こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今回の説教は、この一週間前の10月10日に村上福音キリスト教会の会堂増築感謝礼拝での記念説教をアレンジしたものです。
手抜き?いえいえ、牧会的配慮です。
私たちの教会も、このたび新しい会堂用地が示され、今度の主日に臨時教会総会を行います。10/10の村上での説教奉仕は何ヶ月も前から決まっていたことですが、ちょうど並行して、当教会でも新会堂用地が突然示され、総会公示期間3週間を含む、約一ヶ月半のあいだに、準備委員会・役員会・総会へと次々に進んでいくプロセスは、ノンクリスチャンである売主様や仲介業者さんとのやりとりを含めて、不思議の連続でした。その中で、私自身の確信も確かなものになっていき、いよいよ総会を迎えます。
牧師が迷っているものを総会にかけるのは禁物です。総会は「牧師や役員会では決めかねないから、みんなで決めよう」というためのものではありません。総会に出席する信徒は、牧師・役員以上に判断材料が限られているのですから、そこに決定を「ゆだねて」しまうのは危険なことです。総会は「みんなにゆだねる」のではなく、「みんなに認めてもらう」ための場所です。牧師と役員が共同して、なぜこの議案に賛成してほしいのかを説明する。そしてもしその説明が足りなければ、信徒は質問する。しかし反対ありきの敵対的な質問ではなく、現状では反対でも、質問とその回答を通して賛成への一石としていただくことが提案者の願いであることをわきまえながら、信頼関係を踏まえた質問と回答がなされていき、そこで教会の徳と証しが生み出される。それが教会の総会であり、株主総会とは違います。いや、株主総会に出たことがないから知らんけど。
「委任状に反対意見を書いて提出する」という方法もあるようですが、「委任」というのは実際に出席する誰かに自分の意見を託す(白紙委任であれば議長に、指名委任であればその人に)ことなので意味が通りません。何よりも、反対意見を出して、実際には出席しないということであれば、総会を通していろいろな人の意見を聞きながら、自分自身の意見を修正していくという総会本来の趣旨に反することになります。確かに総会は、教会において最高の議決機関です。しかしそれは機械的な解釈ではなく、人間の最初の意見(議案に対する第一印象)は間違えやすい、しかし総会に出席し、論議を尽くすことを通して、思い込みや偏狭な考えがあればそれを修正し、その議案が正しい方向へと進むことを前提としているのであって、それを無視して、自分の意見を送りつけることが総会だというのは、少なくともキリスト教会においては慎重であるべきでしょう。
じつはこれは古代ギリシャの直接民主政の時代から、永遠の政治の課題です。たとえば私たちは、選挙を通して、国会議員や地方議会の議員を選びます。しかし一体何をもって選ぶのか、というと、政策を理解して投票することはまれです。なぜならば、候補者自身が、自分の政策を説明する能力に欠けているからです(笑)。ですからほとんどの選挙は、候補者の名前を連呼するか、「今度こそ私に一票を与えてください」と同情を誘うか、有権者は本来の政策を理解することができないまま、投票することになります。かつて日本では、普通選挙権はなく、ある程度裕福な人や、男性のみに選挙権を与えていました。それは批判もありますが、実際の所、女性に教育の機会が与えられていなかったり、貧しくて文盲の人々が大多数の中で、ある程度は仕方のないことだったと思います。しかし現代はそうであってはなりません。印象だけで大事なことが決められてしまう、衆愚政治を繰り返してはいけません。それを利用したのがヒトラーでした。ヒトラーは暴力で政権をもぎとったのではなく、選挙によって合法的に選ばれたのです。候補者は誠実に政策を語り、有権者は謙遜に学び続ける、そのような主体的参加がなければ、直接民主政は、実際の所は独裁制と変わらないものになってしまうのです。
少し話がそれましたが、牧師が確信を持てず、説明もできないような事柄を、教会総会の決定にゆだねることは罪です。今回の用地も、会堂建設準備委員会で説明してもし多数の反対があれば、到底役員会にも総会にも出すべきではないと思っていました。しかし準備委員会では、決して安くはない負担にもかかわらず、牧師からの情報発信が誘い水となって、委員の口から幾多の熱いビジョンが語られ、準備委員会の決議として、役員会に提案することが承認されました。その次の週にはすぐに役員会が開催され、重要な議案ですので決定まで二週をかけましたが、それは役員の考えが分裂したからではなく、役員会が責任をもって総会を招集するのだから、たとえ全員が一致して賛成でも、結論を出す前に一週間祈ろうということになったのです。それでも一週間後、役員会の意思は変わらず、全員一致にて総会への提案となりました。ただ、実際に不動産市場に出されているものを購入するわけですから、そこには慎重さだけではなく、迅速さが必要です。そこでどうしてもプロセスに説明が欠けていたりするところも出てきます。それもまた総会の中でしっかりと討議され、みんなが確信をもって進んでいくものになること、それが祈りの課題です。お祈りください。週報はこちらです。
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最近の記事
(04/20)重要なお知らせ
(09/24)2023.9.24主日礼拝のライブ中継
(09/23)2023.9.17「家族を顧みない信仰者」(創世19:1-8,30-38)
(09/15)2023.9.10「安息日は喜びの日」(マルコ2:23-3:6)
(09/08)2023.9.3「私たちはキリストの花嫁」(マルコ2:18-22)
(09/24)2023.9.24主日礼拝のライブ中継
(09/23)2023.9.17「家族を顧みない信仰者」(創世19:1-8,30-38)
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2021.10.10主日礼拝説教「今、私に」(ヤコブ1:22-25)
こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
10月10日は、かつて兼牧していた村上福音キリスト教会の会堂増築感謝礼拝での記念説教を依頼され、当教会の礼拝は、新潟聖書学院でキャンプ関連のいろいろご奉仕しておられた佐々木昇先生にお願いしました。今年からその奉仕を離れ、来年度からは通常の牧会につく予定であるということです。いつもの私の一本調子の説教とは違う、滋味豊かな説教を語ってくださいました。
ところが現在、当教会では一日に三回礼拝を行っており、第一礼拝は8:00からなので柏崎在住の佐々木先生にはお願いできません。で、結局、私が説教を準備しました。違う聖書箇所から語ると、週報(プログラム)がもう一枚必要になるので、佐々木先生と同じ箇所から語りました。ある教会員は、第一と第二の両方に出席したそうです。たぶん同じ聖書箇所からでも、アプローチもだいぶ違うのかもしれません。佐々木先生の説教は、10/16土曜の正午まで、ライブ配信の中で聞くことができます。午後になると、ライブ配信のページを、次週の礼拝のライブに上書きしてしまうので、期間限定!産地直送!問答無用!とりあえず四文字熟語にすると、そんな感じです。
来週の私の説教は、村上での会堂増築記念説教を修正したものを語る予定です。偶然、ではなく、みこころ、と思いますが、いま当教会でも新会堂用地が示され、24日に臨時教会総会を行います。村上の兼牧で経験したことがありました。本当に成功する会堂建築というのは、人間の思いを越えた神のみわざがこれでもかこれでもかとついてくるのです。問題もたくさん起きて、もちろん祈ったことも数え切れないのですが、不安の中で祈るということはありませんでした。次は神様は何をしてくださるんだろうとニヤリとするくらいの余裕がありました。今回の物件もそれ以上ですので、総会で否決されたらどうしようとか一切考えていません。商人が畑に埋まっている宝を見つけたら、財産を全部売り払ってでも手に入れるというたとえ話そのものが、いま目の前に起きています。どれだけ犠牲を払うことになっても、それは苦痛や不安ではなくて期待しかない、ということが本当に起こるのですね。これについては近い将来に、お話しできる時が来るでしょう。乞うご期待。週報はこちらです。
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10月10日は、かつて兼牧していた村上福音キリスト教会の会堂増築感謝礼拝での記念説教を依頼され、当教会の礼拝は、新潟聖書学院でキャンプ関連のいろいろご奉仕しておられた佐々木昇先生にお願いしました。今年からその奉仕を離れ、来年度からは通常の牧会につく予定であるということです。いつもの私の一本調子の説教とは違う、滋味豊かな説教を語ってくださいました。
ところが現在、当教会では一日に三回礼拝を行っており、第一礼拝は8:00からなので柏崎在住の佐々木先生にはお願いできません。で、結局、私が説教を準備しました。違う聖書箇所から語ると、週報(プログラム)がもう一枚必要になるので、佐々木先生と同じ箇所から語りました。ある教会員は、第一と第二の両方に出席したそうです。たぶん同じ聖書箇所からでも、アプローチもだいぶ違うのかもしれません。佐々木先生の説教は、10/16土曜の正午まで、ライブ配信の中で聞くことができます。午後になると、ライブ配信のページを、次週の礼拝のライブに上書きしてしまうので、期間限定!産地直送!問答無用!とりあえず四文字熟語にすると、そんな感じです。
来週の私の説教は、村上での会堂増築記念説教を修正したものを語る予定です。偶然、ではなく、みこころ、と思いますが、いま当教会でも新会堂用地が示され、24日に臨時教会総会を行います。村上の兼牧で経験したことがありました。本当に成功する会堂建築というのは、人間の思いを越えた神のみわざがこれでもかこれでもかとついてくるのです。問題もたくさん起きて、もちろん祈ったことも数え切れないのですが、不安の中で祈るということはありませんでした。次は神様は何をしてくださるんだろうとニヤリとするくらいの余裕がありました。今回の物件もそれ以上ですので、総会で否決されたらどうしようとか一切考えていません。商人が畑に埋まっている宝を見つけたら、財産を全部売り払ってでも手に入れるというたとえ話そのものが、いま目の前に起きています。どれだけ犠牲を払うことになっても、それは苦痛や不安ではなくて期待しかない、ということが本当に起こるのですね。これについては近い将来に、お話しできる時が来るでしょう。乞うご期待。週報はこちらです。
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2021.10.3主日礼拝説教「明日のために種を蒔く」(詩126)
こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
遅ればせながら、この木曜日にようやく1回目のワクチンを打つことができました。武田モデルナです。なんか帰国子女みたいな名前ですね。
本当はもっと早く打ちたかったのですが、もし副作用が起きて倒れてしまったら、替えがいないのが牧師の仕事(先週のブログとまるで逆のことを言っていますが)。
現在の私の生活パターンは、日曜日には3度の礼拝、月曜日は次週の説教を作成して録音、火曜日は翌日の水曜祈祷会メッセージの準備、といったように、週の前半に比較的、クリエイティブな仕事が集中していますので、ワクチンを打って、1〜2日寝込むなんて話を聞くと、接種を受けることができるのは木曜日しかありません。そんなこんなで、こんなに遅くなってしまった次第。
頭痛、発熱はありませんが、まだ腕が痛いです。そんな私をことのほか喜んでいるのがうちの妻。
腕が痛いのを知っていながら、朝っぱらから「ヨォ、元気?」とか言って、痛い方の腕を叩いてきます。悪役プロレスラーみたいですね。
ただ、副作用がこの程度で済んで、よかったと主に感謝しています。
