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2020.3.8「信じたことは隠せない」(ヨハネ12:37-43)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
新型コロナウイルスの影響が各方面に出ております。
感染者の8割は無症状か軽症ということですが、逆から言えば2割は重症化、最悪の場合には亡くなられてしまうということ。
決して教会として手をこまねいているわけにもいかないのですが、できることは限られています。
まず祈らなければなりません。そして祈るだけでもいけません。それは車の両輪のようなものでしょう。
新潟でも少しずつ感染は広がっていますが、それでも礼拝を休会とするという例は聞いていません。
しかし県外では、そのような苦渋の選択を決断せざるを得ない、他教派の教会もあるそうです。
非常事態宣言が出されれば、どんなに集まりたいと思ってもそれができなくなることもあり得ます。
世の人々からすれば、クリスチャンはどうしてそこまで集まりたいのかと思うでしょう。
それは説明しても理解していただけるものではないかもしれません。
ただ、明日もどうか、一つでも多くの教会で、一人でも多くのクリスチャンが礼拝の恵みにあずかることができるように。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』12章37-43節



1.
 今日の聖書箇所には、二種類の人々が登場します。
まずひとつめは、信じなかった人々。そしてもう一つは、信じたけど、人目をはばかって告白しなかった人々。
それでも、信じた者と信じなかった者とは雲泥の違いだと言いたいところですが、聖書はどちらの人々にも厳しい書き方をしています。
信じたという人々にさえ、容赦ありません。「彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである」と。
信じないということは愚かなことです。しかし信じてもそれを隠すというのも、やはり愚かなことです。
もし自分がイエスを信じたと言うのであれば、それを自分の心だけでなく、公に外に向かって告白しているかを、聖書は問いかけています。
いま、あえて言うまでもないことですが、多くの人々が、先の見えない不安の中にもがいています。
国のリーダーも、医療の専門家も、答えを示すことができません。
クリスチャンが信仰を証しするとき、専門的な答えは与えられなくても、一緒にもっと大きな答えを探そうと呼びかけることができます。
この世の物事はすべて移ろい、やがては消えてしまう。それが良いものであろうと悪いものであろうと、この世のものは一時的でしかありません。
しかし神のことばは決して朽ち果てることなく、いつまでも続きます。このみことばを世に告白することが、私たちには求められています。

 まず、最初のグループ、「信じなかった人々」について、見てみましょう。
37節をもう一度ご覧ください。「イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行われたのに、彼らはイエスを信じなかった」。
イエス・キリストの宣教は、おもしろいように人が次々に救われていった、という安易なものでは決してありませんでした。
たしかに人々はイエス様のもとに集まって来ました。しかしそれは、病気や悪霊など、抱えている問題の解決のみを求めていただけでした。
それが解決されれば、人々はイエス様のもとを去ってしまったのです。そして本当に神のことばを求め、信じたいと願う者はごくわずかでした。
40節では、旧約聖書のイザヤ書のことばが次のように引用されています。「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。
それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである
」。
そして次の41節では、さらにこうも言われます。「イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである」。
まさに、イエス様がどれだけしるしを示しても、またみことばを語っても、多くの人々の心には届きませんでした。驚きはしても、信じなかったのです。
それでもイエス様は語り続けました。今日が人々に語る、最後のチャンスになるだろうと覚悟を決めながら。十字架は目の前に迫っていました。

2.
 「神が、人々を盲目にし、その心をかたくなにする。それは目で見ず、心で理解せず、回心せず、いやされないためである」と書かれています。
救いの神ご自身が、聞いている人々の心をかたくなにし、どれだけみことばを聞いても人々が救われないようにしてしまう。
そんなことがあり得るのでしょうか。しかし、ここに私たちが忘れてはならないことがあるのです。
神のことばというのは、恐ろしいものなのです。こわいという意味ではありません。
そこには、触れて傷つくことさえも辞さない、真剣さが必要だということです。でも、多くのクリスチャンはこう言うでしょう。
いや、私はそんなに真剣に求めなかったけれど、救われましたよ。救いは神様の恵みであって、人間の真剣さとか関係ないよ、と。

