聖書箇所 マタイ8章16〜27節
16夕方になると、人々は悪霊につかれた人を、大勢みもとに連れて来た。イエスはことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされた。17これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。」
18さて、イエスは群衆が自分の周りにいるのを見て、弟子たちに向こう岸に渡るように命じられた。19そこに一人の律法学者が来て言った。「先生。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」20イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」21また、別の一人の弟子がイエスに言った。「主よ。まず行って父を葬ることをお許しください。」22ところが、イエスは彼に言われた。「わたしに従って来なさい。死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。」
23それからイエスが舟に乗られると、弟子たちも従った。24すると見よ。湖は大荒れとなり、舟は大波をかぶった。ところがイエスは眠っておられた。25弟子たちは近寄ってイエスを起こして、「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」と言った。26イエスは言われた。「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった。27人々は驚いて言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」2017 新日本聖書刊行会
おはようございます。今日の説教題「向こう岸へ渡ろう」は、今年の最初の主日礼拝のメッセージと同じ題名ですが、今年の教会目標聖句でもありますので、あえてもう一度取り上げてみます。一月一日の礼拝説教では、マルコの福音書からでしたが、今日はマタイの福音書のほうから見ていきましょう。
マルコもマタイも、夕暮れになってイエス様と弟子たちが舟で向こう岸へ渡るという出来事から語っていることは同じですが、マタイの場合には、そこにいくつかの出来事が付け加えられています。まず最初に目にとまるのは、夕暮れになってから、悪霊につかれた人々が大勢みもとに連れて来られた、というところです。なぜ昼間ではなく、夕暮れに連れてくるのでしょうか。ご近所に見られたくなかったのでしょうか。いいえ、おそらくですが、それはこの日が安息日であったからでしょう。モーセの時代、神は十戒の中で安息日を定められました。一週間の最後の日、安息日は仕事をしてはならない。それは、その日一日を、神にささげ、礼拝に専念する日とするためでした。しかしイエス様の時代の宗教指導者たち、パリサイ人や律法学者は、病気を治すことも仕事のうち、悪霊を追い出すことも仕事のうち、だから安息日なのに人々をいやし、悪霊を追い出しているイエスは律法を破っている、と批判していました。ですから人々は、パリサイ人たちの目を恐れて、安息日の夕方、つまり安息日が終わる時に、悪霊につかれた人々をイエス様のもとに連れてきたのでしょう。
イエス様は悲しかったでしょう。病気がいやされ、悪霊から解放されることさえも、社会から縛られている現実を、悲しく思われたことでしょう。神は私たちに、底なしの自由を与えてくださいました。しかし人は、自らが作った決まりごとで自分自身を縛ってしまうのです。そのような群衆の姿のただ中において、イエス様は弟子たちを向こう岸に渡るように命じられます。
向こう岸へ渡るのは、絶え間なく押し寄せてくる群衆から逃げるためではありません。むしろ逆です。助けを必要としている人々が、ここにいる人々のほかにもたくさんいる。そのような人々を助けるために、あなたがたは向こう岸へと向かうのだ。
