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2015.8.9「和解への第一歩」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。

聖書箇所 第二コリント5:17-21
 17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。
19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

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posted by 近 at 16:00 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.8.2「礼拝は一人になるところ」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
更新が遅れて申し訳ありません。言い訳ですが、土曜日にパソコンのモニターが壊れたのです。
朝、重い腰を上げて喜んで、説教原稿を打ち込むためにパソコンをつけると、なんと映るのはザーザーという砂嵐ばかり。
押し入れから古いモニターを探し出し、何とか説教原稿はできあがりましたが、このモニターもいつ壊れるかわからない、ということで、
映らなくなったモニターを修理してもらうために、今日朝イチで隣町のジョOシンへ。
かくかくしかじかと説明し、お店のパソコンにつないでみると、何とちゃんと映るではありませんか。
(そんな!教会を出る直前にもちゃんと確認したのに...。)口をもごもごさせる牧師と、ドヤ顔のジョ○シンのお兄ちゃん。
機械は壊れたことを誰かに証明しようとすると動き始める」というマーフィーの法則を思い出しました。
それとも、モニターを車のトランクに載せて、イナカ道をガタゴト走った衝撃で、目覚めたのでしょうか?
週報はこちらです。

聖書箇所 マルコ6:30-32
 30 さて、使徒たちは、イエスのもとに集まって来て、自分たちのしたこと、教えたことを残らずイエスに報告した。
31 そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。
32 そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。

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posted by 近 at 16:42 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.7.26「こわれものの私」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
夏休みに入ると、市内のミッションスクール、敬和学園高校の生徒さんが学校の宿題で礼拝に出席します。
今日から8月の終わりまで、説教の内容も高校生に向けたものになりますが、ご了承ください。
週報はこちらです。

聖書箇所 第二コリント4:7-10
 7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

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posted by 近 at 14:07 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.7.19「人格によらず、能力によらず」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今日の午後、同じ新潟市内にあります日本伝道福音教団・新潟聖書教会の創立40周年記念会がありました。
記念品として、こんなしおりを頂きました。(黒い外枠はこのブログの仕様で、実際のしおりにはありません)
Scan_7月-19-2015-6-56-10-854-PM.jpg
草花をあしらったデザインと見せかけて、じつは左下にある動物が隠れているのがわかりますでしょうか。
こんな感じでいくつかのしおりのパターンがあって、そのクイズでも盛り上がった、楽しいひとときでした。
週報はこちらです。

聖書箇所 ルカ6:12-19
 12 このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。
13 夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。
14 すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、
15 マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、
16 ヤコブの子ユダとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。
17 それから、イエスは、彼らとともに山を下り、平らな所にお立ちになったが、多くの弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、さてはツロやシドンの海べから来た大ぜいの民衆がそこにいた。
18 イエスの教えを聞き、また病気を直していただくために来た人々である。また、汚れた霊に悩まされていた人たちもいやされた。
19 群衆のだれもが何とかしてイエスにさわろうとしていた。大きな力がイエスから出て、すべての人をいやしたからである。

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posted by 近 at 19:07 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.7.12「霊が喜ぶのが礼拝」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
ときどき「週報の表紙写真は何を規準に選んでいるの?」という質問を受けます。
私は週報の原稿を「一太郎」というソフトで作成しているのですが、最近のバージョンは「感太」という機能が搭載されています。
これは画面上に季節折々にちなんだ写真が出てきては数分後に切り替わるというもので、今週の甘藍もその一つです。
引用する俳句や説明文は、やはり一太郎にオプションでついてくる『角川俳句歳時記』や『大辞泉』からです。
おそらく週報の表紙にキャベツの写真を貼るなんざ、全国の教会でうちだけでしょう。自慢になりませんが。週報はこちらです。


聖書箇所 ルカ6:1-11
 1 ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたとき、弟子たちは麦の穂を摘んで、手でもみ出しては食べていた。
2 すると、あるパリサイ人たちが言った。「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」
3 イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、ダビデが連れの者といっしょにいて、ひもじかったときにしたことを読まなかったのですか。
4 ダビデは神の家に入って、祭司以外の者はだれも食べてはならない供えのパンを取って、自分も食べたし、供の者にも与えたではありませんか。」
5 そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」
 6 別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに、右手のなえた人がいた。
7 そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。
8 イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。
9 イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」
10 そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。
11 すると彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った。

