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2012.8.12「本当の愛国心」

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聖書箇所 第一テモテ2:1-6
 1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
 
 先週、韓国の李明博大統領が竹島を訪問しました。その政治的評価については、説教で語るべきことではないでしょう。ただその結果、彼は韓国の数多くのクリスチャンを失望させました。日本でにわか韓流ブームが起きる何十年も前から、韓国の教会は日本人を物心両面で支えてきてくれました。韓国人の多くが日本に対する敵意を捨てられない中で、韓国のクリスチャンたちは、自分たちから先に日本人を赦し、キリストの愛をもって日本を愛してきてくれました。しかし大統領の行動によって、両国の外交関係はかつてない危機を迎えています。韓国のオンヌリ教会の故ハ・ヨンジョ牧師は日本全国でラブ・ソナタを開催し、和解を訴えてきましたが、その成果が引き戻されてしまった、そんな印象を受けます。ただ神が両国民の心に自制と寛容を与えてくださるようにと願います。

 このような事件があった影響か、マスコミなどでは「愛国心」という言葉が広く使われています。しかしその「愛国心」という言葉は、中国、韓国の人々をあざ笑い、憲法9条を改正せよといった戦争の匂いがつきまといます。この夏休みの時期、教会には敬和の学生さんが来られますので、私は伝道メッセージを心がけてきました。しかし今日は、本当の「愛国心」とは何かについて語りたいと思います。じつはそれは敬和とは無関係ではないのです。というのは、初代校長であった太田俊雄先生が「敬神愛人」という言葉で掲げた目標の中には、愛国心教育が含まれていたからです。敬和学園は今年創立45周年を迎えますが、その最初の15年間は、入学式・卒業式の壇上には「日の丸」の旗が高校の旗と一緒に掲げられていました。また教職員の反対によって実現しませんでしたが、太田先生は「君が代」を斉唱することも強く望んでいたと言います。

 これを聞いて驚かれる方も少なくないでしょう。私もそうでした。今日、国旗国歌法が成立し、教育現場ではそこに葛藤をおぼえ、必死で戦っているクリスチャン教師が多くおります。この問題について、自分もまた当事者として苦しんだ方がこの中におられるかもしれません。しかし太田先生の言葉を丹念に紐解いていくと、なぜ彼が周囲の誤解を恐れず国旗国歌を尊重していたのかが見えてきます。孫引きになりますが、敬和が太夫浜に開学する数年前の1962年、ヨーロッパで開かれた世界キリスト教教育セミナーで、太田先生はあるクリスチャンの講演を聞きます。講師は黄彰輝。台湾人のクリスチャンであり、世界的な神学博士でもありました。黄博士は「世界の八不思議」として、ある国を痛烈に批判します。
「国民に愛国心を育成しないどころか、愛国心という言葉さえタブーにされている国がある。愛国心を口にすれば、反動主義者だという烙印を押される。・・・・日本は過去の失敗に懲りて、いわばあつものに懲りて、なますを吹き続けている。それが日本の現状であり、こういう国が存在していることは世界の第八の不思議である」。

 太田先生はこの言葉に驚きましたが、驚いたのは先生だけではありませんでした。広報誌「敬和」で、太田先生は当時をこう振り返ります。
「世界82カ国を代表して集まっていた三百数十名の人々は、驚きの表情をもって聞き入っていたが、それは愛国心を育てようというけんめいな努力をしていない国がある、という事実に対する驚きなのである」。

