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2016.10.16「あの山を与えたまえと45年」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今週は、月曜日から教団の伝道懇談会および松原湖研修会があり、更新が遅くなりすみません。
伝道懇談会では、教会ホームページ作成講座の分科会もありました。
私は別の分科会に参加しましたが、なんでも「ホームページは、左上から重要なことを並べる」のだそうです。
あまり考えないで作っていましたが、参考になれば。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨシュア記』14章6-15節 


1.
 おはようございます。先週は、45周年記念式典、お疲れ様でした。
お疲れ様という言葉は、週の初めの朝からふさわしくないかもしれません。
しかし教会が45年歩んできた感謝を、みなさんと一緒にお祝いすることができたのは、何にもまさる恵みでした。
 今回、下川先生ご夫妻が新潟と柏崎を中心に六日間滞在されました。
私はあるときは運転手をしたり、またあるときは集会の聴衆のひとりだったりと、ほぼ毎日、ご一緒させていただきました。
その中で、至る所でご夫妻が、豊栄の教会員はすばらしいと、たいへんほめておられたことをご報告しておきます。
社交辞令を真に受けちゃいけないと、誰かに言われてしまうかもしれませんが、先生はこう仰っていました。
教会員みなが、自分から教会に仕えて、終わっても帰ろうとしない。これは、当たり前のようだが、決してそうではないのだ、と。
さらに、とくにあのふたり、後ろに座っていた、えっと、ハナさんとヨミさんがすばらしい、と特別に名前を挙げておられました。
自分の年ももう人のことを言えないが、ああいうお年を召した方が、二人仲良く座って、みことばを聞いたり、子どもたちの姿を優しく眺めている。
あれも得がたいよ、近先生は幸せだよ、と。
 で、最後に下川先生らしく、こうおっしゃいました。
もう豊栄教会は、近先生たちがいてもいなくてもできあがってしまっているから、そろそろ次の場所を祈ったらどうか。
たとえばクナシリ島とか、エトロフ島とか。本当はヒダカと言いたかったかどうかはわかりませんが、
私は、「子どもたちがたくさんいて、うらやましいね」と言われるよりも、「お年寄りがたくさんいて、うらやましいね」と言われるほうがうれしいのです。
世の中の人々は逆ですね。ショウシコウレイカという言葉に、呪文のように縛られてしまっています。
子どもがいれば将来性があって、高齢者ばかりだと未来がないとか言います。
しかし、お年寄りがくつろげる教会は、子どもたちも楽しめる教会ではないかと思います。
教会は、小さな者も、年老いた者も、信者も、求道者も、あらゆる人がそのままで受け入れられるところです。
50年記念会を行うときには、この教会はどんな教会になっているでしょうか。神さまに期待して、励ましあって行きましょう。続きを読む
posted by 近 at 10:33 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.10.9「真夜中のさんび」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今週の礼拝は、当教会の創立45周年記念礼拝でした。
神学校の恩師であり、現在は北海道の日高キリスト教会の牧師、下川友也先生に伝道説教を語っていただきました。
週報はこちらです。

聖書箇所 『使徒の働き』16章25-34節 
posted by 近 at 09:20 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.10.2「主よ、お話しください」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。

聖書箇所 『サムエル記 第一』3章1-21節 


序.
 今から15年前、神学校最後の夏休みのことですが、鳥取聖書教会というところで、約一ヶ月、住み込みで教会のお手伝いをしました。
この教会は、今もそうですが、中井堯(たかし)先生という方が、郷里伝道を志して、開拓を始められたところです。
じつは中井先生は、私が洗礼を受けた、山の下福音教会で牧師をされていたことがありました。
私が山の下に通っていたころの牧師は長谷部先生という方ですが、
あるとき私に向かって「私ではなく中井先生が牧師だったら、あなたのよい所をもっと伸ばせただろうに」と意味深な発言がありまして、
神学校卒業前にぜひ先生のところで牧会を学びたいというお願いをして、下川先生の後押しもあって、承諾をいただきました。
約一ヶ月の間、教会堂で寝泊まりして、教会の事務のお手伝いをしたり、信徒宅を訪問したり、子どもと遊んだり、たまにトラクトを配ったり。
中井先生は日曜日以外のほとんどの日、朝早くからアルバイトをされていて、開拓教会の大変さも教わりました。
想像していたような厳しい先生ではなく、笑うと目がなくなるような優しい先生でしたが、説教はとても厳しく、また妥協のないものでした。
鳥取教会の週報に書かれていたみことばが、先生の牧会スタイルを象徴しているようでした。
「獅子が吠える。誰が恐れずにいられよう。神である主が語られる。だれが預言せずにいられよう」。
一ヶ月間のインターン生活を支えていたのは、毎日、短いながらも、先生が解き明かしてくださる、みことばの分かちあいの時間だったと思います。続きを読む
posted by 近 at 21:57 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.9.25「見えなくても信じる」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今回は説教の導入で、ちょっと落語めいたものを取り入れてみました。出来はともかくとして、我ながらすごく楽しそうにやっていますね。
説教本編もこれくらい楽しそうにやれば良いのに。やはり道を誤ったんでしょうかネ。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』20章24-29節 


