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(09/15)2023.9.10「安息日は喜びの日」(マルコ2:23-3:6)
(09/08)2023.9.3「私たちはキリストの花嫁」(マルコ2:18-22)
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2021.3.21主日礼拝説教「誰もイエスを見ていない」(ルカ23:27-38)
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1.
27節をご覧ください。「民衆や、イエスのことを嘆き悲しむ女たちが大きな一群をなして、イエスの後について行った」。
苦しそうに息を吐きながら、むちでえぐられた体中の傷口から血を流し、ゴルゴタの丘へ向かって行くイエス・キリスト。
そしてこのむごい仕打ちに怒りと悲しみをたたえながら、心配そうにイエスの後をついていく善良な人々を、私たちはここから想像するでしょう。
しかしつまずかせることになりますが、事実はまったくの逆だったのです。彼ら、彼女らは、イエスを慕ってついていった人々ではありません。
確かにイエスを愛し、見捨てず、十字架を遠くから追いかけ、見つめていた、マグダラのマリヤのような女性たちも別の所にいました。
しかし彼女らは「ガリラヤから付き従っていた女たち」です。それに対してこの女たちは「エルサレムの娘たち」と呼ばれています。
この女性たちは、聖書の中にたびたび出て来る、「泣き女」でした。「泣き女」とは、葬式のときに雇われて号泣する女性のことです。
彼女たちは葬儀のときに、遺族の代わりに故人を悼み、大声をあげ、時には独特の節をつけて、一斉に泣きじゃくります。
これは昔のユダヤだけではなく、世界中に共通する習慣だそうです。雇われて泣くこともあれば、近所の人がわずかのお礼で行うこともありました。
日本では「五合泣き」とか「一升泣き」という言葉も生まれました。一升泣きは本気で泣く場合、五合泣きは半分手を抜いて泣きます。
ここでイエスの後ろについていった民衆も、女性たちも、イエスを慕って泣き悲しんでいた人々ではありませんでした。
野次馬根性でついていった民衆たち。偽の救い主イエスへの葬儀の歌として叫び、あざける女性たち。ここには悲しみではなく悪意がありました。
私は今回の説教を準備するなかで、この女たちが泣き女だったという解釈に最初、つまずきを感じずにはいられませんでした。
その時の私と同じように、いや、そうではないだろう、この人々はイエスを悲しみ、ついていった人々ではないのかと考える人もいるかもしれません。
しかしもしそうだとしたら、イエスは誰からも尊ばれずに死んでいった、という聖書のメッセージを忘れてしまっているのではないでしょうか。
イエスの十字架を700年前に預言した、預言者イザヤはこう語っています。「虐げとさばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと」。(イザヤ53:8)
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2021.3.14主日礼拝説教「強いられた恵み」(ルカ23:26)
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1.
イスラエルにあるエルサレムの町には、聖書にちなんだ観光名所がたくさんありますが、ヴィア・ドロローサというのもその一つです。
「悲しみの道」という意味のラテン語ですが、イエス・キリストが十字架を背負いながら死刑場にまで歩いて行ったルートをこう呼んでいます。
ローマ兵の詰め所があったアントニオ要塞の跡地から始まり、ゴルゴタの丘があったと言われる場所へ向かうその道の長さは、約500メートル。
ある観光客が、意外と短いね、と言ったら、ガイドさんが、では次来られる時には、十字架を用意しておきましょうか、と言ったそうです。
自分が磔にされる十字架を背負いながら死刑場まで歩んでいく500メートルの道。
それはどんな猛者でも音を上げてしまう苦しさであり、これ自体が十字架刑の一部でありました。
クレネ人シモンが十字架を背負わされたのは、おそらくそれまで十字架を背負ってきたイエス様の力が尽きてしまったことがあったのでしょう。
それは、ゲツセマネでの祈りの格闘、不法な裁判、むち打たれ、十字架を背負わされる、という体力・気力の限界ということだけではありません。
イエス様の十字架は、同じように十字架刑に定められた他の死刑囚たちとは明らかに意味が異なっていました。
それは、決して罪を犯すことのないお方が、すべての人の罪を背負い、人からは拒絶され、神からは見捨てられるという、のろいそのものでした。
体力・気力が限界に達していたというよりは、イエスが背負われた十字架には、どんな屈強な者さえも押しつぶしてしまうものでした。
イエスが背負われていたものの、とてつもない大きさと重さを、私たちは決して理解することができないでしょう。
それはただ、信仰によってのみ受け止めることができるものです。シモンが背負った十字架は、イエスの背負った苦しみのごくわずか一部でした。
しかしそれでもなお、この経験を通してシモンの人生は変わりました。このシモンに起きたのと同じことが、私たちのうえにも起こります。
この説教が終わるとき、私たちの中に、十字架を背負って生きることがまさに恵みなのだということをおぼえることができるように、と願います。
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2021.3.7主日礼拝説教「ペテロとピラト」(ルカ23:13-25)
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1.
