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2012.6.3「主は与え、主は取られる」

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聖書箇所 ヨブ1:13-22
13 ある日、彼の息子、娘たちが、一番上の兄の家で食事をしたり、ぶどう酒を飲んだりしていたとき、14 使いがヨブのところに来て言った。「牛が耕し、そのそばで、ろばが草を食べていましたが、15 シェバ人が襲いかかり、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」16 この者がまだ話している間に、他のひとりが来て言った。「神の火が天から下り、羊と若い者たちを焼き尽くしました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」17 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「カルデヤ人が三組になって、らくだを襲い、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」18 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「あなたのご子息や娘さんたちは一番上のお兄さんの家で、食事をしたりぶどう酒を飲んだりしておられました。19 そこへ荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、あなたにお知らせするのです。」
 20
このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、21 そして言った。
  「私は裸で母の胎から出て来た。
  また、裸で私はかしこに帰ろう。
  【主】は与え、【主】は取られる。
  【主】の御名はほむべきかな。」
22
ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。

 昨年、私の出身教会である山の下教会へ行ったときのことです。ある信徒の方が私にこんなクイズを出してきました。「山の下にはあるけれど、豊栄にはたぶんないもの」。答えは、教会のテーマソングだそうです。何でも山の下はジョインというクリスチャンアーチストにお願いして作ってもらったとのこと。その場はへえ、いいですねえと答えましたが、帰りの車の中で、むう、くやしい。うちもほしい。しかし私は肝心なことを忘れていました。テーマソングならすでにあるじゃないか、と。「ブルーリボンの祈り」。もはや楽譜なしで歌えるほど、教会員が歌い続けております。今月の連合婦人会でも五十嵐教会と合同で特別賛美します。また突然で恐縮ですが来週板倉邦雄先生の前でもぜひささげていただきたいと願っています。
 勝手にテーマソングにしてしまいましたが、この「ブルーリボンの祈り」は、五十嵐教会の木南先生が、横田早紀江さんの本から作った歌です。今まで色々な所で歌わせていただく中、私自身はどちらかというと歌う方はみなさんにお任せしてもっぱら聞く側でしたが、この歌の中で、少し気になっていたところがありました。それは「苦しみのさなかに送られた聖書」から続く部分です。「ヨブは苦しみにあっても、決して神から離れなかった」。気になるのはこの言葉そのものではなく、「ヨブ」という言葉が歌を聴く人に伝わるだろうか、ということです。聖書を読んだことがない方々が、突然「ヨブ」という名前が歌に登場したときに、えっ、何それと思うんじゃないかと、今だから言えるのです。「今だから」というのは、最近早紀江さんの手記を読み返してみて、納得したのです。木南さんがあえて唐突と思われるような歌詞にしたのは、じつはそのとまどいそのものが、早紀江さんの感覚であった。つまりわかりやすい歌をではなく、早紀江さんの感覚、えっ、ヨブ?なにそれという戸惑いを、聞く人々はこの歌を通して追体験しているのだ、と。

 理由がわからないまま、めぐみさんが失踪した中、早紀江さんはめぐみさんの親友のお母さんであった眞保さんというクリスチャンから、聖書を読む会に誘われました。そしてその会のメンバーである岡田さんという別のクリスチャンから、彼女は文語訳の聖書を渡されて、「ヨブ記」を読むようにと何度も言われたそうです。なぜヨブ記?そもそもヨブって何?その戸惑いの中で、それでも早紀江さんはヨブ記から読み始めます。それは彼女の中に何を生み出したのでしょうか。手記の中にこう書かれています。
 今考えてもほんとうに不思議ですが、初めて、それも一人で聖書を読んだのに、すべてがピタッピタッと自分に当てはまるようで、みんなうなずきながら読めたのです。いい意味での大きなショックを受けた私は、事件以来初めて深呼吸ができ、久しぶりに空気がおいしいと感じました。ほんとうに苦しい毎日でしたから・・・・
(田早紀江「新版ブルーリボンの祈り」、いのちのことば社、140頁)


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2012.5.27「弱さをさらけ出す力」

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聖書箇所 使徒1:6-11
6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