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posted by 近 at 14:54 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.7.5「毎日が結婚式」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今日は礼拝後、婦人たちが「かご」作りに励んでいました。毎年恒例、10月に開催される教会バザーへ出品する予定です。
みなさん、表情が真剣そのもの。作り方も教えていますので、興味のある地元の方は教会までお問い合わせください。
週報はこちらです。

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聖書箇所 ルカ5:33-39
 33 彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」
34 イエスは彼らに言われた。「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。
35 しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」
36 イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいのを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。
37 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。
38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。
39 また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い』と言うのです。」

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posted by 近 at 17:07 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.6.28「たった一人が欠けた世界」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今日の説教(録画)の中で、『ドラえもん』の「どくさいスイッチ」(初出:『小学四年生』1977年6月号)に触れています。
それは、対象を念じながら押すと、存在そのものがこの世から消えてしまう、おそろしいスイッチ。
いじめっ子のジャイアンを消してしまった世界は、次はスネ夫がジャイアンに代わっていじめっ子になっている世界でした。
のび太の境遇は何も変わらず、むしろ感情を爆発させたはずみで、彼は世界中の人間を消してしまいます。
最後は、途方に暮れるのび太に「気に入らないからってつぎつぎに消していけば、きりのないことになるんだよ」というドラえもんの声。
そしてすべて元に戻すというハッピーエンド?で終わります。(ネタバレ失礼しました)
この話が子供心にも鮮烈に刻みつけられたのは、自分を傷つける存在を疎ましく思い、それが無くなれば良いという思いが、自分の心の中にもあることを認めずにはいられなかったからかもしれません。
週報はこちらです。

聖書箇所 ルカ15:1-10
 1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
 3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
 8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

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posted by 近 at 15:16 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.6.21「罪人を招くために」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
先月は私の母の葬儀があり、今月は教会員のご家族の方の葬儀がありました。
クリスチャンにとって仏式の葬儀に出席するとき、焼香の問題なども出て来るのですが、
やはり何よりも大切なのは「悲しむ者とともに悲しみ、喜ぶ者とともに喜ぶ」ということだと思わされます。
ご遺族の方々の深い悲しみの前にこちらも打ちのめされるときがあります。
いのちの源であるキリストをお伝えしたいと心から願います。週報はこちらです。

聖書箇所 ルカ5:27-32
 27 この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい」と言われた。
28 するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。
 29 そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。
30 すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」
31 そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
32 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」

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posted by 近 at 16:15 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.6.14「友よ、あなたの罪は赦されました」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今日の午後は、近隣の村上福音キリスト教会・新発田キリスト教会との、年一回の合同集会「村新豊交流会」でした。
初めて開催したのが2003年ですので、今年でもう13回目!になるでしょうか。写真は後日アップします。
週報はこちらです。

聖書箇所 ルカ5:17-26
 17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。
18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。
19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。
20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。
21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」
22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。
23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。
24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。
25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。
26 人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た」と言った。

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2015.6.7「お心一つで」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
先日、私の母校であるミッションスクール、敬和学園大学の新学長就任式に出席してきました。
礼拝の時間を用いて行われた小規模なものでしたが、この手作り感が地方の小大学の良さでもあります。
新しく学長になられたY先生は、25年前、私が主宰していた聖書研究会に毎日お付き合いくださっていた方でした。
今Y学長は65歳ということは、あの頃40歳。・・・・今の私よりも若いですね。時の流れは早いものです。
今日、時間が与えられているなかで、精一杯生きましょう。牧師が日曜夕方に書斎に引きこもって言うセリフではありませんが。
週報はこちらです。

聖書箇所 ルカ5:12-16
  12 さて、イエスがある町におられたとき、全身ツァラアトの人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」
13 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに、そのツァラアトが消えた。
14 イエスは、彼にこう命じられた。「だれにも話してはいけない。ただ祭司のところに行って、自分を見せなさい。そして人々へのあかしのため、モーセが命じたように、あなたのきよめの供え物をしなさい。」
15 しかし、イエスのうわさは、ますます広まり、多くの人の群れが、話を聞きに、また、病気を直してもらいに集まって来た。
16 しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。

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posted by 近 at 17:00 | Comment(0) | 2015年のメッセージ