 「愛国心」とは何でしょうか。国を愛する心、そう答えるのは簡単です。では国を愛する心は、その国を戦争へと導いていくおぞましき力なのでしょうか。明治期のクリスチャン内村鑑三は、よく「二つのJ」という言葉を口にしたと言います。「Jesus」と「Japan」です。さらに彼は自分の墓に英文でこういう言葉を刻ませました。「私は日本のために、日本は世界のために、そして世界はキリストのために」。確かに愛国心はエゴイズムと結合しやすいものです。それゆえにかつての日本は、自分の国の利益のためにアジア諸国を踏みつけました。しかしそれは間違った愛国心でしかありません。本当の愛国心は、聖書の教えと矛盾しません。この世界のすべては神が創られた。神が私を愛し、私の国を愛されたように、私も神を愛し、自分の国を愛する。しかしその愛は隣の人や隣の国々を犠牲にするものではない。私を愛してくださった以上に、神は隣人も、隣国の人々も愛してくださっているのだ。本当の愛国心は、戦争ではなく愛を唯一の解決手段として求めます。本当の愛国心は、神が愛してやまないこの国を、自分を愛するように愛します。

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2012.8.5「信仰は疑いから始まる」

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聖書箇所 マタイ19:16-22
 16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」18 彼は「どの戒めですか」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」20 この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」21 イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
 
 敬和学園の初代校長、太田俊雄先生のエピソードにこんなものがあります。息子さんは、希望していた玉川学園大学に入学できたのが、そこで自分の人生について考え込む。「何で、自分は今、毎日大学に通って勉強しているのだろう?今やっていることが、これからの自分にどういう関わりがあるのだろう?この勉強を続けることに意味があるのか?」その悩みを聞いた太田先生は、息子さんにこう言った。「上野の西洋美術館に行って、ロダンの『考える人』を見て来い」。
 ここからは太田先生ではなく、息子さんのエピソードになるのですが、さすが太田先生の息子さんです、朝一番で美術館に行き、お昼まで3時間、ひたすら考える人の彫像をじっと見続けた。しかしよくわからない。お昼を食べ、戻ってきてまたじっと見つめ続けた。突然はっとした。「この考える人は、裸だ。なぜ考えるのに、裸でなければならないのか?」ロダンがこの像を裸に造ったのなら、裸でなければならない理由があるに違いない。なおも像を見つめる。すると今度は、像の、全身隆々とした、たくましい筋肉に気がついた。息子さんは後にこう振り返っています。
 すべての筋肉が浮き出ている。足先の筋肉は地面をえぐるように創られている。ロダンは「考えている人」の像をつくったのではなく、「考えるとはこういうことなのだ」ということを石に刻んだのだと思います。つまり「考える」というのは、体中のすべてを使って初めて成立する作業なのだということに気づかされたのです。

 「人間は考える葦である」と言ったのは、哲学者パスカルでした。葦とは、人間の脆弱さを象徴している言葉です。しかしどんなにもろくても、そこには筋肉を突っ張って考え抜く魂が生きている。デカルトという哲学者は「我考える、ゆえに我あり」と言いました。この世のすべてのものが不確かであっても、今考えている私は確かにここに存在する。つまり、考え続ける限り、私は生きているのだ、という叫びです。あまり哲学の話ばかりすると眠くなりますので、もう少し現実的な話をしましょう。エホバの証人や、統一協会というキリスト教の異端グループがいます。エホバの証人は、自分の生活時間を割いて人々の家を訪問し、マニュアルに基づいた伝道をしています。統一協会は、かつて霊感商法という反社会的な手段を用いていました。ある人は、彼らは確かに信仰者だと言います。しかし、「考えることをやめてしまった信仰者だ」と。彼ら異端グループのひとり一人は、確かに人生の答えを探していたのです。探していたからこそ、そこに真理があると考えて異端に取り込まれてしまったのです。どうして抜け出すことができないのか。考えることをやめてしまったからです。教えを疑うことをやめた。組織を疑うことをやめた。今の自分を疑うことをやめた。