先日、7万円の接待を受けていた国家公務員が、激しい批判を受けた結果、辞職するという出来事がありました。
当初、7万円の接待の罪滅ぼしでしょうか、70万円を自主返上するという話だったのですが、それでは世間が納得しなかったようです。
霞ヶ関の中では、小さな風向きを見極めながら築いてきた地位と特権かもしれません、しかし外から吹いてきた大きな風を見誤りました。
それは先週、今週と聖書を通してその生き様を見つめてきたポンテオ・ピラトについても言えることです。
まず、聖書から離れ、実際のローマの歴史書、公文書に記録されていることからわかるピラトという人物をお話しします。
ポンテオ・ピラトは、生まれた年や場所はわかりませんが、家柄だけははっきりしています。ポンテオは、ローマの騎士階級、ポンティウス家。
騎士階級というのは当時のローマ帝国で勢力を強めていた人々で、ちょうど日本では平安貴族から生まれた源氏や平家のようなものです。
ピラトは西暦26年、第五代ユダヤ総督として就任し、西暦36年後に失脚して任を解かれるまでの約10年間、総督の地位にありました。
ピラトがユダヤの総督になれたのは、同じ騎士階級の出世頭であり、当時ローマ皇帝に次ぐ地位にあったセイヤヌスという人物の後ろ盾でした。そしてこのセイヤヌスは、あのアドルフ・ヒトラーのようにユダヤ人を憎んでいた人物でした。
だから彼の後ろ盾で総督になれたピラトも、セイヤヌスを満足させるために、ユダヤ人に対する高圧的な政策を行い続けました。
例えばこのルカの13章には、ピラトがガリラヤ地方の人びとを虐殺し、その血をいけにえの血に混ぜたという記録が残されています。
その他にもローマ皇帝の肖像がついた旗を神殿に持ち込んだり、水道の整備を建前に神殿からお金を奪うといったこともあったようです。
しかしピラトが赴任して5年目にあたる西暦31年、後ろ盾であるセイヤヌスが皇帝への反乱容疑をかけられて処刑されました。
それまでセイヤヌスをバックに、ユダヤ人に対して高圧的な態度をとってきたピラトは、いまや自分の総督の地位も危うい所へ追い込まれます。
そのような状況のなかで持ち込まれたのが、このイエス・キリストの裁判であったと考えられます。
祭司長、律法学者、さらには民衆を敵に回してまでイエスを無罪とするならば、エルサレム中を巻き込んだ反乱が起こることも予想されました。
かといってもし無罪の人を十字架刑にかけてしまえば、それがローマ本国に知られたとき、彼の失脚を願う人々に材料を与えることにもなります。
このように歴史の記録も並べながら聖書を読むと、ユダヤ人に高圧的だったピラトがなぜこの裁判は控えめだったのかが見えてきます。
そしてそれは、まさに人の知恵や計画を越えて、神さまがこの十字架という出来事もしかるべき時に行われたことがはっきりとわかるのです。
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2021.2.28主日礼拝説教「逃げ回って二千年」(ルカ23:1-12)
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1.
