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2016.6.16「この御名以外に救いなし」(使徒4:1-12)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今週の月〜火にかけて、教団の退職金委員会があって、東京・幡ヶ谷の教団事務所で一泊してまいりました。
火曜の夕方、会議も滞りなく終わり、いざ帰ろうとしたら、教団総主事のSO田先生から「村上おめでとうございます」と言われました。
献堂式は一年くらい前に終わっているので何か違和感をおぼえながら、とりあえずお礼を言って帰って来たのですが、
乗り継ぎの待ち時間やらに時間がかかって、教会に着いたのは夜の10時前でした。
帰宅の感謝を妻と一緒に祈り、牧師館の書斎に戻ってパソコンを立ち上げたところ、すぐに大きな揺れが!!
物が落ちたり壊れたりというのはなかったのですが、しばらくしてニュースを確認したら、県内では村上の被害が大きいということ。
経費節減に努めてなんとか建てた村上の新会堂が頭をよぎりました。しかし後で主任牧師にメールで確認したら、無事だったということ。
「村上おめでとうございます」という時機を逸したような挨拶は、まさかこのことだったのか、と一瞬思いましたが、たぶん気のせいですね。
あるいはエスパー?とりあえずお祈りくださった県外の皆様、ありがとうございました。週報はこちらです。
esper.png アメリカの次期国防長官もエスパーだそうです。名字が。

聖書箇所 『使徒の働き』4章1−12節


1.
 少し前に、ある教会を訪問したことがありました。そこはできたばかりの教会堂で、まだ木の香りが漂うような、すばらしい造りでした。
しかし新しい会堂へのねたみでは決してありませんが、ひとつだけ、どうしても違和感をおぼえずにはいられなかったものがありました。
それは会堂正面の十字架です。ちょうど皆さんから見たら、私の後ろに見える、壁のこの十字架です。
その十字架が、壁に固定されておらず、三方から太い針金で固定されていたのです。これだけはとても残念なことでした。
みなさんが他の教会に出席してみるとわかりますが、どこの教会でも十字架は壁に取り付けられていると思います。
教会によっては、壁そのものに十字架の模様が刻まれていたり、壁が十字架のようなデザインの扉になっているところもあります。
これは神学的背景があるのです。十字架はこの世界にしっかりと打ちつけられ、動かざるもの、という信仰告白が表れているのです。
十字架の縦棒は神と私との関係、十字架の横棒は私と他人またはこの世界との関係を表しています。
縦棒のほうが長いのは、神と私との関係が回復することがまず必要だからです。それができて、横棒つまり他者との関係も祝福されます。
この十字架は空中に浮かんでいるものでは世を変えることができません。この世界に、しっかりと打ちつけられなければならないのです。
 とはいえ、この世界は、あまりにも地盤が脆すぎて、十字架が打ち立てられてもそれを受け止めることができないというのも確かなことです。
地盤とは文字通りの意味ではなく、人々の心です。「空気を読め」と言われます。長いものに巻き付き、杭が打たれないように身をひそめ、
平均的な高齢者世帯の収入が毎月5万円不足しているという報告は、はじめから見なかったことにされます。
矛盾をオブラートに包み、危機を先送りする世界。学校、家庭、職場、地域、あらゆる場所で、クリスチャンは傷つき、悩みます。
しかしまずこのことを忘れないでください。私たちの持っている福音は、世の矛盾をえぐり出すのです。
人々が触れてほしくない矛盾、隠しておきたい罪、悪と知っていてもそれをなあなあにしてしまう慣例、そのようなものを福音はえぐり出します。
今日の聖書箇所である、使徒ペテロのことばは、まさにそのような戦いの中で告白されたものなのです。