すでにあたりは夕暮れを飛び越えて夜のとばりが下りていたことでしょう。それでもいやしを求める人々、悪霊からの解放を願う人々はどんどん集まっています。人間的な視点で言えば、自分たちの働きがどこまで続くのか、終わりも見えないなかでの、向こう岸へ渡れという命令です。その向こう岸に、何が待っているのかははっきりとわかりません。確かなことは、そこにも、助けを求めている人々がいるということです。いったい、誰がこのような終わりの見えない道に留まることができるでしょうか。それを示すために、マタイは、ここで、二人の人物を書き留めています。一人は、弟子にしてくださいとイエス様に願ってきた律法学者、もう一人は、すでに弟子であったが、あなたについていく前に、父親の葬儀を行わせてくださいと訴えた者。しかしそのどちらにも、イエス様は厳しく答えられました。一方には、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」。もう一方には「わたしに従って来なさい。死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい」と。
これらの言葉は、だれでもイエスと共に向こう岸に渡れるわけではない、という厳しさを表しているかのようです。命を捨てて従ったはずの十二弟子でさえ、嵐の中で信仰を見失うほど、弟子としての道は厳しいものです。しかし私たちがイエスを信じたとき、弟子としてふさわしい信仰もすでに与えられています。そのうえで、私たちは改めて、向こう岸へ渡ろうという、神の命令をしっかりと受け止めて、歩んでいきたいと願います。
さて、この四月から、主日礼拝、教会学校、祈祷会をはじめとする教会の諸集会をときわ会堂へ移行する計画について話します。昨年末のことですが、お向かいの医院の先生からお電話があり、この4月から駐車場をお借りできなくなることが知らされました。この説教はネットでも配信されているので、理由についてはここでは語りませんが、何か私たちの側に不手際があったということではありません。そして電話を切った後、私にはこれが神さまからの呼びかけのように思えました。なぜなら、すべてが繋がったからです。
もし新会堂用地が与えられていなかったら、もしその場所に一時的ではあっても礼拝堂として活用できる民家を残していなかったら、もし昨年そこで礼拝を行うという経験をしていなかったら、いろんな「たら」が頭に浮かびました。神は、あらゆることを働かせて、祝福と成長を与えてくださるのです。これからあの場所に新会堂を作るためには、私たち自身を知ってもらわなければ、信頼関係を築くことはできません。そのために、神はあえて背中を押す形で、ときわ会堂に教会員が集まって礼拝をささげる道を備えてくださったのだと確信しました。
もちろん、ときわ会堂で約三十人を受け止めるということになれば、トイレや冷暖房の問題など、不自由さを感じる部分はあるでしょう。しかし全員がそのときわ会堂に集まることを通して、私たちはあそこに新しい会堂が立つのだとまさに肌で感じながら、建設に向けての決意を全員が共有することができるでしょう。さらに今回の教会総会では、このときわ会堂への移行だけでなく、新会堂の設計・建設を依頼する業者、また建設に関わる予算についても話し合いますが、これについては、総会資料をよく読んでくださり、来週の総会に臨んでいただきたいと願います。
それらはまさに暗やみが近づく夕暮れに、まだ誰も知らない向こう岸に渡るという、この弟子たちが経験したことにも繋がります。そのあいだに横たわる湖の上では、かつて経験したことがない嵐が起こるかもしれません。いや、必ず起こるでしょう。神は、愛する者を訓練するために嵐を用意されるからです。それは避けることができない嵐であると共に、神の子どもたちには必ず脱出の道が用意されている嵐です。ならば、避けることを願うべきではありません。むしろその中でも、イエス・キリストが私たちを守り導いてくださることを確信しながら、向かっていきたいのです。
夕闇と、激しい風と、高波、不安をかき立てるものに囲まれたなかで、弟子たちは、主が与えてくださる平安を見失っていました。しかしイエス様が嵐の舟の中でも眠っておられたのは、神の子どもは父なる神にすべてをゆだねることができるという幸いの模範です。新しい教会堂を建設するということがいよいよ具体的に進んでいく中、期待だけではなく不安もあります。しかし忘れないでください。私たちと共にいてくださる方は、何があっても私たちの手を離すことのない、そういうお方です。試練に押しつぶされそうなとき、キリストが私たちを握りしめる手の大きさを思いましょう。
