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2019.10.23「PBAスタッフ・山本和明兄の召天に寄せて」

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10/23(水)祈祷会メッセージ
新約聖書『ローマ人への手紙』10章13-15節
13 「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。14 しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。15 遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。

 今週の祈祷会は、もともとネヘミヤ祈祷会[当教会の会堂建築のために祈る会]を予定していました。
しかし明後日から来週にかけて、新潟福音放送協力会の地区総会が続けて行われます。
この金曜日、私は午後は中越、夜は上越の地区総会に出席、土曜日に上越から帰ってきて主日の礼拝に備えます。
この働きをより教会員に理解し祈っていただくために「放送伝道祈祷会」にしたらどうか、と妻から提案があり、週報にも掲載しました。
 そんな中、この月曜日、『ライフ・ライン』を制作するPBAから、各地の教会宛にメールが届きました。
日曜日の夜に、番組のスタッフ(ディレクター)であった山本和明兄が突然亡くなられたということでした。
そして今日の午後6時から、船橋市の中山キリスト教会にて、彼の前夜式が営まれています。
放送伝道のために祈る祈祷会で、急きょ放送伝道に生涯をささげたひとりの兄弟をおぼえて祈ることになりました。
このような事態に対して、ただ驚きを隠せませんが、主を証しし続けた山本兄に対して、心から感謝したいと思います。

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2015.2.12「いま、この時代に、祈る」

そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」(マタイ26:52)
「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」(ルカ12:32)

1.
 先日の某全国紙のコラムに、以下のような文章が掲載された。人の死を利用して自説を展開しているとしか思えないものではあるが、あえて全文を紹介する。
 わがことながら日本人は、敗戦から70年という歳月をかけて本当に優しくなった。「イスラム国」という名のならず者集団に空軍パイロットが焼き殺されたヨルダンは、さっそく報復爆撃を始め、指揮官を含む55人以上を殺戮した。▼ヨルダンでは、「なぜ2人も殺された日本がともに戦わないのか」という声が高まっているという。日本には憲法の制約があって云々(うんぬん)、と説明してもまず理解されぬだろう。▼憎しみの連鎖を断たねばならぬ、というご高説は一見もっともらしい。後藤健二さん自身も数年前、「憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。−そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」とつぶやいている。▼だからといって処刑直前も彼はそんな心境だった、とどうしていえようか。助けにいった湯川遥菜さんが斬首されたときの写真を持たされ、家族に脅迫メールを送られ、心ならずも犯人側のメッセージを何度も読まされた後藤さんの心境は想像を絶する。▼仇(かたき)をとってやらねばならぬ、というのは人間として当たり前の話である。第一、「日本にとっての悪夢の始まりだ」と脅すならず者集団を放っておけば、第二、第三の後藤さんが明日にも出てこよう。▼日本国憲法には、「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して、わが国の「安全と生存を保持しようと決意した」とある。「イスラム国」のみならず、平和を愛していない諸国民がいかに多いことか。この一点だけでも現行憲法の世界観が、薄っぺらく、自主独立の精神から遠く離れていることがよくわかる。護憲信者のみなさんは、テロリストに「憲法を読んでね」とでも言うのだろうか。命の危険にさらされた日本人を救えないような憲法なんて、もういらない。
(2015.2.7『産経抄』)
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posted by 近 at 20:00 | Comment(0) | その他のメッセージ