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2020.12.6主日礼拝説教「何度でも戒め、何度でも赦す」(ルカ17:1-4)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』17章1-4節


序.
 教会暦では先週からアドベントに入り、今日はその第二週です。四本の燭台のうち、ふたつをこうして灯しています。
本当は28本くらい燭台を並べて、毎日一本ずつともして盛り上げたいところですが、昔から4本、または当日含め5本と決められています。
古の教会では、アドベントの四週間それぞれにはテーマも決められていて、礼拝説教もそれに即したメッセージが語られていたそうです。
少し紹介しますと、第一週のテーマは希望、第二週は平和、第三週は愛、第四週は喜びとなっています。
今日はあえて、クリスマスに関連した聖書箇所ではなく、アドベント第二週のテーマである「平和」をおぼえながらみことばを共に味わいましょう。
「平和」といっても、国際平和ではなく、「神との平和」、そして神との平和をいただいたクリスチャン、兄弟姉妹同士の「平和」についてです。

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posted by 近 at 14:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.11.29主日礼拝説教「生きよ」(エゼ16:1-8)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 新型コロナウイルスのおかげで、クリスマスの諸集会も軒並み中止。せめてクリスマスらしさをということで燭台を新しくしました。
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カメヤマローソクの直営ショップで税込み10450円でした。届いたらけっこうデカかったです。
 ただ、キャンドルから出るススや、気化したロウが冷やされて床が滑りやすくなるといったことも頭を悩ませる今日この頃。
そこで今回、燭台に合わせて、LEDキャンドルも四本購入しました。やはりカメヤマローソクさんが取り扱っている製品です。
一本、税込み1980円なり。4本で約8000円。燭台と電池を含めると約2万円ちょっと。トホホ
でも!割高のように思えますが、何と単三電池2本で320時間連続点灯します。
初期費用はかかりますが、一回一回取り替えなければならないローソクに比べても経済的。
問題は、どれだけ本物のローソクの輝きに近づいているか、ということ。さっき撮影した動画をご覧ください。

さすがに近くで見るとLEDとわかるのですが、昼間でも遠くからだと気づかないほどです。
ただ、あくまでも人工の光なので、聖書的にはどうなのか、ということについては、また今度。
週報はこちらです。

聖書箇所 『エゼキエル書』16章1-8節



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2020.11.22主日礼拝説教「試練の意味」(創39:1-23)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。
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聖書箇所 『創世記』39章1-23節



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2020.11.15主日礼拝説教「イエスにまねぶ」(ヨハネ6:1-13)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 現在、分散して礼拝を守っているなかですが、第三礼拝の中で「子ども祝福式」を行いました。
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みんなかわいいですね。でもメッセージはおとなしく聞いてくれません。
しかし心の中にはいまもみことばが静かに成長していることでしょう。これからが楽しみです。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』6章1-13節



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2020.11.8主日礼拝説教「救いはみことばを聞くことから」(ルカ16:19-31)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 二週間前のブログ記事で、マンガ「ブラックジャック」のセリフが、子どもの頃に読んだ記憶と違っていることについて触れました。
ところがネットを探しても、それを裏付ける記事が見つかりません。自分の記憶が果たして正しいのか不安になりました。
雑誌に掲載されていたのがいつなのかはわかるのですが、40年前のものなのでヤフオクでも見つかりません。
また仮に見つかったとしても今では何千円もするものをこれだけのために購入するわけにもいきません。
 ところがさらにネットで情報を検索していると、十年前に出たある雑誌に「変更箇所を網羅したリスト」が掲載されているというのです。
その雑誌とは、レトロ商品の販売買い取りを専門に展開している「まんだらけZENBU」51号。
発行日は2011年6月なので、やれやれまたヤフオクかと思いきや、今でも普通に新品を定価で買えました。
表紙はアレですが、内容はなかなか面白かったです
 肝心のリストは見開き14ページで、全241話の変更箇所が豆粒みたいに小さな字で掲載されています。
さっそく問題の箇所があるかどうかを調べてみると、ありました。許可を得ていませんが、スキャンしたものをあげてみます。
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 院長のセリフも変更されたと思っていたのは私の記憶違いでしたが、ブラックジャックのセリフはほとんど記憶通りです。
(私の記憶)「あんた、あの富士見病院がその最先端の機械を使っていたことくらいは知ってるだろう?」
(実際)「おまえさん富士見産婦人科であの機械を使ってたことを知ってなさるんだろ?」
 これが秋田書店の「週刊少年チャンピオン」で掲載されていたのが1980年12月ですから、私が9才のときになります。
当時は少年サンデー・マガジン・チャンピオンは中学生以上、小学生はコロコロ・ボンボン・少年ジャンプという棲み分けがありました。
ですから「ブラック・ジャック」のこの話は、おそらく歯医者か床屋の待合室でたまたま読んだのだろうと思います。
しかし言葉の意味もわからない、たった一度限りのセリフが40年ぶりに思い出されるという今回の経験は、正直驚きました。

