最近の記事

2012.12.30「慎み深く待ち望む」

<当日の週報はこちら

※礼拝説教の前に、教団の宣教121周年記念大会に参加した兄弟(片山兄)の証しがありました。




聖書箇所 テサロニケ人への手紙 第一5章1-11節
 1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。3 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

 2012年も残りわずかとなりました。世間を騒がせた「地球最後の日」もいつのまにか通り過ぎていたと思ったら、今度はマヤ暦ではなくエジプトの言い伝えで、三年後に地球最後の日が来るということだそうです。たぶん私たちは、これからも「今年は地球最後の日」というニュースをしばしば聞かされることになるのでしょう。イソップ物語にある「狼少年」の話を思い出します。ある村に「狼が来たぞ」 とうそを叫ぶ少年がいました。村人たちははじめはその言葉を信じていましたが、来る日も来る日も少年が嘘をつくもので、誰も駆けつけて来なくなってしまう。するとある日、本当に狼が出ました。狼に羊が全部食べられてしまうと記憶していたのですが、イソップの原作を読み直すとじつはこの少年が食べられるという悲劇になっていました。

 イソップ物語を改めて読み直して気づいたのですが、じつはこの物語の題名は「狼少年」ではなく「羊飼いと狼」でした。先週はちょうどクリスマスメッセージで羊飼いの話をしましたが、羊飼いが語るべきはうそや噂ではなく、真実な知らせでなければなりません。悪しき羊飼いはマヤだのエジプトだのを持ち出して「狼が来たぞ」と世を惑わそうとします。しかし教会は、世の終わりについて正しく伝えていかなければならない、そしてそのためにみことばを開きましょう。パウロは2節でこう言います。「主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです」

 あなたがた自身がよく承知している、とはどういうことでしょうか。イエス様が主の日を盗人にたとえて語っていたことを指しています。テサロニケの人々よ、あなたがたに伝えられた主のみことばをもう一度よくかみしめなさい。主はどのように言っていたか、思い出しなさい。そんなパウロの呼びかけが聞こえてきます。マタイの福音書24章にはこのようにありました。
 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。
 確かに主の日は泥棒のようにやって来ます。しかし間違えないでください。泥棒にたとえられているのは主の日であって、主ご自身ではないということです。主は泥棒のようではなく、まさに私たちの主人として地上に再び来られます。私たちを脅し、奪い、傷つけるために来られるのではなく、私たちをご自分の都へ迎えるために来られるのです。

続きを読む
posted by 近 at 20:26 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.12.23「羊飼いたちの中のイエス(Jesus of the Shepherdline)」

<当日の週報はこちら

※クリスマス特別礼拝でした。礼拝の最初の部分(8分程度)も撮影しましたのでご覧ください。




聖書箇所 ルカの福音書2章8−20節
 8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


christ_of_the_breadlines_by_fritz_eichenberg.jpg

 20世紀のアメリカの木版画家、フリッツ・アイヘンバーグの作品に「行列の中のイエス(Jesus of the breadline)」というものがあります。行列と訳した言葉は英語では「breadline」、食料の配給を待つ列のことです。おそらく災害とかの救援物資ではなく、今でいうホームレスの人々が並んでいる配給の列でしょう。絵をじっと見ると、ある者は寒そうに上着の襟を立て、またある者は苦々しい表情で順番を待っています。そんな構図のちょうど真ん中にイエスが立っている。その立ち姿は真っ黒で、表情をうかがい知ることはできません。ほほ笑んでいるのか、それとも顔をしかめているのか。ただわかるのは、このような貧しさ、そして失望のただ中にある人々の、そのちょうど真ん中にイエスはおられるということです。

 アイヘンバーグが生まれたのは、ちょうど20世紀が幕を開けた1901年、ドイツのユダヤ人家庭でした。30代のとき、ドイツではあのヒトラー率いるナチス党が政権をとり、ユダヤ人に対する迫害が始まりました。彼は家族と共にドイツを離れ、自由の国アメリカへと渡っていきます。しかしアメリカもまた、その自由は富む者たちにとっての自由であり、貧しき者たちは資本主義の奴隷となっている姿を彼は見ます。数年後、戦争は終わりヨーロッパはナチスから解放されましたが、アメリカの貧しい者たちはいまだに奴隷のままでした。その中で彼は、パンの配給を待ち続ける行列の中にイエスを見いだします。イエスは教会の中にいるのではない。恵みから落ちてしまったと見える、最も貧しい人々のただ中にこそ、イエスはおられるのだ、と。