序.
 江戸の笑い話の中に、こんなのがあります。
江戸川のほとり、通称うなぎ長屋に住んでいる、熊五郎のところへ、ご隠居が青い顔をして飛び込んできた。
「どうしました、ご隠居。そんなにあわてて」。
「ああ、熊さん、無事でしたか。よかった。いえ、さっき江戸川の土手っぺりを歩いていたら、おぼれて亡くなった人がいてね、
その顔があなたにそっくりだったんでね、それでまさかと思って、急いで駆けつけた次第なんです」
それを聞いた熊さん、まだ肩で息をしているご隠居を突き飛ばして、恐ろしい早さで外へ飛び出していった。
ぽかんとするご隠居、するとしばらくして熊さんが帰ってきた。
「ご隠居、大丈夫ですよ。あの土左衛門、確かにおれとうり二つだったけど、よくよく見たら、やっぱりおれじゃなかった」。
 これのどこがおもしろいの、という人は、ちょっと頭が硬いかもしれません。
あわて者の熊五郎、で片付けることもできますが、自分の目で見るまでは納得しない、というのは、決して彼だけではありません。
弟子の一人、トマスもそうだったのかもしれません。
そして、多くの人々もまた、自分の目で見て納得しなければ、決して信じようとしないのです。続きを読む
posted by 近 at 20:02 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.9.18「なりふり構わぬ愛」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。

聖書箇所 『マタイの福音書』20章17-28節 


序.
 芥川龍之介という作家が、ある小説の中でこう書いています。「子供に対する母親の愛ほど、もっとも利己心のない愛はない」。
芥川自身は、母親のぬくもりを知りません。彼は事情があって、物心ついたときに実の母から引き離され、伯母に育てられました。
しかしこの伯母は、芥川を実母に負けない愛で包み、育て上げたといいます。
芥川が、まだ若くして自分の生涯を自ら閉じてしまったことは、彼にとっても、日本の文学界にとっても、不幸なことでした。
しかし彼の亡骸が発見されたとき、枕元には、赤鉛筆が至る所に引かれていたマタイの福音書が開かれていたと言います。
そして今日私たちが開いているのも、そのマタイの福音書です。
そしてそこに書かれている母の愛は、己の幸せへの執着はなくても、息子たちのためならば弟子たちの友情を破壊することも厭いません。
恐ろしいほどにまっすぐな、母の愛です。続きを読む
posted by 近 at 09:06 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.9.11「神の召しは消えず」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』21章1-19節 


序.
 イエスさまはすべてを知っておられます。「食べるものがありませんね」「はい、ありません」。なんとすがすがしい会話でしょうか。
「何か食べるものがありますか」と、イエスさまは聞きません。「食べるものがありませんよね」。
弟子たちが、夜通し働いても何もとれずに意気消沈していることを、初めからご存じでした。
しかしイエスさまがすべてを知っておられるというのは、私たちの苦しい状況を知っているということだけではありません。
そこからどうすればよいのかを、確かに知っておられるということです。
そしてさっそくこう仰ってくださいました。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすればとれます」。
その言葉に弟子たちが従って網をおろすと、今までの苦労がうそのように、おびただしい魚が網にかかりました。
このとき、弟子たちのある者たちは思い出したのです。
かつてイエスさまが漁をしていた自分たちに、同じように声をかけて、そのときも大漁の奇跡が起きたことを。
それを最も早く思い出したのが、ヨハネでした。そして彼はおそらくすぐ隣にいたのであろうペテロに、「主です」と呼びかけます。
するとペテロは、上着をまとって湖に飛び込みました。続きを読む
posted by 近 at 14:12 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.9.4「夜明け前が一番暗い」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』22章31-34、54-62節 


