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2021.9.12主日礼拝説教「一ミナの福音」(ルカ19:11-27)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
 今回の説教題「一ミナの福音」は、我が新潟県が生んだ偉大なる漫画家、高橋留美子氏の「一ポンドの福音」からとっています。原作を読んだことがないので(おい)、タイトルだけいただきました。噂で聞いたところによると、ボクサーを目指す青年が、ある修道女(シスター)に出会い、夢を果たしていく内容らしいのですが、ボクシング漫画なのか、それとも恋愛漫画なのかはよくわかりません。一ポンドはボクサーの体重を表す重さの単位なので、貨幣価値を表す一ミナとは明らかに違いますしね。いただいたのはタイトルだけで、内容にはまったく関わりはありません。それはさておき同じ高橋留美子氏の「めぞん一刻」は、昭和から平成にかけて一世を風靡したラブコメの名作ですので、読まれたことのない平成後期生まれの方々は、どうかご一読ください。私は高校時代にあれを読んで、浪人生という生き方も悪くないなと思いました。危ない、危ない。序盤を読んでいただければ意味がわかります。
 ところでボクシング漫画と言えば、昭和40年代が漫画適齢期であった方は「あしたのジョー」(ちばてつや)、平成生まれの方は「はじめの一歩」(森川ジョージ)と答えるそうですが、私たち昭和50年代が漫画適齢期であった人間は「がんばれ元気」(小山ゆう)を連想します。うろ覚えなのですが、私が小学生の頃、新潟市長選に立候補していた故・若杉元喜氏(当時の現職?)の選挙ポスターに、なぜか本人の写真ではなく「がんばれ元気」(ゲンキつながりで)の主人公のイラストがそのまま使われていた記憶があるのですが、インターネットで「若杉元喜」「がんばれ元気」「小山ゆう」と複合検索しても、そのような画像はまったくヒットしませんでした。当時は著作権の問題は今ほど厳しくなかったとしても、いったい公職選挙法で、選挙ポスターに漫画のキャラクターを用いるというのが許されていたのかは不明です。小さいときの記憶なのでうろ覚えで申し訳ないのですが、ご存じの方がいたら、豊栄キリスト教会「私も見たことあるよ」の係まで。相変わらず、どうでもよい話で申し訳ありません。週報はこちらです。






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2021.9.5主日礼拝説教「神に不可能はない」(ルカ19:1-10)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
 私はさる4月から、当教団の新潟山形宣教区(12教会)の書記を務めております。来年で当教会に赴任してから20年になりますが、宣教区長は経験しても書記を担当するのは初めてです。私が赴任した20年前、書記といえば紙で文書を作成して諸教会に郵送する、という仕事のイメージでしたが、今は、ほとんどの文書は紙へ印刷ではなく、PDFファイルへの変換になり、メールに添付して送ります。
 さて、半年前に前任の書記先生から事務の引き継ぎを受けました。議事録などは残っていますが、それはいわば精選された資料で、いわゆるその下地になるメモのようなものはありません。まあなくてもそれほど困らないのですが、教会の役員会や、宣教区の役務者会で話し合われる本当に大切なことというのは、議事録には出てきません。これは議事録が不完全という意味ではなく、守秘義務の範囲においてゆだねられた事柄の中にこそ、私たちが知恵を尽くし、力を尽くさなければならない真実があるということです。これについてはまたいつか取り上げましょう。では議事録作成のための議事録というメモ的なものはどこにあるのかというと、それがメールという形で積み上げられていくのです。裁判においてもメールは証拠文書として認められるようになりましたが、モリカケ問題の本質を暴くのは役所の黒塗りの議事録に本来何が書かれていたかよりも、破棄されたメールに残されていたことなのかもしれません。
 しかし個人や教会のメールアドレスに届けられた数千のメールから、次の書記に引き継ぐべきものを抽出することは膨大な手間がかかります。そこで宣教区の公式メールアドレスを開設したのが7月くらいのこと。それならば書記が代わってもアカウント権を引き継ぐだけで過去の情報にアクセスできます。ここでそのメールアドレスを明かすことはできませんが、Gメール(Google社)を取得して、文書を諸教師に送信していました。
 ところがどうもYahooメールとGメールは、それぞれがフリーメール(使い捨て可能)なだけに、迷惑メールとして分類される率が高いようなのです。Yahooメールを使っている、ある先生から「届いていない!」と連絡が来ました。なぜ届いていないことに気づいたのかということについては、ややこしいので省略しますが、何らかの理由で迷惑メールに入れられてしまったのでしょう。そこでふと12教会の先生方のアドレスを見て思いました。大半がYahooメールかGメールなのです。これは教会として、あまりよろしくなのではないかと思います。大事な問い合わせなどをやりとりするときに信頼性がある(YahooやGoogleのメールサーバーで迷惑メールと判断されない)のは、プロバイダ各社が提供するメールです。数年前ですが、宣教区長をしていたときに、教団理事からのたいへん大切なメールが、なんと迷惑メールに入れられていたことがありました。よく見るとその理事も、Yahooメールでした。
 今日、これだけメールが普及しているなかで、メールアドレスにも公的認証制度が必要ではないかと思います。個人情報をやりとりするようなサイトには、ベリサイン社のデジタル証明がありますが、メールにはそれがありません。他人のアドレスを入手さえすれば、それを発信者として送ることも可能です。とくにフリーメールは便利ではありますが、簡単に登録できて、使い捨てられるというのは犯罪の温床にもなっています。今日、教会に問い合わせが来るときは、電話よりもメールのほうが多くなっています。また教会に行くときにはインターネットでサイトやブログを確認し、最終更新がいつかということでその教会を判断するということもあります。教会が信頼のできるプロバイダで、メールアドレスを取得することで、大切なメールを漏らしてしまう機会も少し減るかもしれません。週報はこちらです。