 神は、もっとも神にふさわしくないと思われるようなところに降りてこられる!二千年前のクリスマスに、この真理が明らかにされました。御使いは驚きあわてる羊飼いたちにこう語りかけます。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです」。彼らは自分の耳を疑ったでしょう。救い主が、家畜のえさを入れる飼い葉おけに寝かされているだって?神殿でも、王の宮殿でもなく、ベツレヘムで一番上等な宿屋のベッドでもなく、飼い葉おけにだって?そこは救い主には到底ふさわしくない場所でしょう。だが羊飼いたちがそこでつまずいた様子はありません。彼らはすぐに、「さあ、ベツレヘムに行って、この出来事を見てこよう」と話し合い、馬小屋を探しに出かけます。

 なぜ彼らは、救い主が飼い葉おけに生まれるなどというあり得ないことを素直に受け入れることができたのでしょうか。それは、神がもっとも神にふさわしいところにまで降りてこられることを、自分たちがたった今経験したからです。いつも貧しく、雇い主からも人として満足に扱われない人々が、彼ら羊飼いでした。神は、その羊飼いに真っ先に福音を告げてくださったのだ!神の恵みにまったくふさわしくない、私たち羊飼いに真っ先に教えてくださったのだ!そんな神さまなんだもの、飼い葉おけの中にお生まれになることだって喜んで受け入れてくださったのだ。彼らはそう思ったのではないでしょうか。

 今日の聖書物語を描いたものに、「荒野の果てに」と呼ばれる讃美歌があります。
「荒野の果てに/夕日は落ちて/たえなる調べ/天より響く」。
しかし間違えてはなりません。この物語の中心は、荒野に落ちる夕日の美しさでもなければ、御使いたちの讃美の歌声でもない。中心は羊飼いたちです。彼らは神に招かれた者たちなのです。御使いが荒野に降りて来たら、たまたまそこに羊飼いたちがいた、ということではないのです。御使いは、荒野で歌うために降りてきたのではありません。羊飼いに良き知らせを伝えるために来たのです。もし羊飼いが荒野にいなかったら、物語はどうなっていたでしょうか?御使いは羊飼いの家にまで押しかけたことでしょう。いったい羊飼いに、そんな価値があるのでしょうか?


続きを読む
posted by 近 at 19:52 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.12.16「ほんとうの希望」

<当日の週報はこちら

※礼拝説教の前に、教団の宣教121周年記念大会に参加した姉妹(横堀姉)の証しがありました。




聖書箇所 イザヤ書8章19節-9章7節
 8:19 人々があなたがたに、「霊媒や、さえずり、ささやく口寄せに尋ねよ」と言うとき、民は自分の神に尋ねなければならない。生きている者のために、死人に伺いを立てなければならないのか。20 おしえとあかしに尋ねなければならない。もし、このことばに従って語らなければ、その人には夜明けがない。21 彼は、迫害され、飢えて、国を歩き回り、飢えて、怒りに身をゆだねる。上を仰いでは自分の王と神をのろう。22 地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。
 9:1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。3 あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。4 あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。5 戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。
 9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。

 「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる」。イエス・キリストの誕生を預言した言葉として、クリスマスの時期にはこのみことばから説教されることが多くあります。しかしこの言葉が語られる背景には、一体どれだけの霊的暗黒がイスラエルを覆っていたのか。じつに、神の民であるイスラエルがすがっていたのは霊媒師や口寄せといった、死者の霊を呼び出す人々でした。生きている人々があてにならないから、死者の霊に尋ねよう。これが神の民の現実、というところから今日の箇所は始まります。

 「彼は、迫害され、飢えて、国を歩き回り、飢えて、怒りに身をゆだねる」。「飢える」という言葉が二回も繰り返されています。これは食物の飢えではありません。たましいに飢えているのです。みことばに飢えているのです。人がもし死人の声にのみ希望を抱くような霊的暗黒の状態にとどまり続けるならば、どこを探してもそこには偽りの希望しかありません。今世の中はクリスマスということで、一晩中ツリーのネオンが町に溢れています。また今日は総選挙の日です。自らの一票に、この国の希望を託す人々もいるでしょう。しかし人がみことばによって、ほんものの光を受けないのであれば、どんなに夜を明るくしても、どんなに社会を良くしようと叫んでも、心の暗やみは決して晴れることがありません。ただ聖書のことばだけが、暗やみの支配する地上で生きる人々に、ほんものの希望を与えることができるのです。

 どんな暗やみが支配しているところも、神の御手が差し伸ばされないところはないのです。9章1節で、聖書は劇的にこう語ります。「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた」。異邦人のガリラヤは光栄を「受けた」。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を「見た」。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が「照った」。「受けた」「見た」「照った」と、すべて過去形で繰り返されます。イザヤの目には、このガリラヤに生きる人々の上に大きな光がさす光景が、すでに起こったこととして鮮やかに映っていたのです。人は時間の中で生きる存在であり、この苦しみがいつまで続くのか、と考えます。時がくれば苦しみが去るに違いない、とむなしい希望を抱きます。そしていつまで経っても暗やみが夜明けに変わらないのを見て、天をのろう。しかし神の永遠の計画の中では、すでに暗やみは取り除かれている。現実がどんなに苦しみに満ちていようとも、この神の永遠の視点を持つことができれば、夜明けの光はすでにその人の上に差し込んでいるのです。

