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2019.7.7「ステパノのように」(使徒6:1-15、7:51-8:3)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
恒例のアイスクリームパーティのご案内です。恒例と言っても、去年からですが。
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楽しそうな様子が伝わるでしょうか。去年の牧師のコスプレは画家でしたが、今年はさらにスケールアップ!
パ○レ○ツ・オ○・カ○ビ○ンです。何かイベントがあるたびについコスプレをしてしまうんですが、悪い病気でしょうか。
とりあえずご期待ください。週報はこちらです。

聖書箇所 『使徒の働き』6章1-15、7章51-8章3節


1.
 信仰のゆえに迫害を受けて命を落とすことを殉教と言います。
初代教会は、この6章に至るまで、小さな迫害は受けていましたが、まだだれも殉教者は出していませんでした。
それどころか、先週の礼拝説教の最後の部分にあったように、ガマリエルという人物の口添えによって、安全が保証されていたのです。
ところが、じつは神様のご計画は、このまま教会が安全に宣教を進めていくということではなかったのです。
このステパノの殉教をきっかけとして、ガマリエルの仲裁を無視した、徹底的な迫害、弾圧、そして殺害が起こっていきます。
そしてこのステパノの殉教から約300年間のあいだ、教会は絶え間ない迫害の中に投げ込まれていくことになるのです。

 今日のステパノの殉教から学ぶことのできることは、たくさんあります。
まず、ステパノは使徒ではなく、執事でした。今日の言葉で言えば、牧師ではなく、役員であったと言えるでしょうか。
今日は、ひとりの求道者の方の洗礼試問会を行います。牧師がどんなに丹念に学びを行い、何年ぶりの受洗者であるとしても、
もし役員会が、この方の授洗はまだ早いのではないかと言えば、それは改めて学び、欠けを満たした上で受けなければなりません。
そんな大きな責任があるのだったら、役員は遠慮したい、と考える人もいるでしょう。
しかしもし受洗者が教会を離れてしまったとき、それでもその人は確かに救われている、と言えるのは、役員会の諮問を経ているからです。
父、御子、聖霊の御名によって洗礼を授けることができるのも、それは役員会の諮問があってのことです。
牧師は、一般の信徒には話すことができないような事柄でも、役員とは共有します。
牧会が誤った方向に進むとき、それを指摘し、場合によっては辞職を勧めるのも、役員の務めです。
それほどまでに、聖書では執事、すなわち役員は大きな責任と使命が与えられているのです。
その筆頭がステパノをはじめとする、選挙で選ばれた七人の執事でした。
およそどの教会の役員も、このステパノの姿を模範としながら歩んでいくべきです。
ステパノのように、命を引き換えにしてでも福音に最後までしがみつく生き方を役員が示す教会は、決して地上から消えることはありません。

2.
 次に、ステパノの殉教によって、初代教会は、ユダヤ教の一派からキリスト教の群れとして脱皮した、と言えます。
ペンテコステの日に起きたことをみなさんは読んだことがあるでしょう。
信者たちに聖霊が注がれ、エルサレムに集まっていた人々に、それぞれの国のことばで福音が語られました。
しかしこれは、外国人に福音が伝えられたのではありません。
外国で生まれ育って、祭りのためにエルサレムにやってきていた、離散のユダヤ人たちにそれぞれの国の言葉で福音が語られたのです。
じつはこのステパノの殉教まで、使徒たちにさえ異邦人に福音を伝えるという視点はありませんでした。
クリスチャンは自分たちこそが真のユダヤ教徒だと考えていました。事実、クリスチャンという称号も、ずっと後になってできたものです。
しかしステパノは、この6章から8章まで語られている、長い説教を通して、ユダヤ教とはっきりと訣別しました。
それによって、ユダヤ人たちは怒り狂い、キリスト教会に対する大迫害が起こっていったのです。
 言うまでもなく、これはステパノの口がすべったのでも、ユダヤ人が感情的に暴走したのでもなく、神の計画に定められていた出来事でした。
神は、ステパノの説教を通して、イエス・キリストの福音は、この世と調子を合わせていくものではないのだということをはっきりと示されたのです。
もしこのときステパノがはっきりとユダヤ教と訣別しなかったならば、おそらく教会はユダヤ教の一部として埋没していったことでしょう。
 この使徒の働きの中には、初代教会の歴史が順を追って描かれています。
その中には、多数派であったユダヤ人クリスチャンによって、教会が律法主義に飲み込まれそうになる出来事がいくつも語られています。
しかし福音はユダヤ教の狭い枠を完全に越えたものであることを、神はステパノの説教を通してはっきりと語られたのです。