 そう、「救いは恵み」。このことばが間違えて使われてしまうと、どれだけ危険なものになるのかということを知る必要があります。
たしかに私たちは、たいして求めてもいないのに救われました、と言うことがあるかもしれません。
しかしそれは求めていなくても当然のように与えられる、ではありません。
心がかたくななゆえに、神が与えようとしておられる救いがわからない、私たちに対する、神のあわれみのサンプルケースなのです。
私が救われたのは、ただ神のあわれみです。神は救われる前の過ぎ去った日々については見逃してくださっていました。
しかしいま、救われた者に願われているのは、救われたいまは、わたしとわたしのみことばを真剣に求めなさい、ということです。
神は私たちをありのままで受け入れてくださっています。しかし救われる前も救われた後もそのままでよいとは願っておられません。
神はみことばを通して、ある人々の心はかたくなにし、ある人々の心は開かれます。私たちは、開かれたほうに属する者たちです。
その恵みを無駄にしない。神とそのみことばを真剣に求め、キリストに似た者へと歩んでいく。それは信仰のみになせるわざです。
以前も触れましたが、教会ではまだ信じていない人々に「求道者」という称号を用います。
しかしむしろ「求道者」という称号は、救われた者たちにこそ用いるべきではないでしょうか。
神はみこころのままに、人の心をかたくなにします。どんなに一生懸命救いを求めても、救いにたどり着かない人々もいるのです。
しかし私たちは救われました。救われた今、その救いを感謝する具体的な行動は、どんなときにも神を求め、神に信頼し続けることです。

3.
 最後に、もうひとつのグループに属する人々を見てみましょう。宗教指導者たちの中にも、イエスを信じた者たちがいました。
それは信じたふりではなく、確かに救い主として信じたのでしょう。しかし彼らは人々の前で信仰を告白することを恐れました。
なぜなら、イエス・キリストの側につく者は、会堂から追放する、という決まりがすでにユダヤ人たちのなかで実践されていたからです。
会堂から追放する、というのは、ユダヤ人社会の中での、あらゆる権利、保護、名誉、それらを剥奪されることを意味していました。
キリストを信じるというのは、世の光になるということです。それは努力して世の光になるのではなく、信仰によって世の光にされたのです。
どんなに生まれたてのクリスチャンであったとしても、彼は、彼女は、すでに世の光です。隠れることはできません。
しかしこの信じた指導者たちは、隠れた世の光であろうとした。それは矛盾です。同時に満たすことはできません。

 黙っていても平然としていられるほどの救いであれば、それは救いとは呼べません。教養か趣味の一環としてのキリスト教信仰です。
神がその命を捨ててまで与えてくださった救いは、本来、びっくりマークがつくほどのものではないでしょうか。
でもクリスチャンの中で少なくない人々が、自分がクリスチャンであることを隠そうとする。それは救いとは真逆の生き方です。
そのような生活を続けて行けば、本来「」だったものが、やがては「」という疑いに変わり、やがて「どくろ」マークになり捨ててしまう。
彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである」。この言葉を私たち自身に適用させてはなりません。
福音は、必ず人々の反発を招くものです。それは、福音は、今までの生き方の転換を求めるからです。
一歩神の元に踏み出せば、あとは神様がどんどん進めてくれるのですが、現状維持を生まれながらに愛する人間は、福音に反発します。
だから私たちがもし福音を語るならば、それはイザヤが語っているように、まさしく今までの人間関係にも敵意や断絶を生むかもしれません。
しかしそれでもなお、世の光として変えられた私たちは、この福音を語らずにはいられない生きものです。

 福音を語らなければ、自分が培ってきた多くの栄誉を守り通すことができるでしょう。
しかしそれらは、福音を語ることで私たちが天で受けることのできる栄誉に比べたら、ごみのようなものです。
たとえ信じたとしても、それを隠そうとするならば、神の御国で最も小さな者と呼ばれるでしょう。
むしろ私たちは、ここにいる一人として例外なく、真剣に神のみこころを求め尽くし、喜んで語り続けた者として、御国に凱旋したいと願います。
この世での命は尊いものですが、いつまでも続くものではありません。私たちは永遠のいのちを広げるためにこそ、命を使いたいと思います。
一人ひとりの歩みのうえに、神様の祝福がありますようにと祈ります。

posted by 近 at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ
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