2.
 ペテロたちが神殿で説教していたとき、祭司、宮の守衛長、サドカイ人といった人々は困り果て、彼らを牢に捕らえました。
なぜ彼らは困り果てたのでしょうか。それは彼らが「イエスを例にあげて死者の復活を宣べ伝えている」からでした。
当時の祭司階級であるサドカイ人たちは魂が不滅であると信じず、死者がよみがえることを否定していたからです。
彼らは、宗教指導者と言われる人であり、大祭司の一族に連なる者たちです。苦しんでいる民のいのちを配慮するべき者たちです。
しかし彼らにとって、その前に起きていた奇跡、
つまり、生まれた時から歩けなかった病人が、ナザレのイエスの名によって歩けるようになったということは、まったくどうでもよいことでした。
 ここに、私たちはこの世界に十字架を突き立てなければならないということを今一度かみしめます。
イエスがよみがえったことに対して、ペテロとヨハネは口をつぐむこともできました。そうすればすぐに解放されたかもしれません。
しかし彼らはイエスのよみがえりを語らずにはいられませんでした。
祭司としての姿を見失っているサドカイ人たちにも福音を語らなければ、彼らは祭司でありながら救いを知らずに死んでいくしかないからです。
日本人の99%が、聖書に示されたまことの神を知りません。キリスト教に好意的な人びとは数え切れないほどいるでしょう。
しかしその好意は、クリスチャンがイエスについて沈黙しているからこその、好意でしかないということは悔い改めなければなりません。
「このイエス・キリスト以外には、誰によっても救われることはできない。自分も、家族も、恋人も、あらゆる宗教も、あなたを救えない」
それをはっきりと語ることのできない、私たちがいます。もし私たちがそれをはっきり語るならば、たくさんの友人を失うことになるでしょう。
それでも、私たちが語らなければ、この世界は変わらないのであれば、恐れずに語り続けていくべきです。
 ペテロにも恐れはあったでしょう。しかし8節、「そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った」とあります。
聖霊が私たちに力を与えます。いや、聖霊以外に、私たちの恐れやすい心に、力を与えてくださるお方はおられません。
聖霊なる神は、私たちの常識や思いを越えて、人々の罪を暴き出します。
聖霊に満たされてペテロが語った言葉は、サドカイ人が触れてほしくなかった死者の復活をはっきりと指摘しました。
10節、「この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、
あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです」と。

3.
 「ナザレ人」という言葉は、当時のユダヤ社会では、最底辺のところの人間という意味を持っていました。
そのナザレ人が、唯一の救い主であり、死者からよみがえられたのだ、それは吹き出してしまうような言葉に聞こえたかもしれません。
じつは私たちが信じている福音とは、そういうものなのです。語れば途端にバカにされるようなものを私たちはいのちのことばとして握っています。
しかし人の心には恥ずかしいと思われるものであっても、聖霊がそこに働かれるときに、この世界を救う唯一の力となるのです。
世の人々は、クリスチャンが黙っていれば喜びます。クリスチャンの語る言葉は人々に罪を意識させるからです。
それは、ひとり一人のクリスチャンの中には確かに聖霊が生きておられ、その聖霊がことばを越えて語られるのです。
聖霊に逆らい、罪を見ても沈黙を守れば私たちは世の友でいられます。でもそのような友は真の友ではありません。
真の友はいのちをかけて、滅び行く人に忠告します。人畜無害なキリスト者は、世を腐敗から防ぐことはできません。
 キリスト教以外にも、この世にはたくさんの宗教があります。
中には反社会的なものもありますが、ほとんどの宗教は、苦しみ悩んでいる人を救いたいという思いから始まっています。
しかしこれはキリスト教会にも当てはまることですが、救いと言いながら実際に約束しているのはこの世の繁栄ではないでしょうか。
説教の序盤で、十字架は地に打ち立てられるという話をしました。地とは心です。神と自分との関係が正されなければ、心は変わりません。
心が変わるときに、永遠がわかり、この世での繁栄を求める心から解放されるのです。
しかし神との関係が正されていないから、キリスト教会を含めて、どの宗教でも、内側のトラブルが絶えません。
ペテロははっきりとこのように言います。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかは、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」。
 日本のクリスチャンが、他の宗教と同じようにこの世での繁栄を説き続けるならば、この世のなかに埋没していく将来しか待っていません。
しかしナザレ人と呼ばれることを恥としなかったイエス・キリスト、そしてナザレ人を掲げることを恥としなかったペテロのように歩むのであれば。
つまり、小さくとも、弱くとも、蔑まれても、それを恥じることなく、世の矛盾を福音によってえぐり出していくならば、希望があります。
「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった」。世の人々が見捨てた石こそが、イエスでした。
そしてペテロたちもその歩みに従いました。私たちも、その歩みに倣うのであれば、キリストの弟子として認めて頂けることでしょう。
今週、だれかにこのいのちのことばを語ることができるように祈りつつ、歩んでいきましょう。

posted by 近 at 17:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ
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