 では、その神の永遠の視点を私たちに与えてくれるのは何でしょうか。やはりみことばです。すべての人は草、草はしおれ、花は散る、しかし神の言葉は永遠に立つと聖書は言う。この神のことばだけが、私たちに永遠への視点を与えてくれます。この世には苦しみが多くあります。その苦しみの現実だけに目が奪われているならば、どんな慰めや励ましも気休めでしかありません。しかし私たちが聖書を通して、神がすでにその暗やみを取り除かれているということを知るならば、光栄を受けた、光が照ったということが逆に現実となるのです。ほんとうの希望とは地上の現実にではなく、この永遠の神のことばにこそあるということを今一度、味わいたいと願うのです。

続きを読む
posted by 近 at 20:36 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.12.9「子故の闇、聖徒故の光」

<当日の週報はこちら

聖書箇所 ヨハネ8:12
 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 ちょうど一年前の12月11日の礼拝で、私は「母たちは分かち合う」という説教をしました。それは聖書の中に出てくるマリヤとエリサベツという二人の母の姿を、今日証しをしてくださった麻美さんと敬子さんに重ねたメッセージでありました。エリサベツは年老いた女性でしたが、神さまのあわれみによりヨハネという子供を授かります。そしてその半年後、エリサベツの親戚にあたるマリヤは、まだ処女でありましたが、神の子イエスを身ごもるという奇跡を経験します。同じように神のみわざを経験し、そしてそれを分かち合っていった二人の母の姿を、ちょうど数ヶ月の間をおいてそれぞれ胎の実を授かっていた麻美さんと敬子さんに重ねていました。ただ敬子さんがマリヤというのはいいのですが、麻美さんを老女エリサベツにたとえてしまったので、後で怒られないかとひやひやしながら語っていました。

 一年前、共にお腹を大きくして礼拝に通っていた二人の姉妹は、今年の3月、5月それぞれに神のみむねにより赤子を出産しました。片山愛花さんと片山祈詩さん。おそらく本人たちは今日のことを思い出すということはないでしょう。しかし二組の若き両親たち、そしてここに集った私たちはこの日を忘れてはなりません。愛花さんと祈詩さんは、神の約束の子供です。ヨハネとイエス様が後に成長して、それぞれが人類の歴史において誰も代わることのできない大切な使命を果たしました。同じように、今は二人の母の懐で安らいでいる愛花さんと祈詩さんも、神は特別の計画をご用意しておられます。二人の両親は、そのことを確信しているがゆえに、今日献児式を行いました。献児とは、文字通りわが子を神にささげることです。それは大人になったら牧師とか宣教師にしますという意味ではありません。愛花の人生は神さまのものです、祈詩の人生は神さまのものですと告白することです。親にとって、子供の人生は私のものではなく、神さまのものですと告白することは、信仰がなければ決断し得ないことです。

 じつに、いったいどれだけの親が、わが子の人生を自分のものと誤解し、その人生を誤らせてきたことでしょうか。今日の説教題を、私は「子故の闇」という言葉から始めました。もちろんこれは私の造った言葉ではなく、昔から日本に伝わる言葉です。なぜその言葉を、説教題に選んだのか。それは、たとえどんなに子を思う心を持っていたとしても、親は自分の経験や人生観により頼んでいるならば方向を誤ってしまいます。だからこそ聖書という、決して変わることのない、確かな規準をもって、子供を教え導いていただきたいと願うのです。「子故の闇」を白鳥の親子にたとえた、ある短い小説があります。大正時代の劇作家、秋田雨雀という人が書いた作品ですが、これを紹介しましょう。

 ある湖のほとりに白鳥の夫婦が住んでいました。二匹ともそれは美しい白鳥でしたが、彼らは二匹とも片目でした。しかし白鳥のこの夫妻は、何を見ても、何を話し合っても、ことごとく意見が一致したので、自分たちほど世の中を正しく見ている者はいないと信じて疑わなかったのです。やがてこの二匹の間に四羽のひなが生まれました。喜んだのも束の間、両親は四羽のひなを見て悲しく思いました。四羽とも二つずつの目を持っていたからです。

続きを読む
posted by 近 at 10:36 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.12.2「それは朝ごとに新しい」

<当日の週報はこちら

聖書箇所 哀歌3:19-24
19 私の悩みとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。
20 私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
21 私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。
22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
24 【主】こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。


