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2018.10.21「いのちの便(びん)に乗り遅れるな」(第一ヨハネ1:5-10)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。教会バザーも無事に終了しました。お祈りをありがとうございました。
 33年前、14歳の時に骨肉腫を発症して以来、私は半年に一度、大学病院で定期診断を受けており、今日はその日でした。
ちょうど一年前の説教で、最初の手術以来30年以上にわたって私の主治医をしてくださっているA先生のことを話しました。
今日、整形外科の診察室に入るとA先生はおられず、代わりに弟子?にあたるB先生が見てくださいました。
三十数年来、腫瘍外来一筋で豊富な臨床経験を持つA先生でしょうから、学会発表などで忙しいのかもしれません。
A先生よりずっと気さくな雰囲気を持つB先生に何気なく「A先生っておいくつになられたんでしょうかねえ」と聞きました。
すると「62歳ですが、・・・じつは先日、亡くなられました」という答えが返ってきました。長らく持病を抱えておられたのだそうです。
そしてB先生が続いてこう言われました。
「私は近さんとほぼ初対面ですが、じつは近さんはうちの整形医のあいだでは有名人なんですよ。
近さんは、この大学病院で扱った骨肉腫の患者の中で、治療後も長く生きている初めての方なんです。
(=当時、若年性骨肉腫の生存率は極めて低く、発見された時には手遅れということも普通だった)
だからA先生は、私たちによく『あの近さんは、自分たちの治療路線が間違っていないという希望なんだ』とよく言っていました。」
 私にとってA先生は30年付き合っても無口でとっつきにくい先生でした。
しかしその先生が、私のことをそのように話していたということを聞き、熱いものがこみ上げてきました。
一年前の診察の時に、遅ればせながらひと言ありがとうと言えたことは、今考えてみると、なんと幸いなことだったでしょうか。
 今までの私は、救われた後の人生は「永遠のいのちが保証された後のおまけ」感があり、どちらかというと「死ぬこともキリスト」派でした。
しかし私が一日でも長く生きることで希望を持っていた人がいたと知った今日、「生きることはキリスト」もかみしめています。
 A先生、安らかにお眠りください。先生のご遺族にイエス・キリストの豊かな慰めがありますように。
私も、一日も長く生きていきます。みこころのゆるす限り。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの手紙 第一』1章5-10節 
 ▼今回はメッセージ録画はありません。ご容赦ください。

1.
 昨年のことですが、会議が茨城県であるということで飛行機で新潟と成田を往復しました。
新潟と成田のあいだは、なんと一日一便、夕方のものしかありません。
成田に着いたら一泊。翌日の会議が終わるのは夕方なので、また一泊。そして夕方になるのを待って、成田から新潟へ。
たった3時間の会議に二泊三日もかけるというのはどうなのかというのもあったのですが、
早割という飛行機の安い運賃が魅力だったので、そのようなプランになったわけです。
 事件は、帰りの成田空港で起こりました。飛行機が出るのが午後6時。そこで午後4時には成田空港に到着。出発まで二時間あります。
せっかくだから成田空港のレストランで早めの夕食をとりました。ロビーに無料のマッサージ椅子がありましたので、10分くらい利用しました。
それでもまだ一時間はあります。そろそろと思い、出発口に向かいました。
しかし、私はある大変なことを忘れていたのです。いや、むしろ知らなかったといったほうがよいでしょう。
新潟空港の国内線利用者は年間80万人。それに対して成田空港は800万人。
利用者の数が10倍違うというのは、かかる時間もまったく違うということです。
受付があるエスカレーターを登り切ったとき、わが目を疑いました。
新潟では決してあり得ない、およそ100メートルにわたる行列がそこにはありました。北海道、大阪、沖縄、その他もろもろ。
その時間帯の国内路線の乗客たちが二列に並び、最後尾というプラカードをもった空港職員さえ立っています。
 すでに出発時刻まで40分を切っていました。新潟空港であれば余りすぎるくらいですが、成田空港では短かすぎます。
30分、15分、しかし残り時間が5分になっても、目の前にはまだ数十人が並んでいます。
終わった。思わず目を閉じるとまるで走馬灯のように思い出が次から次へと浮かんできました。
ああ、なぜマッサージ椅子に10分も使ってしまったのか。なぜ立ち食いそばでなくて定食屋に入ってしまったのか。
なぜ新幹線ではなく飛行機にしてしまったのか。
しかしそれを選んだのはすべて自分。もう決して取り返すことのできない、自分の選択を憎みました。
 しかしそのとき、遠くから若い女性の声が聞こえました。「新潟」と「近様」という言葉が聞こえます。
地獄で仏、と牧師が言ってはいけませんが、はい、はい、はい!と手を挙げて、その声がするほうへと近づきました。
その後はあまり記憶がありませんが、ひたすら周りの人々に頭を下げながら、行列をすっ飛ばして、予約していた座席に座ることができました。
しかしこんなことはたまたまですので、決して真似をしないでください。

