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2020.5.10「あなたはすべてをご存じです」(ヨハネ21:9-17)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 5/14に、全国の多くの都道府県での緊急事態宣言が解除されました。新潟県もその中に含まれています。
ただ解除とは言え、経過観察というものですので、お知らせしていたとおり、5/31までの集会自粛は継続します。
以下は、5/15付の県知事からの県民向けメッセージ(抜粋)です。
 まず、県民の皆様には、日常のあらゆる場面において、ウイルスへの警戒を怠らず、人と人との距離の確保、マスクの着用、手洗いなどの手指衛生をはじめとした基本的な感染対策の継続など、感染拡大を予防する「新しい生活様式」の実践をお願いいたします。県をまたいだ不要不急の移動については、国内における緊急事態宣言が全て解除されるまでは、引き続き、厳に控えていただきますようお願いいたします。また、接待を伴う飲食店、カラオケ、ライブハウス、スポーツジム等、これまでにクラスターが発生しているような施設や、「三つの密」のある場所への外出は、極力慎重に判断されるようお願いいたします。なお、多人数での会食・飲み会を避けること、お茶飲みの機会での食器等の共有を避けることや、職場での共有物の消毒など接触感染の防止にも、引き続き留意してください。
この「お茶飲みの機会での食器等の共有を避けること」という独特の表現は、5/12付の新潟日報で報道された
感染相次ぐ新潟市北区 背景に近所付き合いの濃さ指摘」という記事と関連しているのではないかと思われます。
 新潟市北区で新型コロナウイルスの感染者が相次いでいる。区内で初めて確認された4月17日以降、12日までに、高齢者を中心に計14人。今月に入って感染者が確認されているのは北区だけだ。感染の背景に、都市部に比べて近所同士の付き合いやつながりが濃い地域の事情が指摘されている。市によると、12日時点の市内の感染者は62人。北区は14人で、東区(18人)、中央区(16人)に次いで多い。北区の人口は約7万3千人で中央区(約18万人)の半分以下。北区の感染者の多さが目立つ。北区の感染者14人のうち、60代以上が12人を占める。濃厚接触者のほか、近所付き合いや区内の親戚関係なども含めると9人が感染者と何らかの接点があった。
(中略)
 一方で、一部の感染者の共通点としてカラオケの利用を挙げる。農業を仕事や趣味にする高齢者も複数いたほか、農作業の休憩時間などに日常的にお茶を飲んでいたことも分かった。市保健衛生部の野島晶子部長は「農作業の合間の慣習にも感染の危険性はある。なかなかやめられないと思うが、今年は我慢してほしい」と協力を求める。こうした呼び掛けに、区内で農業を営む50代男性は「今は、自分の集落では集まってのお茶飲みはしていないが、高齢の農家の人は集まれなくて寂しいだろうね」と話す。北区役所は区内を広報車で回るなど、注意喚起に力を入れる。12日には区内の世帯に、感染状況をまとめたチラシの配布を始めた。10万人当たりの感染者数を8日時点で比較。北区は18.9人と、13の特定警戒都道府県と比べても東京都、石川県、大阪府に次いで多い実態を強調し、警鐘を鳴らしている。
 「近所づきあいの濃さ」ということであれば、まさに教会はその濃さを越えている交わりでもあると言えます。
交わりは悪ではありません。むしろ地縁血縁以上に濃いものとして聖徒に与えられた徳です。
だからこそそれが不証しにあることがないように、今は忍耐し、配慮をもって歩んでいかなければなりません。
5月一杯、それぞれが家庭にて自らの信仰をかみしめる機会といたしましょう。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』21章9-17節



1.
 クリスチャンである森祐理さんという歌手がおられます。
彼女は今から25年前、1995年1月に発生した阪神淡路大震災のときに、かけがえのない弟さんを失いました。
弟さんは大学卒業を控え、春からは新聞記者として働くことが決まっていたそうです。
私もその1995年に大学を卒業し、社会人になりましたので、何か他人事では済まされないようなものを感じます。
そのとき森さんはすでに歌手としての道を歩み始めていましたが、弟さんを失ったことで、立ち上がる気力も失せてしまっていました。
そんななか、ある女性牧師から次のようなことを言われたそうです。
「祐理さん、あなたの心の中には途方もなく大きな悲しみがありますね。だけど、イエス様はその悲しみを癒してくださらないでしょう」。
なんとひどい言葉なんだろう。祐理さんはこの女性牧師の言葉にショックを受け、こう尋ねました。
「どうしてですか?イエス様は悲しむ者を必ずいやしてくださるお方じゃないのですか?」するとその牧師はこう答えました。
「そうです。イエス様はどんな悲しみをもいやしてくださるお方です。
そしてイエス様は、悲しんでいる人に慰めを届ける、福音歌手としての使命をあなたにゆだねられました。
だから、その慰めの歌声が“嘘”にならないように、イエス様は、あなたの中に悲しみを残し続けようとしておられる気がします」。