 私は今、あえて悪いイメージのある「疑う」という言葉を使いました。しかし疑うことは悪ではないのです。疑うというのは、当たり前とみなされていることを当たり前とは考えないということです。人々が正しいということが、本当に正しいのか。正しいと信じている自分が、本当に正しいのか。自分が正しいと信じた決断は本当に正しいのか。その決断に用いた規準は本当に正しいのか。ややこしいのでこれくらいでやめますが、今みなさんがするべきは、目の前の牧師の説教が本当に正しいのか、疑うことです。疑うことを忘れてしまったときに、信仰は妄信になる。服従は盲従になる。隣人愛は偽善になる。
 決して何でもかんでも疑えと言っているのではない。しかし信仰というのは、自分を客観的に見つめ、自分自身の中身を疑っていくことです。私たちはそれをオウム真理教という宗教が引き起こした社会事件から学んだはずです。ころころ変わる教祖の言葉。保身に走る組織の姿。それらを疑い続けていくためには、疑うための規準、モノサシが必要です。絶対に変わらないモノサシが必要です。私は、それが聖書だと思うのです。キリスト教の歴史において、教皇や牧師を妄信したり、教会組織に盲従したような時代もありました。しかし聖書は、決して変わらない。二千年間、あるいは旧約も入れれば四千年間変わることのない神のことばがここにある。

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2012.7.29「苦しみの意味〜私が敬和で変わるまで〜」

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聖書箇所 詩篇119:70-72
119:70 彼らの心は脂肪のように鈍感です。しかし、私は、あなたのみおしえを喜んでいます。
119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
119:72 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。
 
 先日の新聞のコラムで、ある作家がいじめ問題に対してこう提言していた。「大人たちは、かつて自分がいじめられた経験を子供たちに語ってほしい。こうやって乗り切ったという美談ではなく、もがきにもがいた経験を、どのような形であっても話してほしい」。一方でこんな「大人たち」のコメントを聞くこともある。「昔は、今のようにひどいいじめはなかった。いじめっ子や不良はいたが、自殺に追い込むようなことはなかった」。でも、それは「なかった」のではなく、気づかなかったというだけではないのか。今日の聖書の言葉を借りるならば、「脂肪のように心が鈍感」で、自分のすぐそばで発せられているSOSに気づかなかったのではないか。だから今日は、自分に対する戒めをこめて、今まで語らなかったことを話そうと思う。それを美談にするつもりはない。自分の過去を見つめるのは正直言って痛い。だがそれをあえて行うのは、まさにこのみことばが真であることを伝えるためだ。「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました」。

 中学生の頃に私が受けていたのは、いじめというよりは嫌がらせと言ったほうがよいだろう。クラス全員から受けていたわけではない。ある時クラスの一人の女子生徒からこう言われたことがあった。「近って人、そこをどいて」。小学校ではそんな呼びかたをされたことがなかったので、一瞬何を言っているのかわからなった。その女子生徒からは、その後も嫌がらせを受けたことはなかったが、この「近って人」という表現が、私がクラスでどの程度の存在なのかを表していた。しばらくして、授業時間であっても公然といやがらせを受けるようになった。100円ライターの発火装置(下の燃料タンクを取り除いた、電流回路とスイッチ)を授業中に突然後ろから首筋にやられることもしょっちゅうあった。 忘れられない出来事がある。国語の授業で、その場に立って教科書を朗読することがあった。自分の番が終わり、すわるときにお尻に痛みが走った。画鋲がいくつか椅子にばらまかれていた。でも私はそこでそのまま座った。叫んだら負けだと思った。そこで叫べば、いじめられていることも教師に伝わっただろう。だが騒いだら、あえて汚い言葉で言おう、こんなやつらに尻尾を見せることになる、と思った。
 私の心に大きな傷を与えたのは、むしろその後の出来事だ。教師は私の行動の不審さに気づいたのだろう。「近、立ってみろ」と言った。しかし私は立たなかった。すると彼は首をかしげてそのまま授業を続けた。彼が、私が受けていた嫌がらせに気づいていたかどうかはわからない。しかしそれ以来、私は教師という人間に激しい不信感を抱くようになった。