次の日曜日は、別の教会で説教奉仕ですが、豊栄ではとっておきの外部講師を頼んでおりますので、お楽しみに。週報はこちらです。
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遅ればせながら、この木曜日にようやく1回目のワクチンを打つことができました。武田モデルナです。なんか帰国子女みたいな名前ですね。
本当はもっと早く打ちたかったのですが、もし副作用が起きて倒れてしまったら、替えがいないのが牧師の仕事(先週のブログとまるで逆のことを言っていますが)。
現在の私の生活パターンは、日曜日には3度の礼拝、月曜日は次週の説教を作成して録音、火曜日は翌日の水曜祈祷会メッセージの準備、といったように、週の前半に比較的、クリエイティブな仕事が集中していますので、ワクチンを打って、1〜2日寝込むなんて話を聞くと、接種を受けることができるのは木曜日しかありません。そんなこんなで、こんなに遅くなってしまった次第。
頭痛、発熱はありませんが、まだ腕が痛いです。そんな私をことのほか喜んでいるのがうちの妻。
腕が痛いのを知っていながら、朝っぱらから「ヨォ、元気?」とか言って、痛い方の腕を叩いてきます。悪役プロレスラーみたいですね。
ただ、副作用がこの程度で済んで、よかったと主に感謝しています。
次の日曜日は、別の教会で説教奉仕ですが、豊栄ではとっておきの外部講師を頼んでおりますので、お楽しみに。週報はこちらです。
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2021.9.26主日礼拝説教「磐上人生」(マタイ7:24-27)
こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
また一人、昭和の巨星が逝かれました・・・『ゴルゴ13』の作者、さいとう・たかを氏です。
作者が亡くなると作品も終わってしまう、というのが漫画界の常識ですが、さいとう氏の偉業は、作者とアシスタントの協力体制によるプロダクション制を極めて早くから確立させていたということ。『ゴルゴ13』は「作画はアシスタントに任せて、作者はゴルゴの目しか書いていない」という噂があり、長期連載のライバルであった秋本治氏の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』30巻にも、その噂をパロディー化した「近所の大先生」が出てきます。


秋本治・集英社
「牧師は何でも屋でなければならない」と先輩牧師に言われたことがあります。確かに牧会は、説教の勉強だけでなく、事務、経理、福祉、政治、あらゆる領域に対する知見が求められます。しかし、「牧師は何でもしてはならない」のです。(「何もしてはならない」という意味ではないので、読者はよく読み取るように)
牧師が何でもしてしまう教会は、いつのまにか牧師に依存し、本来、教会員が自らみことばから考えて、行うべきことさえも、牧師や牧師夫人が行う、あるいは指示がなければ何もしない、ということになります。そしてその牧師が天に召されたり、異動されたときに、教会そのものが動かなくなる、ということも起こります。
その意味で、さいとう氏が亡くなられた直後に、掲載誌の編集部が「ゴルゴ13はこれからも続きます」とコメントしたことは、ご本人が一番喜んでおられることかもしれません。戦場カメラマンの故ロバート・キャパの言葉を借りるならば、「牧師(戦場カメラマン)の夢は廃業である」(牧師がいなくても、信徒がお互いに教え合うことができる)のです。しかしそのような自立は決して簡単に生みだされるものではないがゆえに、それまでは牧師たちは産婆役を引き受けなければなりません。
私も、たとえ土曜日に天に召されても翌日はいつもどおりに礼拝がささげられる教会を目指しながら牧会しています。け、決して怠けているわけじゃないんだからね!週報はこちらです。
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また一人、昭和の巨星が逝かれました・・・『ゴルゴ13』の作者、さいとう・たかを氏です。
作者が亡くなると作品も終わってしまう、というのが漫画界の常識ですが、さいとう氏の偉業は、作者とアシスタントの協力体制によるプロダクション制を極めて早くから確立させていたということ。『ゴルゴ13』は「作画はアシスタントに任せて、作者はゴルゴの目しか書いていない」という噂があり、長期連載のライバルであった秋本治氏の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』30巻にも、その噂をパロディー化した「近所の大先生」が出てきます。



「牧師は何でも屋でなければならない」と先輩牧師に言われたことがあります。確かに牧会は、説教の勉強だけでなく、事務、経理、福祉、政治、あらゆる領域に対する知見が求められます。しかし、「牧師は何でもしてはならない」のです。(「何もしてはならない」という意味ではないので、読者はよく読み取るように)
牧師が何でもしてしまう教会は、いつのまにか牧師に依存し、本来、教会員が自らみことばから考えて、行うべきことさえも、牧師や牧師夫人が行う、あるいは指示がなければ何もしない、ということになります。そしてその牧師が天に召されたり、異動されたときに、教会そのものが動かなくなる、ということも起こります。
その意味で、さいとう氏が亡くなられた直後に、掲載誌の編集部が「ゴルゴ13はこれからも続きます」とコメントしたことは、ご本人が一番喜んでおられることかもしれません。戦場カメラマンの故ロバート・キャパの言葉を借りるならば、「牧師(戦場カメラマン)の夢は廃業である」(牧師がいなくても、信徒がお互いに教え合うことができる)のです。しかしそのような自立は決して簡単に生みだされるものではないがゆえに、それまでは牧師たちは産婆役を引き受けなければなりません。