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posted by 近 at 15:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ

2018.10.14「神のやり方に従う」(ヨシュア6:1-21)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
来週日曜は、毎年恒例の教会バザーの日。普段はネコの子一匹寄りつかない教会もこの日だけは近所の人で大わらわ(オイ)
今回のチラシも貧乏教会の救世主、ラクスルさんにお願いしましたが、オンラインデザインなるものを初利用。
すでに用意されているテンプレートをちょこちょこ直していくというものです。
面倒くさいことはイヤだけどWORDで作ったような素人っぽいチラシはもっとイヤというどこぞの牧師先生には最適です。
修正前(左)と修正後(中央)を並べるとこんな感じになります。結局、リスと背景以外はほとんど変えていますが。
OnLineDesign-preview-001.jpg 2018bazaar1.jpg 2018bazaar2.jpg
また今回のチラシの裏面(右)は、ショートメッセージではなく、私(牧師)の救いの証しを入れました。
牧師プロフィールにある出来事を、少し詳しく書き直しました。
県内の方は、よろしければおいでください。県外の方は、来会者が礼拝に繋がりますようにお祈りください。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨシュア記』6章1-21節 


1.
 「下手の考え休むに似たり」ということわざがあります。
広辞苑によれば、「よい知恵もないのにいくら考えても、 時間がたつばかりで何の効果もない」という意味です。
私たちにとって、人生に起こるほとんどの問題は未経験なものばかりで、このことわざを本当に痛感することしきりです。
 ところでクリスチャンは、こんなことを経験したことはないでしょうか。
祈祷会で、役員会で、家庭集会で、一つの課題を分かちあい、何人かで心を合わせて祈る。
そのとき、その問題を神にゆだねて祈った。確かにそのように祈り、平安を得た。
しかしお祈りが終わって世間話のような時間のなかで、ふたたびあーだこーだと素人の考えでそれを繰り返してしまうということが。
一度神に祈ったものを再び人の考えの上で蒸し返し、祈りの時間と経験をだいなしにしてしまうということはないでしょうか。
 エリコの戦いは、そんな私たちに対して教えてくれます。
エリコの門を打ち破るという、極めて現実的な問題に対して、イスラエルは神のやり方に従うことで勝利しました。
神のやり方とは、ここでは六日間にわたって神の箱と祭司たちが町を回る、ということです。
そして私たちにとっては、自分の考えややり方であーだこーだではなく、神の御手に完全にゆだねるということです。
私たちは、しょっちゅう神にゆだねます。しかし完全にゆだねることはめったにありません。
一度ゆだねたはずのことを再び自分の手に取り返し、あーだこーだと蒸し返します。
そのような私たちのことを、ヤコブは手紙の中で「二心の人たち」と呼びました。
神にゆだねると言いながら、自分でナントカしようとすることも一応試みる。二心の私たちは、その繰り返しです。
しかし、ゆだねるということは、完全に自分の手から離すこと。それがエリコの戦いです。
みことば、信仰、祈り、この世の人が聞いたらぷっと吹き出されそうなものだとしても、私たちはただそこにだけ従います。
神の手段に徹する者にのみ、門を破るどころか、城壁そのものが崩れ去るという圧倒的勝利が与えられます。
あなたはいかがでしょうか。

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posted by 近 at 09:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ

2018.10.7「励まし、励まされ」(ヨシュア1:1-18)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今日のメッセージの中で、新聖歌486「雄々しくあれSunday School March)」について述べています。
作詞は中田羽後先生で1957年、作曲は千葉昌邦先生で1941年、編曲がやはり中田先生で1958年です。
千葉先生が1941年に作曲されたメロディーに、中田先生が自分の詞とともに編曲し世に出したということでしょうか。
「千葉昌邦」を検索すると、日本基督教団で補教師の准允を受けた後、新発田教会(隣町!)などで働かれたことがわかります。
准允を受けたのが1944年ですので、ちょうど神学校入学直前にこの曲を作ったことになるのでしょうか。
1941年といえば、太平洋戦争の始まった年。その時期に神学校に行くというのは、いったいどれだけの覚悟がいったでしょう。
もしかしたら自分自身に対するエール(応援歌)として、このメロディが思い浮かんだのかもしれません。
 とはいえ「雄々しくあれ、強くあれ、少年たちよ」はこれぞ昭和!という感じの曲で、CSでもあまり歌われなくなりました。
その継承曲とも言えるのが、山本陽一郎先生の「ぼくのたからもの」ではないかと個人的に思っています。
「ぼくのたからもの」がサビでは「わたしのたからもの」となり、男の子女の子どちらでも歌える曲になっています。