 ここまでの話で、私が学校に行きたくないほど追いつめられていた姿を想像するかもしれない。しかし実際にはそうでもなかった。こういう嫌がらせは毎日あったが、学校はそれなりに楽しかった。私がこんな嫌がらせを受けていることで、それでも私の側に立ってくれる友人は少なかった。でも少ない分、彼らとの友情を大切にしていた。だが中学二年の秋、私の人生を変える出来事が起きた。左膝の骨に癌(骨肉腫)が見つかったのだ。まず新発田病院で診察を受け、そこでは手におえないということで新大病院へと移された。最初は、手術して三ヶ月もすれば学校に戻れる、と言われた。しかし手術はうまくいかなかった。がんに感染した骨を切除してバイオセラミックスという人工骨を入れる手術だったが、当時はまだ手術法が確立しておらず、体が拒否反応を起こした。人工骨が細菌で腐り、膝が膿で膨れあがった。手術と点滴を繰り返す入院生活の中で、私の気力をつないでいたのは、この苦しみに耐えていけば学校に戻れるということだった。嫌がらせを受けてはいたが、それでも学校には親友と呼べる存在が何人かいた。彼らにまた会いたい。
 だが、三ヶ月のはずの入院生活が一年以上過ぎた頃、主治医からこう宣告された。「近くん、もう足を切断するしかないようだ。だが大きな決断になる。ご両親とよく相談してください」。その時、私はこう言った。「切ります。切ってください」。どんな体になっても、学校に戻りたい。それだけだった。そして一週間後、左足の大部分を切断する手術を行い、そして手術は成功に終わった。しかし成功とは、私から永遠に生身の左足が切り離されたことを意味する。病室で麻酔が切れた時、初めて涙が流れてきた。ようやく自分がなんと愚かな決断をしてしまったことを悟った。なぜこんな体になってしまったのか。病院のせいか。親のせいか。いや、親も医者も、よく考えるようにと俺を止めた。ならば、俺のせいか。だが、俺のどこが悪かったのか。俺はただ、学校に戻りたかっただけなのに。もう一度みんなに会いたかっただけなんだ。その時に、その「みんな」が頭に思い浮かんだ。自分を「近って人」と呼んだ女子生徒。ライターや画鋲で嫌がらせをした男子生徒。問題に気づこうとしない、あるいは気づきながら関わろうとしない教師。そして、最後に何人かの顔が浮かんできた。一年以上も病院で苦しんでいるのに、一度しか見舞いに来なかった親友。本当に親友なのか?その時に、自分の中で何かの糸が切れた。どうして俺は、こんな生活に戻るために、足を切ったのか。友情?くだらない。忍耐?ばかばかしい。もう自分さえも信じない。何も信じない。その夜、私は自分が何年も抱え続けた闇に、自分自身が取り込まれた。


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2012.7.22「ベテスダで出会った日から」

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聖書箇所 ヨハネの福音書5:2-9a
5:2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。 5:3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。 5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。 5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」 5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」 5:8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」 5:9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。
 
 ある地方都市の中学校で起きたいじめ事件について、連日テレビや新聞で報道されています。インターネットでは、いじめグループの生徒たちの顔写真さえも流布しています。一人の少年がいじめを苦に自殺をしました。それは悲しいことです。しかしそれに義憤を感じているように見せかけて、じつのところ「祭り」にしている人々の姿のほうをむしろ悲しく思います。
 聖書はこのような現実に対して、何を語っているのでしょうか。ベテスダの池でのできごとは、二千年前のユダヤで起こったことで、現代とは多くの違いがある、しかし本質的には同じです。一人ひとりの命が軽く見られている世界です。誰からも顧みられることなく、池のほとりに力なく座り続ける38年間に象徴される、悲しい世界です。その延長線上にあらゆる人間はもがき続けています。しかしイエス・キリストとの出会いによって、すべてが変わるのです。今日はそのことに目を留めていきましょう。