毎週、礼拝で使徒信条を唱えるとき、「教会が二千年間守り続けてきた、使徒信条を全員で唱和しましょう」と司会者がリードします。
初代教会の時代から、今日の時代に至るまで、クリスチャンは、毎週礼拝でこの使徒信条を告白し続けてきました。
ただ不思議なのは、「使徒信条」という名前の割りには、そこに出てくる名前は使徒ではなく、ポンテオ・ピラトであるということです。
私たちは先ほどこう告白しました。「主は、聖霊によってやどり、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と。
主イエスに苦しみをなめさせた者、という意味では、ピラトよりもイスカリオテのユダのほうがよっぽどふさわしいようにも思えます。
なぜ使徒信条はこのポンテオ・ピラトの名前を入れて、それが代々の教会の礼拝の中で告白されてきたのでしょうか。
ある学者はその理由を、十字架が歴史的事実であることを証言するためだと説明します。
キリストの十字架は作り話ではない、ローマ総督ポンテオ・ピラトの時に起こった証拠として、使徒信条にピラトの名が刻まれたというのです。
しかしそれならば、総督のような中間管理職ではなく、ローマ皇帝ティベリウスのもとに、といった表現のほうがふさわしいようにも思います。
あるいは大祭司カヤパでも、国主ヘロデ・アンティパスでも、イスカリオテ・ユダでもよい、しかしなぜポンテオ・ピラトなのでしょうか。
私はこう考えています。それは、このピラトこそ、イエスを十字架につけた、私たちすべての人間を表しているからなのではないか、と。
彼の弱さは、私たちひとり一人が抱えている弱さです。そして今日の説教の目的は、私たちがその弱さに目を向けることにあります。
今日の箇所を見る限り、ピラトは決して、二千年間も毎週クリスチャンに告発されなければならないような極悪人には見えません。
むしろ彼が、イエスに対して最初に下した評価は、「この人には訴える理由が何も見つからない」でした。
ユダヤ人たちがイエスに対して作り上げた罪状の嘘くささを、彼は見抜いていました。彼はイエスが罪のない人だとわかっていました。
ピラトは、決して無能な男ではありませんでした。むしろ有能な役人であり、イエスが無実であることを確かに感じ取っていたのです。
しかし同時に、ユダヤ人たちがここまでなりふり構わず訴えてきたからには、対処を誤れば自分の立場が危うくなることも感じ取っていました。
彼は、一人で責任を負いたくなかった。だから「ガリラヤ」という言葉を聞いたとき、ガリラヤの領主であるヘロデを引き込もうとひらめきました。
ヘロデがこのイエスを調べて無罪にしようが、有罪にしようが、少なくとも自分がすべての責任を負うことは避けられる、と。
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2021.2.21主日礼拝説教「ここに私がいる」(ルカ22:63-71)
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1.
国民的マンガである『ドラえもん』の中に、ひょんなことからのび太くんが過去の戦争に参加することになってしまうお話しがあります。
そのとき、のび太くんがドラえもんにこう質問します。「どっちの味方をすればいいの?正しい方を助けなくちゃ。」
するとドラえもんがこう答えるのです。「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ。」
大人になって、この言葉がいつも心にのしかかります。私たちが争ってしまうとき、いつも自分の正しさを疑わない、ということを。
戦争だけではありません。人が二人以上集まれば、夫婦関係、親子関係、家族関係、社会関係が生まれます。
そしてそこで争いが起きるとき、だれもが自分の正しさを疑わず、自分の方が間違っているかもしれない、ということを認めません。
すぐに「私が悪かった、ごめんなさい」と言えたらよいのですが、それを認めたくないから、尾ひれをつけてでも、自分の支持者を集めます。
向こうも同じことをしますから、争いがひたすら長引いていきます。そして私たちは、この不毛な渦の中に簡単に巻き込まれてしまうのです。
ルカは、他の福音書記者と異なり、裁判の前に、イエス・キリストが人々から嘲りや攻撃を受けた姿をまっさきに記しています。
それは、自分が正しい側にいるのだから、罪人には何をしてもかまわないと考えて、正義の暴走に身を任せてしまう人々の姿です。
こんな連中が正義なのか、と思われる方もおられるでしょう。しかし彼らは自分たちが正義だと信じています。だから暴力を振るえるのです。
それは、私たちとは関係ない、野蛮な古代人の姿ではありません。
現代の、信仰者の中にも、世の人々の中にもある、私は正しい側にいる、と必ず考えてしまう、あらゆる人々の姿です。


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2021.2.14主日礼拝説教「新しい朝が来た」(ルカ22:54-62)
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1.