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posted by 近 at 12:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.8.29「あなたを見るために」(ルカ18:35-43)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
教会に関するコロナ記事が配信されていましたので備忘録として。(朝日新聞デジタル9/3(金) 7:17配信)
別府の教会で45人のクラスター 合唱など原因?想定外の事態に
 大分県は2日、同県別府市のフルゴスペル大分教会での感染者が累計45人になったとして、県内94例目のクラスター(感染者集団)と判断した。45人は県内ではこれまでで最大の規模。県は集会での合唱などが感染拡大の原因とみている。8月下旬から参加者の感染判明が続いていたが、教会での集会は聞き取り項目の想定外だったため、感染者同士のつながりをつかめずにいたという。この教会では8月22、27、29日に集会があり、計60人が参加した。参加者は間隔を開けるなど感染防止策をとっていたが、一緒に歌う時に一部の参加者がマスクをしていなかったり、マスクを外して軽食をとったりしていたという。県によると、感染力が強いデルタ株では、間隔を開けていても換気が不十分だと感染が拡大する可能性があるという。
 教会での感染者は別府市内を中心に29日に2人、30日に3人、31日に8人、9月1日に13人と続いた(日付はいずれも発表日)。県の担当者らは「何かおかしい。何かあるのではないか」と感じていたが、感染者への調査では共通の行動がなかなか見えてこなかったという。県福祉保健部の藤内修二理事は「県外に行くとか、会食をしたかとか、感染のリスクがある行動について尋ねるが、教会に行きましたかという聞き方は想起できず、感染源を探知するのに少し時間がかかった」と説明した。教会で働く職員の感染が2日発表分まで確認されなかったことも確認を遅らせた。藤内理事は「賛美歌やゴスペルは宗教活動に欠かせないものとは思うが、今の時期に皆さんで歌うことは自粛をお願いしたい」と呼びかけている。
 引用先のYahoo!ニュースでは、半日で約2400件近いコメントが寄せられています。さすがに全部読むような気力も体力も時間もありませんが、教会関係者(クリスチャン)からの辛辣なコメントもありました。中には「うちの教会は夏に献堂式をしたのに、コロナ禍に配慮して一度も集会をしていない」というのがあったりして、あれあれ、これもしかしてうちの教団のあの教会の信徒さんじゃないの?と思ったり。
 確かに、教会だからこそ気をつけなければならないと思いますが、クリスチャンが「うちは対面礼拝していないし、賛美歌も歌っていない」っていうのは胸を張るべきことではありません。もちろん努力は認めますし、忍耐もしておられるのでしょうが、それは痛みをもってご自分の中にとどめておいたほうがよい事柄であって、なんか複雑です。
 ただ、現在の主要株となっているデルタ株は、従来の対策を切り替えていく必要がある感染力であることは確かです。私たちの教会でも、行政の緊急事態宣言に合わせるのではなく、自らみことばをもとに判断していくことが改めて求められていると感じています。それにしても最近出てきた「ミュー株」は、昔、実家で飼っていた猫の名前と同じなので、なんかキュンとします。週報はこちらです。