 いま、私たちの教会では、幼児や小学生が、大人に混じって礼拝に出席しています。
そして私の説教は大人にも難しいくらいなので、子どもたちにはまるでちんぷんかんぷんかもしれません。
しかしいま彼ら、彼女らの耳から入ってくるみことばは、私がそうであったように、何十年も心で保管され続けるのです。
わかりやすいお話しをする努力ももちろん必要ですが、みことばそのものの力に信頼するほうが重要です。
そしてひたすら語り続けること、また今は意味はわからなくても聞き続けること。それを忘れないでいきたいものです。
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聖書箇所 『ルカの福音書』16章19-31節



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posted by 近 at 17:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.11.1主日礼拝説教「イエスこそ真の律法」(ルカ16:14-18)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 今、礼拝説教はルカ福音書の講解説教を行っておりますが、ルカを語るうえでどうしても避けることのできないのがこの一冊。
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今から約30年前の1991年、「日本同盟基督教団百周年記念出版」として世に出されたものです。
ルカ福音書の全編を当時の正教師139人で分担して、ひとり約3000字程度の説教集となっています。
1991年の百周年記念大会のときにはまだ新米クリスチャンだった私は、この説教集によって育てられたと言っても過言ではありません。
そしてこのところ私が扱っているルカ15章以降は、ちょうど当時の新潟ブロックの先生方が書いています。
先週の箇所は、この豊栄の前任牧師である若月先生、そして来週の箇所は、私の母教会の長谷部先生が記しています。
これから礼拝説教で取り上げていく聖書箇所は18章のはじめまで、新潟の先生方が書いておられます。

 30年前ですから、それらの先生方は今の私(49歳)よりも若いか、同世代という方がほとんどです。
当時は信徒であった自分が、いま当時の先生方よりも年上となり、同じ聖書箇所と取っ組み合っている。なんだか不思議な感覚です。
この30年で世の中も教会も変わりました。これからも変わっていくのでしょう。
しかし聖書のことばだけは変わりません。私たち牧師は、これからも粛々と語ってゆくのみです。
来年、同盟教団は130周年記念大会を開催する予定です。そこでもう一度、説教集という記念事業を行うのも面白いかもしれません。
新型コロナウイルスという未曾有の経験の中で私たちが拠っていくべきものは、やはりみことばしかないのですから。
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聖書箇所 『ルカの福音書』16章14-18節



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posted by 近 at 17:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.10.25主日礼拝説教「神か、富か」(ルカ16:1-13)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 「鬼滅の刃」の大ヒットが社会現象となっておりますが、例によってまったく見ておりません
代わりに最近、就寝前に聖書の次に読んでいるのが手塚治虫の名作「ブラック・ジャック」。
いくつかの話は、小学生の頃にリアルタイムで読んでいましたが、最近読み直してみて新しい発見がありました。
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(第236話「されどいつわりの日々」より コピーライトマーク手塚治虫・手塚プロダクション・秋田書店)

じつは小学生の頃に読んだ記憶では、3コマ目の院長とブラック・ジャックのやりとりは、上のものとはまったく違っていて、こんな感じでした。
院長「うちの病院では最先端のCTスキャンを使っているんだ!
ブラック・ジャック「あんた、あの富士見病院がその最先端の機械を使っていたことくらいは知ってるだろう?
小学生にはいったい何のことを言っているのかわからなかったのですが、さすが小学生、言葉だけはその後もよく覚えていたのです。
大人になってから知ったのは、このやりとりが連載当時(1980年)に起こった「富士見産婦人科病院事件」を指していたということ。
この事件の詳細はリンク先で読めますが、結審したのは2004年、被害者にとってはじつに四半世紀にわたる戦いとなりました。
単行本に収録するにあたってセリフが変えられたのでしょうが、たかがマンガと侮るなかれ、社会を映す鏡でもあると改めて思わされます。
 ましてや教会で語られる説教はどうでしょうか。
かつて福音派では「説教で時事問題に触れたりするのは普遍性が失われる」と敬遠されていた時期がありました。
しかし信仰者が、その時代・世界の中でどのように考え、戦うべきかを指し示すのも説教の使命です。
その時代・世界の中で移り変わっていく事柄から目を背けず、そのうえで決して変わることのないものを提示する。
そのような説教を語っていきたいと願わされます。まずは喰わず嫌いの「鬼滅の刃」を受け入れることから始めるべきでしょうか。
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聖書箇所 『ルカの福音書』16章1-13節