 今日から、教会の暦は待降節に入ります。待降節、呼んで字のごとく、降誕を待ち望む季節ということですが、ときどき私は二十数年前のクリスマスの日を思い起こすことがあります。私が骨肉腫という病気と闘っていた、昭和61年のクリスマスです。その時、一年以上、大学病院での入院生活が続いていました。その前年のクリスマスには家に一時帰宅できましたが、その年はとても体力が落ちていて外泊どころではありませんでした。抗がん剤の点滴の管を見つめながら、隣の病室からクリスマスらしい曲が聞こえていました。3階の病室の窓からは見えていた空は、新潟らしい曇り空と、その向こう側に太陽がうっすらと透けて見える、そんな季節でした。ベッドの隣に座っていた母親が、「クリスマスなのにごめんね」と、自分のせいではないのに何度も謝っていたこともおぼえています。無言のまま空を見上げながら、そのとき私はひとつのことを願っていました。流れるように時間が過ぎていってほしい。今日が明日になればいい。明日があさってになればいい。一週間、一ヶ月。一年。どんどん時間が過ぎていってほしい。数年も経つ頃には、この闘病生活も終わっているだろうから。

 もうあの日から何十年も経ち、確かに闘病生活も終わりました。もう思い出す必要もないのに、なぜかあの年のクリスマスと、曇り空の向こうにうっすらと透けて見えた太陽の光景が記憶にこびりついて離れません。なぜでしょうか。それは、時間が早く過ぎればよいということだけを待ち望んでいたあの日の私に、本当に待ち望むというのはこういうことなんだよと聖書を開いて教えてあげたい思いに今も駆られるからです。おとなしい少年でした。親にも病院にも迷惑をかけないようにと、自分の心を押し殺して生きていました。でも心の中は乾いていた。時間が過ぎるのを忘れて外で遊び回るような少年でいたかった。しかしひたすら時間が過ぎるのを待ち続けるしかない数年間の入院生活でした。

 教会の一年間は、「待つ」という漢字が先頭に来る「待降節」から始まります。そして「待つ」とは、時間が過ぎるのをひたすら待つという消極的なものではなく、もっとはるかに積極的なものです。待降節のはじまりにあたり、旧約聖書の『哀歌』を私たちは開きました。『哀歌』は哀しみの歌と書きます。聖なる都エルサレムが外国の軍隊によって蹂躙される姿を見たとき、預言者エレミヤが流した涙、叫びと哀しみがこの『哀歌』の中には詰まっています。しかしそれほどの哀しみに満ちた書でありながら、この哀歌には「待ち望む」ことの本質が語られているのです。

 初めてこの最初の言葉に触れたとき、まるでかつての私自身の心を聖書が代弁してくれているかのように感じました。
「私の悩みとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む」。
 もしかしたら、みなさんの中にもこの言葉と自分の人生を重ね合わせる人がおられるかもしれません。過去を振り返って思い出されるのは、哀しみと痛みの記憶だけ。だから過去を振り返りたくない。過去の日々を思い出したくない。
 しかし次の瞬間、エレミヤの言葉は逆転するのです。「私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む」と。苦味しか感じない過去を思い返して心が沈んでいたはずです。ところがその苦みを思い返す中で彼の言葉はこう変わっていきます。「それゆえ、私は主を待ち望む」と。なぜでしょうか。なぜ過去の苦味が、一瞬のうちに主を待ち望む希望へと変わりうるのでしょうか。

 それは、「私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる」ということは、過去を見つめることからしかわからないからです。

続きを読む
posted by 近 at 22:04 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.11.25「拭きスジも残さぬまでに」

<当日の週報はこちら

※礼拝説教の前に、村上福音キリスト教会を訪問した三人の姉妹(片山姉、小山姉、笹川姉)の証しがありました。




聖書箇所 ヘブル人への手紙10章19-22節、ローマ人への手紙7章24、25節
19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。 20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。 21 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。 22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。 25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

 今年のバザーの出品物をみんなで確認していたときのことです。ほこりをかぶった茶碗やお皿が結構あったのですが、バザー担当の姉妹からこんな注意がありました。「陶器や漆器は、ぬれたふきんでふいてしまうと、“拭きすじ”が跡に残ってしまい、売れ残ったときにオフハウスに買い取ってもらえなくなる。だから拭くときは乾いた布でふいてください」。そんな細心の注意の甲斐あって、今年のバザーの売れ残りはすべて買い取っていただけたという話ですが、私はふとこう思いました。私たちの生まれつきの心も、きれいにしたようでじつは拭きスジが残っているのではないか、と。

