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(09/08)2023.9.3「私たちはキリストの花嫁」(マルコ2:18-22)
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2021.2.14主日礼拝説教「新しい朝が来た」(ルカ22:54-62)
週報のPDF版はこちらです
1.
戦場カメラマンという職業をご存じでしょうか。常に死と危険が隣り合わせの戦場で、兵士や民の写真を撮影し、世界に紹介する人々です。
かつて、ある戦場カメラマンが、雑誌社からインタビューを受けました。記者からの最初の質問は、こういうものでした。
「あなたは数々の危険な戦場に乗り込み、そして必ず生還していますね。その秘訣は何ですか。勇気ですか。それとも情熱ですか。」
すると彼はこう答えました。「面白い質問ですね。勇気も、情熱も、私にはいっさいありません。
しかしもし私が戦場から無事戻って来れた秘訣があるとすれば、それは、私がだれよりも臆病であることではないでしょうか。
臆病だからこそ、無理はしません。臆病だからこそ、限界を知っています。そして臆病だからこそ、生きのびるための準備を欠かさないのです」。
シモン・ペテロは、捕らえられたイエスの後を追いかけて、敵である大祭司の家に乗り込んでいく勇気もありました。
いざというときはイエスのために死んでみせる、という情熱もありました。しかしこのカメラマンの言葉を借りれば、彼には臆病が足りなかった。
臆病、それは悪い言葉として聞こえるでしょう。しかしこの方が言われる「臆病」は、「謙遜」と言い換えることもできます。
自分を過信してはならないのです。自分は決してイエスを見捨てるようなことはない、と信じたペテロのようであってはならないのです。
弱いのです。いとも簡単に、神も、自分も裏切るものなのです。だからこそ、みことばを必要としているのです。
自分が強いと思っているクリスチャンは、みことばを、自分が持っている力にプラスアルファする程度のものにしか考えません。
しかし真に謙遜な者、つまり自分がゼロの者であることを知っているクリスチャンは、みことばだけに頼ります。
ペテロには臆病さが足りませんでした。自分の勇気や情熱を過信して、大祭司の家へと乗り込んでいきました。
彼はまるで役人や兵士たちの仲間のようなふりをして、中庭の真ん中にあるたき火の前に座り込みました。
もし私だったら、人々の目に触れないような、庭の隅っこや、柱の陰から、イエス様をそっと見つめるかもしれません。ガタガタ震えながら。
しかしペテロは違いました。そんなことをしたらかえって怪しまれ、捕まえられる。こういうときは腹に力を入れて、堂々としているもんだ。
思わずアニキと呼びたくなります。しかし神は、ペテロ、いやアニキが想像もしていなかった、意外な人物を使って、彼の高慢を砕いたのです。
56節、「すると、ある召使いの女が、明かりの近くに座っているペテロを目にし、じっと見つめて言った。「この人も、イエスと一緒にいました」。
2.
ペテロは、ほんとうにイエス・キリストのために死ぬ気でした。そのために、この大祭司の家にまで潜り込んできたのです。
もし兵隊や人々が自分を取り囲んだならば、せめてイエス様のもとへと走って行って、そのみそばで命を捨てる。そう、そのはずだったのです。
しかしペテロを追い詰めたのは、彼が想像した、屈強なローマ兵でもありませんでした。「ある召使いの女」だったのです。
想定外の出来事に、ペテロは混乱します。「いや、私はその人を知らない」。
あれ、何を言っているんだ、おれは。いまイエス様を知らない、って言っちゃった?うそだよね。いまの、なしだよね?
しかしある召使いの女によって動揺した彼の決意は、どんどん修復不能なまでに崩れていきます。今度は別の男が彼を見て叫びました。
「あなたも彼らの仲間だ」。ペテロは言葉短く、「いや、違う」。日本語では二語、原文のギリシャ語でも三語の、短い言葉です。
その場は何とか収まった。ところが一時間もたってから、今度は別の男が強く主張し始める。「確かにこの人も彼と一緒だった。」
「ガリラヤ人だから」という言葉の意味は、ガリラヤ地方出身の人間特有のひどいなまりがあるからわかる、ということです。
なんでこうなるの。ペテロはそう思ったかもしれません。大祭司の庭に潜り込み、あの召使いの女に気づかれるまでは完璧だったはず。
なまりがばれないように、言葉を極力出さず、「いや、違う」とか「いや、知らない」と抑えてきた。なのにどうしてガリラヤなまりを気づかれたんだ。
他の福音書では、このときペテロはもはや恥も外聞もなく、イエス様に対するのろいの言葉さえ口に出した、と書いてあります。
その時、鶏の鳴き声が、長かった夜に終わりを告げました。そしてイエス様は振り向いてペテロを見つめられました。
イエス様はこのとき、どんな目でペテロを見つめられたのでしょうか。ただ悲しそうな目?それとも温かい目?まさか蔑むような目?