 3節をご覧ください。「その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた」。なぜそんなにたくさんの人々がこの池の回りに集まっていたのか。それは聖書の欄外説明文にある4節の言葉によれば、天使が時々この池に降りてきて水を動かしたとき、その後で最初に入った者はどんな病気でもいやされる、そういう噂があるからでした。これが本当のことなのか、それともただの言い伝えに過ぎなかったのかは、今となってはわかりません。しかし人々はわらをもつかむ思いでこの池に運ばれてきました。そして、伏せっていた、とあるように普段は死んだようにじっとしている。そして時たま、水面が動く。ある者は水面めざしてのろのろとはいまわっていく。ある者は身内の者に担がれていく。病人、目の見えない人、足が動かない人、やせ衰えた人、そういった人々が一斉にまわりを押しのけながら水面へ向かっていく。いやしの特権を受け取る者は唯一人だけ。それはまさに、私たち自身が生きているこの世界の姿そのものではないでしょうか。
 時代や環境のせいではない、私たちは常に何かに追い立てられ、他人を傷つけ、自分を傷つけながら歩んでいる。自分さえ助かれば、自分さえよければという思いにとらわれている。それはなぜか。聖書ではそれを「すべての人が罪人であるゆえ」と説明しています。あらゆる人間が、罪人として生まれてくる。そして罪の中を、やがてくるさばきの日に向かって歩み続ける。自分さえよければという思いを持っていることすら、気づかない。その意味で、このベテスダの池の光景は、心の病人である私たちの人生そのものを描いているのです。

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2012.7.15「働く信仰 〜神の“みわざ”が私の内に!〜」田中敬子神学生

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聖書箇所 ヤコブの手紙2:14-26
14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、
16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。
17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」
19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
20 ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。
21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、
23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
25 同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか。
26 たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。


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2012.7.8「祈りによらなければ」

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聖書箇所 ヤコブの手紙5:13-20
5:13 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。 5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。 5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。 5:17 エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。 5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。
 5:19 私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、 5:20 罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。
 
 『ヤコブの手紙』のこの箇所ほど、「祈り」の大切さを強調しているところは、聖書にありません。新約聖書の他の手紙は、最後に祝福やあいさつで終わっているものがほとんどですが、ヤコブの手紙にはそれもありません。代わりにあるのは、祈りの連呼です。13節から最後の20節まで、「祈り」という言葉が7回も繰り返されています。苦しんでいる者は祈れ。病気の者は祈ってもらえ。いやされるために祈れ。ヤコブは、エリヤの奇跡を持出しながら、じつはそれは奇跡ではなく祈りの力なのだと言い切っています。「彼は私たちと同じような人でしたが」という言葉がそれを示しています。祈りは世界を変える力。そしてあなたがたは、今それを手にしている。そんな呼びかけが聞こえてきはしないでしょうか。

 そして、まるで遺言のようにヤコブは最後の最後にこう書き残します。19節、「私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい」。
 主イエスの弟にしてエルサレム教会の指導者ヤコブは、この最後の言葉にキリストの姿を重ねています。一匹の羊が迷い出たならば、99匹の羊をそこに残して失われた者を探し回る、永遠の大牧者の姿を。あなたがたの中に信仰から離れてしまった者がいる。彼らを連れ戻さなければならない。そのためにあなたがたには祈りが与えられているのだ。ヤコブは祝祷やあいさつに費やすインクさえ惜しいとばかりに、読者に懇願します。迷った人々を連れ戻すのはあなたがたの祈りなのだ。祈りによるしかないのだ。祈りなくして、だれ一人として連れ戻すことはできないのだ。聖霊がヤコブの唇を通して叫ばれている、そのうめきを私たちは決して聞き逃してはなりません。

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2012.7.1「心が剥がされる礼拝」

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聖書箇所 ルカの福音書10:38-42
38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
 
 以前、ある教会員の方の葬式を行うときに、婦人会の姉妹たちが「私たちは今回、騒ぎ方に徹します」と言われたことがありました。「騒ぎ方」というから、歌や踊りで盛り上げる係のことだろうかと思ったら、実際には逆で、裏方に回って人目につかない奉仕をすることを騒ぎ方というそうです。日本語って難しいですね。そして騒ぎ方に徹することを美徳とする新潟の女性にしてみれば、今日の物語は納得のいかないものであるかもしれません。騒ぎ方としてかいがいしく動き回っていたマルタがいさめられているからです。
 しかし、決してイエス様が一方的にマルタをいさめているわけではないことに注意しましょう。イエス様は彼女の名前を二回も呼びかけます。そしてこう言われます。「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです」。

