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2019.2.24「引き継がれしもの」(ヨシュア1:1-9)

 先週主日の午後、当教会の2019年度定期総会が開催されました。
毎年、総会当日の礼拝説教は、その年の教会目標に関連する聖句から語ることにしています。
今年度の教会目標は「次世代への継承」(申命記1:38)。ただ礼拝説教は、ヨシュア1:1-9から語らせていただきました。
この教会目標はすでに1月末に役員会へ提出したものでしたが、それから二週間後に前任牧師が天に召されました。
何か不思議な感じを思いながら、葬儀および教会総会に臨みました。つつがなく終わりました、と報告しておきます。
私はこれからも豊栄キリスト教会に仕えます。あと、ブログもとりあえず続けます。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨシュア記』1章1-9節 


序.
 ちょうど十日前になりますが、豊栄教会の初代牧師であり、私の前任牧師にあたります、若月誠先生が天に召されました。
脳出血で倒れられて、一時回復したのですが、数日後に静かに息を引き取られたとのとこです。
85歳のご生涯でした。そのうちの約三分の一をこの豊栄教会の牧師として過ごされたことになります。
今から18年前に教会を辞されたあと、数年前から群馬県渋川市にあるキリスト教老人ホームにご夫婦で入所しておられました。
その施設長のお話では、二年前に奥様を亡くされてから、「私は千鶴がいなければ何もできない人間なんです」というのが口癖だったそうです。
その割には、最晩年の写真を見ると、真田丸のコスプレだとか、意外とお一人様生活を楽しく過ごしておられたようです。
 私は若月先生が教会を辞されてから約一年の後に、こちらに赴任してきました。
奥の牧師館は、二階が書斎になっていて、何の気なしに押し入れを開けましたら、びっくりしました。
神学生にはとても買えないような、貴重で高価な神学書の数々が、段ボールの中にあるわあるわ。
信徒の方に聞きましたら、若月先生が辞められるとき、次の牧師に使っていただきたいと言って、蔵書を全部置いていかれたとのことでした。
これは当分、説教の準備に困らないな。喜びながら、段ボールから本を取り出して、数日間かけて、本棚にきれいに並べていきました。
ところが数ヶ月後、若月先生から電話がありまして、時間がたくさんあって勉強したくなったから、本全部、マンションに送ってくれ、と。
本棚から一冊一冊を痛めないように取り出し、もとの段ボールに詰めて、宅急便で送りました。
その時に、私はパウロを連想しました。彼は人生最後の手紙の中で、「羊皮紙のもの」を送ってくれと弟子テモテに頼んでいます。
羊皮紙のものとは、旧約聖書、あるいはその注釈書と言われます。引退しても、聖書の学びはやめないという姿勢を見習いたいと思いました。

1.
 今日は、ヨシュア記から、次世代への継承ということを一緒に見ていきましょう。
まず1節をご覧ください。「さて、【主】のしもべモーセが死んで後、【主】はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた」。
これより少し前、イスラエル民族は、エジプトで奴隷生活を送っていました。
モーセは彼らをカナンの地へと導くために神に選ばれたリーダー、そしてヨシュアは、そのモーセの仕事を引き継ぐ、二代目のリーダーでした。
しかし聖書はまず「主のしもべモーセ」という言葉から始め、さらに神も「わたしのしもべモーセは死んだ」とヨシュアに呼びかけます。
これが意味するところは何でしょうか。ヨシュアは、カナンへの入口、ヨルダン川を乗り越える前に、乗り越えなければならないものがありました。
それは、神からも民からも、すぐれた神のしもべと評価されている、信仰の巨人モーセでした。
 私もまた、今まで絶えず若月先生のことを意識しながら歩んできました。
私が豊栄で牧会が続けられたのは、もちろん一番は神様、二番目はみなさんの忍耐ですが、三番目は若月先生の遺産のおかげです。
遺産と言っても、もちろんお金を残してくれたということではありません。
それはまず忠実な、生え抜きの信徒たち。私がいろいろ指導しなくても、初めから牧師の意図を組んで、動いてくださる歴戦の勇士たち。
そしてもうひとつ、若月先生が30年の牧会の中で書き残してきた、いくつもの資料やメモの数々。
過去の文書が丹念に保存されていたがゆえに、牧会はたいへんやりやすいものでした。
 しばしば若い牧師は、前任者の方法を否定することで、自分の存在感を強めようとします。しかしそれは間違いです。
ヨシュアに開口一番、モーセの死の事実を告げた神は、次にモーセという言葉を出すときにはこう語りました。
「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている」と。
モーセは己の罪によって約束の地に入れなかった失敗者ではない。
モーセが手に握った杖で切り開いた道を、ヨシュアよ、あなたが足の裏で踏み固めていくのだ、と。
モーセの行ってきたことを批判することで自分をリーダーとして認めさせる誘惑、それはまさに無力な自分に対する恐れから生まれます。
しかし神は語られます。モーセは神のしもべであった、そしてあなた、ヨシュアも彼と同じ神のしもべなのだ、と。
恐れてはならない、おののいてはならない。胸を張って、いや、胸を借りるつもりで、再びわがしもべモーセのように歩んで行きなさいと、
彼をリーダーとしての重荷から解放してくださいました。