私も、たとえ土曜日に天に召されても翌日はいつもどおりに礼拝がささげられる教会を目指しながら牧会しています。け、決して怠けているわけじゃないんだからね!週報はこちらです。
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2021.9.19主日礼拝説教「主がお入り用なのです」(ルカ19:28-36)
こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今回の説教、ロバの子の物語ですが、数年前に教団の教育局の家庭教育部に依頼されて、マタイの並行箇所から子ども向けのディボーションガイドとして原稿を提出したことがありました。私だけでなく、教団のほとんどの教師が駆り出されて、365日分のショートメッセージを作り上げた、一大プロジェクトであったはずですが、教団のホームページから入っても、なかなか見つかりません。備忘録として、行き方を書いておきます。
いちいちPDFをダウンロードしないと見られないのもどうかと思いますし、しかも実際にダウンロードするとなぜかファイル名に「2008年10月12日」とついています。頼まれたのは2016年なんですが、どうもやる気が感じられない、教団の一大プロジェクトでした。興味があれば探してください。子ども向けのメッセージも(たまに)語れるぞ!バイブルキャンプで語らせろ!肉食わせろ!という魂の叫びに耳を傾けていただけたら幸いです。本人の了承なく、妻の名前を使って例話を書いたので、あとで怒られました。週報はこちらです。
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今回の説教、ロバの子の物語ですが、数年前に教団の教育局の家庭教育部に依頼されて、マタイの並行箇所から子ども向けのディボーションガイドとして原稿を提出したことがありました。私だけでなく、教団のほとんどの教師が駆り出されて、365日分のショートメッセージを作り上げた、一大プロジェクトであったはずですが、教団のホームページから入っても、なかなか見つかりません。備忘録として、行き方を書いておきます。
@右のリンクから、「日本同盟基督教団」のバナーをクリックして、教団ホームページにアクセス。ああ、疲れた。研修会の席上で教育局長が教師たちに依頼したときは、「これは教団の次世代の信仰を養う宝物になります!」みたいなことを言われてその気にさせられた記憶がありますが、教団の複雑なHP構造の中に大事にしまわれすぎて、肝心の宝物になかなかたどり着けなくなっています。海賊王の宝を探すはずが伏線を張りすぎて収拾がつかなくなった、どこかの国民的マンガのようですね。
A教団ホームページの右下にある「各部局・関連サイト」から「教育局」をクリック。
B教育局のホームページにある、「家庭礼拝ガイド」をクリック。
C「家庭礼拝ガイド」のページにある、「家庭礼拝ガイド365日」という葉っぱのアイコンををクリック。
D「1日分ずつダウンロード」から「10月」という本の形をしたアイコンをクリック。
E「10月10日『エルサレム入城』」のPDFをダウンロード。
いちいちPDFをダウンロードしないと見られないのもどうかと思いますし、しかも実際にダウンロードするとなぜかファイル名に「2008年10月12日」とついています。頼まれたのは2016年なんですが、どうもやる気が感じられない、教団の一大プロジェクトでした。興味があれば探してください。子ども向けのメッセージも(たまに)語れるぞ!バイブルキャンプで語らせろ!肉食わせろ!という魂の叫びに耳を傾けていただけたら幸いです。本人の了承なく、妻の名前を使って例話を書いたので、あとで怒られました。週報はこちらです。
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2021.9.12主日礼拝説教「一ミナの福音」(ルカ19:11-27)
こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今回の説教題「一ミナの福音」は、我が新潟県が生んだ偉大なる漫画家、高橋留美子氏の「一ポンドの福音」からとっています。原作を読んだことがないので(おい)、タイトルだけいただきました。噂で聞いたところによると、ボクサーを目指す青年が、ある修道女(シスター)に出会い、夢を果たしていく内容らしいのですが、ボクシング漫画なのか、それとも恋愛漫画なのかはよくわかりません。一ポンドはボクサーの体重を表す重さの単位なので、貨幣価値を表す一ミナとは明らかに違いますしね。いただいたのはタイトルだけで、内容にはまったく関わりはありません。それはさておき同じ高橋留美子氏の「めぞん一刻」は、昭和から平成にかけて一世を風靡したラブコメの名作ですので、読まれたことのない平成後期生まれの方々は、どうかご一読ください。私は高校時代にあれを読んで、浪人生という生き方も悪くないなと思いました。危ない、危ない。序盤を読んでいただければ意味がわかります。
ところでボクシング漫画と言えば、昭和40年代が漫画適齢期であった方は「あしたのジョー」(ちばてつや)、平成生まれの方は「はじめの一歩」(森川ジョージ)と答えるそうですが、私たち昭和50年代が漫画適齢期であった人間は「がんばれ元気」(小山ゆう)を連想します。うろ覚えなのですが、私が小学生の頃、新潟市長選に立候補していた故・若杉元喜氏(当時の現職?)の選挙ポスターに、なぜか本人の写真ではなく「がんばれ元気」(ゲンキつながりで)の主人公のイラストがそのまま使われていた記憶があるのですが、インターネットで「若杉元喜」「がんばれ元気」「小山ゆう」と複合検索しても、そのような画像はまったくヒットしませんでした。当時は著作権の問題は今ほど厳しくなかったとしても、いったい公職選挙法で、選挙ポスターに漫画のキャラクターを用いるというのが許されていたのかは不明です。小さいときの記憶なのでうろ覚えで申し訳ないのですが、ご存じの方がいたら、豊栄キリスト教会「私も見たことあるよ」の係まで。相変わらず、どうでもよい話で申し訳ありません。週報はこちらです。