私たちがなすべきことは、主をたたき起こすことではなく、主に信頼することです。「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」。そんなわけがありません。私たちを救うために、十字架で死んでくださったほどの方が、私たちに無関心であるはずがありません。すべてを働かせて益としてくださり、私たちを導かれるのです。豊栄教会の歴史において、今までもそうでしたし、これからもそうです。いつも私たちを導いてくださる光であるイエス様から目を離さずに歩んでいきましょう。
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みなさん、こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
一週間前は、泣きたくなるような大雪でした。このまま氷河期のようなクリスマスとお正月を過ごす羽目になるのかと思いましたが、新潟市内では(といっても広うござんす)雪はだいぶ溶けました。感謝。
うちの教会は、前面はまったく駐車スペースがない作りなのですが、庭だけは4〜5台入れそうな広さがあって、しかもその庭は回りが住宅に囲まれていて日の光がなかなか差さないところなのですが、今日は地面が見えていました。まあ、これからまた降ってくるのでしょうが、ちょっとだけ元気になりました。
今年も年賀状は書きませんでしたし、台所のコンロの油汚れも放置状態(牧師館のほうね)ですが、来年もよろしくお願いいたします。
一週間前は、泣きたくなるような大雪でした。このまま氷河期のようなクリスマスとお正月を過ごす羽目になるのかと思いましたが、新潟市内では(といっても広うござんす)雪はだいぶ溶けました。感謝。
うちの教会は、前面はまったく駐車スペースがない作りなのですが、庭だけは4〜5台入れそうな広さがあって、しかもその庭は回りが住宅に囲まれていて日の光がなかなか差さないところなのですが、今日は地面が見えていました。まあ、これからまた降ってくるのでしょうが、ちょっとだけ元気になりました。
今年も年賀状は書きませんでしたし、台所のコンロの油汚れも放置状態(牧師館のほうね)ですが、来年もよろしくお願いいたします。
2022.12.18「その子の名はヨハネ」(ルカ1:57-66)
みなさん、こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
クリスマスカンパっていうから何かもらえるのかと思ったら、クリスマス寒波でした。
それはさておき、二階の牧師書斎の扉が閉まりません。どうやら屋根の雪の重みらしいです。
閉じ込められたというレベルではありませんが、寒いわ〜。
まあ、もともと隙間風だらけの部屋なので、あまり変わりませんけどね。
むしろ明日、明後日と礼拝ができるかどうか・・・明日の夜はイブ礼拝、明後日の朝はクリスマス礼拝です。
全国の諸教会の礼拝が守られますように。
クリスマスカンパっていうから何かもらえるのかと思ったら、クリスマス寒波でした。
それはさておき、二階の牧師書斎の扉が閉まりません。どうやら屋根の雪の重みらしいです。
閉じ込められたというレベルではありませんが、寒いわ〜。
まあ、もともと隙間風だらけの部屋なので、あまり変わりませんけどね。
むしろ明日、明後日と礼拝ができるかどうか・・・明日の夜はイブ礼拝、明後日の朝はクリスマス礼拝です。
全国の諸教会の礼拝が守られますように。
2022.12.11「正しい人にも福音を」(マタイ1:18-25)
みなさん、こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今回の説教の中で、混血孤児のために尽力したキリスト者・澤田美喜について触れています。説教の中での説明は、例のウィリアム・ウッド先生の「あなたを元気にする100のミニメッセージ」(p.213)を参考にしているのですが、三菱グループのホームページに、より正確な説明がありましたので、一部引用します。
画像をクリックすると説明ページに飛びます
今回の説教の中で、混血孤児のために尽力したキリスト者・澤田美喜について触れています。説教の中での説明は、例のウィリアム・ウッド先生の「あなたを元気にする100のミニメッセージ」(p.213)を参考にしているのですが、三菱グループのホームページに、より正確な説明がありましたので、一部引用します。