 たった一つだけの、「どうしても必要なこと」とは何でしょうか。それは「礼拝」です。マルタは、王を我が家にお迎えしました。王にふさわしい食卓を用意しようと懸命だったでしょう。誠心誠意、仕えることが王を喜ばせることだと信じて疑わなかったでしょう。しかしイエスは別の箇所でこう言われます。人の子は仕えられるためにではなく、仕えるために来たのだ、と。仕えるとは、十字架でいのちを捨て、自分のいのちを人々に与えることを指します。礼拝とは、そのイエスの痛みを知りながら、神のことばを心に刻みつけていくこと。まさに、マリヤは礼拝という、「良いほうを」選んだのです。

 私たちもマルタのように忙しい生活を送っているでしょう。ある意味、婦人たちのかいがいしい奉仕によって、日本の教会は支えられていると言っても過言ではありません。あるいは家庭でも、職場でもそうです。数え切れないほどのマルタたち、信仰をもって騒ぎ方に徹している女性たちの労苦をおぼえます。今日の箇所をよく読むと、あの「よきサマリヤ人のたとえ」の直後に記されています。これは、マルタの行動が決してサマリヤ人の愛の奉仕から遠く離れていないことをほのめかしています。しかし、愛の奉仕を生み出すためにはまず礼拝が必要です。キングスガーデンというキリスト教の老人福祉施設では、まず職員は一日を礼拝から始めます。礼拝によってまず自分のたましいを静めなければ、仕事の忙しさに耐えられないのです。礼拝は、世から逃げる場ではなく、世に向かうための発射台です。イエス様はマルタの奉仕も、その動機となった愛や喜びもご存じです。しかしだからこそ、まず今必要なたったひとつのこと  「礼拝」へと招いておられるのです。

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2012.6.24「まことの安息」

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本日の説教は、宣教区一斉講壇交換として、新発田キリスト教会の本間羊一牧師が語られました。本人の了解を得て、説教原稿及び説教映像を掲載いたします。

聖書箇所 出エジプト20:8-11
8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。10 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──11 それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
 
 今日は、新潟山形宣教区講壇交換で、こうして豊栄キリスト教会で皆様と共に礼拝を過ごせることを感謝致します。
 新発田キリスト教会は、宣教区レベル開拓教会、つまり新潟の諸教会で祈り支えつつ始めていこうという教会として、2003年にスタートしまして10年目となりました。今、礼拝は大人と子ども合わせて十数名、といったところです。小さな群れですが、最近嬉しいニュースがありました。祈っていただいている入院中の阿久津眞慈君、まだ1歳と数カ月、昨年6月に肺出血を起こし、脳にダメージが残って意識不明が続いていますが、最近、脳機能の検査を行った結果、入院当初は働きが無いと言われていた脳波が少しずつ回復しているとのお話であり、呼吸についても、まだ人工呼吸器の助けが必要ですが、以前より自発呼吸の回数も増えている、ということでした。このことについては新潟山形宣教区の皆様にも覚えてお祈りいただいております。豊栄の皆様からもいつも祈りと励ましをいただいております。この1950年より北欧系アメリカ人宣教師達が新潟各地で献身的に伝道し、新潟の幾つかの教会の産声があがっていき、60数年を経て、現在、新潟山形宣教区として12の教会があり、そこに互いに赦し合い、祈り合い、支え合う命の通った交流があることに、改めて、あたたかいものを感じているこのごろであります。