なんでも、松原湖バイブルキャンプから全国の教会に広がっていったのだそうです。SNSもなかったのにすごいですね。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨシュア記』1章1-18節 


1.
 今日の箇所をモチーフとしている賛美歌、新聖歌486番は「雄々しくあれ、強くあれ、少年たちよ」という言葉から始まります。
この曲のタイトルは「Sunday School March」、直訳すると、日曜学校行進曲という、たいへん勇ましい言葉になります。
それもそのはず、作曲が1941年、ちょうど太平洋戦争が始まった年です。そしてあれ?と思いました。
てっきり曲調からいって、19世紀あたりにアメリカで作られたものかと思っていたら、ちょうど戦争が始まるころの日本で作られた歌なのですね。
作曲者は千葉昌邦となっております。この方について調べてみましたら、本職は牧師であり、2007年に93歳で亡くなられています。
つまり逆算すると1914年生まれということになりますので、1941年の作曲当時はまだ27歳ということになります。
この方が牧師になられたのは1944年ですので、戦前の神学校の仕組みはわかりませんが、神学生の頃に作られた歌となるかもしれません。
そしてこの千葉先生は、日本基督教団の新発田教会、そして津川伝道所で働かれていたことがあったそうです。
そう考えてみると、今まで歌っていた讃美歌が、一気に親しみが湧いてくるということはないでしょうか。

 「強くあれ、雄々しくあれ」。いまどき「あれ」などという言葉はめったに使いませんので、子どもたちには通じないこともあるかもしれません。
ヨシュアに対する神のことばは、励ましというよりも、命令です。あなたは強くあらなければならない。雄々しくあらなければならない。
言葉使いも今日の子どもたちには通じませんが、ましてや「命令」というのは、子どもたちにはもっと遠く感じるものでしょう。
私にとって大先輩にあたる、ある年配の牧師が、最近教会に来るようになった青年からこんなことを言われて驚いたと言っていました。
「先生、説教の中で、『○○しなければならない』という言葉は使わないでいただけませんか。
命令されているようだし、信仰が自発的なものよりも義務的のように感じられて、なんかいやな気分になるんです。」
 みなさんも、そんな感覚になることはあるでしょうか。
よく知られた都々逸の中に、「噺家殺すに刃物はいらぬ、あくび一つもあればいい」というのがありますが、牧師殺すに刃物はいらぬ。
先生のメッセージは律法的です」と言えば、それだけで牧師は次にどんな説教をすればよいか迷い、苦しみます。
しかし聖書の中には、神さまが「〜しなければならない」と語っておられる言葉が多く見いだされます。
四の五の言わずに俺に従え。神さまはそう言われるのでしょうか。
いいえ、神さまが「〜しなければならない」と言われるとき、もっぱら義務として行うことではなく、期待を表しています。
たとえそれが「ねばならない」という命令のことばではあっても、神さまはその背後に、愛と恵み、そして期待をいつもたなびかせておられます。

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posted by 近 at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ

2018.9.30「私たちはみな罪人(We are all sinners)」(ロマ3:9-18、23-24)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今週の月〜木まで、同盟教団の伝道懇談会及び研修会のために松原湖へ行ってまいりました。更新が遅れてすみません。
補教師になりたての頃、私はこれらの集会に参加するのが重荷でした。知らない人(=先輩牧師)が多かったからです。
しかし教師になって十数年経つと、だんだんとお互いにお名前や人柄を知ることができて、今はとても楽しいです。
ただ「自分が知らない人が減ってきている」というのは「新しく入ってくる先生が少ない」ということでもあります。献身者が少ないのです。
それでも同盟教団は比較的献身者がいると言われます。毎年10名前後、補教師として准允(じゅんいん)を受けます。
しかしそのうちの四割は韓国人の方、そして残りの六割のうちの半分は知った名字、つまり牧師子弟です。
それが悪いということではありませんが、かつてのように未信者家庭から救われ、牧師になるために勘当も覚悟、というのはもう死語でしょうか。
牧師の生き様と死に様が、教会から献身者を生み出します。自分自身がその模範たり得ていないことを悔い改めて歩んでいきます。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ローマ人への手紙』3章9-18、23-24節 


