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2021.12.12主日礼拝説教「分かち合える喜び」(ルカ1:39-56)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
 週報はこちらです。




1.
 新しく取得した会堂用地の片隅に、古い家が建っているのですが、この建物をこれからどうしようかということで会堂建設準備委員会でも話し合い、とりあえず、痛み具合をTさんに見てもらおうということになりました。Tさんというのは、以前は豊栄の教会員でしたが、今は故郷に近い村上の教会で信仰生活を守っておられる建築士です。先日、彼に来てもらって、その古い家を見てもらいました。しかし見てもらったのは最初の10分間くらい。久しぶりに会うことができたのがうれしくて、気づくと二時間くらい、良い感じの縁側でひなたぼっこをしながら、信仰生活の恵みを分かち合っていました。
 「分かち合う」ということは、教会に神が与えてくださった賜物の最たるものです。私たちはキリストにある者として、喜びを分かち合います。みことばを分かち合います。そして苦しみさえも分かち合います。思えば二千年前、御使いから救い主の母になると約束されたマリアが、そのあとすぐに、親戚のエリサベツのところへ急いで向かったのも、分かち合うためでした。マリアがいたナザレの村から、ユダの山地までは、少なくとも百キロ以上はあり、文字通り、山あり谷ありというルートです。獣や強盗に襲われることも決して珍しくはありません。ここにある聖書の記事からはほとんど感じないことですが、わずか十四、五歳の少女にとっては、命がけの旅であったことは確かです。

2.
 マリアはなぜそこまでしてエリサベツに会いに行こうとしたのでしょうか。彼女の心の中には、御使いの言葉が響いていたからです。先週の箇所ですが、36節で御使いはこう語っていました。「見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは何もありません」。マリアがエリサベツのもとに向かったのは、御使いの言葉が本当かどうかを確かめるためではありません。彼女は、神のことばが真実であることをかたく信じていました。何をいまさら本当かどうか確認する必要があるでしょうか。マリアがエリサベツのもとに向かったのは、喜びを分かち合うためです。
 ここに、先ほどお話しした、「分かち合う」ということが私たち、神を信じる者たちに与えられた特権、あるいは賜物であるという原点があります。マリアがエリサベツのもとへたどりつくまでにどれだけの大変な長旅を経験したとしても、その苦しみは、喜びを分かち合うことのできる恵みの中にすべて溶けていきました。エリサベツがマリアからのあいさつの言葉を聞いたとき、そのおなかのなかにいたヨハネがおどり、エリサベツは聖霊に満たされました。聖霊が与えてくださる実のうち、真っ先に来るものは喜びです。どんなに小さな経験でもよい。神さまがあなたにしてくださった恵みを思い起こしましょう。喜びを分かち合い、兄弟姉妹、あるいはそれ以外の人々にも伝えましょう。そして喜びを誰かと分かち合うとき、私たちはその誰かから、さらに喜びを受け取るのです。

3.
 今日の聖書箇所が私たちに教えているもう一つのことは、この喜びは神のことばに対する絶対的信頼から生まれる喜びであるということです。45節をご覧ください。エリサベツはマリアにこう語りました。「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」そして、そのときマリアも聖霊に満たされて、讃美がその口から溢れました。そしてこの讃美、マグニフィカントと呼ばれますが、これはマリアのオリジナルソングではありません。そこに出てくる言葉は、すべて旧約聖書からの引用です。マリアの賛歌は、単に神が私によいことをしてくださった、ということだけではありません。神がすでに聖書を通して約束してくださっている恵みが、私を通して実現した、という感謝と讃美なのです。言い換えるならば、神はあなたの生き方、言葉、行動、あらゆるものを通して、みことばを実現させようとしておられるのです。
 みことばを分かち合うとは、神のことばが私を通して、どのように産声を上げようとしているのかを分かち合うことです。神はエリサベツにはヨハネを、マリアにはイエス様を、そして私たちにはみことばと聖霊をこの心の中に宿らせてくださり、この世界へと生み出そうとしておられるのです。ですから、みことばが私の生活の上にどう働いてくださったのか、誰かとみことばを分かち合いましょう。親は子どもと分かち合うことができます。夫は妻と分かち合うことができます。壮年、青年、婦人同士で分かち合うこともできます。同じ地域に住んでいる者同士で分かち合うこともできます。みことばに聞き従い、そしてそれを分かち合っていく交わりの中に、本当の祝福があるのです。

結.
 マリアがエリサベツのもとに滞在した時間は、三ヶ月ほどでした。しかしその三ヶ月の中に、彼女がそれから約33年、つまりイエス・キリストが彼女の中から生まれてから、目の前で十字架につけられるまでの約33年を乗り越えることのできる力が、その三ヶ月の中にあったのです。エリサベツの息子であるヨハネは、やがて殺されて、首を盆に載せられて宴会の賞品にされました。年は何十年と離れていましたが、マリアとエリサベツは、ともに神に選ばれ、子を宿す特権を与えられ、しかしその果てにはその子どもたちを残酷な方法で失うという悲しみを経験しました。しかしこのわずか三ヶ月の交わりがあったからこそ、二人の母はわが子の命を奪われる苦しみの中にも、神を見上げて歩むことができたのです。
 私たちは、このクリスマスに一人でも多くの人が教会に来てほしい、と祈っています。しかしクリスマスの雰囲気を楽しんでもらうよりも大事なことは、本物の、生きた交わりの中に人々が招かれることではないでしょうか。なんとかディスタンスという、お互いに距離をおかなければならない時代のなかで、イエス・キリストを通して与えられる、喜びも悲しみも隠すことなく分かち合うことのできる、聖徒の交わり。クリスマスに教会に導かれた人々が、その交わりを垣間見ることを通して、キリストの救いへと近づくことができるように祈りましょう。

posted by 近 at 19:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ
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