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今回の説教題「一ミナの福音」は、我が新潟県が生んだ偉大なる漫画家、高橋留美子氏の「一ポンドの福音」からとっています。原作を読んだことがないので(おい)、タイトルだけいただきました。噂で聞いたところによると、ボクサーを目指す青年が、ある修道女(シスター)に出会い、夢を果たしていく内容らしいのですが、ボクシング漫画なのか、それとも恋愛漫画なのかはよくわかりません。一ポンドはボクサーの体重を表す重さの単位なので、貨幣価値を表す一ミナとは明らかに違いますしね。いただいたのはタイトルだけで、内容にはまったく関わりはありません。それはさておき同じ高橋留美子氏の「めぞん一刻」は、昭和から平成にかけて一世を風靡したラブコメの名作ですので、読まれたことのない平成後期生まれの方々は、どうかご一読ください。私は高校時代にあれを読んで、浪人生という生き方も悪くないなと思いました。危ない、危ない。序盤を読んでいただければ意味がわかります。
ところでボクシング漫画と言えば、昭和40年代が漫画適齢期であった方は「あしたのジョー」(ちばてつや)、平成生まれの方は「はじめの一歩」(森川ジョージ)と答えるそうですが、私たち昭和50年代が漫画適齢期であった人間は「がんばれ元気」(小山ゆう)を連想します。うろ覚えなのですが、私が小学生の頃、新潟市長選に立候補していた故・若杉元喜氏(当時の現職?)の選挙ポスターに、なぜか本人の写真ではなく「がんばれ元気」(ゲンキつながりで)の主人公のイラストがそのまま使われていた記憶があるのですが、インターネットで「若杉元喜」「がんばれ元気」「小山ゆう」と複合検索しても、そのような画像はまったくヒットしませんでした。当時は著作権の問題は今ほど厳しくなかったとしても、いったい公職選挙法で、選挙ポスターに漫画のキャラクターを用いるというのが許されていたのかは不明です。小さいときの記憶なのでうろ覚えで申し訳ないのですが、ご存じの方がいたら、豊栄キリスト教会「私も見たことあるよ」の係まで。相変わらず、どうでもよい話で申し訳ありません。週報はこちらです。
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2021.9.5主日礼拝説教「神に不可能はない」(ルカ19:1-10)
こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
私はさる4月から、当教団の新潟山形宣教区(12教会)の書記を務めております。来年で当教会に赴任してから20年になりますが、宣教区長は経験しても書記を担当するのは初めてです。私が赴任した20年前、書記といえば紙で文書を作成して諸教会に郵送する、という仕事のイメージでしたが、今は、ほとんどの文書は紙へ印刷ではなく、PDFファイルへの変換になり、メールに添付して送ります。
さて、半年前に前任の書記先生から事務の引き継ぎを受けました。議事録などは残っていますが、それはいわば精選された資料で、いわゆるその下地になるメモのようなものはありません。まあなくてもそれほど困らないのですが、教会の役員会や、宣教区の役務者会で話し合われる本当に大切なことというのは、議事録には出てきません。これは議事録が不完全という意味ではなく、守秘義務の範囲においてゆだねられた事柄の中にこそ、私たちが知恵を尽くし、力を尽くさなければならない真実があるということです。これについてはまたいつか取り上げましょう。では議事録作成のための議事録というメモ的なものはどこにあるのかというと、それがメールという形で積み上げられていくのです。裁判においてもメールは証拠文書として認められるようになりましたが、モリカケ問題の本質を暴くのは役所の黒塗りの議事録に本来何が書かれていたかよりも、破棄されたメールに残されていたことなのかもしれません。
しかし個人や教会のメールアドレスに届けられた数千のメールから、次の書記に引き継ぐべきものを抽出することは膨大な手間がかかります。そこで宣教区の公式メールアドレスを開設したのが7月くらいのこと。それならば書記が代わってもアカウント権を引き継ぐだけで過去の情報にアクセスできます。ここでそのメールアドレスを明かすことはできませんが、Gメール(Google社)を取得して、文書を諸教師に送信していました。
ところがどうもYahooメールとGメールは、それぞれがフリーメール(使い捨て可能)なだけに、迷惑メールとして分類される率が高いようなのです。Yahooメールを使っている、ある先生から「届いていない!」と連絡が来ました。なぜ届いていないことに気づいたのかということについては、ややこしいので省略しますが、何らかの理由で迷惑メールに入れられてしまったのでしょう。そこでふと12教会の先生方のアドレスを見て思いました。大半がYahooメールかGメールなのです。これは教会として、あまりよろしくなのではないかと思います。大事な問い合わせなどをやりとりするときに信頼性がある(YahooやGoogleのメールサーバーで迷惑メールと判断されない)のは、プロバイダ各社が提供するメールです。数年前ですが、宣教区長をしていたときに、教団理事からのたいへん大切なメールが、なんと迷惑メールに入れられていたことがありました。よく見るとその理事も、Yahooメールでした。
今日、これだけメールが普及しているなかで、メールアドレスにも公的認証制度が必要ではないかと思います。個人情報をやりとりするようなサイトには、ベリサイン社のデジタル証明がありますが、メールにはそれがありません。他人のアドレスを入手さえすれば、それを発信者として送ることも可能です。とくにフリーメールは便利ではありますが、簡単に登録できて、使い捨てられるというのは犯罪の温床にもなっています。今日、教会に問い合わせが来るときは、電話よりもメールのほうが多くなっています。また教会に行くときにはインターネットでサイトやブログを確認し、最終更新がいつかということでその教会を判断するということもあります。教会が信頼のできるプロバイダで、メールアドレスを取得することで、大切なメールを漏らしてしまう機会も少し減るかもしれません。週報はこちらです。
