聖書箇所 マルコ5章6〜7、10〜20節
6 彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。7 そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないでください、と懇願した。
11 ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。12 彼らはイエスに懇願して言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。」13 イエスはそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。
14 豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。人々は、何が起こったのかを見ようとやって来た。15 そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。16 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた。17 すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。
18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。19 しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」20 それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。2017 新日本聖書刊行会
中学生の頃、小説家になりたかったのです。小説のまねごとをノートに書きためて、いつかこれが世に出て、天才作家あらわる、と新聞に出てムヒョヒョヒョ。ところが世に出る前に、姉に見られてしまったのです。けちょんけちょんにけなされて、それ以来、私は筆を折りました。ただ神さまはよくしてくださったもので、その頃にたくさん本を読んだ経験というのは、牧師という毎週説教を作らなければならない仕事についた後に、たいへん役に立ちました。
聖書は、神のことばですが、同時に文学作品としても優れています。とくにこのマルコ福音書は、マルコがもともと持っていたのであろう文才が、聖霊によって用いられている姿をみることができます。どういうことでしょうか。
このマルコ福音書は、最初の書き出し、つまりマルコ1章1節は、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」という言葉で始まります。つまり、この本は、イエスが神の子であることを伝えるために書くものですよ、と言っています。ところが、実際にこのマルコの福音書の中には、「神の子」という言葉は、四回しか出てきません。一つは、その1章1節、そして二つが、悪霊が告白している言葉、そして残りの一つが、イエスが十字架で息を引き取った後、その一部始終を見ていたローマ軍の隊長が残した言葉、「まことに、この人は神の子であった」。つまり、弟子たちのだれも、イエスを「神の子」と告白していないのです。むしろ、告白できない。神の子であることがわからない。人間には、イエスが神の子であることがわからないのです。悪霊でさえ、イエスを神の子と知って恐れているのに、人間の方は、弟子たちでさえ、神の子であるということがわからない。マルコは、小説家を目指していたのではないでしょうが、少なくとも、小説や映画でよく用いられるテクニックをこの福音書に取り入れています。
少し年配の方は、「幸せの黄色いハンカチ」という映画をご存じだと思います。刑務所から出てきた男が、奥さんに手紙を書いて、もし自分を受け入れてくれるようであれば、庭先に「黄色いハンカチ」をつるしておいてくれと頼みます。そして映画のラスト、男が恐る恐る、家を探すと、運動会の万国旗のようにたくさんの黄色いハンカチが吊されている、有名なシーンです。じつはこのラストシーンのために、監督は映画の中に次のような演出を入れていました。それは、この男が家に帰るまでの旅を描く約一時間半、できるだけ黄色いものが画面に現れないようにする、というものです。そうすることで、最後の黄色いハンカチが、目に焼き付けられる。マルコも同じことをしています。「神の子」イエスについて伝えるために、逆に「神の子」についてほとんど人間には語らせない。しかし最後の最後に、弟子ではなく、ユダヤ人でもない、ローマ人の千人隊長だけが唯一、「この方はまことに神の子であった」と告白するのです。
まさに十字架というのは、私たちの見えない目を開く出来事です。神の子が私たち罪人の身代わりになって死んでくださった。この命がけの愛を通して、目の見えなかった者が見えるようになった。神の愛がわからなかった者が、神の愛の中に生きる者となった。罪のさばきが待ち受けていたはずの者が、罪がゆるされて永遠のいのちの中に歩むようになった。
あらゆる人間は、この十字架の前に立たない限り、神の子がだれか、わからないのです。だからこそ、私たちは十字架を伝えなければなりません。そして私たちでしか、まことの十字架を伝えることができる者はいないのです。そのことを忘れないでいただきたいと思います。
マルコ福音書は、弟子たちの誰もが、イエスを神の子だとわからないという現実を描くと共に、このゲラサの地の人々もそうであったことを述べています。レギオンが二千匹の豚へと追いやられ、このとりつかれた人が正気に戻ったという喜びの場面であるはずが、16、17節にはこうあるからです。「見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた。すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した」。人々は、悪霊につかれた人々の以前の状況を知っていました。身体を痛めつけながら、鎖をひきちぎるような姿を実際に見ていました。しかしその本人が、今や裸ではなく着物を着て、正気を取り戻しているのを認めながら、彼らはイエスに出て行ってもらうことを願ったのです。なぜでしょうか。家畜として飼っていた豚二千匹を失ってしまったからです。
これ以上イエスにここにいてもらっては、一体どんな損失が起こるかわからない。それが人々の心の現実でした。ここに、私たちは、悪霊レギオンどもが「私たちをこの地方から追い出さないでください」と願った理由がわかるのです。この地方は、悪霊にとって、まさに居心地のいい場所でした。一人の人が悪霊から救われるのと、豚二千頭が失われるのと、どちらが大切なのか。キリストにとっては、豚二千頭よりも、一人の人が救われることのほうが大切なことでした。悪霊たちも、イエスがそのような方であることを知っているからこそ、自分たちを豚の中に追いやって欲しいと願ったのです。しかしこのゲラサ地方の人々にとっては、人一人の救いよりは、二千頭の豚のほうが重かったのです。その意味で、彼らは悪霊よりも、さらに闇の深みの中に捕らえられていた者たちであったと言えるのではないでしょうか。
しかし私たちの中にも、そのような部分があるかもしれません。聖書は、私たち自身のありのままの姿を映し出す鏡です。そこから目をそむけてはなりません。今、自分の心に質問しましょう。一人のたましいが救われることよりも、犠牲となる何かを惜しんでいるということはないでしょうか。もしそれに気づいたならば、次のような生き方を参考にしてみてください。
救いを知らないために病や不幸を恐れる人のために何時間かを費やす。救いに興味のない友に、福音を語ることのできる機会を祈り求めながら、その友を訪れ、寄り添う。
そのような犠牲は、ムダに時間を過ごしているかのような徒労感しか生み出さないように思える時すらあります。しかし一人の人が救われるためという、その重みにまさるものはこの世にはありません。かつては墓場で叫んでいた人が、大胆な証し人へと変えられていく、そんな人生の劇的な変化、それは私たちが語る福音、私たちが伝えるイエス・キリストだけが与えることができるものです。
悪霊の求めを受け入れ、ゲラサ人の求めを受け入れたイエスさまは、弟子としてお供したいというこの人の懇願だけは首を縦に振りませんでした。それは、この人にしかできない証しがあったからです。この人が生きてきた家庭、地域、社会、そこでキリストが神の子であることを証しすることを、イエスは願っておられました。私たちもまたそのように求められています。家族・友人・同僚・教え子のために、彼らがイエスを知り、信じることを願いながら、一緒に祈りをささげましょう。
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