戦場カメラマンという職業をご存じでしょうか。常に死と危険が隣り合わせの戦場で、兵士や民の写真を撮影し、世界に紹介する人々です。
かつて、ある戦場カメラマンが、雑誌社からインタビューを受けました。記者からの最初の質問は、こういうものでした。
「あなたは数々の危険な戦場に乗り込み、そして必ず生還していますね。その秘訣は何ですか。勇気ですか。それとも情熱ですか。」
すると彼はこう答えました。「面白い質問ですね。勇気も、情熱も、私にはいっさいありません。
しかしもし私が戦場から無事戻って来れた秘訣があるとすれば、それは、私がだれよりも臆病であることではないでしょうか。
臆病だからこそ、無理はしません。臆病だからこそ、限界を知っています。そして臆病だからこそ、生きのびるための準備を欠かさないのです」。
シモン・ペテロは、捕らえられたイエスの後を追いかけて、敵である大祭司の家に乗り込んでいく勇気もありました。
いざというときはイエスのために死んでみせる、という情熱もありました。しかしこのカメラマンの言葉を借りれば、彼には臆病が足りなかった。
臆病、それは悪い言葉として聞こえるでしょう。しかしこの方が言われる「臆病」は、「謙遜」と言い換えることもできます。
自分を過信してはならないのです。自分は決してイエスを見捨てるようなことはない、と信じたペテロのようであってはならないのです。
弱いのです。いとも簡単に、神も、自分も裏切るものなのです。だからこそ、みことばを必要としているのです。
自分が強いと思っているクリスチャンは、みことばを、自分が持っている力にプラスアルファする程度のものにしか考えません。
しかし真に謙遜な者、つまり自分がゼロの者であることを知っているクリスチャンは、みことばだけに頼ります。
ペテロには臆病さが足りませんでした。自分の勇気や情熱を過信して、大祭司の家へと乗り込んでいきました。
彼はまるで役人や兵士たちの仲間のようなふりをして、中庭の真ん中にあるたき火の前に座り込みました。
もし私だったら、人々の目に触れないような、庭の隅っこや、柱の陰から、イエス様をそっと見つめるかもしれません。ガタガタ震えながら。
しかしペテロは違いました。そんなことをしたらかえって怪しまれ、捕まえられる。こういうときは腹に力を入れて、堂々としているもんだ。
思わずアニキと呼びたくなります。しかし神は、ペテロ、いやアニキが想像もしていなかった、意外な人物を使って、彼の高慢を砕いたのです。
56節、「すると、ある召使いの女が、明かりの近くに座っているペテロを目にし、じっと見つめて言った。「この人も、イエスと一緒にいました」。
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2021.2.7主日礼拝説教「裏切りと愛が出会う場所」(ルカ22:47-53)
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序.