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posted by 近 at 20:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.8.22主日礼拝説教「聖書が実現するために」(ルカ18:31-34)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
7月はじめに、説教壇上面をまるごと覆うアクリル板を設置し、ノーマスクで喜色満面の説教を続けてきたワタクシ。なんとそれに冷や水を浴びせるがごとき記事が『クーリエ・ジャポン』に掲載されていました。
アクリル板はコロナ対策にならないどころか、感染リスクを上げる可能性も─米紙が指摘する「死角」とは
 新型コロナウイルスの感染対策として、レストランや学校などでプラスチック製の仕切りが活用されているが、米紙「ニューヨーク・タイムズ」によれば、たいした予防効果がないどころか、かえって感染リスクを上げる可能性もあるという。
 問題は、そうした仕切りによって、室内の本来の気流や換気が妨げられてしまうことだ。
 吐き出された息は気流に乗って拡散する。室内の換気システムにもよるが、だいたい15〜30分ごとに新しい空気に入れ替わる。ところが、プラスチック製パネルが設置されていると、空気の流れが変わったり換気効果を妨げたりして、「ウイルスを含んだエアロゾル粒子が集まって高濃度になる“死角”が生まれかねない」と、同紙は指摘する。
(中略)
 専門家らによれば問題は、学校でも店でもオフィスでもプラスチック製パネルを設置する際、ほとんどの場合において室内の換気や気流を評価できる工学専門家の助けを借りていないことだという。
 プラスチック製の仕切りがあるからといって安心せず(反対に、この記事を読んでパニックに陥るべきでもない)、より良い換気やマスク着用を続けることが感染リスクの低減につながると言えるだろう。
 当教会の換気に関して言えば、部屋全体の空気を循環できるような、大きくて高機能な換気扇はありません。サーキュレーターはありますが、標準で運転しても爆音なので、人が集まってくる前に強モードで循環し、礼拝のあいだは最低速度で回しています。聖書朗読と説教の間に、3分間の黙想をおいて、そのあいだに窓や玄関の扉を開いて換気しますが、果たしてそこで約40畳規模の礼拝堂の空気がどれくらい入れ替わっているか、専門的な知見をもって行っているわけではありません。

 結論としては、最後の「仕切りがあるからといって安心せず、反対にこの記事を読んでパニックに陥るべきでもない」ということに尽きるのでしょう。だったら、煽り文のようなタイトルを記事につけるなよと言いたいところでもありますが。
 新潟県も本日(25日)新規感染者数が過去最高となりました(約150名)。そのうちの半分から3分の2が新潟市です。もともと9月上旬には200名を超えるかもしれないという警告は出ていましたのであまり驚きはしませんが、この分だと8月中に到達してしまうかもしれません。

 それでも、許される限り、私たちは三密にならないように細心の注意を払いながら、集まることをやめないでいきたいと思います。ライブ配信による礼拝参加の機会をこれからも提供していきますが、やはり願いは一日も早く、安心して礼拝に集まることができる日が来ることです。祈りましょう。週報はこちらです。





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posted by 近 at 16:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.8.15主日礼拝説教「和解が墓に刻まれた」(創世25:7-11)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉がハンガリーで生まれた理由を知って損はない
ちょっと長いタイトルの配信記事でしたが、ついガッキーを思い出して、最後まで読んでしまいました。記事をまとめると、ハンガリーという国は、世界で最も激しい競争社会なのだということでした。今まで一度も夏季オリンピックが開かれていない国の中でのメダル取得数は世界一だそうです。知りませんでした。
で、ハンガリーについて興味をもって調べていたら、セルビアを挟んでもう一軒南にある小国モンテネグロにたどりつきました。
me.pngモンテネグロの国旗。中心のライオンは、聖マルコの象徴だそうです。
この国が百年前の日露戦争の際、ロシアに呼応して日本に宣戦布告したのは有名な話。しかし宣戦布告はしたものの主戦場まで遠すぎて一度も日本軍と戦いを交えることができず、結果、日本だけではなくロシアからも戦争に参加していることを忘れられて、ポーツマスの講和会議に呼ばれませんでした。それでつい最近まで、日本とモンテネグロはずっと戦争していることになっていたらしいです(諸説あり)。

 戦争はいけませんが、小国の民でありながら極東の島国にまで果敢にも遠征を挑む(行かなかったけど)モンテネグロ。さぞ血の気の多い国民性と思いきや、なんとハンガリーをはじめ周囲の東欧諸国からは「なまけ者の国」と呼ばれているとのこと。実際「なまけ者コンテスト」も毎年開催されていて、23時間まったく動かなかった人が優勝したそうです。そしてなんとモンテネグロには、なまけ者による、なまけ者のための「ご当地十戒」があります。
1.人間は疲れて生まれてくる。そして休むために生きているのだ。
2.自分自身のように自分の布団を愛せ
3.夜よく眠れるよう日中は休息すべし
4.働くな。仕事はあなたを死に追いやるのだ
5.休息している人を見たなら、助けを差し伸べなさい
6.できるだけ少なく働きなさい。もしできるなら他の人にやらせなさい
7.木陰は救いである。そこで休むものは未だかつて死んだことがない
8.労働はあなたを病いへと導く。若いうちに死んではいけない
9.もし突然に働きたいという願いが沸き起こったなら、まず座り、冷静になれ。そのうちその願いは消えるだろう
10.飲み、食べている人たちを見つけたなら、彼らに加わりなさい。働いている人を見たなら、すぐさま遠ざかりなさい。彼らを邪魔してはいけないのだ

