今回の説教原稿の中で、「Googleで「日本同盟基督教団」と検索すると、もれなく「怪しい」というキーワード検索の結果がついてくる」とあるのですが、若い人にしか通じないかな〜と思い、ここでの説教録画の中では触れていません。
ただ実際に検索してみると、やはりこうなってしまいます。ハイ。

子どもの頃に見ていた、戦隊ものの特撮で、悪の秘密結社の幹部が「卑怯?フハハ、最高の褒め言葉よ」みたいなことをよく言っていましたが、さすがに「怪しい」と言われてフハハと喜ぶ教会関係者はいないでしょう。しかし教会が語るメッセージが、いつのまにかこの世の価値観や方法論に便乗したものになり、「十字架の言葉の愚かさ」から離れる危険があるなかで、世の人々から「怪しい」と検索されることで、当教団は福音の愚直なメッセージにとどまり続けているという証しかもしれません。あくまでも「かも」です。別の教派・教団の方々から「怪しい」と検索されているとしたら憂慮すべきことです。
それに関連して、つい最近の話ですが、メンタリスト(どんな職業?)のDaiGo氏がホームレスや生活保護受給者に対する差別発言で話題になりました。それに関連して、エッセイスト犬山紙子さんが「私も勝手に生きるし、生きてる人全員、堂々と生きような。価値とかいらんから」という反論が紹介されていて、その言葉にドキッとしました。
聖書が提示する福音は、私たちが「価値ある者だからこそ神が死んでくださった」のではなく、私たちが「まだ罪人であったとき、私たちのために死なれた」(ロマ5:8)という愛です。エヴァンジェリストの村上宣道師は「because(だから)の愛ではなく、inspite of(にもかかわらず)の愛」と言っています。「あなたには価値がある」は、この世が喜ぶ言葉です。「価値とかいらんから」という言葉は、実際にはこの世では忌避される言葉です。そして私たち教会が語る福音のメッセージは、神が語るように命じられている言葉よりも、人が語ってほしいと願うものになってはいないでしょうか。
確かに、自尊感情がかつてないほどに貶められているこの社会とそこに生きる人々に「あなたは価値がある」というのは、わかりやすいメッセージです。しかし「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)は、イスラエルがその罪と堕落によっていかに神を苦しませてきたのか、という文脈から切り離されて、ただそこだけが至言として語られるならば、むしろ聖書全体が教えているメッセージを誤解させる危険さえあります。聖書が語る罪とは、この世が考えているものとはまったく次元の違う、壊滅的な深刻さ、かつ人力では修復不可能なものです。その罪人であった私たちのためにイエスが死んでくださったという福音は、まさに価値があるとかないとかいう世界を突き抜けたところにあります。その意味で今日の教会は、あえて人々の聞きたいことに逆行することを語るというリスクを抱えても、罪、そして救いを毅然として語ることができているか、改めて考えさせられます。「同盟+怪しい」とGoogle先生にどうせ言われるならば、この世の価値観、常識の向こう側へとこのまま突き進んでいってほしいと願います。週報はこちらです。
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