序.
 私は19歳のときに洗礼を受けてクリスチャンになりましたが、そのときの感動は今も忘れることができません。
とはいえ洗礼を受けてからの26年間のあいだで、信仰につまずいて教会から離れてしまった時期がありました。
しかしそのときも、教会のみなさんが私のために祈り続けてくださっていたことを、後になって知りました。
そして何よりも、イエスさまは今日のペテロへのことばと同じように、私の信仰がなくならないように、私のために祈ってくださっていたのです。
だから私は、教会形成の中で、とくに信仰につまずいた兄弟姉妹のために祈るということを、大切にしてきました。
私たちは自分が強いと思っていても、実際には弱いものです。
ちょうどこのペテロのように、自分はそのときになれば、イエスさまのために命を捨てることができる、と心の中で豪語してしまいます。
「あなたのために祈りました」というイエスさまのことばを、ペテロはもっと真剣な思いをもって顧みるべきでした。
しかし彼はそのようなものは必要ないとばかりに、鼻息を荒げて「どんなところにでも覚悟はできています」と言い放ちます。
それは、私たち自身の姿です。聖書という鏡を見つめながら、心砕かれていきたいと願います。続きを読む
posted by 近 at 17:29 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.8.28「みこころは嵐の中に」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
昨年の記事でも期限付きで紹介したのですが、9/11までGyaO!でアニメ「言の葉の庭」がまた無料視聴できるそうです。
ストーリーは好き嫌いがありますが、絵に限って言えば「ゲ○ゲの鬼太郎」の背景にも負けない、なかなかのリアリティです。
興味のある方は、いかがでしょうか。週報はこちらです。

聖書箇所 『マタイの福音書』14章22-33節 


序.
 子どもの頃、よく祖母から「いい子にならないとバチがあたるよ」と注意されました。言葉とは恐ろしいものです。
いい子ってどんな子か、バチってどんなことか、知らないけれど、とにかくバチがあたらないようにいい子でいよう、と思いました。
もしそのまま大人になっていたら、何か悪いことが起きるたびに、これはバチが当たったのかな、と考えるようになっていたかもしれません。
事実、私が病気で足を切断したときには、「これはバチが当たったのだ」と言ってくる大人たちがたくさんおりました。
 しかし人間の目には「悪いことが起きた」と見える場合でも、神さまの目にはそうではありません。
弟子たちは、イエスの命令に従って、湖へと漕ぎ出しました。しかし向かい風のために舟が進んでいきません。
これは彼らの目には悪いことに見えます。しかし、弟子たちは神さまのことばに従って、湖へと乗り出したのです。続きを読む
posted by 近 at 14:01 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.8.21「渡されたバトン」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
さて、今年度から、礼拝説教は教会学校で使っている教案誌「成長」の聖書箇所に合わせています。
ただ「成長」で扱っている聖書箇所が常に伝道的な内容であるわけではありません。
しかもそんなときにかぎって、ミッションスクールの生徒さんたちが夏休みの宿題で10人以上大挙してやって来ました。
いつもなら喜ぶところなのですが、求道者向けの説教ではなかったため、講壇に立つ瞬間まで頭真っ白でした。
そんなわけで、この日の説教はほぼアドリブで、オリンピックの話から自分が高校生の頃の話と、まとまりのないものになってしまいました。
今回の説教録画は、もともと用意していた説教原稿に基づいて、第一礼拝(朝8:00からの少人数礼拝)で語ったものです。
本来、教会員の方々に聞いてほしかった説教でした。週報はこちらです。