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私はさる4月から、当教団の新潟山形宣教区(12教会)の書記を務めております。来年で当教会に赴任してから20年になりますが、宣教区長は経験しても書記を担当するのは初めてです。私が赴任した20年前、書記といえば紙で文書を作成して諸教会に郵送する、という仕事のイメージでしたが、今は、ほとんどの文書は紙へ印刷ではなく、PDFファイルへの変換になり、メールに添付して送ります。
さて、半年前に前任の書記先生から事務の引き継ぎを受けました。議事録などは残っていますが、それはいわば精選された資料で、いわゆるその下地になるメモのようなものはありません。まあなくてもそれほど困らないのですが、教会の役員会や、宣教区の役務者会で話し合われる本当に大切なことというのは、議事録には出てきません。これは議事録が不完全という意味ではなく、守秘義務の範囲においてゆだねられた事柄の中にこそ、私たちが知恵を尽くし、力を尽くさなければならない真実があるということです。これについてはまたいつか取り上げましょう。では議事録作成のための議事録というメモ的なものはどこにあるのかというと、それがメールという形で積み上げられていくのです。裁判においてもメールは証拠文書として認められるようになりましたが、モリカケ問題の本質を暴くのは役所の黒塗りの議事録に本来何が書かれていたかよりも、破棄されたメールに残されていたことなのかもしれません。
しかし個人や教会のメールアドレスに届けられた数千のメールから、次の書記に引き継ぐべきものを抽出することは膨大な手間がかかります。そこで宣教区の公式メールアドレスを開設したのが7月くらいのこと。それならば書記が代わってもアカウント権を引き継ぐだけで過去の情報にアクセスできます。ここでそのメールアドレスを明かすことはできませんが、Gメール(Google社)を取得して、文書を諸教師に送信していました。
ところがどうもYahooメールとGメールは、それぞれがフリーメール(使い捨て可能)なだけに、迷惑メールとして分類される率が高いようなのです。Yahooメールを使っている、ある先生から「届いていない!」と連絡が来ました。なぜ届いていないことに気づいたのかということについては、ややこしいので省略しますが、何らかの理由で迷惑メールに入れられてしまったのでしょう。そこでふと12教会の先生方のアドレスを見て思いました。大半がYahooメールかGメールなのです。これは教会として、あまりよろしくなのではないかと思います。大事な問い合わせなどをやりとりするときに信頼性がある(YahooやGoogleのメールサーバーで迷惑メールと判断されない)のは、プロバイダ各社が提供するメールです。数年前ですが、宣教区長をしていたときに、教団理事からのたいへん大切なメールが、なんと迷惑メールに入れられていたことがありました。よく見るとその理事も、Yahooメールでした。
今日、これだけメールが普及しているなかで、メールアドレスにも公的認証制度が必要ではないかと思います。個人情報をやりとりするようなサイトには、ベリサイン社のデジタル証明がありますが、メールにはそれがありません。他人のアドレスを入手さえすれば、それを発信者として送ることも可能です。とくにフリーメールは便利ではありますが、簡単に登録できて、使い捨てられるというのは犯罪の温床にもなっています。今日、教会に問い合わせが来るときは、電話よりもメールのほうが多くなっています。また教会に行くときにはインターネットでサイトやブログを確認し、最終更新がいつかということでその教会を判断するということもあります。教会が信頼のできるプロバイダで、メールアドレスを取得することで、大切なメールを漏らしてしまう機会も少し減るかもしれません。週報はこちらです。
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2021.8.29「あなたを見るために」(ルカ18:35-43)
こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
教会に関するコロナ記事が配信されていましたので備忘録として。(朝日新聞デジタル9/3(金) 7:17配信)
別府の教会で45人のクラスター 合唱など原因?想定外の事態に
確かに、教会だからこそ気をつけなければならないと思いますが、クリスチャンが「うちは対面礼拝していないし、賛美歌も歌っていない」っていうのは胸を張るべきことではありません。もちろん努力は認めますし、忍耐もしておられるのでしょうが、それは痛みをもってご自分の中にとどめておいたほうがよい事柄であって、なんか複雑です。
ただ、現在の主要株となっているデルタ株は、従来の対策を切り替えていく必要がある感染力であることは確かです。私たちの教会でも、行政の緊急事態宣言に合わせるのではなく、自らみことばをもとに判断していくことが改めて求められていると感じています。それにしても最近出てきた「ミュー株」は、昔、実家で飼っていた猫の名前と同じなので、なんかキュンとします。週報はこちらです。
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教会に関するコロナ記事が配信されていましたので備忘録として。(朝日新聞デジタル9/3(金) 7:17配信)
別府の教会で45人のクラスター 合唱など原因?想定外の事態に