この子らの母になる
第二次大戦後、日本に進駐した米兵と日本人女性との間に多くの混血児が生まれた。祝福されずにこの世に生を受けてしまった子ら。多くが父も知らず、母からも見捨てられていく。
ある日、満員列車で美喜の目の前に網棚から紙包みが落ちてきた。黒い肌の嬰児の遺体だった。美喜の頭に血がのぼり、心臓が激しく鳴った。イギリスの孤児院ドクター・バーナードス・ホームの記憶が突然よみがえった。美喜は天命を覚えて身震いした。
「日本にはいま大勢の祝福されない混血孤児がいる。そうだ、私はこの子らの母になる…」
夫の理解も得た美喜は憑かれたように行動を開始した。GHQに日参し「大磯の旧岩崎家別荘に混血孤児たちのホームを作らせて欲しい」と訴えた。混血孤児の問題は直視したがらない人が多かったが、教会関係者や一部の在日米国人、それに使命感に燃えた多くの人々に支えられ、美喜は諦めなかった。
執拗に陳情を繰り返す美喜の希望がかなうときが来た。ただし「物納された別荘を買い戻すならば」との条件付きだった。美喜は寄付を募り、私財を投入し、なお足りない分は借金に駆けまわった。GHQの指示ですでに資産を凍結された父久彌は、「世が世だったら、大磯の別荘くらい寄付してやれたのに…」と嘆いた。
昭和22年、美喜はついに別荘を買い戻し、ドクター・バーナードス・ホームのように学校も礼拝堂もあるエリザベス・サンダース・ホームをスタートさせた。美喜、46歳だった。
2022.12.4「信仰の目をもって」(イザヤ53:1-12)
みなさん、こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
アドベント第二週になりました。
相変わらずスロースターターで、クリスマスのチラシを作るのをすっかり忘れていました。
教会員の方から催促されたので、急いで作成。
一年ぶりにラクスルさんに依頼して、今回は2000部、ご近所に新聞折り込みを行う予定です。


裏面のクリスマスメッセージは、ほとんどがウィリアム・ウッド先生の「あなたを元気にする100のミニメッセージ」からの引用です。
本当は引用元を出さなければなりませんが、急いで作ったので書き忘れました。先生、ごめんなさい。
今は新刊で購入するのは難しそうですが、良い本なので買ってください。
今年も食事会はありませんが、少しずつ前へ進み始めています。
「人生最高の一日は過去でも未来でもなく、今このとき」というタイトルだけは自分で考えましたが、コロナ禍と言われ続けている三年間で、それでも今このときは、神が用意してくださった最善の一日なのだという思いを一人でも多くの方々に忘れないでほしいと思っています。
アドベント第二週になりました。
相変わらずスロースターターで、クリスマスのチラシを作るのをすっかり忘れていました。
教会員の方から催促されたので、急いで作成。
一年ぶりにラクスルさんに依頼して、今回は2000部、ご近所に新聞折り込みを行う予定です。


裏面のクリスマスメッセージは、ほとんどがウィリアム・ウッド先生の「あなたを元気にする100のミニメッセージ」からの引用です。
本当は引用元を出さなければなりませんが、急いで作ったので書き忘れました。先生、ごめんなさい。
今は新刊で購入するのは難しそうですが、良い本なので買ってください。
今年も食事会はありませんが、少しずつ前へ進み始めています。
「人生最高の一日は過去でも未来でもなく、今このとき」というタイトルだけは自分で考えましたが、コロナ禍と言われ続けている三年間で、それでも今このときは、神が用意してくださった最善の一日なのだという思いを一人でも多くの方々に忘れないでほしいと思っています。
2022.11.27主日礼拝説教「ほんとうの希望」(イザヤ8:19-9:7)
みなさん、こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