 月一回、私たちの教会はカナンという老人福祉施設を慰問しています。先日の訪問で、私はメッセージに併せて、漁師に変装してみました。ゴムの長靴、防水エプロン、頭には手拭い、右手に釣竿、左手にバケツ。黒いビニールテープでつけひげもしてみました。会場の後ろでその準備をしながら、ふとまゆげはどうしようと思いました。まゆげにも黒いビニテを貼るべきであろうか。30年前にやったように。そのとき一瞬でしたが、そのころの思い出が走馬燈のように頭の中を走り抜けていきました。
 約30年前、私が小学6年生の時です。今は廃校になった小さな学校でしたが、「6年生を送る会」が卒業間際に開催されます。私たちは送られる方の側でしたが、その学校では卒業生も御礼として歌を歌うというのが決まりでした。当日、ステージの後ろで練習していると、メンバーの母親のひとりが、あなたたち、それじゃつまらないわよと、黒と赤のビニールテープを持ってきた。いやな予感がしました。彼女は赤のテープは日の丸のように私たちのほっぺに貼り付け、黒のテープは鼻の下に、さらにまゆげにも貼り付けてきた。後ではがすことを考えると、これは拷問です。担任の先生もただ見守るしかない中、私たちは泣きべそをかきながらステージに上がりました。その背後で件のお母さんはこう声をかけてきました。「人間、いざというときはバカにならなきゃダメ」。あれから30年、あのお母さんはどうしているでしょうか。じつは今も私の実家におります。あれだけいやがったのに30年前と同じことをしている私は、きっと母の血を強く受け継いでしまったにちがいありません。
 このことで母は、他の保護者からも後できつく言われたそうです。うちの息子の眉毛をどうしてくれる、と。私もなぜ母が、たかが子供の出し物にここまで一生懸命になるのか理解できませんでした。うろ覚えですが、母はその問にこう答えた気がします。「あんたたちがつまらなそうに練習してたから、楽しくしてやろうと思ったのよ」。母もPTAの一人として、学校の雰囲気を変えたかったのでしょう。そのやり方は自分の息子さえも一時敵に回しましたが、しかし今振り返ってみると、母はこれを通して私にあることを教えてくれました。世界を変えたければ、自分を変えなければならないということです。

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posted by 近 at 15:37 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.5.20 「人々が教会に求めるものは」

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聖書箇所 テトス1:1-4
1 神のしもべ、また、イエス・キリストの使徒パウロ──私は、神に選ばれた人々の信仰と、敬虔にふさわしい真理の知識とのために使徒とされたのです。2 それは、偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです。3 神は、ご自分の定められた時に、このみことばを宣教によって明らかにされました。私は、この宣教を私たちの救い主なる神の命令によって、ゆだねられたのです──このパウロから、4 同じ信仰による真実のわが子テトスへ。父なる神および私たちの救い主なるキリスト・イエスから、恵みと平安がありますように。

  「教会」と聞いて、人々が抱くイメージを何でしょうか。パイプオルガンの荘厳な音色、光輝くステンドグラス、片言の日本語でお話しする、青い眼をした宣教師。(ま、うちの教会にはそのどれもありませんが。)これらはあまりにもできすぎたイメージですが、しかし実際に若い頃、宣教師の英語クラスに参加したのが教会の初体験であったという人は多いようです。ある牧師が懐かしそうに語ってくださいました。戦後の何もない時代、宣教師の奥さんが焼いてくれた手作りクッキーのおいしかったこと!もう定年間近の大先輩であるひとりの牧師が、子どものように楽しそうに話してくれた姿は忘れられません。
 いつの時代でも、人々は教会にしかないものを求めて教会を訪れます。宣教師のクッキーや英語クラスは、それは戦後すぐの日本には、教会にしかなかったからです。今、この世の団体やカルチャー教室では受け取れず、教会にしか存在しないもの。それは何でしょうか。それこそが、人々を教会にひきつけるものとなり得るものです。それは、「人」ではないかと思っています。いわゆる「人間関係」ではなく、自立した個人としての「人」です。言い換えるならば、福音によって変えられ、人生観、価値観、あらゆるものがこの世と訣別を果たしている、自立したまことの人間。それが、今日教会しか人々に与えられないものです。私をここまで変えたのは福音の力なのですと胸を張って伝えて行く時代はいつやってくるのか。今日から始めることができます。私たちが福音の力をもう一度かみしめて、あなたも私のようになってくださいと言えるくらいに、みことばに裏打ちされた生き方に立ち戻るならば、そこには教会が生まれます。伝道とは、教会の建物に人々を呼び寄せることではなく、あなたの生き方に人々が共鳴し、自分もそうなりたいと思うことです。それは品行方正な信者になることではなく、常に神のあわれみにすがっている私たちであり続けるということです。福音に生きるとは、他の誰かではなくあなたがそのような者になること。それこそが、二千年間常に変わることのない、福音の本質です。パウロは言います。1節、「神のしもべ、また、イエス・キリストの使徒パウロ──私は、神に選ばれた人々の信仰と、敬虔にふさわしい真理の知識とのために使徒とされたのです」。