今日も私たちは、神さまが人間に与えられたみことばをタイムマシーンとして、二千年前の弟子たちが見たものを体験することができます。
いま私たちは、エルサレム郊外のオリーブ山上、ゲツセマネの園にいます。
空にかかる月の光が、園の中央にたたずむイエスの顔を照らし出しています。そしてその傍らには、11人の弟子たちの姿があります。
しかし彼らは、大きなオリーブの木の、ごつごつした太い幹によりかかったまま、いまだにとろんとしたまどろみの中にいるようです。
そんな彼らの上に、力強くもどこか温かい、言葉が注がれます。「まだ眠っているのですか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。
しかし彼らが、自分たちが見事に眠り込んでしまったことを恥じるひまもなく、木々のあいだから剣や棒を手にした群衆が現れました。
そしてその先頭には、彼らが三年半ともに過ごした仲間のひとり、イスカリオテのユダの姿がありました。
ユダは笑みを浮かべながらイエスのもとに近づいてきたのに対し、イエスはこわばった表情のまま、ユダにこう尋ねました。
「ユダ、あなたは口づけで人の子を裏切るのか」。そのとき、ぼんやりと夢の続きを見ているようだった弟子たちにもようやくわかりました。
ユダこそ、主が語られていた、裏切る者だったのだ!ユダが裏切ったのは、師であるイエス・キリストだけではありません。
仲間だと信じて、ともに一緒に歩んできたはずの、彼らの三年半の記憶もすべて含めて、彼は裏切ったのです。
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2021.1.31主日礼拝説教「勝利への処方箋」(ルカ22:39-46)
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1.
イエス様は十字架にかかられる前、「いつものように、いつもの場所に来られた」。今日の聖書箇所の冒頭で、ルカはそのように記します。
イエス様は、いつも、祈りをもって始められました。祈りなくしては、何も始められませんでした。
それは、祈りが、霊的な戦いの準備運動だからではありません。祈りそのものが、霊的な戦いの場所そのものでした。
この「いつもの場所」は、他の福音書の説明によれば、オリーブ山の頂きにある、ゲツセマネの園であったことがわかっています。
イエス様は、いま、サタンに魅入られたイスカリオテのユダが、兵隊や群衆を引き連れてここに近づいてきているのを感じておられたことでしょう。
イエス様の敵は、ユダでも群衆でもありません。この世界と、この世界に生きる人々を、いつまでも罪の鎖の中に引き留めようとするサタンです。
このゲツセマネの園で、イエス様は、サタンと彼が支配しているこの暗闇の世界に対して、たったひとりで戦いを挑みました。
弟子たちは、だれ一人として、このイエスの霊的戦いについていくことができず、瞬く間に眠り込んでしまいました。
地上のだれもがイエスに加勢することができない、この世離れした霊の戦いのさなか、天の御使いがイエスを力づけました。
イエス様は祈ります。イエス様は苦しみます。体中のその毛穴からはまるで血のしずくのように、汗が地にしたたり落ちる、激しい祈りでした。
祈り終えてイエスは、悲しみの果てに眠り込んでいた弟子たちに近づきました。
そしてまるで何事もなかったかのように、祈る前と同じ言葉を繰り返しました。「誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」
しかしイエスがサタンに完全に勝利したからこそ、あたりはまるではじめから何もなかったように静まりかえっていたのでした。
やがてこの園に、ユダと群衆たちがなだれこんできます。しかしイエス様の心は穏やかでした。すでに勝利したからです。
ここに聖書は私たちに教えています。祈りは厳密に言えば、勝利をもたらす力ではない。祈りそのものが勝利なのだ、と。
どんなに小さな祈りであっても、私たちはイエス様の祈りの姿を模範としながら、祈りましょう。
祈り終えたとき、いや、むしろ、祈り始めたとき、すでに勝敗は決しているのです。祈りはイエス様が見せてくださった、勝利そのものです。
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2021.1.24主日礼拝説教「人の剣を捨て、神の剣を取れ」(ルカ22:24-38)
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1.