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posted by 近 at 19:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.10.18主日礼拝説教「なりふり構わぬ愛U」(ルカ15:11-32)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 当教会では、4月以降、聖餐式を行っておりません。もちろん衛生上の理由からです。
集会は人数制限をかけたうえで何度かに分けて行ってきましたが、聖餐に関しては再開を保留してきました。
先日の役員会にて、11月も聖餐式は自粛することを決めたのですが、いよいよその後は待降節が始まります。
せめて12月は聖餐式を行いたいという希望もあり、新潟のいくつかの教会の状況を聞いているところです。
すでに通常どおり行っているところもあれば、当教会のようにずっと自粛しているところも少なくありません。
個包装のクラッカーや紙パックのジュースを使ったり、海外のセルフ式カップを使っている教会もありました。

 最後の商品に関しては、アメリカのキリスト教用品の通販サイト、CBDでは送料込みで単価30円といったところです。
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ただ「ウェハースが薄い」「ぶどう液がかき氷シロップ」「外観が安っぽい」といった使用者の声もあり、いまいち購入に躊躇していました。
しかし数か月ぶりに改めてCBDのサイトを覗いてみたら、それらの欠点をカバーしていると思われる新商品が入荷されていました。
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単価は送料込みで約60円となり、従来の製品の倍くらいしますが、今までのものとは頭一つ飛び抜けた高級感があります。
かたちからはいるって大事ですよね。聖餐は「安かろう悪かろう」では困るのです。とはいえ、お味はどうでしょうか。
12月に実際の礼拝でこれを使うかどうかはまだ未定ですが、とりあえず少し取り寄せて試用レポートを挙げたいと思います。
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聖書箇所 『ルカの福音書』15章11-32節



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posted by 近 at 10:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.10.11主日礼拝説教「なりふり構わぬ愛」(ルカ15:1-10)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 今回の説教は、私が今まで語ってきた約二千篇の説教(祈祷会含む)の中でもとくに物議を醸すものかもしれません。
何しろ、99匹の羊を野に置いて1匹の羊を捜しに行ったのは、羊飼いではないと言い切ってしまっているからです。
はるか昔から、このたとえ話は「良い羊飼い」という解釈が定着していますので、世が世なら異端審問にかけられても不思議ではありません。
おそらくオリゲネスかクリュソストモスあたりが「これは羊飼い」と語って以来、イメージが定着してしまったのではないでしょうか。
説教では説明を割愛しましたので、このたとえが羊飼いを表しているのではないという根拠をいくつかの点からまとめておきます。

1.「羊飼い」を「羊を持っている人」と表現している例は、新約聖書の他の箇所には見られないこと。
当時の羊飼いは貧しい人々であり、羊の所有者ではなく、羊をゆだねられていたに過ぎません。
「持っている(ギリシャ語エコー)」には「飼う」という意味はなく、その意味では羊飼いは一匹も羊を持っていません。
またギリシャ語で羊飼いを表す言葉は「牧する(ポイマイノー)」の分詞形である「ポイメーン」であり、これは「牧者」とも訳されます。
「飼う」を意味するギリシャ語は他にも「ボスコー」がありますが、ルカは「持っている」という言葉で明らかに差別化を図っています。
たとえ話とはいえ、聞き手であるパリサイ人・律法学者こそ富裕層であり、「羊を百匹持っている人」という表現に当てはまります。

2.ルカの場合、明らかにパリサイ人・律法学者に対する文脈のなかで「あなたがた」と呼びかけていること。
マタイの場合は、弟子たちに語りかけている文脈ですが、代わりに銀貨と放蕩息子は出てきません。
パリサイ人たちは職業的な羊飼いではありませんが、旧約聖書では王・祭司・長老・預言者などは「イスラエルの牧者」と呼ばれていました。
ルカの意図は、パリサイ人たちが本来、イスラエルの牧者として社会的弱者を彼ら自ら牧会すべきはずなのに一切交わろうとしなかったこと、
そしてこのような人々と食事を共にしていたイエスへの批判に対するアイロニー(皮肉)がこめられています。
パリサイ人たちがイスラエルの宗教的・政治的指導者を自任するのであれば、彼ら自身が失われた羊を捜しに行くことが求められているのです。