 これは聖書ではなく日本人の感覚に基づく話ですが、生まれたばかりの子供の心を純真無垢とたとえたりします。ところが大人になるにつれて悪いことをおぼえたり、心が汚れていってしまうと考える。その汚れた心をきれいにするために禅寺で座禅を組んだり、人によいことをしてあげたり、というのが日本人の信仰心でもあるわけです。つまり何が言いたいかというと、最初はきれいだったがだんだんほこりをかぶって汚くなってしまうのが心であって、それを修行や善行といった「きれいな水」できよめようとする、それが多くの人々の考えではないかと思うのです。しかし人がこれはきれいな水だと思っているようなよい行いも、じつはそうではないのだと言いたいのです。それは、時間が経ってみると白っぽい筋になって残ってしまうようなものに過ぎない。その時は「ああ、いいことをした」と思ってても乾くとかえって汚れが目立つようになってしまうようなものでしかない。その意味で、聖書はすごいことを言っているわけです。それは何かというと、「邪悪な良心」。「良心」って、良い心のことですね。心は目に見えませんが、イメージとして、80%位は汚れていても、(このパーセンテージは人まちまちですが)、20%くらいはその心の中に汚れていない、良い部分があって、それを私たちは良心と呼ぶわけです。

 ところが聖書は、その良心でさえ邪悪であるというのです。良心が邪悪であるというのは、あたまのてっぺんからつま先に至るまで、あなたにはいい所ありませんよ、全部汚れていますよと言われているのと同じです。そんなことはない、ボランティアやったり、優しい言葉をかけてあげたりしてます、いつも心をきれいな水でふいていますと言っても、あなた自身がはじめから邪悪だから全然だめですよ、と言われているのと同じです。実際、世の中では生まれたばかりの赤ちゃんのことを「罪のない子供」と言いますが、聖書はかえって「人は生まれながらに罪がある」とも言っています。遠い先祖であるアダムとエバが罪を犯してしまったから、すべての人間は生まれながらに罪を背負っているのだ、と。どちらが正しいのでしょうか。罪なしで生まれてくるのか、罪をもって生まれてくるのか。ただ赤ん坊がいつも泣き叫びながら生まれてくるのは、もしかしたら、自分が生まれたときにすでに背負っている、何かとてつもない重荷とかを彼らは知っているのではないかと考えることがあります。

 先ほど、三人の姉妹が村上教会を訪問した証しをしてくださいました。村上教会の牧師は宮本先生、で思い出したのですが、かの剣豪、宮本武蔵は風呂嫌いで有名でした。武蔵は子供の頃、何かの病気で頭のてっぺんに大きな腫れ物ができて、その跡がはっきりと残ってしまった。だから、当時の侍はみんな月代(さかやき)といって頭をキレイにそり上げていたのですが、彼は髪の毛を伸ばしてその傷が絶対に人の目に触れないようにした。そしてお風呂に入るとその頭の傷を見られてしまうので、絶対に風呂は入らない。手拭いをしめらして、体をふくだけ。その傷について知らない人が、「武蔵さん、くさいわあ。なんでお風呂はいらへんの」と聞くと、彼はかっと目を見開いてこう答えた。「身の垢は手桶の水で洗うことができるが、心の垢は洗えるものではない」。それを聞いて人々は、「さすが武蔵、言うことがそこらへんのお侍とはちがうわあ」となるのですが、ただ今でいうコンプレックスだったんじゃないかと思います。彼が剣の道に励んでいったのも、そのコンプレックスを跳ね返そうと必死に生きた結果だったのかもしれません。でも彼のことばは、それが本心かどうかは別として、一つの真理を教えています。それは、人の心の中には、どんな水でも洗い流すことのできない垢がこびりついている、ということです。

続きを読む
posted by 近 at 08:15 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.11.18「あきらめなかった盲人」

<当日の週報はこちら

聖書箇所 ルカの福音書18章35-43節
 35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。 36 群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。 37 ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、 38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。 39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。 40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。 41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。 42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、 43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。