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2012.5.6「今、この時から」

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聖書箇所 ヨハネ8:1-12
 1 イエスはオリーブ山に行かれた。 2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。 3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、 4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。 5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」 6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。 7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」 8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。 9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。 10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」 11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
 12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 先日、全国朝祷会のニュースレターに掲載された、あるクリスチャンの証しを聞きました。名前を弘さんと言うのですが、彼は10年前、ある容疑で警察に逮捕されました。容疑を概ね認めたものの、納得できないところがあり一部否認していたところ、刑事が20年以上音信不通だった母と妹を警察に呼び出し、彼の昔の悪事もすべて暴露したというのです。何も知らなかった家族は号泣していると、弘さんは留置場の署員から聞かされました。その刑事はこれで彼が家族への申し訳なさから変わるはずと考えたのでしょう。しかし弘さんの心に生まれたのは、何も知らない家族を巻き込んだ刑事への激しい憎しみだったそうです。
 罪という漢字は、四つに非と書きます。しかし漢字に詳しい方に聞くと、これは四でも非でもなく、四に見えるのは魚を捕る網、非は人間が真ん中から分裂している様子を表すそうです。つまり、見えない網に捕らえられ、人の心が真っ二つに割れている、それが罪。罪を犯す者は、罪とわからずに罪を犯します。罪を犯しても認めようとしなかった弘さんだけでなく、家族を用いて彼の心を追い詰めようとした刑事もまた、罪に気づいていなかったのです。しかし私にも彼らを責める資格はない。資格という意味では、誰も持っていない。罪を犯しながら、罪に気づかない。それがすべての人間の姿だと、聖書は私たちに語ります。このヨハネ8章に登場する者たちすべてが、イエス様を除き、罪人の醜態をさらけ出しています。姦淫の現場を捕らえられた女性、その姦淫の罪を鼻高々に訴える律法学者たち、あるいは無関係であるはずの群衆でさえ、すべての人々が罪とは無縁ではいられない姿が描かれています。

 さて、イエス様は地面に何の文字を書いていたのでしょうか。聖書は明らかにしていませんので、あくまでも推測になりますが、有力な説はこのようなものです。それは、律法学者たちが訴えた根拠である、「こういう女を石打ちにするように命じている」、そのモーセの言葉そのものを、イエス様は地面に書いておられたのだという説明です。それは旧約聖書のレビ記20章10節と、申命記22章22節に確かに書いてあります。申命記のほうを引用します。
「夫のある女と寝ている男が見つかった場合は、その女と寝ていた男もその女も、ふたりとも死ななければならない。あなたはイスラエルのうちから悪を除き去りなさい。」
 それまで群衆にみことばを教えていたイエス様が、パリサイ人たちの告発を尻目に、沈黙して、地面に文字を書き始めました。いやが上にも人々の注目を引いたでしょう。そこにいたすべての者が、首を伸ばしてイエス様の書かれた文字を見つめていたはずです。なぜ、イエス様は律法の言葉をあえて地面に書かれたのか。この説を支持する学者は、こう言います。それは、神のことばを人を陥れるために利用する者たちへの怒り、憤りのゆえである、と。パリサイ人たちは、この女性を姦淫の罪で引きずってきました。しかし律法は、姦淫のさばきはそれを犯した男女が共同して背負う罪として定めているのです。しかし告発者たちは「姦淫の女」として片方しか連れてきません。なぜならイエスを告発するのに、片方だけいれば十分だからです。
 そこにイエスは憤られたのです。人の罪を悲しむどころか、人の罪を利用してイエスを告発しようとする、彼らの心に対してです。

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posted by 近 at 15:48 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.4.29 「ザアカイが捨てたもの」