わが同盟教団の次の国外宣教地が確定しましたね。もし理事長命令が下れば、喜んで後ろ髪を引かれる思いで、旅立つかもしれません。もちろん、宣教の原則である、「ユダヤ人にはユダヤ人のように、モンテネグロ人にはモンテネグロ人のように」の精神で、のんびりと。十戒を破るわけにはいきませんしね。「日本とアジアとモンテネグロと世界に仕える日本同盟基督教団」をよろしくお願いします。週報はこちらです。





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posted by 近 at 21:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.8.8主日礼拝説教「この世の常識の向こう側」(ルカ18:24-30)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
今回の説教原稿の中で、「Googleで「日本同盟基督教団」と検索すると、もれなく「怪しい」というキーワード検索の結果がついてくる」とあるのですが、若い人にしか通じないかな〜と思い、ここでの説教録画の中では触れていません。
ただ実際に検索してみると、やはりこうなってしまいます。ハイ。
20210813-161943.jpg

 子どもの頃に見ていた、戦隊ものの特撮で、悪の秘密結社の幹部が「卑怯?フハハ、最高の褒め言葉よ」みたいなことをよく言っていましたが、さすがに「怪しい」と言われてフハハと喜ぶ教会関係者はいないでしょう。しかし教会が語るメッセージが、いつのまにかこの世の価値観や方法論に便乗したものになり、「十字架の言葉の愚かさ」から離れる危険があるなかで、世の人々から「怪しい」と検索されることで、当教団は福音の愚直なメッセージにとどまり続けているという証しかもしれません。あくまでも「かも」です。別の教派・教団の方々から「怪しい」と検索されているとしたら憂慮すべきことです。

 それに関連して、つい最近の話ですが、メンタリスト(どんな職業?)のDaiGo氏がホームレスや生活保護受給者に対する差別発言で話題になりました。それに関連して、エッセイスト犬山紙子さんが「私も勝手に生きるし、生きてる人全員、堂々と生きような。価値とかいらんから」という反論が紹介されていて、その言葉にドキッとしました。
 聖書が提示する福音は、私たちが「価値ある者だからこそ神が死んでくださった」のではなく、私たちが「まだ罪人であったとき、私たちのために死なれた」(ロマ5:8)という愛です。エヴァンジェリストの村上宣道師は「because(だから)の愛ではなく、inspite of(にもかかわらず)の愛」と言っています。「あなたには価値がある」は、この世が喜ぶ言葉です。「価値とかいらんから」という言葉は、実際にはこの世では忌避される言葉です。そして私たち教会が語る福音のメッセージは、神が語るように命じられている言葉よりも、人が語ってほしいと願うものになってはいないでしょうか。
 確かに、自尊感情がかつてないほどに貶められているこの社会とそこに生きる人々に「あなたは価値がある」というのは、わかりやすいメッセージです。しかし「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)は、イスラエルがその罪と堕落によっていかに神を苦しませてきたのか、という文脈から切り離されて、ただそこだけが至言として語られるならば、むしろ聖書全体が教えているメッセージを誤解させる危険さえあります。聖書が語る罪とは、この世が考えているものとはまったく次元の違う、壊滅的な深刻さ、かつ人力では修復不可能なものです。その罪人であった私たちのためにイエスが死んでくださったという福音は、まさに価値があるとかないとかいう世界を突き抜けたところにあります。その意味で今日の教会は、あえて人々の聞きたいことに逆行することを語るというリスクを抱えても、罪、そして救いを毅然として語ることができているか、改めて考えさせられます。「同盟+怪しい」とGoogle先生にどうせ言われるならば、この世の価値観、常識の向こう側へとこのまま突き進んでいってほしいと願います。週報はこちらです。





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posted by 近 at 19:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.8.1主日礼拝説教「欠けていた第十の戒め」(ルカ18:18-23)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。