 数年前、「聖書を読んだサムライたち」という本が話題になったことがありました。新島襄、新渡戸稲造、福澤諭吉のほか、坂本竜馬を斬った今井信郎がその後回心して受洗したことなどが取り上げられていました。しかし実際のところ、明治期の教会の指導者たちは、ほとんどがサムライ出身でした。札幌でクラーク博士の感化を受けた内村鑑三はもともと高崎藩士の子供です。新渡戸稲造は盛岡藩、新島襄は上州安中藩、他にも植村正久、海老名弾正、金森通倫といった明治期の有名なクリスチャンたちは、ほぼみなが士族出身であったのです。いわゆる平民に属するのは、おそらく救世軍の山室軍平と、少し時代が下りますが賀川豊彦くらいではないかと思います。ですからこう言うことさえできるでしょう。日本の教会は、サムライによって作られたのだと。
 でもこれは、長い目で見れば悲劇でした。というのは、サムライの宗教であったゆえに、教会の担い手は民衆ではなく、一部のインテリにとどまったからです。比較しても仕方がないことですが、韓国では逆でした。宣教師たちは都市よりも農村へ伝道し、教会の担い手は貴族ではなく農民たちとなりました。日本の教会を指導した人々が元サムライであったことは、戦後も教会の中に「教会はこうあるべき」という空気を作り出したのではないかと思います。
 つまり、武士道に影響された教会です。救われた喜びをかみしめる礼拝ではなく、なぜかしかめっ面をして説教を聞く人々。罪人が神の御前(みまえ)に出られることは圧倒的な恵みであるはずですが、むしろ私たちの先輩はこう考えていたのかもしれません。「控え、控えい。神の御前(おんまえ)であるぞ」と。「公の祈り」という教会独特の表現が生まれ、まるでサムライがたしなんだ連歌のように洗練された祈りが要求される。罪は基督者として恥であり、常に礼儀をわきまえるのが基督者でなければならない、と。
 もちろん教会には秩序が必要であることは確かです。しかし自由の反対語が秩序ではありません。秩序と自由は共存できるもの、いやむしろお互いに補い合うものです。教会は、秩序の神であるキリストがいるからこそ、大きく口を開けて笑い転げていい所です。神が臨在される聖なる場所であることは事実ですが、それぞれの信者の心にも神は臨在されておられます。だったら今更何をかしこまる必要があるでしょうか。以前、ほんね病という言葉を紹介しましたが、本音もまた秩序の反対語ではありません。本音をぶちまけてまわりを傷つけずとも、神のことばが、私の知らない心の深みの深みまで探ってくれるのが教会なのです。そしてある盲人、他の聖書ではバルテマイという名前が明らかにされています。彼がイエス様に対して叫び続けた姿も、私たちに信仰とは何かと教えてくれます。彼は自分を救ってくれるのは神だけだと知っていた。だから「ナザレのイエスだと聞くと」、大声で叫び始めたのです。

続きを読む
posted by 近 at 10:39 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.11.11「みことばと交わりの出会うところ」

<当日の週報はこちら

聖書箇所 申命記1章9-18節
 9 私はあの時、あなたがたにこう言った。「私だけではあなたがたの重荷を負うことはできない。 10 あなたがたの神、【主】が、あなたがたをふやされたので、見よ、あなたがたは、きょう、空の星のように多い。 11 ──どうかあなたがたの父祖の神、【主】が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように── 12 私ひとりで、どうして、あなたがたのもめごとと重荷と争いを背負いきれよう。 13 あなたがたは、部族ごとに、知恵があり、悟りがあり、経験のある人々を出しなさい。彼らを、あなたがたのかしらとして立てよう。」 14 すると、あなたがたは私に答えて、「あなたが、しようと言われることは良い」と言った。 15 そこで私は、あなたがたの部族のかしらで、知恵があり、経験のある者たちを取り、彼らをあなたがたの上に置き、かしらとした。千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長、また、あなたがたの部族のつかさである。 16 またそのとき、私はあなたがたのさばきつかさたちに命じて言った。「あなたがたの身内の者たちの間の事をよく聞きなさい。ある人と身内の者たちとの間、また在留異国人との間を正しくさばきなさい。 17 さばきをするとき、人をかたよって見てはならない。身分の低い人にも高い人にもみな、同じように聞かなければならない。人を恐れてはならない。さばきは神のものである。あなたがたにとってむずかしすぎる事は、私のところに持って来なさい。私がそれを聞こう。」 18 私はまた、そのとき、あなたがたのなすべきすべてのことを命じた。
 人生の終わりが目の前に近づいてきたとき、人はまず真っ先に何を思い浮かべるでしょうか。地上に残していく愛する家族の顔。生涯かけて、自分が積み上げてきた幾多の業績。あるいは様々な所へ旅をして出会った光景。人によって様々でしょう。しかし人生の最後に真っ先に思い浮かべるものが、自分でも、ましてや自分の業績でもなく、自分を助けてくれた仲間たちであるような人生は、まことに幸せなものと言えるでしょう。人はこの世に一人で存在しているのではない。そして人は誰にも頼らず生きている強い存在でもない。日本には「おかげさま」という言葉があります。聖書から来た言葉ではありませんが、極めて聖書的な言葉です。すべてを良きにはかりたもう神が、最もふさわしいときに、最もふさわしい方法で、人々の助けを得させてくださったということだからです。最も必要なパートナー、あるいはサポーターを与えてくださった。今日のモーセの言葉からは、「御陰様で」という言葉が飛び出してきても不思議ではない、温かな気配が感じられます。
 モーセは、過去のことを知らない、新しい世代の前に立ち、この40年を振り返ります。自らの死も視野に入れた彼が真っ先に口にした思い出は何だったでしょうか。あなたがたの父が不従順の罪を犯したゆえに、この40年の遅れがあるのだという叱責だったでしょうか。いいえ、その前に彼が語ったことは、「私が一番苦しかったとき、私の重荷を背負ってくれたのはほかでもない、あなたがたの父なのだ」ということでした。私の心からの仲間、同胞(はらから)よ、あなたがたは、私の苦しみを分かち合い、重荷を肩代わりしてくれた者たちの子なのだ、という感謝が今日の聖書箇所からは響いてきます。