大分県は2日、同県別府市のフルゴスペル大分教会での感染者が累計45人になったとして、県内94例目のクラスター(感染者集団)と判断した。45人は県内ではこれまでで最大の規模。県は集会での合唱などが感染拡大の原因とみている。8月下旬から参加者の感染判明が続いていたが、教会での集会は聞き取り項目の想定外だったため、感染者同士のつながりをつかめずにいたという。この教会では8月22、27、29日に集会があり、計60人が参加した。参加者は間隔を開けるなど感染防止策をとっていたが、一緒に歌う時に一部の参加者がマスクをしていなかったり、マスクを外して軽食をとったりしていたという。県によると、感染力が強いデルタ株では、間隔を開けていても換気が不十分だと感染が拡大する可能性があるという。引用先のYahoo!ニュースでは、半日で約2400件近いコメントが寄せられています。さすがに全部読むような気力も体力も時間もありませんが、教会関係者(クリスチャン)からの辛辣なコメントもありました。中には「うちの教会は夏に献堂式をしたのに、コロナ禍に配慮して一度も集会をしていない」というのがあったりして、あれあれ、これもしかしてうちの教団のあの教会の信徒さんじゃないの?と思ったり。
教会での感染者は別府市内を中心に29日に2人、30日に3人、31日に8人、9月1日に13人と続いた(日付はいずれも発表日)。県の担当者らは「何かおかしい。何かあるのではないか」と感じていたが、感染者への調査では共通の行動がなかなか見えてこなかったという。県福祉保健部の藤内修二理事は「県外に行くとか、会食をしたかとか、感染のリスクがある行動について尋ねるが、教会に行きましたかという聞き方は想起できず、感染源を探知するのに少し時間がかかった」と説明した。教会で働く職員の感染が2日発表分まで確認されなかったことも確認を遅らせた。藤内理事は「賛美歌やゴスペルは宗教活動に欠かせないものとは思うが、今の時期に皆さんで歌うことは自粛をお願いしたい」と呼びかけている。
確かに、教会だからこそ気をつけなければならないと思いますが、クリスチャンが「うちは対面礼拝していないし、賛美歌も歌っていない」っていうのは胸を張るべきことではありません。もちろん努力は認めますし、忍耐もしておられるのでしょうが、それは痛みをもってご自分の中にとどめておいたほうがよい事柄であって、なんか複雑です。
ただ、現在の主要株となっているデルタ株は、従来の対策を切り替えていく必要がある感染力であることは確かです。私たちの教会でも、行政の緊急事態宣言に合わせるのではなく、自らみことばをもとに判断していくことが改めて求められていると感じています。それにしても最近出てきた「ミュー株」は、昔、実家で飼っていた猫の名前と同じなので、なんかキュンとします。週報はこちらです。
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2021.8.22主日礼拝説教「聖書が実現するために」(ルカ18:31-34)
こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
7月はじめに、説教壇上面をまるごと覆うアクリル板を設置し、ノーマスクで喜色満面の説教を続けてきたワタクシ。なんとそれに冷や水を浴びせるがごとき記事が『クーリエ・ジャポン』に掲載されていました。
アクリル板はコロナ対策にならないどころか、感染リスクを上げる可能性も─米紙が指摘する「死角」とは
結論としては、最後の「仕切りがあるからといって安心せず、反対にこの記事を読んでパニックに陥るべきでもない」ということに尽きるのでしょう。だったら、煽り文のようなタイトルを記事につけるなよと言いたいところでもありますが。
新潟県も本日(25日)新規感染者数が過去最高となりました(約150名)。そのうちの半分から3分の2が新潟市です。もともと9月上旬には200名を超えるかもしれないという警告は出ていましたのであまり驚きはしませんが、この分だと8月中に到達してしまうかもしれません。
それでも、許される限り、私たちは三密にならないように細心の注意を払いながら、集まることをやめないでいきたいと思います。ライブ配信による礼拝参加の機会をこれからも提供していきますが、やはり願いは一日も早く、安心して礼拝に集まることができる日が来ることです。祈りましょう。週報はこちらです。
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7月はじめに、説教壇上面をまるごと覆うアクリル板を設置し、ノーマスクで喜色満面の説教を続けてきたワタクシ。なんとそれに冷や水を浴びせるがごとき記事が『クーリエ・ジャポン』に掲載されていました。
アクリル板はコロナ対策にならないどころか、感染リスクを上げる可能性も─米紙が指摘する「死角」とは
新型コロナウイルスの感染対策として、レストランや学校などでプラスチック製の仕切りが活用されているが、米紙「ニューヨーク・タイムズ」によれば、たいした予防効果がないどころか、かえって感染リスクを上げる可能性もあるという。当教会の換気に関して言えば、部屋全体の空気を循環できるような、大きくて高機能な換気扇はありません。サーキュレーターはありますが、標準で運転しても爆音なので、人が集まってくる前に強モードで循環し、礼拝のあいだは最低速度で回しています。聖書朗読と説教の間に、3分間の黙想をおいて、そのあいだに窓や玄関の扉を開いて換気しますが、果たしてそこで約40畳規模の礼拝堂の空気がどれくらい入れ替わっているか、専門的な知見をもって行っているわけではありません。
問題は、そうした仕切りによって、室内の本来の気流や換気が妨げられてしまうことだ。
吐き出された息は気流に乗って拡散する。室内の換気システムにもよるが、だいたい15〜30分ごとに新しい空気に入れ替わる。ところが、プラスチック製パネルが設置されていると、空気の流れが変わったり換気効果を妨げたりして、「ウイルスを含んだエアロゾル粒子が集まって高濃度になる“死角”が生まれかねない」と、同紙は指摘する。
(中略)
専門家らによれば問題は、学校でも店でもオフィスでもプラスチック製パネルを設置する際、ほとんどの場合において室内の換気や気流を評価できる工学専門家の助けを借りていないことだという。