1.
 「十年後には、町から本屋が消える」。
まさかと思われるかもしれませんが、それほど、いわゆる町の本屋さんの閉店が増えているそうです。
その理由はインターネットで本が買えてしまうようになったからです。買うだけではなく、ネットを通して立ち読みやレンタルもできてしまいます。
これを便利と考えるか、それとも嘆かわしいと考えるかは人によって違うでしょう。しかしよく考えてみれば、自然な流れと言うこともできます。
知識の伝達方法は、口伝えから手書きの本へ、手書きから印刷へ、印刷からインターネットへ、と数千年かけて変わってきたからです。
しかしどんなに時代が変わっても、決して内容が変わらず、売れ行きも下がらない、むしろ上がっている本があります。
何でしょうか。言うまでもありません。この「聖書」です。そして日本では、この「聖書」に関して、世界でも珍しい現象が起こっています。
日本のクリスチャンは、全国民1億2千万人のわずか0.6%程度であり、教会に定期的に通う人もわずかであると言われます。
ところが、国民の中でどれだけの人が聖書について知っているかということに関しては、じつは日本は世界一ではないかと言う人もいます。
いや、アメリカか韓国のようなキリスト教国のほうが高いだろう。だれもがそう思うかもしれません。
しかし、都会は言うまでもなく、どんな田舎に行っても、民家や自動販売機のそばに聖書の言葉を書いた札が貼ってあります。
「豚に真珠」「目からうろこが落ちる」「右の頬を打たれたら左の頬も出せ」など、聖書の言葉がことわざのように知られています。
インターネット、実店舗かかわらず、ベストセラーのデータが示すのは、じつに多くの人々が聖書を手に取って読んでいるということです。
残念ながら救いの書としてではなくて、知識と教養を深める書物としてですが、それでもこれほど聖書を知っている国民は他にありません。
しかしある青年がこう言っていたそうです。
「聖書の話を聞いてみたいのですが、教会に来ると無理矢理クリスチャンにされそうで、怖くて入れません。
それでも一回だけ礼拝に行ってみて牧師の話を聞いたことがあるのですが、『罪』という言葉が連発されて、もう二度と来るかと思いました。」

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posted by 近 at 18:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ

2018.9.23「しもべゆえの苦しみ」(ヨブ1:1-12)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨブ記』1章1-12節 


1.
 自分が最も信頼していた友人が、誰かから自分の悪評、中傷を吹き込まれて、信頼関係を失ってしまう。
私が初めてそれを経験したのは、中学生の時でした。
夏休みが終わると、親友が私をあからさまに避けるようになっていたので、おかしいなと思いました。
別の友人からその理由を明かされるまで、私はなぜ親友の態度がここまで変わってしまったのか、見当もつきませんでした。
もう一度話しをして関係を修復できたらよかったのですが、
その前に私が病気にかかってそのまま転校してしまったので、誤解を受けたままです。
『ヨブ記』を読みながら、そんな30年以上前のことを思い出しました。

 悪魔が天の会議で、神にヨブのことを吹き込んでいることは、読者は知っていますが、当のヨブにはいっさい知らされません。
この後、ヨブには次から次へと、筆舌に尽くしがたいほどの災厄が起こります。
そして友人たちは、ヨブに罪があるから、神がさばきとしてこのような目に会わせているのだ、悔い改めれば解決する、と諭します。
しかしヨブは決して悔い改めません。
なぜなら、ヨブにとって神とは、まさに永遠の親友、あるいは戦友ともいうべき存在だったからです。
もし私に罪があれば、友である神は、無言で罰を与えるのではなく、ことばによって教えてくださる。
それがこのヨブ記を貫く、信仰の神髄です。

 ヨブは、不幸には必ず原因があるというこの世の原理と闘っていました。
この原理は、「因果応報」ということばでよく知られています。
正しいことを行えば幸福があり、悪いことを行えば不幸がある、という考え方です。
わかりやすいがゆえに、人々を納得させる力があります。
年端もいかぬ保育園児でさえ、転んでしまったときに「やーい、バチが当たったんだ」とはやし立てられます。
それほどまでに、この因果応報という原理は、人々の心を支配しています。
この後に登場するヨブの友人たちも、この因果応報の原理にとりつかれていました。
ヨブ、君は自分では気づいていないかも知れないけれども、罪を犯しているのだ。だからそれが何か思い出して、すぐに悔い改めなさい。
そうすれば、神はあなたのすべてをまた元に戻してくれるにちがいない、と。
しかしヨブはそのような原理を決して認めません。友人たちに向き合う代わりに、天に向かってこう叫びます。
神よ、あなたは決して私に隠しごとをなさらないお方です。もし私に罪があるのなら、どうかことばを与えてください。
彼はひたすらそれだけを求めます。

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posted by 近 at 12:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ

2018.9.16「神のことを思う」(マタイ16:21-28)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
本日、自民党の総裁選が行われ、安倍首相(現総裁)と石破茂氏の一騎打ちとなりました。
結果は、安倍さんが810の有権者数のうち7割に当たる553票を得ての、いわば圧倒的勝利でした。
しかしその810は、国会議員票405および党員・党友による地方票405で構成されており、
安倍さんは前者では8割にあたる329票を得たものの、後者では224対181という辛勝だったという報道でした。
参考 朝日新聞記事「安倍首相が自民党総裁3選 石破氏は810票中254票」

