聖書箇所 マルコ5章25〜34節
25 そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。26 彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。27 彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。28 「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。29 すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じた。30 イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」31 すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」32 しかし、イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた。33 彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。34 イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」2017 新日本聖書刊行会
現代は、二人に一人ががんにかかる時代と言われています。怖い病気だというイメージがありますが、あるお医者さんが面白いことを言っていました。じつはがんにかかるというのは、一部例外もありますが、それまで長生きできたというしるしである、と。二人に一人というと高い確率に思われるが、そのほとんどは70代、80代に集中している、だから癌にかかった人は自分が70、80まで長生きできたことをむしろ感謝すべきだ、というのです。とはいえ実際に癌にかかったら、そんな仙人みたいな考えではいられません。どうして自分なんだと悲しみ、目の前が真っ暗になり、周囲に怒りをぶつけながら、少しずつ、癌にかかった事実をあるがままに受け入れていく。そのために必要なのは、信頼できる医師や、援助者たちとの関係です。
今日の聖書箇所に出てくる、長血の女性の苦しみは、まるでこれが二千年前に書かれたものであることを忘れてしまうほどです。26節には、彼女が12年もの長い間、「多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた」と書かれています。長血とは、出血が止まらない、女性特有の病気でしたが、当時、律法では、長血の女性が触れるものは何であっても汚れる、とされていました。
彼女は12年のあいだ、幾度となく、こう心の中で繰り返したことでしょう。この病気になったのは、私のせいではない。それなのに、なぜこんな目に遭わなければならないのか。なぜ世間や家族からさえも、汚れた者と見られなければならないのか。そして弱い者の味方であるはずの神が、なぜ私を汚れた者として断罪するのか。彼女の12年間は、ただの闘病生活ではありませんでした。怒りの中にもがき続ける12年間でした。
いったいどうしたら、その12年間から解放されることができるでしょうか。彼女の願いはたったひとつ、「この病気だ。この長血の病さえ治れば、私は普通の生活になれる」。そのために、彼女はイエス様に背後から近づき、その衣に触りました。律法では、長血の女に触れるものはすべて汚れるとされており、彼女が群衆の中に混じっていることがわかったら、最悪の場合、石で打たれて殺されることさえ覚悟しなければなりませんでした。しかしイエス様の衣にさえ触れば、きっと治る。そしてここから、聖書の中にも他に例がない、想像を超えた神のご計画による、救いの物語が始まっていくのです。
いま、私が「聖書の中にも他に例がない」と言ったのはなぜでしょうか。どの聖書を探しても、イエス様が自分でもわからないうちにだれかをいやしていた、という話はないからです。神のいやしは、100%神の主権によるものです。人間がどんなに一生懸命求めても、神のみこころでなければ、何も与えられません。ところがこの長血の女だけは、イエス様の意思と関係なく、力が出ていくということが起こります。今までも、そして、これからも、決してあり得ない、知らないうちに力が引き出されるということが起きたのはなぜか。イエス様は一瞬で悟りました。それは、この力を引き出していった者に、本当の救いを与えるために、父なる神がなされたことなのだ、と。
だからイエス様は、弟子たちが呆れるような大声と態度で、自分に触った者を探し出そうとしました。イエス様は、自分の力が出ていったことを知ったとき、それによってその人の病気がいやされたことはわかったでしょう。しかしそれだけでは、その人は救われたとは言えません。イエス様は、ご自分のもとへ信仰によって近づく者を救われます。だから、自分に触った人を探しました。病のいやしではなく、本当の救いを与えるために。
人は、イエス様の正面に出てこなかったら、本当の救いはありません。この女性について言えば、たとえ長血がいやされたとしても、それが救いではありません。病からの解放が救いではなく、病があってもいのちを感謝することのできる信仰こそが真の救いです。教会には、あらゆる人々が、あらゆる理由で求めを持ってきます。ある人は経済的困窮から脱出したいと願いました。ある人は傷ついた家族関係を回復したいと願いました。困窮していた人に、少なくない金銭的サポートをしたこともありました。家族関係が破綻していた人に、自分にできる援助をしたこともありました。しかし一時的には効果があっても、それでは本質的な解決は生み出さないということを悟りました。イエス・キリストの前に出てきて、自分という人間を胸から心から打ちたたいて、罪人であることを悲しんで、ただこの方しか私を救えないということがわからなければ、すべては一時しのぎで終わってしまいます。本当の救いは、ただイエス・キリスト、私たちのためにいのちを捨てられた方のために、一度は助かった私の命をもう一度あなたにささげますという決意の中でこそ、生み出されていくものです。
もし彼女が後ろからイエス様の着物に触ったあと、群衆にまぎれてそっと離れていったらどうなっていたでしょうか。その日から、長血に苦しまなくてすむ、バラ色の日々が始まったでしょうか。始まりません。なぜなら、過ぎ去った12年間の日々に意味を見いだすことができていないからです。救いは、どんな過去も、現在も、未来も、すべてに意味があるという感謝を生み出します。たとえ今日病が治り、明日は健康な日であったとしても、彼女の過去12年間は傷つけられたままです。それがいやされなければ、彼女の心には、これからも闇が離れず、圧倒的な救いの喜びは訪れません。
救いとは、過去は変わらずに現在と未来だけが変わっていくという中途半端なものではありません。傷、痛み、怒り、憎しみ、そのようなものにとらわれていた過去もまた光輝いていくのが本当の救いです。多くの人々が、過ぎ去った過去に囚われて生きています。過去を幸せな日々だったと懐かしむ人もいれば、今の自分がこんなに苦しんでいるのはあの過去の日々や経験のせいだと憎む者もいます。いずれにしても、過去を正しく扱うことができないという点では同じです。しかし私たちがイエス・キリストの正面に出てきて、この方のまなざしの中に頭を垂れるとき、この方と出会うために、自分の過去すべてがあることを悟ります。過去のすべてが意味あるものに変わり、何があっても恐れることのない人生が始まります。どんなにおぞましい過去であろうと、その一番暗い底にさえ神がいてくださったとすれば、これからの人生で、何を恐れる必要があるのか、と告白することができます。
イエス様は彼女に「娘よ」と呼びかけられました。まさに娘を捜し回っていた父のように、イエス様は優しい目を彼女に向けられました。その時、彼女は気がついたのです。この12年間、私はひとりではなかったのだ、と。神さえもうらんだ12年間、しかし神は私をこの間もずっと探し続けておられたのだと。そのとき彼女の過去も現在も未来もすべてが光の中に招き入れられました。これが救いです。病が治ることが人生の解決ではなく、イエス・キリストと顔と顔を合わせるところに人生の解決があります。イエス様の正面に出ましょう。顔と顔を合わせて語り合い、祝福のことばをいただきましょう。神は、それを彼女だけではなく、あなたにも与えたいと願っておられるのですから。
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