2.
 ところで、ある年配の牧師が、回顧録の中でこう書いています。
「教会をゼロから始めて数年目、ようやく役員会が立ち上がったと思ったら、役員たちから最初のダメ出しを食らった。
『先生、説教の中で「○○しなければならない」という言葉は、重荷になるのでなるべく使わないでくれませんか』と」。
 しかし神ご自身がこう語っておられます。「あなたは、この民に継がせなければならない」、「これを離れて右にも左にもそれてはならない」。
「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない」、「恐れてはならない」、「おののいてはならない」と。
神が「○○しなければならない」と語られるのは、義務を命じているのではなく、神が私たちに120%期待しておられることを示しています。
神の「ねばならない」とは、その背後には、必ず実現する、神の定められた計画があるからです。
そしてそれに欠けてはならないのが、あなたというジグソーパズルのピースである、あなたがそこにはまらなければ、パズルは完成しない。
 神はイスラエルの人々を約束の地に導く務めを天使に行わせることもできました。
しかしたとえ時間がかかっても、ヨシュアという指導者を用いることを選ばれました。
なぜならば苦労なしに手に入れたものは、たとえそれが神が約束されたものであったとしても、人々を生かすことはできないからです。
苦しみがあり、忍耐があり、服従を通して得たものだけが人を生かすことができます。
神はヨシュアに対し、約束の地はあなたがたにすでに与えていると語られました。
しかしそれは何の苦労もなく、すぐにいただけることを意味しません。
神がイスラエルに譲りの地を与えるのは、彼らがその地で神の栄光を現して生きるためです。
期待しておられるからこそ、苦労と忍耐を与えます。
愛しているからこそ、「できればやってほしい」ではない、「しなければならない」という命令を与えられます。
そして愛によって生み出された命令は、重荷にはなりません。

結.
 私たちの教会は、今日、第49回教会総会を迎えます。来年の今頃は、記念すべき第50回目の総会を開いていることになります。
若月先生の葬儀の後、地元、渋川の教会の牧師先生とお話ししましたが、約50年で牧師がふたりというのに、たいへん驚いていました。
数年で牧師が交代するような教会が多い中で、私自身も、先生の後を継いで20年近く仕えることができたのは、たいへん幸せなことでした。
しかし牧会者が残す最大の遺産は、一週も休むことのない礼拝で語られ続けてきた、聖書、神のことばの説教です。
8節のことばをもう一度刻みつけましょう。「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。
そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」。
 今日の総会で、私は教会員の皆さんと、もう一度いっしょに考えたいと思います。
私たちが今まで培ってきたものを、次の世代へ責任を持って引き継いでいく決意を。
幼子にも、高齢の方々にも、キリスト者にも、求道者にも、私たちはみことばを語り、みことばを分かち合っていかなければなりません。
そしてどの方々にも、同じ神の約束が与えられています。「あなたの神、【主】が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである」。
感謝して、ただ主に信頼して、今年度も歩んでいきたいと願います。

posted by 近 at 20:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ
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