 安倍さんはともかく、石破氏の主張などもしばしば問題を感じることは多いのですが、
彼がかつての教会指導者のひとり、金森通倫(※注)のひ孫にあたるプロテスタント信者であるのは有名な話です。
そして何かと失言の多い麻生太郎氏も敬虔な(と知り合いの神父さんが言ってた)カトリック信者であるということも。
でもこの二人、大変仲が悪いようです。安倍さんよりも麻生さんのほうがずっと石破氏を嫌っているみたいです。
それが単に政策の違いでそうなのか、それとも人間的にそうなのか、はたまた教派的にそうなのか、わかりませんが、
二人が仲良くしてくれたら安倍さんも変わり、日本の政治も変わるかもというのは言い過ぎでしょうか。
そういえば、安倍さんの奥様、昭恵さんもクリスチャンである森永太一郎氏のひ孫にあたると聞きました。
(※)棄教を宣言したり、再入信したり、また脱会したりとまあいろいろあったようですが、戦前のキリスト教史を語る上で外せない人物です

 でもここだけの話、牧師同士でも仲の悪い人たちっているんですよね。
そして講壇からどんなにりっぱな説教を語ることができても、信徒は牧師同士が愛し合えない姿に最もつまずきをおぼえるのでしょう。
伝道、伝道という前に、まず指導する立場にある者たちがお互いに愛し、敬い合う・・・・自戒としていきます。
週報はこちらです。


聖書箇所 『マタイの福音書』16章21-28節 


1.
 「私、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」
映画は見たことがなくても、この前口上はどこかで聞いたことがあるという平成世代もいるのではないでしょうか。
教会に来なくても、イエス・キリストという名前は聞いたことがあるという日本人は多いと思います。
しかし、「姓は車、名は寅次郎」ではありませんが、「姓はキリスト、名はイエス」。
名字がキリスト、名前がイエス、生まれも育ちもアメリカかヨーロッパ。イエス・キリストをそのように考えている人もまた多いかもしれません。
クリスチャンは、イエス・キリストのキリストが、名字ではなくて救い主という意味であることを知っています。
しかし世の中には、うちの教祖こそ救い主だと主張するあまたの宗教で満ちております。
ではキリスト教もその海千山千の一つにすぎないのでしょうか。その答えが、今日の聖書箇所の冒頭にあります。
21節、「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた」。
エルサレムに行かねばならない、多くの苦しみを受けねばならない、殺されねばならない、そして三日目によみがえらねばならない。
「ねばならない」はよみがえりだけにかかっているのではありません。
都に行くこと、苦しみを受けること、殺されること、よみがえること、すべてにかかる、「ねばならない」です。
しかし、エルサレムに行くことはいいとして、苦しみを受けなければならない、殺されなければならない、
その言葉のショックは、最後の「よみがえなければならない」ということをかき消すには十分すぎるものでした。
神の子が殺される。それは、ペテロが思わずいさめずにはいられなかったほどに、決してあり得ない、いや、あってはならない話だったのです。
「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません」。
 しかしその言葉に対するイエス様の怒りは、今まで聞いたこともないような激しいものでした。
「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ」。
なぜイエス様はそれほどまでにペテロの言葉に憤ったのでしょうか。
その理由は、続くイエス様のことばが語っています。「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。

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posted by 近 at 21:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ

2018.9.9「教会はこの岩(ペトラ)の上に」(マタイ16:13-20)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
北海道胆振(いぶり)東部地震の犠牲者のご遺族、また被災者の方々に慰めと励ましが与えられるように祈ります。
北海道の教会について、被災状況などはこちらをご参照ください。
日本同盟基督教団 緊急災害情報掲示板
北海道クリスチャン宣教ネットワーク(ホクミン)災害緊急支援本部

同盟教団の教会に関しては、教会員やその家族に人的被害はないということですが、
厚真町から近い苫小牧の教会では、人工透析を受けておられる方がおられるのでお祈りくださいとのことでした。
神学校の友人が「(本土の)台風は北海道に抜けました」と報道されるたびに道民としては悲しくなると言っていましたが、
いま北海道の教会のために何ができるのか、何をしなければならないのかを考えていきたいと思います。
ちなみに先週報告した「飛ばされない葉っぱ」は、まだ洗面所の窓のそとで手を振っていますのでご安心ください。
週報はこちらです。