 ところで、申命記のこの箇所は、出エジプト記18章に書かれてある出来事を指しています。しかしそこを開くのではなく、モーセの半生も含めて、自分自身の言葉で紹介したいと思います。
 モーセが生まれたとき、エジプト人に殺されることを恐れた両親は、彼を葦の籠に乗せて川へ逃がしました。神のみこころにより、籠はエジプトの王女に拾われ、モーセはエジプト王家のひとりとして育てられます。しかしモーセは40歳の時、同胞イスラエル人を助けるためにエジプト人を殺してしまい、ミデヤン人のもとへと逃げ出しました。そこで彼はチッポラというミデヤン人女性と結婚し、そしてホレブで神に出会うまで40年間、羊飼いとして過ごしました。そして出エジプト記18章にはこんなことが書かれています。
 エジプトを脱出して二ヶ月後、彼ら総勢200万人と言われるイスラエル人たちは、シナイ山にとどまっていました。そのときチッポラの父で、モーセにとってはしゅうとにあたるイテロが彼らのところを訪問します。モーセとイテロは、親子水入らずの時を過ごすのですが、イテロはモーセの生活を見て驚くのです。というのは、200万の民が、あらゆる問題をモーセのところに持ってきます。モーセはそれを処理するのに一日中かかりっきりで、へとへとに疲れ果てていたからです。
 そこでイテロはこう助言しました。「モーセ、あなたひとりで200万の民すべての問題をさばけるはずがありません。あなたは、あなたにしかできないこと、つまり神の前に民のとりなしをするという霊的な仕事に専念すべきです。その他のことは、信頼できるリーダーを民の中から選んで、彼らにゆだねなさい。千人、百人、五十人、十人、それぞれにリーダーを立てて、小さな事件は彼ら自身にさばかせるのです」。
 リーダーシップの分与という点で、このことからも大変学ぶ所は多いのですが、申命記でモーセは別の視点からこの出来事を振り返っています。彼に助言を授けたイテロについて、申命記ではまったく触れていません。代わりに触れられているのは「あなたがた」という言葉です。9節、「私はあの時、あなたがたにこう言った。「私だけではあなたがたの重荷を負うことはできない」」。13節、「あなたがたは、部族ごとに、知恵があり、悟りがあり、経験のある人を出しなさい」。14節、「すると、あなたがたは私に答えて、「あなたが、しようと言われることは良い」と言った」。
 出エジプト記では、イテロの助言のもと、モーセがリーダーたちを選んだことが記録されています。しかしこの申命記では、モーセは提案者にすぎず、イテロについては触れられてもいない。大事なのは、実際にリーダーを選び、重荷を共に担ってくれたのは「あなたがた」だという視点です。これはとても大事な視点です。教会という神のからだを考えるとき、大切なのはリーダーシップそのものではありません。誰のためのリーダーシップなのか、ということです。

続きを読む
posted by 近 at 19:26 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.11.4「みことばをことごとく」

