進んでいったのです。
罪の自覚がなければ、悔い改めることはできません。そして悔い改めの欠けた心に、イエス・キリストは入ることができません。
だからこそバプテスマのヨハネの言葉は厳しい。荒野に叫ぶ獅子の牙のように鋭く、荒野に鳴り渡る雷の響きのように激しい。
7節をお読みします。「それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。
「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか」。
まったく見境なしです。パリサイ人のような宗教指導者だけにこう語ったのではなく、群衆すべてに向けて「まむしのすえ」と呼びかけたのです。
彼は一人の例外も許さず、すべての者に悔い改めを迫ります。それは、すべてのものが生まれた時すでに罪人であるからです。
厳しい。聖書とは、どれほど厳しいことが書かれているのでしょうか。しかしこれが救いのために必ず通らなければならない、鉄条門です。
扉には、自分が罪人である事実を認めよ、と書いてあります。決して神のさばきを見逃してもらえると思うな、とも書いてあります。
 普通の人間であれば、怒るか、途方に暮れるか、しかありません。
しかしそこで踏みとどまる人はどんな人でしょうか。それは、どんなに努力しても自分を変えることができなかった、挫折経験を持っている人です。
人間は何かにしがみつかなければ生きていけない存在です。だから家族の愛にしがみつき、人の言葉にしがみつき、自分自身にしがみつく。
しかしどんな愛もやがて冷める。どんな高尚な言葉も翻される。自分ほど、この世の中で頼りないものはない、ということに気づく。
それを経験した人は、決して変わらず、動かざるものを死に物狂いで求める。
そしてこの救いへの扉の先で待っておられる方以外には、私が行くところはどこにもない、と叫び、その扉を開く。
その扉こそ聖書であり、先で待っておられる方こそ、イエス・キリストです。
いまあなたはその入口に立っているのです。そこからきびすを返すのも、一歩先に進んで行くこともあなた自身にゆだねられています。
しかしもし自分が罪人であるということを受け入れるならば、その先で両手を広げて待っておられるイエス・キリストに、やがて出会うでしょう。

3.
 ヨハネのところにバプテスマを受けに来た者の中には、取税人や兵士など、民衆から嫌われていた者たちも少なくありませんでした。
しかしヨハネが彼らに言ったのは、今の仕事を捨てるのではなく、悔い改めた者にふさわしく誠実に働きなさい、ということでした。
これは悔い改めの本質を示しています。
今までの自分の歩みをすべて受け止めながら、これからの生き方を神様に変えていただけるという良い知らせ、それが悔い改めなのだ、と。
悔い改めという言葉には、どうしても否定的なイメージが伴います。神様に反省文か始末書を書いているような、そんな感じです。
それが同じことを何度も、ということであればなおさらです。いつのまにか、悔い改めの祈りをすることもおざなりになってしまいます。
しかし神は、たとえ私たちが同じ失敗を何度繰り返したとしても、悔い改める者に対して、「またやったのか、ばか」とは言いません。
悔い改めとは、私たちが罪を悔い改めるたび、神は完全にその罪を忘れてくださるということです。
私たちは自分で何をやったかをおぼえていますから、またやっちゃった、とため息をつき、神も私をそう見ているのだと考えるかもしれません。
しかし悔い改めとは、聖霊なる神が私たちに罪を示し、ともに心の中でうめきながら告白させてくださり、
さらにそれを聞かれた父なる神が、御子イエス・キリストにあって、私たちの罪を完全に忘れてくださる、という三位一体の神のみわざです。
私たちが犯したどんな些細な罪も、どんなに重大な罪も、キリストの犠牲のゆえに、はじめからなかったこととしてくださるのです。
決して恥じる必要はありません。あえて言うならば、神の前に大胆さをもって進み行き、すべてを神に打ち明けなさい。
そうすればあなたの心には、決してこの世のものでは与えることのできない、完全な平和と平安が訪れるのです。

結.
 最後に18節の言葉に注目して、説教を閉じます。
この徹底した悔い改めへの招きを語り続けたヨハネの言葉、これが「福音」なのだと聖書は述べています。
ある牧師が、「悔い改めない人々の末路」というタイトルで説教をしました。
すると役員から「せっかく教会に来てくれた未信者が逃げてしまいますよ」と言われたそうです。
福音とは何でしょうか。「あなたはそのままで愛されている」。確かにそれも福音です。しかし福音のごく一部でしかありません。
罪人のままであったら、やがてさばきが待っているのです。
「愛されていること」と「救われていること」は同じではなく、そこからがけを飛び越えなければなりません。
人々の罪の現実、そしてそこから救い出されるための悔い改め、それが薄められてしまったら、それは福音でなくなってしまいます。
私たちは福音に生きる者です。福音に生きるとは、悔い改めの恵みに生きる者でもあります。
主の前に共に祈りをささげましょう。一人ひとりが自分の罪を悔い改めて、改めてイエス・キリストを心の中にお迎えすることができますように。

posted by 近 at 17:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ
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