 森さんが経験したことは、まさに今日の聖書箇所に出てくるペテロが経験したことではなかっただろうかと思います。
イエス様は、ペテロに「あなたは私を愛しますか」と三回、お聞きになりました。
そしてこの福音書の記者であるヨハネは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と聞かれたので、ペテロは心を痛めたと記しています。
なぜペテロは三度、「あなたはわたしを愛するか」と聞かれて、心を痛めたのでしょうか。
それは、彼がかつて大祭司の邸宅にまぎれこんだとき、人々の前で、三度、イエスを知らないと言ったことを心に思い起こさせたからです。

2.
 人は、だれもが思い出したくない心の傷を持っているものです。私の中にもあります。あなたの中にもあるでしょう。
それを忘れることができたらよいのに。上から塗りつぶすことができたらよいのに。かつてはそう考えたこともありました。
しかしそれは、問題の解決になるどころか、むしろ悪くしてしまいます。
なぜならば、私たちは過去の傷に苦しんでいると言いながら、じつは問題はそこにはない。
実際にはその過去の傷のせいで、現在がうまくいかないのだと考えているからです。
終わったことなのに、なぜいつまでも苦しみ続けるのか。
それは、その過去の傷が手を変え、品を変え、現在の私の考え方、人生観、価値観、そのように影響を与え続けているからです。
だから過去の傷をきれいさっぱり忘れたところで、問題は繰り返す。
過去の傷を生みだしたのは私であり、それは今も私の中に生き続けているからです。

 イエス様は、まるでペテロの傷口に塩をすり込むかのように、三度も「わたしを愛するか」と聞かれました。
そしてその三回のうちの最初の質問では、「あなたはこの人たち以上にわたしを愛するか」と聞かれています。
この言葉の意味を補足すると、「あなたは、このほかの弟子たちがわたしを愛する以上に、わたしを愛しますか」という意味です。
ペテロはかつてイエスに対し、「たとえすべての者たちがあなたを見捨てても、私はあなたを見捨てません」と言いました。
しかしそう言ったにもかかわらず、ペテロはイエスを見捨ててしまいました。イエスと弟子仲閧フ前で勇ましく語った言葉を裏切りました。
そしてこの言葉は、それからも、ペテロの心を苦しめ続けました。だけどイエス様は、ペテロの心にだけわかるメッセージを語られていたのです。
ペテロ、あなたはかつて、他の誰よりもわたしを愛する、と言った。今もその気持ちに変わりはないのか。
あなたは、この人たちが私を愛する以上に、私を愛するか。

3.
 「何があっても決してあなたを捨てない」というかつてのペテロの言葉は、人間の愛と力の限界を知らないペテロの高慢の表れと言えます。
それはペテロにとって、思い出したくもない、恥ずかしさを沸き立たせたかもしれません。しかし決して忘れてはなりません。
イエスさまに出会い、この方を信じる者にとって、どんな高ぶり、どんな恥の経験でさえ、それだけで終わらない。神が終わらせないのです。
 私たちにも、思い出したくもない経験があるかもしれません。
自分の力も考えなかった高慢な発言や行動。人を傷つけた、あるいは傷つけられた、身も蓋もない言葉。
神は、それらを忘れさせてくださるお方ではありません。
それらを見つめつつ、それらの経験を生かしながら、同じ悲しみを持つ人々を慰めることのできる者へと、私たちを変えてくださるのです。

 イエス・キリストを信じ、救い主として受け入れるとき、私たちの後ろ向きの人生は、確かに変わるのです。
単に心の傷を縫い合わせ、心の穴をふさぐだけなら、この世の作家やカウンセラーにもできます。
しかしイエス様は、まだ生々しい傷が残り、まだ穴がぽっかりと口を開けている人々を用いて、大きな使命を果たさせてくださいます。
ペテロはイエスの目を見つめながら、こう答え続けました。「主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」。
あなたの中にある痛みの経験を隠してはなりません。恥の記憶を風化させてはなりません。悲しみを悲しみだけで終わらせてはなりません。
あなたのために十字架についてくださり、あなたのためによみがえられたイエスの前に、あらゆる傷も悲しみも痛みも明け渡すのです。
神だけがあなたを変えることのできるお方です。自分自身でさえ見つめることのできない、心の深みをも、神は知っておられます。
「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです」。ペテロの言葉は、私たち自身の確信でもあります。
私たちの心にある傷も痛みも穴ぼこもすべてご存じであるイエス・キリストが、あなたの傷を、感謝そのものへと変えてくださいます。
どうかひとり一人が、自分の心の奥底をしっかりと見つめ、その上で主イエスをはっきりと信じることができるように。


書籍(森さんと牧師たちとの座談会)は絶版(2007年発行)。三倍の値段なのでオススメしません。
CDのほうは、弟さんを失った悲しみから十年経って生まれた「優しさのとびら」を収録。
何度も聞きましたが、必ず涙が溢れてきます。パトラッシュご覧、あれがルーベンスの絵だよ。オススメです。

posted by 近 at 23:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ
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