選挙遊説中の安倍晋三元首相が亡くなられて一週間が過ぎました。奥様をはじめとしてご遺族に天来の慰めがありますように。また国葬を巡って世論が分断されているなかで、これが従前の政治と宗教の関係に一石を投じるものとなりますようにと願っています。
当初、民主主義に対するテロとすべての人が考えていた中で、容疑者の告白から明らかになってきたことはこれが母親が傾倒していた旧統一協会(メディアは「教会」を使っていますが、正統的キリスト教会では「協会」の文字を当ててきました)の関連団体に対する安倍氏の祝辞ビデオメッセージを見た容疑者による「逆恨み」の犯行ということです。俄然、この宗教団体が注目されてきているなかで、彼らが半世紀以上前から国際勝共連合という政治団体を通して、自民党と癒着してきたことが指摘されています。80年代の霊感商法や合同結婚式によるイメージ悪化、90年代のオウム真理教事件によるカルト宗教への監視強化、2000年代の教祖の高齢化による求心力低下、そして教祖の死後は、統一協会そのものが分裂し、遺族がばらばらに分裂後の各団体の指導者となりましたが、結局は高額な霊感商品を売りつけたり、幾多のフロント団体を隠れ蓑として活動していたことは変わらなかったようです。
今回の事件のきっかけとなったのは、昨年9月に安倍元首相が関連団体のオンライン集会に参加し、そこで祝辞を述べたことが契機となっていますが、しかしそこには前国連事務総長や、トランプ前大統領をはじめとして世界的に有名な多くの政治家も関わっていますので、安倍氏だけが責められるべきではありません。旧統一協会は、霊感商法やマインドコントロールによる教勢拡大が国際的な社会問題となってから、そのイメージを払拭するために、福祉や慈善活動、そして各国の政治家に対するロビイスト活動に多大な資金をかけてきました。安倍氏に対する容疑者の行動は、カルト宗教に人生を狂わせられたとはいえ、その卑劣な暴力行為を認めるわけにはいきません。しかし日本と世界の政治家たちは、自分たちにとっては集票マシーンにすぎないような団体が、そこには数え切れない人々を信仰を建前にして縛り付け、家族を不幸にしてきた事実をもっと重く認識してほしいと願います。政教分離という考え方は、政治と宗教は対立するものという意味ではなく、人を幸せにするという共通目的のために両者は別の領域からそれぞれアプローチしていくものではないでしょうか。政道が正道から離れている時代には、宗教がそれを正す場合もありますが、歴史的にはむしろ政治に引きずられるように宗教もまた本来の姿を失って堕落していくことが多いのです。逆に政治家が襟を正して、民のために歩むならば、宗教もまたそれに呼応して変えられていくのではないかと思います。
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