 このことは私たちにとってどのような意味を持っているでしょうか。
救いは確かに、人々の心と生活を変える力を持っています。しかし多くの場合、人々が求めるようなかたちで変わっていくことはありません。
お金を求める人にお金を与え、健康を求める人に健康を与える、そういう都合のよいものではないのです。
信じる者は、それまでの自分が予想もしていなかったような、目に見えない恵みを体験する、神のすばらしい救いを味わうのです。
これを経験したクリスチャンは、目に見える犠牲を恐れません。目に見えない恵みはそれと比べものにならないことを知っているからです。
キリストを本気で伝えようとするクリスチャンは、この世の人々の声に耳を傾けつつも、彼らが求める幸せとはまったく別の幸せを伝えます。
家内安全、商売繁盛、キリストが与える幸いはそのようなものできれいにまとまるほど、薄っぺらいものではありません。
貧しくても貧しさを感じさせない生き方が与えられます。生活にトラブルが満ちていても、そのトラブルによって心が振り回されません。
しかしこの世界は、福音と、福音を信じる人々を喜びません。だから福音を信じるときには、必ず戦いと犠牲が起こります。
しかしそれでもなお、神はどんなに少数であっても、必ず救われる者を起こしてくださるのです。

 神はすべての人間が救われるのを望んでおられます。
しかしそれはすべての人間に受け入れられるように福音を水で薄めて飲みやすいものにせよということではありません。
十字架で救い主が死なれたという犠牲をどうして薄めることができましょうか。聖書をまことに知っているクリスチャンはこう伝えます。
あなたの罪がイエスを十字架につけたのだ、と。そしてかつての私もまたこの方を自ら十字架につけたのだ。
人の顔色を恐れずに、はっきりとそう語る者には、必ず報いがあります。ステパノの姿は、そのことも私たちに伝えています。

3.
 ステパノは、ユダヤ人たちの罪をはっきりと語りました。彼らははらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした、とあります。
そして大声を上げながら一斉にステパノのもとに殺到し、石で打ち殺してしまいました。
人の罪ある心は、常に福音を殺そうとします。しかし福音は、激しい殺意を前にしても決してたじろぐことはありません。
ステパノは人々の殺意に囲まれながら、それでも天を仰ぎ続けました。そこには天の御座に着座されたイエスが立っておられるのが見えました。
イエスが御座から立ち上がり、ステパノに勝利の冠を与えようとしておられる姿が見えたのです。そして彼は眠りにつきました。
 しかしステパノの死は決して無駄ではありませんでした。
議会の中で彼の説教を聞き、歯ぎしりし、彼の殺害に賛成していた者の中に、パウロという名前の青年がおりました。
彼はその後、クリスチャンを迫害する側に回ります。しかしさらにその後、よみがえられたキリストに出会い、福音を伝える人に変えられます。
彼の救いと献身に、ステパノの姿がこびりついていたのは疑いようがありません。クリスチャンの生き様は、必ず誰かに引き継がれていくのです。
 パウロがステパノの姿を心のどこかに刻みつけていたように、ステパノはイエス・キリストの姿を自分の心に刻みつけていました。
イエス様が十字架の上から祈ったのと同じように、ステパノは石で打たれながらこう祈りました。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」。
「殉教者の血は、教会の種である」という言葉があります。血を流されなければ、教会の種は育たないのです。
血を流さなくても、教会の建物は残るかもしれません。しかし建物は残っても、そこにイエスはおられません。
なぜならば、イエスは血を流すことを恐れなかったからです。
むしろご自分の血によってしか人々を罪から救い出すことはできないと語り、十字架で命を捨てられました。
私たちはそのイエスの血によって贖い出された者たちです。その私たちがなぜ福音のために自分の血を流すことを恐れるでしょうか。
 ステパノの死をきっかけにして教会に対する大迫害が起こり、クリスチャンたちはユダヤから異邦人のところへと散らされていきました。
しかしそれによってキリスト教はユダヤ教の一分派から世界宗教への道を踏み出していったのです。
日本の教会、そしてこの豊栄の教会はこれからどんな歩みを踏み出していくのでしょうか。
教会がどんなかたちをとろうとも、私たちひとり一人が目指していくのはイエス様のように生きることです。それは決して変わることがありません。
犠牲を払うことを恐れることなく、イエス様のように、ステパノのように、最後まで生きていきたいと願います。

posted by 近 at 17:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ
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