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2025.7.27「悲しむ者の幸い」(マタイ5:1-10)





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2025.7.20「祝宴の主役はあなた」(ルカ15:20-32)





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2025.7.13「待ち続ける神」(ルカ15:11-24)





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2025.7.6「一人が欠けたら世界はむなしい」(ルカ15:1-10)





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2025.6.29「散らされてこそ広がる福音」(使徒8:1-4)





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2025.6.22「みことばを基(もとい)として」(U歴代4:1-22)

 みなさん、こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今回のメッセージの中盤で、クリスチャンが仏式葬儀に出席した際の「焼香」について触れています。
誤解がないように言うと、「焼香をすることはクリスチャンとして正しいかどうか」ではなく、
「正しいと思う人も、正しくないと思う人も、それは自分で考えての結果なのか」を問いかけています。
焼香することも自由ですし、しないことも自由です。
それはそれぞれが「聖書から」判断してのことになりますが、聖書には焼香については一切書いていません。
今の時代に起きていることは、聖書を原則として、自分で考えていかなければなりません。
聖書は、考えなくてもそのまま実践すればうまくいくというような、ハウツー本ではないのです。
「○○は正しい・○○は間違っている」について、初めから答えありきで決めつけていくのではなく、
聖書を自分で読み、その原則をよく吟味しながら、自分で考えて、決めていこう、というメッセージです。

 残念ながらカルト化の傾向がある教会が新潟にも増えています。
そのような教会では、牧師による「説教」がそのまま「みことば」として権威化される傾向にあります。
牧師の解釈にすぎないものが、あたかも聖書そのもののように絶対化され、
信徒は粛々とそれに従い、しかもそれがクリスチャンとして当然であると疑わないようになっています。
自分で決めることを極力避けようとしている今の時代の中で、聖書はすぐに答えを与えてくれる虎の巻ではありません。
答えを間違えても、神はそこからまた再チャレンジさせてくださる。だから恐れずに自分で考え、決断し、進んでいける。
新しいことへのチャレンジが萎縮している社会の中で、聖書は積極性と創造性を与えてくれます。
それでは、興味のある方はメッセージ本編をご覧ください。ありがとうございました。





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2025.6.15「ナザレのイエス、その御名だけを」(使徒4:1-12)





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2025.6.8「聖霊と共に生きる幸い」(使徒2:1-24、36)





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2025.6.1「三年待ったソロモンの神殿建設」(U歴代3:1-17)





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2025.5.25「与えられた賜物を生かして」(マタイ25:14-30)





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