聖書箇所 『マタイの福音書』16章13-20節 


1.
 「あなたは、生ける神の子キリストです」。このように告白したシモン・ペテロに対して、イエスさまはこのように言われました。
18節前半、「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」。
「岩」はギリシャ語でペトラと言います。人の名前であるペテロと音の響きが似ていますが、決して同じ意味ではありません。
イエスは、ペテロとペトラという言葉を並べることで、教会がペテロという人ではなく、ペトラ、つまり岩の上に建つということを強調しておられます。
ペテロは自他共に認める、イエス様の一番弟子でした。しかし人は必ず失敗するものであって、教会の土台はそこにはありません。
では教会の土台である岩とは何でしょうか。その答えは、「あなたは神の御子キリストです」という告白です。
しかし人間が頭で考えての告白ではありません。イエス様が次のように言われたとおりです。
「バルヨナ、シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」
イエス様は、ペテロというひとりの人のリーダーシップにではなく、神が示されたこの告白の上にわたしの教会を建てると言われます。
その告白こそ、「あなたは生ける神の子キリストです」。この方以外に、私たちが望みをおくことのできるものは決して存在しません。

 わたしの教会、つまりそこがキリストの教会である証拠は、看板に「キリスト」や「教会」ということばが入っていることではありません。
建物の上に十字架が立っていることでもないし、オルガンや燭台のような内装が示すわけでもありません。
ましてや、牧師や信徒の人間的魅力だとか、教会のアットホームな雰囲気だとか、−まあ、あれば良いに越したことはありませんが−、
そのこと自体が、その教会がキリストの認める「わたしの教会」であるしるしではありません。
人間的な欠点や、組織的な欠陥がたとえどれほど詰まっているような教会であろうとも、その教会が教会であるしるしは次のことです。
すなわち、「イエス・キリストこそ神のひとり子であり、ただ一人の救い主である」と告白する教会なのか、そうでないか、です。
それは単に主日礼拝といった公の集会の中で、イエスこそ神の御子であると告白している、ということではありません。
一人ひとりのクリスチャンは、それらの礼拝や祈祷会から、それぞれの家庭や社会、すなわち世に遣わされています。
その中で、イエスこそ神の御子であると、大胆に喜びをもって告白しているかどうか、ということを自分自身に問いかけていきましょう。

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posted by 近 at 21:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ

2018.9.2「聖餐は闇を飲み尽くす」(マルコ14:17-31)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
台風21号および北海道地震の被災者の方に励ましが与えられるように祈ります。
同盟教団の災害連絡室からの情報では人的被害を受けた教会はないようですが、ライフラインが一日も早く復旧しますように。

 台風に関しては、関西地方のような直撃はありませんでしたが、豊栄でも強風が吹き荒れました。
築ウン十年の牧師館もガタガタ揺れて眠れない夜を過ごした翌朝、洗面所に立つと窓の向こう側から誰かが手を振っています
びっくりして目をやると、か細いクモの糸に繋がった枯れ葉が一枚、さかんに風に揺られて動いていました。
上下左右に激しく動いていので、誰かが外で手を振っているように見えたのですね。
びっくりしたと同時に、あの強風の中で、よく飛ばされなかったものだと感動しました。
芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を書きたかった気持ちがよくわかります。肝心のクモはどこへ行ってしまったのでしょうか。
ともあれ、主のいなくなった枯れ葉は、その後も飛ばされることなく、今日も洗面所の外から元気に手を振っています。
外から写真を撮ってみたのですが、糸は細すぎて映りませんでした。
IMG_20180906_131113_1.jpg
というか、窓ぎわにこれでもかと並べられている洗剤やら化粧品やらのほうが気になります
自分のうちなのに。お恥ずかしい。空になっても捨てないで放置しているとこうなります。週報はこちらです。

聖書箇所 『マルコの福音書』14章17-31節 


1.
 茶道には様々な流派がありますが、まず薄茶から始めて、徐々に濃茶に進んでいくことはおおむね共通しているようです。
薄茶、濃茶とは文字通り薄いお茶と濃いお茶のことです。
原則、薄茶は一人ひとりに別の茶碗があてがわれ、濃茶は回し飲みをする流派が多いようです。
この回し飲みを作法として完成させた千利休は、一説では当時のカトリック教会の聖餐式で行われていた杯の回し飲みに触れたと言われます。そしてそこに込められている恵みの共有という教えからも影響を受けたのだ、と。