今日のメッセージには、「人の剣を捨て、神の剣を持て」というタイトルをつけました。どんな人間も、手に見えない剣を握っています。
いつもその剣を使って人の上に立ち、人を支配しようと狙っています。もちろん、だれもが「自分はそんな人間ではない」と言うでしょう。
しかし自覚していないだけです。この剣がなければ、人は自分が丸裸で立っているという不安に押しつぶされるしかありません。
剣とは何でしょうか。家庭、職場、社会において、何ものかであること、あるいは何ものかとして見られるために必要なものです。
人はそれがなければ、まったくの空っぽです。外側も内側もまったくのむき出しの裸です。
そして裸では生きていけない、それがアダムとエバが神から離れて以来、私たちを常に不安にさせている原罪の一つの結果です。
イエスが十字架にかかられる前の、最後の晩餐の席で、弟子たちがだれが一番偉いかで議論を始めた。
それを聞くと、いったいこの大事なときに何をくだらないことを論議しているのか、と私たちは第三者として呆れることでしょう。
しかし聖書は、私たち罪人の姿を映し出す鏡です。
相手より少しでも上に立ち、一つでも多くの物を持たなければ、対等の関係を築けない。それが、剣に寄りかかって生きている私たちです。
何ものでもない、道端の石ころのようにだれにも気づかれない、必要とされない、そのような生き方に甘んじることが私たちはできません。
かけがえのない者と言われたいのです。あなたには価値があると言ってほしいのです。何ものかでなければならないのです。
だから人は、人の剣をふるわずにはいられない。外見、内面、財産、肩書、評価。あらゆるものが剣になります。
クリスチャンでさえ、信仰が人間的努力にすり替えられ、信仰歴や、献金・奉仕の実績、その剣がなければ安心できないことも起こり得ます。
あなたには、「たとえ人は私を正しく評価してくれなくても、私にはこれがある」というものを、神さま以外に持っていませんか。
もし持っているようであれば、信仰でさえ、私という人間を、だれかに認めさせるためにふるう、人の剣になり得るのです。
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2021.1.17主日礼拝説教「最後の晩餐、最初の聖餐」(ルカ22:14-23)
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1.
もし自分のいのちが残り一日しかないとわかったら、私たちはその24時間をだれと過ごすでしょうか。どんな言葉を残そうとするでしょうか。
まさにイエス様は、いまご自分が、この地上で十字架にかかられて死なれるまで、最後の24時間を切ったことを知っておられました。
十二弟子のひとりに裏切られ、違法の裁判で死刑に定められ、朝には十字架にかけられることもすべて知っておられました。
もう一度同じことを質問しますが、もしあなたの人生の残り時間があと24時間と知っていたら、何をしようと思うでしょうか。
イエス様にとって、その24時間で必ず成し遂げるべきこと、それは弟子たちと一緒に過越の食事をすることでした。15節をお読みします。
「イエスは彼らに言われた。わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。」
「切に願っていました」は、これ以前の聞き慣れた翻訳では「どんなに望んでいたことか」となっており、そちらのほうがしっくり来ます。
しかしここでイエス様が言う「願っていた」とか「望んでいた」という言葉は、聖書ではもっぱら悪い意味、情欲とか執念を指している言葉です。
つまり、それほどまでに、なりふりかまわず。まるでアルコール依存症の人がアルコールを泣きながら、暴れながら求めずには得られないかのように、
イエス様は弟子たちに対して、あなたがたと過越の食事をこうして一緒にすることを私はどれだけ願っていただろうか、と語っておられるのです。
イエス様は、ご自分の33年の人生でやり残したことがあるとすれば、あなたがたと最後の過越の食事を迎えることだ、と弟子に伝えました。
それほどまでに、イエス様にとって弟子たちはただの弟子にとどまらず、愛すべき友であり、その友と過ごす、この過越の食事は特別のものでした。
今もイエス様は私たち、このイエス・キリストを信じて弟子になった者たちに、まるで叫ぶように、語りかけておられるのです。
わたしは苦しみを受ける前に、あなたといっしょに、この過越の食事を過ごしたいのだ。わたしを受け入れて、ともに味わってほしい、と。
しかしイエス様が使われている言葉は「あなた」ではなく「あなたがた」です。
もしあなたがいま、自分は一人だと感じ、自分は交わりから切り離されていると思う状況にあるならば、なおさらのこと、
イエス様は、「あなた」だけではなく、「あなたがた」全員と一緒に、私は過越の食事を守りたいのだ、と語りかけておられるのです。
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