 今日は、十戒の第四戒、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」という戒めから、私たちの真の安息としての礼拝ということを覚えていきたいと思います。
「六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない」(出エジプト記20:10)
 神の民であるユダヤ人は、これを重んじ、守りました。日曜日から始まる一週間、日曜日から金曜日までの6日間は働き、土曜日を安息日として何もしない日として定め、神への礼拝をささげたのであります。ユダヤ教にとって安息日の礼拝は土曜日であります。
 長い歴史の中で、ユダヤ人たちはこの戒めを守るために、さらに様々な細かな規則を作り上げていきました。安息日には働いてはならない。それならばあれもしてはならない、これもしてはならない。たとえば、種まき、刈入れといった農作業、物の売り買い、火をつけること、食事の用意、900m以上の歩行、急病ではない病気のいやし、等は絶対に禁じられていました。最初の動機としては、大変真面目なものであったと思います。神の命令を正しく守っていきたい。
 しかしそうなると、いつしか、その決まりを守ること自体が重要となってしまい、おかしなことになっていく。それに対し、イエス様は強く批判をされたことが福音書に記されています。当時の民衆の指導者たちであったパリサイ人や律法学者とイエス様はしばしば論争をしましたが、その中でも安息日に関する論争は、「安息日論争」と呼ばれるほどに重要なものであります。ある安息日に、イエス様の弟子がお腹を減らし、道々、麦の穂を手で摘み取り、それを揉んで、そのまま食べたことがありました。当時の人としては普通の行為だったのでしょう。しかし、それにパリサイ人は目をつけ、安息日に刈入れをしていると批判しました。あるいは、ある安息日に、イエス様が病人を神の力によって癒されたとき、安息日に治療行為をしたと言って批判しました。神の戒めを破っているではないか、と。
 しかし、そのような時にイエス様は言われました。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です」(マルコ2:27)。
 パリサイ人たちは、安息日の規則を守るために神経質になりました。しかし、イエス様にとって、安息日とは人間に安息をもたらす日であったのであります。安息日のために人間がいるのではない。人間のために安息日がある。私たちのために神が安息日を設けてくださった。これは私たちも深く探られる思いがします。礼拝をささげることはとても大切です。しかしなぜそれが大切なのか。神がお命じなったことだから、確かにそれも一つの答えです。しかし、神がお命じなったから、ただそれを機械的に守る。礼拝にただ出席しさえすればよい。そこでとどまってしまうとしたら、私たちはパリサイ人と本質的にはどんぐりの背比べになってしまうのではないでしょうか。
 神のお命じなったこととして受け止めつつ、それは私たちのため、私たちの真の安息のために設けられた日なのだ。礼拝を大切にする生活は、私たちにとって大きな恵みなのだということを第四戒と共に心に繰り返し刻んでおきたいことであります。

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posted by 近 at 14:32 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.6.17「家庭から教会へ」

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聖書箇所 テトス1:5-9
5 私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。6 それには、その人が、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、その子どもは不品行を責められたり、反抗的であったりしない信者であることが条件です。7 監督は神の家の管理者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、けんか好きでなく、不正な利を求めず、8 かえって、旅人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、9 教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。
 
 牧師というのは、ちょっと問題のある人たちの集まりです。初対面の牧師が会議に集まると、お互いにこんな質問を投げ合います。「○○先生の教会は、礼拝何人くらいですか」。礼拝が何人だろうが、別にいいじゃないかと思うのです。世には二人家族もいれば、十人家族もいます。でも真っ先に「何人家族ですか」と聞いてくることはまずないわけです。初対面の人に「何人家族」と聞いてくるのは、よっぼど家族にトラウマを抱えている人ではないかと思います。そして「近先生の教会」とか呼ばれるのも、私は好きではありません。うちには「豊栄キリスト教会」という立派な名前があるのです。これが「北区キリスト教会」とか「嘉山キリスト教会」だったら、たぶん泣きますね。ましてや「近先生の教会」とかいう名前で呼ばれたくはない。そして「○○先生の教会」と呼ばれるとき、何となく信徒の存在が無視されているような気がしてならないのです。