<当日の週報はこちら

聖書箇所 申命記1章1-8節
 1 これは、モーセがヨルダンの向こうの地、パランと、トフェル、ラバン、ハツェロテ、ディ・ザハブとの間の、スフの前にあるアラバの荒野で、イスラエルのすべての民に告げたことばである。2 ホレブから、セイル山を経てカデシュ・バルネアに至るのには十一日かかる。3 第四十年の第十一月の一日にモーセは、【主】がイスラエル人のために彼に命じられたことを、ことごとく彼らに告げた。4 モーセが、ヘシュボンに住んでいたエモリ人の王シホン、およびアシュタロテに住んでいたバシャンの王オグをエデレイで打ち破って後のことである。
 5 ヨルダンの向こうの地、モアブの地で、モーセは、このみおしえを説明し始めて言った。6 私たちの神、【主】は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。7 向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。8 見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、【主】があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」
 昔、教会学校でやったクイズです。聖書の中に、読めば必ず長生きができる本があります。それは何でしょうか。答えはこの「申命記」です。申命記の最初に人、すなわちにんべんをつけてみてください。「命を伸ばす」となります。これはあくまでもクイズですが、確かに申命記は長生きの書と言えなくもありません。というのは、というのは、申命記の大きなテーマは、神のことばに従うことによる祝福だからです。そして『申命記』を敬遠するクリスチャンたちに思い出してほしい、ひとつの事実があります。それは、この『申命記』はイエス様の愛読書でした。新約聖書でイエス様が引用されているみことばは、圧倒的に申命記からのものです。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつ一つのことばで生きる」。イエス様が悪魔に真っ先に言われたこのことばも、申命記からです。申命記は、まさにその神のことばをひとつひとつ味わっていく人々の命を伸ばしてくれる「長生きの書」であると言えるでしょう。
 では、クイズではなく真剣に、『申命記』とはどういう意味でしょうか。申命記の「申」という漢字には「重ねて、繰り返して」という意味があります。重ねて命じられた記録、繰り返される命令、それが『申命記』という書名の意味です。申命記の内容は、レビ記や民数記といったその前の書と重なるところが少なくありません。なぜあえて同じことを繰り返し語らなければならなかったのか。それは、『申命記』はそれらを聞いていない、新しい世代に重ねて語られたからです。これには歴史的説明が必要でしょう。ここでイスラエル民族の歩みをまとめてみたいと思います。

 今から約3400年前、イスラエル民族はエジプトで奴隷として苦しんでいました。神は彼らをあわれみ、ひとりの指導者を立てて彼らを解放し、約束の地であるカナンへと導こうとされました。その指導者こそ、この『申命記』の語り手であるモーセその人です。あの有名な、紅海が二つに分かれてそこを進むという奇跡を体験しながら、彼ら数十万人のイスラエル民族はエジプトからカナンへと進んでいきました。エジプトからカナンへはどれだけの距離でしょうか。じつは直線距離で160キロくらいしかありません。彼らは砂漠を大きく迂回して進みましたが、それでも徒歩で三週間もあれば到達するはずでした。2節には、「ホレブから、セイル山を経てカデシュ・バルネアに至るのには11日かかる」とありますが、これは約全行程の半分です。しかし隣の3節を見ると、こう書いてあるのです。「第40年の第11月の1日にモーセは・・・・」。
 この40年は、エジプトを脱出してから40年です。一ヶ月もかからない距離を、彼らは40年かかったのです。なぜでしょうか。40年前、そのカデシュ・バルネアでイスラエル人たちは神に逆らい、罪を犯しました。そのさばきとして、その世代が生きている間は、決して約束の地に入れなくなってしまったのです。モーセもまた、約束の地に入ることはできないと神は言われました。40年の間に昔を知る者たちは世を去り、新しい世代がイスラエルに育っていきました。彼らは神が約束されたとおり、モーセの死と共にカナンへと向かいます。彼らが40年前と同じ過ちを犯すことがないように、みことばが余すところなく語られる必要がありました。それが、この『申命記』という記録の意味なのです。

 さて、この歴史を踏まえて今日の聖書箇所を読み返してみると、みなさんは不思議に思われるはずです。モーセは聴衆に向かって、「あなたがたはこうした」と40年前の出来事を語ります。しかし聴衆の世代は、そのことを知らない世代なのです。モーセが語っている出来事は、彼らの亡くなった親たちのやったことです。しかしモーセは、まるで彼らがその中心にいたかのように語ります。
 ・・・これが、歴史の中に生きるということです。過去の時代を指して、私はその時にいなかった、親や祖父のなしたことだ、私には関係ない。そのように言える者は誰もいないということです。これは、とくに日本人にとって心に刻まなければならないことでしょう。ナショナリズムの高まりの中で、中国、韓国に対する戦争犯罪は過去の出来事として受けとめられています。若い世代は、私には関係ないと言います。すでに賠償責任は果たしたはずだ、と。国として宣言した謝罪文についても、あれは無効だ、と言う者もいる。しかし忘れてほしくないのは、たとえ何世代経ったとしても、私たちは罪から目をそむけることはできないのです。戦争犯罪だけでなく、原罪という人間が抱えている生まれながらの罪もそうです。アダムとエバの罪がどうして私に関係あるのか。しかしすべての人間はこの二人から生まれた者であり、決してそこから逃れることはできません。逃げ出すのではなく見つめること。開き直るのではなく悔い改めること。その先にこそ、罪の赦しと永遠のいのちがあります。

続きを読む
posted by 近 at 15:52 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.10.28「幼稚な教えに惑わされず…」田中敬子神学生

<当日の週報はこちら

聖書箇所 コロサイ人への手紙2:6-15
 6 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。7 キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。
 8 あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。10 そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。12 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。15 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。


posted by 近 at 14:26 | Comment(0) | 2012年のメッセージ