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2019.8.11「キリストのみ」(使徒11:19-26)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今から18年前の2001年、CS成長センターから「あの説教、いつ終わるの?」という大変おそろしいタイトルの本が出版されました。
サブタイトルは「子どもを礼拝に参加させるためのヒント」ですが、あまりにも攻めすぎなタイトルのゆえに日本では絶版です。
インターネットで検索すると、著者はアメリカ人(たぶん)で「ロビー・キャッスルマン」とあります。Robby?Lobby?
ロビーはともかくキャッスルマンはCastleman(城男)なんだろうと思って、改めてAmazon.comで検索してみると、やや、ありました。
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原題は「Parenting in the Pew−Guiding your children into the joy of worship
なんだ、普通のタイトルじゃん。昔聞いた、「Stagecoach」という洋画を日本で公開したときのエピソードを思い出しました。
なんでも配給会社のエライ人が「地獄馬車」という邦題に決めていたのを故・淀川長治さんが「駅馬車」にしたとのこと。それと逆ですね。
「Pew」というのは、会堂の長椅子を指すようです。別室ではなく会堂に子どもたちを座らせたまま、親子ともに礼拝を喜ぶ、ということかな。
最近、「大人も子どもも一緒の礼拝」という言葉を聞きますが、うちみたいなワンルームチャーチはもとから一緒です(えっ意味ちがう?)
みんな(大人も子どもも)説教長くてごめんね。まさに「あの説教いつ終わるの?」という感じです。毎回、心で泣きながら講壇を降りています。
説教原稿はせいぜい3000字前後なのに、どうして40分、50分になってしまうのか。原稿にないことを付け加えてしまうからですね。
今回の説教も、原稿と聞き比べたらわかるのですが、原稿にないことがメインになってしまっています。
しかもちょっとやばいことまで口走っています。まだ理事会でも確定していないかもしれないのに。(教団じゃなくて学校法人のほう)
明日は何とか30分以内でまとめることができるように頑張ります。あくまで願望です。週報はこちらです。

聖書箇所 『使徒の働き』11章19-26節


1.
 長岡のある教会の牧師先生から聞いたお話です。その教会の特別伝道集会に、全国的に有名なM牧師をお呼びしました。
当時その教会には、会堂に大きな文字で、次のような標語ポスターが掲示されていました。「長岡から日本、それから世界へ福音宣教」。
集会の前に会堂に入った講師は、その標語をじっと見つめていました。
私にその時のことを話してくれた牧師先生は、「おっ、M先生、この標語に感銘を受けているのかな?」と期待したそうです。
すると突然、M牧師がその先生のほうへ振り向き、「先生、これ聖書の教えとは違ってますよね」と、なんとダメ出しをしてきました。
「長岡から日本」はいいとして、『それから世界へ』じゃないでしょ。日本へも、世界へも、並行して宣教していくのが主のみこころじゃないですか」。

 私たちは、仕事や生活のうえでよく優先順位ということを考えます。まずこれを片付けてから、次にあれをしようという具合に。
これを戦国時代の城攻めの方法にたとえて、外堀、内堀といった言い方をすることもあります。まず外堀を埋めてから、内堀を埋める、と。
しかし福音を伝えていくということに関しては、内堀、外堀、優先順位はありません。
私たちは家庭でみことばを伝えつつ、社会でみことばを伝えます。日本の福音化のために祈りつつ、国外宣教のためにも祈ります。
その長岡の教会では、講師からダメ出しを喰らった後、「長岡から日本、それから世界へ」を「日本、同時に世界へ」と書き換えたそうです。
私たち豊栄の教会はどうでしょうか。豊栄に伝道してから近隣の市町村に、それから世界に、と考える必要はありません。
豊栄に伝道しつつ、この近隣の新発田、阿賀野、新潟市の川向こうへと伝道することもでき、さらに国外宣教のために仕えることもできます。

 19節をご覧ください。エルサレム教会から散らされた人々も、同じ問題を抱えていました。彼らはユダヤ人にしか語らなかったのです。
福音をユダヤ人にしか語らない。それは復活したイエス・キリストが望んでおられたことでしょうか。とてもそうは思えません。
初代教会のクリスチャンでさえ、まずユダヤ人を優先順位の筆頭に置き、あとはそれから、という呪縛に囚われていたのです。
その見えない鎖を解き放ったのは、ユダヤ人クリスチャンではなく、キプロス人やクレネ人といった、外国人から改宗した人々でした。
教会の中には、色々な人が集まっています。だからよいのです。自分には気づかない視点を、他の人が持っているからです。
教会に限らず、人が集まるところでありがちな失敗は、多数派こそが代表であり、正しい視点を提供していると考えてしまうことです。
しかし圧倒的多数派であるユダヤ人クリスチャンたちが気づかなかった、外国人への福音宣教を始めたのは少数派である改宗者たちでした。
教会は、小さな声を拾い上げていくとき、そこに自由があります。しかし多数派の都合で小さな声がかき消されてしまう危険もあります。
だからこそ、みことばに聞く礼拝が大切にされ、また信徒や求道者のあいだの小さな交わりが尊重されていくことをおぼえたいと思います。