 パウロは、テトスに不思議な言葉を書き送っています。5節、「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし」と。これは、何だか私たちが知っているパウロ像とは違うように思えます。パウロは常に教会を人と結びつけて語る使徒でした。しかし「仕事の整理」という言葉から思い浮かぶのは帳簿の山で、人ではありません。でも見落としてはならないのは、パウロがいう「仕事」とは、やはり人のことであるのです。彼がいう仕事、それはクレテの教会が自立するために、人々をみことばによって育てていくということです。パウロによって、それが一番心残りで、かつ真っ先に取りかかってほしい仕事でした。いったい、聖書を教えるよりも大切な仕事が、神のしもべにあるでしょうか。パウロがわざわざ「仕事」とテトスに書き送るからには、それは帳簿や請求書の束のことではありません。テトスよ、私が取りかかったように、あなたもみことばを正しく語ることに取りかかれ。そのために教える力のある長老たちを町ごとに任命し、クレテにある幼子のような教会を自立させていくのだ。それがこの5節に書かれてあることばです。

 今「自立」という言葉を使いましたが、現在では教会の自立と言うと、教会員が増えて外部からの経済的援助を受けずにやっていけるという意味で語られます。しかしもし教会の自立がそれだけだとしたら、とても悲しいことです。教会が自立するというのは、経済的に独立することではありません。信徒ひとり一人が、みことばを正しく理解し、それを生活の中で実践していくこと。そして問題が起きたときも、そのみことばを基準として対処していく力を身につけること、それが真の意味で教会が自立するということです。じつは人数的に、また経済的には豊かであっても、真に自立していない教会もあります。私が卒業した神学校の講師から聞いた話です。その講師が、地方の大きな教会に招かれて礼拝説教を語りました。彼はキリスト教教理の根本である「神、罪、救い」を聖書から紐解き、会衆に語りました。しかし説教後、ある役員がこう言ってきました。「先生、教理も大事ですが、求道者やはじめて来た方のために、もっと簡単で恵まれる話をしていただければもっとよかったのですが」。
 聖書の教理から離れて、いったい誰が救われるでしょうか。教理から離れて、愛や恵みを連発する説教は、人の心に感動を与えても、たましいに救いを与えることはできません。私たちが聖書の教えを難しいと言ってぼかすならば、教会は必ず病気になります。牧師の人柄、説教のおもしろさ、教会の雰囲気、人間関係、それらは教会に与えられた賜物でもあります。しかしそれだけに私たちが依存しているならば、決して自立した教会とは言えません。真の自立とは、信徒一人ひとりがこの聖書に語られている真理を自分の血、肉、骨として常に噛みしめて歩んでいるかどうかなのです。

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posted by 近 at 11:47 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.6.10「今日、救いがこの家に」

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聖書箇所 ルカ19:1-10
1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
 
<管理者より>
 今週の礼拝メッセージは、千葉みどり台教会牧師の板倉邦雄牧師がしてくださいました。また特別賛美として、私たち豊栄教会の賛美チームであるT-BREEZEが「ブルーリボンの祈り」をささげました。板倉邦雄牧師およびT-BREEZEのプロフィールを、週報より転載いたします。
板倉邦雄(いたくら・くにお)
 高校2年生の時に一枚のトラクトをきっかけに神を信じるようになる。高校卒業後、東京基督神学校(現・東京基督教大学大学院神学研究科)に入学。神学校卒業後、千葉市稲毛区に開拓伝道を開始する。開拓当時「羊会」という名称で始まった同教会は、現在は千葉みどり台教会として、今年9月に開拓40周年を迎える。またテレビ「ライフ・ライン」でも長年にわたりメッセンジャーを務めている。
T-Breeze(ティー・ブリーズ) 
 豊栄キリスト教会に集う有志によって結成された賛美グループ。毎月第4主日の午後、木南明子姉(同盟・五十嵐キリスト教会員)を賛美指導者として練習に励んでいる。T-BreezeのTは、「豊栄」の頭文字に十字架の「t」をかけ、賛美のそよ風がこの地を生き返らせる聖霊の息吹となるように、という願いをこめている。今日歌う「ブルーリボンの祈り」は、木南姉が拉致被害者の田早紀江姉の同名の手記からつくった歌である。拉致問題が一日でも早く解決することを願いながら、様々な場で歌い続けている。


posted by 近 at 17:00 | Comment(0) | 2012年のメッセージ