 こんなエピソードがあります。関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍に敗れた石田三成の親友に、大谷吉継という武将がいました。
二人の出会いは、彼らがまだ若かりし頃に行われた、豊臣秀吉の大茶会だったそうです。
大谷吉継は有能な武将でしたが、あの旧約聖書に出てくるナアマンのように、うみやただれを生じる重い皮膚病を患っていました。
そのため茶会ではどの武将も近くに寄ろうとしなかったところ、石田三成は彼の隣に自分から座りました。
ところが濃茶の回し飲みがこの大谷のところに来た時、あってはならないことですが、茶碗の中に膿が落ちてしまいました。
しかし石田三成は慌てる大谷からその茶碗をつかみ取ると、膿の入った茶ごと全部飲み干したというのです。
これ以来、吉継は三成のために死ぬことこそ本望と言い、関ヶ原の戦いでは三成を逃がすために壮絶な最期を迎えたとのことです。

 私たちの教会では、聖餐の杯を回し飲みするということはしません。
しかし聖餐式が茶道に影響を与えたとすれば、次のことを改めて心に刻みつけたいものです。
この杯に注がれているのはまぎれもなくキリストの血潮であり、兄弟姉妹とともに、喜びも苦しみも飲み干す場にあずかっているのだ、ということを。
しかし一方で、同じように聖餐にあずかっても喜びが沸き起こるクリスチャンもいればそうでない者もいるという違いはどこにあるのでしょう。
次のことがらをおぼえるべきです。聖餐は私たちが当然のごとく参加できる権利ではありません。
だからこそ、バプテスマを受けていなければ、どんなに熱心な方でも聖餐にあずかることが赦されていないのです。
聖餐の本質、それは受けとる資格のない者に与えられる恵みです。
本来招かれるはずもない罪人を、ただキリストの十字架によって永遠の大茶会に招いてくださった神の恵みです。
それは決してあたりまえのことではありません。聖餐は恵み以外の何物でもないのです。

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posted by 近 at 10:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ

2018.8.26「短所が長所」(士師3:12-30)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
一時期(2016年)、CSメッセージと同じ聖書箇所から礼拝説教を語る試みを続けていたことがありました。
その時にも書きましたが、手抜きではなく、牧会的配慮です。
大人と子供が同じ聖書箇所から分かち合えるように、また暗唱聖句も共有して取り組みたいと考えたのです。
諸般の事情で中断していたなか、この夏から再開しようかなとか考えていたのですが、そこで私は気づいてしまったのです。
「成長」のカリキュラムが、ほぼ二年前の使い回しになっているということに。
8月のカリキュラムは「モーセの誕生」「燃える柴」「エジプトに下った災い」「エジプト脱出」「紅海渡渉」etc.
そういえば2年前にもそこから紙芝居を作った記憶がありますし、また礼拝説教もそこから語っています。
 たしか「成長」編集部では3年サイクルでカリキュラムを構成しているとどこかで書いていたはずですが、
2年しか経っていないのに同じ箇所というのは、どうなのでしょう。
良く言えば「地球環境に優しい教案誌」、悪く言えば、リサイクルかよ!といったところでしょうか。
アドベント、イースター、ペンテコステならいざ知らず、子どもたちにバランスのとれたカリキュラムをお願いしたいところです。
それならおめさん自分で考えなせや(新潟弁)と編集長に言われたらそこまでですが。週報はこちらです。

聖書箇所 『士師記』3章12-30節 


序.
 今から45年前・・・・というとものすごく大昔のように思えますが、「わたしの彼は左きき」という曲がヒットしました。
一番の歌詞でのサビは、「いつでも彼は左きき/あなたに合わせてみたいけど/私は右ききすれちがい」。
2番のサビは「いつでも彼は左きき/あなたの真似してみるけれど/私の右きき直せない」。
この歌を提供された麻丘めぐみさんは、左ききを気にしている人も少なくない中で、こんな歌を歌って良いんだろうか、と思ったそうです。
しかしこの曲がヒットしたことによって、左ききのイメージが上がり、左きき用の商品が多数開発されるきっかけになりました。
 しかしエフデが生きていた約三千年前のイスラエルにおいては、左ききの人は大変な差別の中にありました。
聖書では「右」が神の「力」「勝利」を象徴しているのですが、当時の人々はそれを間違って受け止めてしまい、
神から祝福されずに生まれてきた者として、左ききの人を差別したのです。
エフデはエグロンを倒した後、自分の同胞であるベニヤミン族ではなくエフライム部族の山地に入って戦いの角笛を吹き鳴らしています。
もしかしたらそれは、彼が同じ部族の中で差別と孤独を味わいながら生きてきたことを表しているのかもしれません。