プラスチック製の仕切りがあるからといって安心せず(反対に、この記事を読んでパニックに陥るべきでもない)、より良い換気やマスク着用を続けることが感染リスクの低減につながると言えるだろう。
結論としては、最後の「仕切りがあるからといって安心せず、反対にこの記事を読んでパニックに陥るべきでもない」ということに尽きるのでしょう。だったら、煽り文のようなタイトルを記事につけるなよと言いたいところでもありますが。
新潟県も本日(25日)新規感染者数が過去最高となりました(約150名)。そのうちの半分から3分の2が新潟市です。もともと9月上旬には200名を超えるかもしれないという警告は出ていましたのであまり驚きはしませんが、この分だと8月中に到達してしまうかもしれません。
それでも、許される限り、私たちは三密にならないように細心の注意を払いながら、集まることをやめないでいきたいと思います。ライブ配信による礼拝参加の機会をこれからも提供していきますが、やはり願いは一日も早く、安心して礼拝に集まることができる日が来ることです。祈りましょう。週報はこちらです。
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2021.8.15主日礼拝説教「和解が墓に刻まれた」(創世25:7-11)
こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉がハンガリーで生まれた理由を知って損はない
ちょっと長いタイトルの配信記事でしたが、ついガッキーを思い出して、最後まで読んでしまいました。記事をまとめると、ハンガリーという国は、世界で最も激しい競争社会なのだということでした。今まで一度も夏季オリンピックが開かれていない国の中でのメダル取得数は世界一だそうです。知りませんでした。
で、ハンガリーについて興味をもって調べていたら、セルビアを挟んでもう一軒南にある小国モンテネグロにたどりつきました。
モンテネグロの国旗。中心のライオンは、聖マルコの象徴だそうです。
この国が百年前の日露戦争の際、ロシアに呼応して日本に宣戦布告したのは有名な話。しかし宣戦布告はしたものの主戦場まで遠すぎて一度も日本軍と戦いを交えることができず、結果、日本だけではなくロシアからも戦争に参加していることを忘れられて、ポーツマスの講和会議に呼ばれませんでした。それでつい最近まで、日本とモンテネグロはずっと戦争していることになっていたらしいです(諸説あり)。
戦争はいけませんが、小国の民でありながら極東の島国にまで果敢にも遠征を挑む(行かなかったけど)モンテネグロ。さぞ血の気の多い国民性と思いきや、なんとハンガリーをはじめ周囲の東欧諸国からは「なまけ者の国」と呼ばれているとのこと。実際「なまけ者コンテスト」も毎年開催されていて、23時間まったく動かなかった人が優勝したそうです。そしてなんとモンテネグロには、なまけ者による、なまけ者のための「ご当地十戒」があります。
わが同盟教団の次の国外宣教地が確定しましたね。もし理事長命令が下れば、喜んで後ろ髪を引かれる思いで、旅立つかもしれません。もちろん、宣教の原則である、「ユダヤ人にはユダヤ人のように、モンテネグロ人にはモンテネグロ人のように」の精神で、のんびりと。十戒を破るわけにはいきませんしね。「日本とアジアとモンテネグロと世界に仕える日本同盟基督教団」をよろしくお願いします。週報はこちらです。
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「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉がハンガリーで生まれた理由を知って損はない
ちょっと長いタイトルの配信記事でしたが、ついガッキーを思い出して、最後まで読んでしまいました。記事をまとめると、ハンガリーという国は、世界で最も激しい競争社会なのだということでした。今まで一度も夏季オリンピックが開かれていない国の中でのメダル取得数は世界一だそうです。知りませんでした。
で、ハンガリーについて興味をもって調べていたら、セルビアを挟んでもう一軒南にある小国モンテネグロにたどりつきました。

この国が百年前の日露戦争の際、ロシアに呼応して日本に宣戦布告したのは有名な話。しかし宣戦布告はしたものの主戦場まで遠すぎて一度も日本軍と戦いを交えることができず、結果、日本だけではなくロシアからも戦争に参加していることを忘れられて、ポーツマスの講和会議に呼ばれませんでした。それでつい最近まで、日本とモンテネグロはずっと戦争していることになっていたらしいです(諸説あり)。
戦争はいけませんが、小国の民でありながら極東の島国にまで果敢にも遠征を挑む(行かなかったけど)モンテネグロ。さぞ血の気の多い国民性と思いきや、なんとハンガリーをはじめ周囲の東欧諸国からは「なまけ者の国」と呼ばれているとのこと。実際「なまけ者コンテスト」も毎年開催されていて、23時間まったく動かなかった人が優勝したそうです。そしてなんとモンテネグロには、なまけ者による、なまけ者のための「ご当地十戒」があります。
1.人間は疲れて生まれてくる。そして休むために生きているのだ。
2.自分自身のように自分の布団を愛せ
3.夜よく眠れるよう日中は休息すべし
4.働くな。仕事はあなたを死に追いやるのだ
5.休息している人を見たなら、助けを差し伸べなさい
6.できるだけ少なく働きなさい。もしできるなら他の人にやらせなさい
7.木陰は救いである。そこで休むものは未だかつて死んだことがない
8.労働はあなたを病いへと導く。若いうちに死んではいけない
9.もし突然に働きたいという願いが沸き起こったなら、まず座り、冷静になれ。そのうちその願いは消えるだろう
10.飲み、食べている人たちを見つけたなら、彼らに加わりなさい。働いている人を見たなら、すぐさま遠ざかりなさい。彼らを邪魔してはいけないのだ
わが同盟教団の次の国外宣教地が確定しましたね。もし理事長命令が下れば、
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