聖書箇所 ルカ19:1−10 <週報はこちら
 1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。 2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。 3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。 4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。 5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。 7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。 8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」 9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。 10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

 一昨日、敬和学園大学から礼拝説教を頼まれて、新一年生200名の前で語ってきました。豊栄の教会に着任して以来、年一回のペースで説教しているのですが、私は敬和大での礼拝説教を楽しみにしています。200人を相手にするからでしょうか。まあ、気分は大牧師。でもちょっと違います。敬和大では、礼拝が終わった後に説教を聞いてどう思ったかというひとり一人の感想文を読むことができるのです。メモ用紙一枚の短いものですが、説教に対する感想なんて、教会でもめったに聞くことができません。もちろん200人分もあるとどんなに急いでも読むのに一時間はかかりますし、中には私にとってイタイ感想もあります。でもたとえ辛辣な批判であっても、読むとああ、説教をよく聞いてくれているんだなというのがわかるんですね。今回、特に嬉しい感想が二つありました。一つは「ぼくは敬和高校で近牧師の説教を聞いたことがある。名前は覚えていなかったが、話し方に特徴があるので思い出した」というもの。そしてもうひとつは、「私は近先生の中学の同級生です。とても懐かしかった」という感想文。ええっと思いました。事情はよくわかりませんが、きっと一念発起して大卒の資格を取ろうとしているのだと思います。とても嬉しいサプライズでありました。

 その日の説教は、やはりザアカイの物語から「敬和というコンプレックス」というタイトルで話しました。私は敬和学園大学の一期生です。余談ですが、教会員のM姉の娘さんも、同じく敬和大の一期生です。でもその頃、一期生の中には二種類の人々がいました。彼女や私のように、何もない敬和を盛り立てていこうとする学生たち。そして、まさに敬和なんかに入ってしまったというコンプレックスの中でもがいている学生たちの二種類です。彼らはよく言っていました。自分はこんなところに来たくなかった。何年か前の大河ドラマにも、同じようなセリフがありましたね。本当は自分は東京の大学に行けるはずだった、新潟大学に行けるはずだった、でもだめだった、だからすべり止めの敬和に仕方なく入ってきたんだ、こんな偏差値の低い大学を卒業して、いったいどんな就職先があるというのか、そんな後ろ向きな発言を大声でしている人たちもいました。

 でももしかしたら、それが人間の真実な姿に近いのかもしれません。ザアカイは、まさにコンプレックスの塊でした。イエス様がザアカイの家に泊まると宣言されたとき、人々はあからさまに声をあげました。「あの方は罪人の家に行って食事をする」。所詮同じ穴のムジナか、と。それはザアカイが人々から嫌われていたからです。彼は、ローマ帝国の手先と言われていた取税人のリーダーでした。そして金持ちでした。なぜ金持ちでしたか。彼の最後の言葉からわかります。人々から、本来の税よりも多いものをだまし取っていたからです。なぜだまし取っていたのですか。金持ちになるためです。なぜ金持ちになりたかったのですか。背が低かった。誰も彼を気にしてくれなかった。誰も助けてくれない。誰も愛してくれない。俺なんて。俺なんて。そのコンプレックスの悪循環の中で、彼は金というプライドで自分を支えていたのです。

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posted by 近 at 14:37 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.4.22「放送伝道の大切さ」