3.第一のたとえを「よき羊飼い」とした場合、第二のたとえとの繋がりが生きてこないこと。
古来より多くの説教者・画家・讃美歌作者がこのたとえ話を、イエスがヨハネ伝で語られた「良い牧者」と重ね合わせ、混同してきました。
しかしここで良い牧者が羊を捜す理由が慈しみだとすれば、次のたとえ話で女性が銀貨の金銭的価値を惜しむという文脈は逆行します。
女性は銀貨を人格的に愛しているわけではなく、むしろここは、羊の所有者もこの女性も、財産の一部として惜しんでいるのです。
それでも、そのように愛を動機としていなくても、人はこれほどまでに失われたものの回復を喜ぶ。
だとすれば、ましてや神が愛とあわれみをもって失われたものを取り戻すとき、どれほどの喜びが天にはあるのだろうか。
そのようなメッセージのクライマックスとして、第三のたとえ話として語られた、放蕩息子の帰還が生きてきます。

4.羊を取り戻した後、近所の人を呼び集めて一緒に喜ぶという姿は、当時の羊飼いの状況とはそぐわないこと。
前述したように、当時の羊飼いは、経済的だけではなく、社会的にも低い位置にありました。
彼らは町や村で一般的な生活をしていたのではなく、もっぱら荒野で生活しながら、独特のコミュニティを築いていました。
「友だちや近所の人たちを呼び集め」る姿は、現実の羊飼いの生活とは繋がらないものであり、聞き手は違和感をおぼえたことでしょう。
もっともそれを言うならばパリサイ人たちが「一緒に喜んでください」と言うことのほうが違和感満載と言われるかもしれません。
しかし彼らでさえ一匹の羊を取り戻したとき、いつもの木で鼻をくくるような態度を忘れ、喜びを共有しようとするではないか。
ましてや、天での喜びはいかほどであろうか、というメッセージとして解釈するほうが自然に思われます。

第一のたとえをよき羊飼いとして教えられてきた身にとって、穿ちすぎた解釈に聞こえるでしょう。私自身がそうでした。
しかし聖書を読む喜びは、それまで学んできたことさえも白紙に戻して、目の前にある神のことばに教えられることに尽きます。
そして「これは羊飼いではない」と考えたからといって、決して神の愛を矮小化するのではなく、むしろさらに恵みにとどまらせます。
羊や銀貨でさえ、人がこれほど「なりふり構わず」取り戻そうとするのであれば、
神はいったいどれほどの情熱をもって、私たちを取り戻そうとしておられるのだろうか、と。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』15章1-10節



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2020.10.4主日礼拝説教「徒花に実は生らぬ」(ルカ14:25-35)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 「日本三大祭り」と言えば、京都の祇園祭・青森のねぶた祭・そしてヤマザキ春のパンまつりとだれもが答えるでしょう。
祭りとは関係ありませんが、日本の福音派教会の中にも「三大ディボーション月刊誌」があり、シノギを削っております。
『マナ』(いのちのことば社)、『リビングライフ』(ツラノ・ジャパン)、そして『日々のみことば』(同出版委員会)です。
もうひとつ、ハーベスト・タイム・ミニストリーズの『クレイ』もありますが、今月で廃刊だそうです。
 このうちの一つ、『日々のみことば』から依頼されて、昨年から私もその月の聖書箇所のディボーションガイドを執筆しております。
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↑日々のみことば出版委員会のホームページが見つかりませんので、クリックすると教文館のネット書店につながります

 現在、上記10月号が全国キリスト教書店で発売中ですが、この中の10/14〜31までの『詩篇』の解説を私が担当しています。
解説といっても、「読者より先にその箇所を黙想して、教えられたことを抜粋して書いているだけでしょ」(妻・談)と思われがち。
しかし!公の目に触れるものですから、聖書だけを読めばよいというわけではなく、注解書などで学びは欠かせません。
一度礼拝説教で取り上げた箇所だと準備作業も半減するのですが、この二年間で私が担当した箇所を振り返ってみると、
『雅歌』『ヨハネの手紙 第二・第三』『ユダの手紙』『ハバクク書』『詩篇(一部)』。来年は『箴言』を担当します。
詩篇以外は、まず礼拝説教で取り上げないものばかり。ナントカハラスメントでしょうか。
一頁書くのに数時間かかるのですが、原稿料をその時間で割ったら、なんと。新潟県の最低賃金を下回りました
それでも日本の教会全体に仕えるわざのひとつとして引き受けているので、別にいいですけど。売れたら上がるのかな。
むしろ廃刊にならないように、どうか一家に一冊。あわよくば贈呈用にもう一冊。ついでに保管用としてもう一冊。税込499円です。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』14章25-35節



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posted by 近 at 16:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