1.
 人々は左ききのエフデをとうてい人々を救うことのできるリーダーとは見ていなかったでしょう。
むしろ彼はモアブ人に差別され虐げられているイスラエルの中で、さらに差別されていた人間だったに違いありません。
だからこそモアブ人の王エグロンは、イスラエル人のあいだでさえ疎まれているエグロンに警戒を持たず、自分のそばにまで近づけました。
エフデ自身は、左ききに生まれた自分をどのように見ていたのでしょうか。
そのような差別される条件の下に生まれてきたことをどう考えていたのでしょうか。
 しかし次のことを、今日心に刻みつけてください。人の目には短所と見えるものは、神が長所として与えてくださったものです。
宝物はたいがい人に知られないところに隠されるものです。
わかりやすい長所が宝物ではなく、こんなものいらないと思う短所こそ宝物であることがしばしば起こります。
他人の評価に巻き込まれて、私たち自身が欠点とみてしまうようなもの、それを神は、あなただけに与えた祝福の賜物なのだよと言われます。
エフデが人々の尊敬を集めるような者ではなかったからこそ、エグロンは彼を小物と判断し、自分の近くに呼び寄せました。
エフデが左ききであったゆえに、右利きの者が剣を忍ばせる左側の懐だけに注目していたエグロンは、彼が隠していた剣に気づきませんでした。
人がもっぱら悪い方へと受け止める、エフデのもつあらゆる特徴が用いられて、エフデは、蛇のように注意深いエグロンを倒すことができました。
左ききであることでおそらく虐げられ、卑しめられていたこのエフデは、モアブ人からイスラエル人を解放する英雄となりました。
私は口下手ですと神に言い続けてしまいには怒られたモーセも、エジプトからイスラエル人を解放するリーダーになりました。
使徒パウロも、何か持病を抱えていたようです。しかし彼はそれを通して、弱さの中に働かれるイエス・キリストを喜んで宣べ伝えました。

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posted by 近 at 17:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ

2018.8.19「夫婦はともに高め合う」(創2:18-25)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
最近のニュース記事を見かけ、思うことがありました。リンクはそのうち切れると思うので、見出しを残しておきます。
ご当地ヒーローの“正体”さらした町議が炎上し謝罪(日刊スポーツ)
内容については肖像権の侵害ということになるのでしょうが、感じている問題点はそこではありません。
いちいち、不特定多数の人が関わるツイッターやFacebookを経由して、抗議や抗弁をするのはどうしてなのでしょうか?
直接連絡を取って伝えればよいのに、なぜあえてSNSで拡散してでなければ向き合えないのか。
相手が匿名の存在であればSNSを使うのもわかりますが、事務所やプロダクションの連絡先もわかるはずです。
本人たちが気づいているかはともかく、おそらく自分に同意してくれる人たちの支持をとりつけるためなのでしょう。
しかしそのせいで、個人的に話し合えば納得できるものが多数の第三者を挟んでしまい、傷口を広げることが多いのです。
 今回は、夫婦について説教で取り上げました。
一昔前、声をかければ届く距離にいる夫婦がわざわざ携帯メールで用件を伝えるやりとりが笑い話になったことがありました。
しかし今は、夫婦げんかが起こるとすぐにそれぞれがSNSで拡散して「自分は悪くないよね」という時代になっています。
「もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。」(マタイ18:15)
二千年前に語られたイエス様の言葉は、今日の情報過飽和時代にも当てはまります。週報はこちらです。

聖書箇所 『創世記』2章18-25節 


1.
 今日の礼拝説教は、最初の人間、アダムとエバを神が創ったことを通して語られている、結婚についてです。
子どもたちや学生さんにはまだ早いかもしれません。
逆に、いまさら言われてもねェという、諦めの境地にある夫婦もいるやもしれません。
しかし聖書の教えは永遠に変わることがありません。そこから教えられることには、早すぎるということも、遅すぎるということもありません。
逆に、世間で語られる結婚は、目まぐるしく変わります。
私が結婚適齢期であった90年代には、女性が結婚相手に求める条件として「三高」が言われていました。高学歴、高収入、高身長です。
私が結婚した頃、それが「四低」に変わりました。女性に頼らない「低依存」、俺が俺がと押しつけがましくない「低姿勢」、
安定した仕事の「低リスク」、そして長男坊ではないこと。私はどれも満たしていませんでしたが。
そのあとも数字と漢字を掛け合わせたいくつかの言葉が生まれ、今は「三生」だそうです。生存力、生活力、生産力。
さらには、男性同士、女性同士の同性婚についてもわからないでは済ませられない時代に来ています。

 このように、この社会の結婚観はまるでネコの瞳のようにくるくると変わっていきます。
しかしもう一度繰り返しますが、聖書が教えている結婚は、時代によって決して変わることがありません。18節にはこうあります。
「その後、神である主は仰せられた。人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」。
神は男性、女性をそれぞれにふさわしい相手として備えてくださっています。
さらに21節から24節までの言葉を通して、人間ではなく神さまのイニシアチブ、主導権の中で導いてくださいます。
その人の知らないうちに、その人の骨から造り、目の前に連れてきて、一心同体として結ばせてくださった、と。

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posted by 近 at 09:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