俳優(マルチタレント)の渡辺徹さんが先日、敗血症で亡くなられたそうです。61歳でした。ご冥福をお祈りします。「太陽にほえろ」を小学生の時にリアルタイムで見ていた世代としては、デビューした当時はシュッとしたアイドルであった彼が、だんだんふくよかになっていかれた姿を追いかけながら、自分自身も成長してきたという印象があります。牧師になってからはテレビを見なくなりましたが、渡辺徹さんの芝居で印象に残っているのは、竹中直人さん演じる秀吉の大河ドラマで、彼が演じていた前田利家でしょうか。出番はそんなに多くなかったような気がしますが、実際のキャラクターと相まって、良い味を出していました。その後すぐ、同じ前田利家を主人公とした大河ドラマ「利家とまつ」が始まりましたが、唐沢寿明さんの利家よりも、渡辺徹さんのほうが記憶に残っています(すみません)。
大河ドラマで本能寺の変が描かれる際に必ず登場する、信長の愛した能「敦盛」は、「人間五十年・・・」で始まります。聖書は「人の齢は百二十年にしよう」という創世記での神のことばや、「人の齢は八十年」(モーセの祈り)などありますが、五十年を境にして、第二の人生を歩む人は、回りに多い気がします。私も今年51歳になりましたが、50歳を過ぎてから、後の日々はおまけとして考えるようになりました。渡辺さんは61歳で亡くなられましたが、早すぎるという思いを誰もが抱くかもしれませんが、濃密な人生であったことでしょう。奥様はじめ、多くの方々に愛されて、またそれ以上に多くの方を愛した人生だったのではないでしょうか。30歳くらいから糖尿病で苦しんでおられたそうですが、だからこそ人の痛みがわかる人であり、それがいろいろな所に現れていたのだろうと思います。面識はありませんが、彼の演技やキャラクターに励まされて来た者のひとりとして、悲しみの中にある方々の上に慰めがあるように、祈ります。
俳優(マルチタレント)の渡辺徹さんが先日、敗血症で亡くなられたそうです。61歳でした。ご冥福をお祈りします。「太陽にほえろ」を小学生の時にリアルタイムで見ていた世代としては、デビューした当時はシュッとしたアイドルであった彼が、だんだんふくよかになっていかれた姿を追いかけながら、自分自身も成長してきたという印象があります。牧師になってからはテレビを見なくなりましたが、渡辺徹さんの芝居で印象に残っているのは、竹中直人さん演じる秀吉の大河ドラマで、彼が演じていた前田利家でしょうか。出番はそんなに多くなかったような気がしますが、実際のキャラクターと相まって、良い味を出していました。その後すぐ、同じ前田利家を主人公とした大河ドラマ「利家とまつ」が始まりましたが、唐沢寿明さんの利家よりも、渡辺徹さんのほうが記憶に残っています(すみません)。
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2022.11.20主日礼拝説教「明かりをどこへ掲げるか」(マルコ4:21-25)
みなさん、お久しぶりです。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
ええ、生きていましたよ。こうしてブログに投稿するのは約半年ぶりです。
なにしろ、この半年間、週末は字幕職人と化していましたので。
もう一度言うよ、何度でも言うよ、字幕職人でした。字幕職人でした。字幕職人でした。
なにしろ毎週、片方は事前録画の礼拝をプロジェクター(YOUTUBE)で流すという前代未聞の二会堂並行礼拝です。
下手すると、オラこんな礼拝イヤだといって信仰から離れてしまう方さえ起きかねません。
少しでも説教がわかるように、礼拝に没入できるように、字幕、字幕、また字幕・・・・!もう当分作りたくない。
ただ字幕を作っていると、自分のクセがわかるのですね。「〜というわけです」という言い回しがいかに多いことか。
自分で語っているのですが、あまりにもよく出てくるのでイラッとします。
来週(11/27)からは、ふたたび正真正銘のライブ中継です。字幕もつきません。
もしかしたら逆に物足りないという方もいるかもしれませんね。
そんなこんなで、アドベントからは、再び一つの会堂に約30人(子ども含めて)が集まります。
換気対策がより重要となってきますが、主の来臨を待ち望みつつ、歩んでいきましょう。またね
ええ、生きていましたよ。こうしてブログに投稿するのは約半年ぶりです。
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換気対策がより重要となってきますが、主の来臨を待ち望みつつ、歩んでいきましょう。またね