聖書箇所 『申命記』34章1-12節、『ヨシュア記』1章1-9節 


1.
 さて、7月の最初の日曜日から始まり、私たちは、教会学校ならびにこの礼拝で、モーセの生涯を学んでまいりました。
今日の説教はその締めくくりになります。
イスラエルを導く役目がモーセからヨシュアへとバトンタッチされる姿を通して、私たちが信仰を継承していく姿を学びたいと願います。
まず、申命記の最後のところを見てみましょう。神はモーセの120年の生涯の終わりにあたり、山へ登らせました。
そしてその頂に立ったモーセの目に、神は眼下四方に広がるカナンの光景を見せられます。そしてこうモーセに語られました。
4節、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、あなたの子孫に与えようと言って誓った地はこれである。
わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡っていくことはできない」。
なぜ渡っていくことができないのでしょうか。モーセが120歳でよぼよぼのおじいさんになっていたからでしょうか。
いいえ、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった、とあります。
モーセがカナンに入っていけないのは、彼が一度犯してしまった罪のゆえでした。
メリバというところで、民がのどが乾いて死にそうだと騒いだとき、神はモーセに、岩に命じて水を出しなさいと言いました。
ところがそのときモーセは、神の言葉に真っ直ぐに従わない罪を犯してしまったのです。
岩を二度、三度、杖で叩いて、しかも民に向かって「あなたがたのために私たちが水を出さなければならないとは」と言ってしまいました。
それは、モーセがまるで自分の力で水を出したかのように振る舞う罪でした。
また二度、三度岩を叩いたことも、神はモーセがご自身のみことばを信じていない証拠としてみなされました。
そしてそのさばきとして、あなたは約束の地を見るが、そこに入ることができないと、そのときに宣告しておられたのです。
今モーセは約束の地を前にして、その言葉をかみしめていたことでしょう。
しかしカナンは約束の地ではありますが、決して天国そのものではありません。
確かにモーセは自らの罪によりそこに入ることはできませんでしたが、永遠のいのちは手に入れていたのです。
だから彼は神の前に騒ぎ立てることもなく、安らかに瞳を閉じました。神は静かに、彼の波乱に満ちた生涯を静かに終わらせてくださいました。
彼は、決してただ働きのむなしい人生ではありません。
約束の地に入ることはできませんでしたが、信仰による救いという約束のものは確かに手に入れた生涯でした。続きを読む
posted by 近 at 21:10 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.8.14「あのモーセという者」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
クリスチャン用語、というわけではありませんが、8月15日を「敗戦記念日」と言い換えることがあります。
私も以前はそう呼んでいたのですが、では「戦勝」だったらよかったのか、と言われ(そんな意図はまったくないのですが)、
この言葉だけが一人歩きして誤解を与えることがあると気づき、今では普通に「終戦記念日」と呼んでいます。
しかしクリスチャンにとって、8月15日は教会自身が戦争協力を推し進めた罪への悔い改めを祈念する日でなければなりません。
「終戦記念日」もまた、そのニュアンスを伝えるのには不十分なんですよね。ほかによい表現がないかと探しているところです。
もし何かアイディアがあればコメント欄へお願いします。週報はこちらです。

聖書箇所 『出エジプト記』32章1-35節 


序.
 1節、「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。
私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから」。
私は、この民の言葉から、どうしても思い出してしまう、イヤな経験があります。
私の入学した中学校は、時代の影響もあったのでしょうが、決して雰囲気の良い学校ではありませんでした。
中学一年生の秋くらいのことと記憶していますが、私が教室の入口付近の掃除をしていたときのことです。
女子のクラスメイトから「近って人、そこどいて」と言われました。
入学してもう何ヶ月も経っているのに、クラスメイトから「近って人」と言われたことは、私にとってたいへんなショックなことでした。
 私の通っていた中学校は、同じ町にある四つの小学校から入学してきます。
後から知りましたが、最も大きい小学校出身の人たちは、他の小学校出身者をバカにしていて、私たちはいじめの対象にされていたのです。
しかしその後でもっとショックを受けたのは、その標的から外れるために、同じ学校出身の人たちがお互いに無視したり、いじめに加わる姿でした。
中学校に入るまでは親しくあだ名で呼び合っていたかつてのクラスメイトから、「近って言う人」と呼ばれるようなこともありました。
それでも二年生に上がると、さすがにどの小学校の出身かはどうでもよくなり、私もいじめられなくなりました。
しかしそのとき人間不信になりかけた苦い傷跡は、三十年経っても、まだしっかり残っていたようです。
指導者モーセをまるでよそ者のように「あのモーセという者」と呼ぶ民の言葉は、私にとって、言葉以上の痛みを与えるものでした。続きを読む
posted by 近 at 08:33 | Comment(0) | 2016年のメッセージ