 「ライフ・ライン」は、クリスチャンによる放送伝道団体「太平洋放送協会(PBA)」が1989年に全国5放送局からスタートさせた、30分のテレビ番組です。新潟ではその9年後の1998年10月から、毎週土曜日朝5:30よりBSNにて放映が開始されました。ゴルフやテニスの国際大会の中継といった特別番組を除き、一度も放送を休むことなく続けられてきました。
 通常、テレビ番組はテレビ局が企画・製作し、その経費を番組スポンサー企業が支出します。そのため視聴率が低迷すれば番組は打ち切られます。しかし「ライフ・ライン」は、企業ではなく、各地の教会による協力団体(例えば新潟福音放送協力会。新潟を含め全国に30の団体がある)が献金により、放送局から電波を購入して放送しています。新潟だと年間800万円以上の経費が必要です。そのほとんどを会員教会の献金によってまかなっています。視聴率ではなく、祈りとそれに伴う献金が放送継続の生命線です。
 しかしなぜ私たちは月額70万円以上も出して『ライフライン』なる番組を放送し続けているのでしょうか。年間800万円という金額は、建て売りの中古住宅が買える金額です。実際に買ってそこを伝道所にするほうが有益じゃないのか。なぜここまで犠牲を払ってこの放送伝道を続けているのか。それは、まさに放送伝道こそ、毎年ひとつの教会を建設していくのに匹敵するくらいの働きであるからです。電波はあらゆる所へと届きます。教会のない町に住んでいる人に届きます。入院中の人にも届きます。引きこもっている人にも届きます。キリスト教に関心はあっても教会の敷居が高いと感じている人にも届きます。キリスト教について誤解と偏見を持っている人にも届きます。私たちが福音を届けることのできない、ありとあらゆる人に届きます。「ライフ・ライン」という番組は、私たちの代わりに、この新潟県240万人、80万世帯に福音を宣べ伝えてくれています。
 「ライフ・ライン」という番組は、全国に散らばるクリスチャンの生きざまを紹介します。信仰によって絶望から立ち直ったビジネスマン話、ホームレスから牧師へと召し出された牧師の話・・・・彼らの生き様に未信者も感銘を受けます。そして最後に、テレビ牧師の口から彼らはイエス・キリストという名前を聞くのです。闇の中を歩んでいた人たちが明るく変えられたのはなぜか。それは、イエス・キリストと出会ったからなのだ。そしてあなたにも、その道が用意されている。そのシンプルなメッセージが、毎週必ず語られるのです。人生の転機は、まずこのキリストという名を聞くことから始まります。「ライフ・ライン」という番組は、私たち教会の使命を、共に担ってくれているのです。
 現在、新潟福音放送協力会の協力教会は賛助を含めて38教会あります。教会員一人につき毎月500円という目標を掲げていますが、達成率は全教会の7割程度にとどまっています。3割の教会の意識啓発とともに、会員教会の新規開拓が求められています。それを支えるのは諸教会及びクリスチャン同士の教派を越えた、祈りの力です。
 今日、これから見るDVDは2009年10月に放送された、青森でのライフライン視聴者の集いです。メッセージをされる板倉邦雄牧師は、今年6月10日にこの新潟で行われる同じ視聴者の集いの講師でもあります。そしてなんとその日曜日、豊栄で礼拝メッセージをしてくださることになっています。今日は礼拝説教として、このDVDを見ていきたいと思います。そしてこれから2ヶ月、豊栄および新潟でのメッセージが祝福されますように、祈りをもって備えようではありませんか。

※今回のビデオは、説教ではなく礼拝全体を収録しております。

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2012.4.15「親が子どもにできること」

聖書箇所 マルコ10:13-16

13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

 去年応接室に飾ってあったカレンダーが今頃になって気になっています。カレンダーそのものではなく、そこにあった絵が気になっているのです。フリッツ・フォン・ウーデというドイツの画家が描いた「子どもたちを我に来させよ」というものです。もう一度見たくなったのですが、年が明けたら応接室から消えていました。でも見たい。そこでインターネットの出番です。見つかりました。週報の表紙に印刷してあるのがそれです。みなさんもご覧になってみて、ある違和感に気づかないでしょうか。子どもたちの顔がちっともうれしそうじゃないのです。作者のウーデが、今日の聖書の物語からこの絵を描いたのはタイトルからして明らかです。しかし私たちがこの聖書箇所から連想する子どもたちと、ここに描かれている姿はずいぶんとかけ離れているようにも思えます。イエス様は子どもたちが大好き。そして子どもたちもイエス様が大好き。そんなイメージとどうも違うのです。

19 FRITZ VON UHDE LASSET DIE KINDLEIN ZU MIR.jpg

 しかしイメージという言葉から、私は改めて気づきました。聖書は、子どもたちを愛してやまないイエス様を描いています。でも子供たちもまたイエス様を愛している・・・・もしかしたら、それこそが聖書以外からすり込まれた、勝手なイメージではないのか。こんな不遜なことを考えてしまった後ろめたさを感じながら、あえて聖書を調べてみました。このマルコ福音書10章、その並行箇所であるマタイの福音書19章、ルカの福音書18章。そして発見したのです。どの聖書でも、子どもたちのほうからイエスに近づいたとはいっさい書いていない。いずれにおいても、子供たちは「連れてこられた」とあるのです。喜んで連れてこられたのでしょうか。いやいやながらでしょうか。どんな表情ででしょうか。そこらへんが一番大事だと思うのですが、聖書はあえて沈黙しているのです。