2.
 さて、彼らキプロスやクレネといったギリシャ文化になじんだ人々が、同じギリシャ人にも福音を伝えようとしたのはわかります。
しかし20節のことばに注意しましょう。なぜ「アンテオケに来てから」なのでしょうか。
エルサレムからアンテオケまでは直線距離にして500キロ、それまでのあいだ、彼ら外国人改宗者も、ユダヤ人以外には語りませんでした。
いったいアンテオケには何があったのでしょうか。答えは、アンテオケにはすべてがあったのです。
アンテオケは、当時、ここにないものはローマにさえないと言われた、大都会でした。あらゆる国の人々が集まってきた、巨大な町でした。
そこには、この世のあらゆる快楽が詰め込まれていました。
そして同時に、性的な罪、刹那的な欲望に飲み込まれ、人生をだいなしにする人々も後を絶ちませんでした。
だからこそ、この幾人かのキプロス人やクレネ人たちは、ここでイエスの御名を語らずにはいられなかったのです。
ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、あらゆる人々がこのアンテオケで罪と快楽に飲み込まれている。
その姿を毎日のようにまのあたりにし、彼らは救いの知らせをユダヤ人だけに限ることはとてもできなかった。
罪が心の問題だけではなくて、生活そのものを苦しめている姿の前に、彼らは語らずにはいられなかったのです。

 アンテオケの町には何でもあったと言いますが、現代のような生活保護や社会保障はまったくありませんでした。
だからこそ、アンテオケのクリスチャンたちは、町のあちこちにへたり込む人々を前にして、キリストを伝えることしかできませんでした。
現代の日本には色々な公的サービスがあります。何か困ったときには、ネットで検索すれば、どこへ助けを求めればよいか見つかります。
しかしそれゆえに、イエス・キリストの御名にしかすがるものがない、という必死な信仰を、クリスチャン自身が経験していません。
私は今まで牧師の立場から、色々な方の相談を受けてきました。
教会員よりも、教会の外から突然訪問を受けた方の相談のほうが多いかも知れません。
しかし結論としては、どんな問題であっても根本的な解決は、イエス・キリストという福音にしかないのだということです。
世の中の99%は、福音を求めていません。しかしその同じ99%の人々が、福音を必要としています。
この違いをどうか悟ってください。人々が欲しがるものを与えるのが解決ではないのです。
人々が気づかない、考えたこともない、福音。それだけが根本的な解決を与えることができます。
それを伝えることができるのは、私たちクリスチャンしかいないのです。先に救われた、あなたにしかできないのです。

3.
 最後に26節をご覧ください。「弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」。
ペンテコステを教会の生まれた日として説教したことがありますが、実際はこのアンテオケこそが、教会が生まれたところかもしれません。
それまでの教会は、ユダヤ教の一派と思われていましたが、このアンテオケでは、はっきりとキリスト教として外部に認められたからです。
なぜ彼らはキリスト者と呼ばれたのでしょうか。たぶん、何を聞かれてもキリストしか答えなかったからだと思います。
というか、それしか答えられなかったのでしょう。私たちはあなたがたが求めるものは何も持っていない。あなたがたが知りたいことは何も知らない。
だがあなたがたに必要なものを持っている。あなたがたが知らなければならないものは知っている。それが、イエス・キリストである、と。
キリストしか知らない。アンテオケ教会は信仰的に未熟な人たちの集まりだったのでしょうか。決してそうではありません。
牧会者バルナバ、そして彼の友人にして律法にも精通した教師パウロというゴールデンコンビによって一年以上かけて訓練された教会でした。
しかし彼らは、キリスト以外は教えなかったのです。
苦しんでいる者がいたら、ただこのキリストを伝えよ。相手が聞いても聞かなくても、キリストだけを伝えよ。
 私たちプロテスタント教会の起源は、五百年前のマルチン・ルターの宗教改革に遡ることは、中学の歴史の授業にも出て来ます。
宗教改革のきっかけは、当時のローマ教皇が、聖書の教えに反した免罪符というものをヨーロッパ中で売り出したことに始まります。
しかしなぜ免罪符を売り出す必要があったのか。それは、教皇庁の威厳を示す、大聖堂を建築するための資金に充てるためでした。
信仰生活の中での必要のために、信仰と真逆のことで必要を満たそうとする。愚かと言えば愚か。
しかし私たちの実際の信仰生活を見つめると、信仰によらずに必要を満たそうとする、小さなことがたくさん出てくるのではないでしょうか。
私たちは豊かすぎるのです。キリスト以外の有望に見える選択肢が多すぎるのです。しかしあえて、キリストのみと叫びましょう。
どんなに選択肢が多かろうとも、真の答えはひとつです。キリストのみです。キリストのみに頼る者が、外の人からキリスト者と呼ばれるのです。
今日も暑いですねと挨拶されたら、そうですね、高校球児みたいにキリストも天で燃えておられますからね(^^)
そろそろ一雨来そうですねと返されたら、そうですね、最近の残酷な事件にはキリストも天で涙を流されていますからね(TT)
アホかと思うでしょうが、言葉だけではなく、生活のすみずみでいつもキリストを前面に証ししていきたいものです。
キリストのみ。今日の説教の内容は忘れても、この六文字のタイトルは忘れないで、これからの一週間を歩んでいきましょう。

posted by 近 at 21:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ
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