しかしどんな目だったかに想像を膨らませるよりも、あることが確かにペテロの中に起こりました。
それは、ペテロとイエス様の目が合ったとき、彼はそれまで忘れていた、主のことばを思い出した、ということです。
「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」。これは、ペテロにとってはまるでさばきの予告のように思えます。
しかしそうではありません。むしろ、恵みの宣告なのです。なぜでしょうか。みことばは必ず実現することを証ししているからです。
イエス様はいまや、捕らえられ、縛られ、唾を吐きかけられ、ひたすら有罪判決を待つだけの者になっているように見えました。
しかしたとえイエスがそのように闇の力に屈服させられたかのようにペテロの目には見えても、神のことばは確かに実現したのです。
どんなときでも、神のことばは生きています。私たちがみことばを信じられないときでさえ、神のことばは生きています。
3.
クリスチャンはみことばを信じて生きる、とよく言われます。しかし信仰を持っていても、神のことばを信じられないほどの苦しみも経験します。
みことばを疑いたくなるほどの苦しみ、私たちはそれを不信仰と考えるかもしれません。しかしそんな霊的な七転八倒、という時が確かにあります。しかし私たちはこのところから知るのです。イエスは捕らえられ、弟子たちはばらばらに散らされ、
闇の計画が神のみこころを出し抜いてふんぞり返っているように見えるその時でも、たしかにイエスの言葉は実現したことを。
ペテロはまだそれを知らない。彼は外に出て、激しく泣いた。知らない、違う、わからない、と繰り返した、自分のふがいなさを泣いた。
しかし同時にペテロのかたくなで高慢な心が、涙でふやけて、流れていきました。イエスのまなざしとみことばが彼に気づかせたのです。
自分は神のために死ねるような強い人間ではない。言葉だけは勇ましいが、実際は約束を裏切り、いざという時には保身に走るのだ。
しかし、ここで彼は気づいたかも知れない。みことばは生きているのだ、と。
私たちが絶望の中にあるときも、希望の中にあるときも、闇にあるときも、光にあるときも、みことばは決して滅びず、実現の時を待っている。
「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」。それは、ペテロにとって、あまりにもつらいみことばでした。
しかし、そのみことばが、イエスが縛られようが、さばきの座に立たせられていようが、変わりなく、確かに実現したのです。
私たちの信仰が、まるで縛られているかのように苦しい、ただ苦しい時。私たちの内側からどんなに絞り出しても力が湧いてこない時。
それでも、みことばは実現します。乱暴な表現ですが、信じようが信じまいが、必ずみことばは実現します。
私たちが信じなければ実現しない、みことばは、私たちに依存しているような、そんな弱々しいものではなく、私たちを越えて、凛と立つ。
この変わらないみことばの中に、私たちは生きる。この不滅不朽のみことばに、私たちは生かされる。信じましょう。
鶏が鳴くのは、朝が来る合図。東のオリーブ山が紅く輝き、涙で濡れたペテロの目に光が差し込む。夜が終わり、朝がやって来ます。
つい先ほどまでのペテロにとって、鶏の声は、さばきそのものでした。しかし今は、新しい朝が来た合図です。
彼は涙をぬぐったあと、どこへ向かったのでしょうか。書いていなくてもわかります。散らされた弟子仲間が集まりそうな所へ向かいました。
なぜそう言えるのでしょうか。ペテロの心にイエス様のみことばが響いていたからです。
「シモン、シモン。わたしはあなたの信仰がなくならないように祈りました。だからあなたは立ち直ったら、兄弟たちを励ましてやりなさい」。
みことばを思い出したペテロは、もう己の力によりたのむ者ではありません。ただ、みことばだけにより頼む者になりました。
私たちも、同じ道に向かって、歩んで行きましょう。
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