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posted by 近 at 19:27 | Comment(1) | 2012年のメッセージ

2012.4.8「我らが国籍、天にあり」

聖書箇所 ピリピ3:17-21
17 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 キリスト教では、十字架で死んだイエス・キリストがよみがえった日をイースターと呼びます。キリストの復活は、クリスチャンもまた同じように復活するという希望であることから、イースターの日にはすでに天に召された人々を記念する日にもなっています。私たちの教会でも、午後には太夫浜霊園で佐藤敬子姉の納骨式を行い、また他4名の召天者をおぼえて礼拝をささげます。
 先週、今日の納骨式に備えて墓を見てきました。霊園に墓は数あれど、うちの墓ほどすばらしい墓はありませんね。親バカならぬ墓バカと言うのでしょうか。感動のあまり写真を撮り、週報の表紙に載せておいたほどです。さて、教会の目の前の道をひたすら北上していくと、競馬場インターを突きぬけて、20分もあれば太夫浜霊園に着きます。霊園のそばの交差点で信号待ちをしていたときに、ふと気づきました。交差点を右に曲がると敬和学園高校があり、緑色のチャペルが車の中からも見えます。そして交差点を左に曲がると、墓地への入口。そこでこんなことをふっと思ったのです。右に向かえば高校があり、そこでは若者たちがこれからの人生に希望をふくらませながら学んでいる。一方、左に向かえば墓地があり、数え切れないほどの墓に、死んでいった人々の人生が短く刻まれている。右と左、命と死、ここまで対立するものが近くに並んでいる光景に驚きました。それはまるで、右にいくか左に行くかで命と死が分かれてしまう、私たちの人生の象徴のように思えたのです。
 すべての人間は、人生の中で右か左かを選ぶ選択へと立たされます。進学や就職、結婚などはその例ですが、一番究極の選択は、いのちと死にかかわることです。聖書は言います。イエス・キリストを信じる者には永遠のいのちが与えられる、しかし彼を拒む者には永遠のさばきが待ち受けている、と。私は決して教会に来てくださった人々を脅かそうとしているのではありません。しかし、この墓誌に刻まれているひとり一人は、イエス・キリストを信じ、永遠のいのちの確信をもって天国へ凱旋していったのだということをおぼえてほしいのです。とくにご遺族の方々にとっては、あなたの知っている、その家族が選び取ったものから目をそむけないでほしいと思うのです。あなたの愛する人が、その人生をかけて選び取ったのがキリストなのだという事実を忘れないでほしいと願うのです。

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2012.4.1「十字架にある自由」

聖書箇所 マタイ27:27-46
45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

 もう故人となられましたが、遠藤周作という作家がおられました。彼はカトリック信者でしたが、同じ作家仲間に、あまり知られていない名前ですが椎名麟三というクリスチャン作家がいました。今から二十年以上前、ある本の中で遠藤周作が椎名麟三についてこう語っているのを読んだことがあります。「自分はカトリックで、椎名はプロテスタントだったが、さすが椎名だと思わせられたことがあった。椎名が教会でバプテスマを受けたその日、あいつが電話でこう言ってきたんだ。「これでいつでも神をのろって死ぬことができる」と。その当時は、いったい椎名の言葉のどこらへんがさすがなのか、まったくわかりませんでした。「洗礼を受けたから、これでいつでも神をのろって死ぬことができる」。これは本当にクリスチャンの言葉なのか?この言葉の意味がわからないまま、しかし心のどこかにいつもこの言葉がひっかかりながら、私は信仰生活を歩んできました。
 思い返すと、10代、20代の時の信仰というのは一途なものです。「神をのろって死ぬ」など、信仰の敗北にしか思えませんでした。しかしさすがに40歳になると、そろそろ人生はそんな杓子定規にはいかないということがわかってきます。その中で改めて椎名の言葉を味わってみたとき、うまく説明できないのですが、じつはこの言葉に共感できる何かを感じているのも事実です。「神をのろって死ねる」。そこにはタブーがないのです。続きを読む
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