 いよいよ東京都が新規感染5000人の大台を突破しました。東京都民の人口が1400万人だそうなので、3000人にひとりの割合で、新規感染者が起きているということになります。これを新潟県の人口である230万人に当てはめてみると一日約800人、新潟市の80万人に比べると一日約300人程度となりますが、現在、新潟県の新規感染者が約90人、新潟市がその半分といったところですので、東京の10分の1以下の発生率になります。というよりも、東京が新潟の10倍以上と言ったほうが現実に即しているのかもしれません。それだけ異常事態が起こっているということなのでしょう。沈静化のために祈ります。

 ただ新潟の教会の中にもオンラインで礼拝を中継しているところがありますが、牧師の説教がノーマスクのところが目立ちます。これが知らない教会だったら、「講壇と会衆席が10mくらい離れているのかも」と優しく受け止めることができますが、同じ教団で勝手知ったる関係だったりすると、「えっあの会堂でノーマスク?」という、ヨコシマな思いがふつふつと沸き立ってきてしまいます。おゆるしください。
 私の牧会哲学、という大それたものではありませんが、教会の核心は説教にあると思います。ですから説教の内容はともかく、この講壇でイノチが決まる、という覚悟だけはなくさないようにしてきました。講壇にコの字型に巨大なアクリル板を設置したのも、このままでは説教の本質が揺らぎっぱなしという思いが常にあったからでした。マスクで講壇に立つのは神に申し訳ないからノーマスクで、とある牧師が言っていましたが、飛沫を飛ばすのを恐れて自然と声を抑えてしまうほうがよっぽど主に申し訳ないことです。
 説教に限らず、人の話というものは本人が考えている3割程度しか伝わらないそうです。逆算すると、こちら側は自分が出せる力の3倍で話すくらいの気持ちでいくことが必要です。マスクをつけて一日三回の説教をこなしていくのはへとへとでしたが、いま少し楽になりました。楽になった分を、説教をより広く、より遠くへ伝えていく気持ちの方に向けています。こんな考え方はおかしいでしょうか。

 そんなわけで、もし読者の方で、自分の教会の牧師の説教が少し抑え気味だなあと感じたら、アクリル板を買ってあげてください。きっと喜ばれることでしょう。バラエティ番組で使っているような中途半端なものは意味がありませんので、どこで買えばよいかわからない方は、「アクリ屋」か「はざい屋」で検索してください。週報はこちらです。





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2021.7.25主日礼拝説教「貧しいのに幸い?」(マタイ5:1-3)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
卓球やりたいなあ。ああ、卓球やりてえ。みまじゅんペアが私の闘争心に火をつけました。新会堂建設の暁には、ボタン一つで床から卓球台がせり上がってくるようなシステムを構築したいと考えていますが、まだ会堂建設準備委員会の話し合いもそこまでたどり着いていません。
ところで先日の第4回準備委員会にて、「会堂建設に関するさらなる議論の発展のためには、ホワイトボードが不可欠である」という結論で一致しました。現在、会堂の隅にホワイトボードはあるのですが、支柱のネジが外れており、無理に動かすと倒れます。

 しかし会堂のキャパシティはもはや臨界点。もし移動式ホワイトボードを設置してしまうと、卓球台を導入する夢はさらに遠のいてしまいます。
そのとき、私の脳裏に、まるで稲妻のように何者かの声が響きました。会議の時にはホワイトボード、会議に疲れたら卓球台。そんな商品を探したらよいのだ、と。そんな便利な商品がこの世界にあるのでしょうか。インターネットで調べてみました。なんと、見つかりました、主よ!しかしまだ商品化はなされておらず、企画段階だそうです。残念。
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以下は、発案者のツイッターからの引用です。
常磐精工主催の新商品企画コンペで提案した「卓球台になるホワイトボード」が267案の中からグランプリを受賞しました。来年商品化予定!
この方、天才ですね。もっとも、私も思いつきましたけどね。
はやく発売されるといいなあ。ただ、白いボードに白い球を使うとよく見えませんが、どうなるのでしょうか。週報はこちらです。





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2021.7.18主日礼拝説教「無者の国」(ルカ18:15-17)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
私が小学生の頃ですので、昭和50年代後半になるでしょうか、題名は忘れましたが、星新一さんの近未来SF小説の中に、登場人物が語る、こんな台詞がありました。

「人間ならば、いつかは忘れるだろう。だが、あいつはいつまで経っても、決して忘れることはない。」

「あいつ」というのは、コンピューターです。まだパソコンが出てくる前ですので、挿し絵を担当する真鍋さん、和田さんらが描いていたコンピューターも、大人より大きな直方体に、目玉のようなコードリール、口のようなスリットから紙を吐き出している、といったものでした。

 星さんが今も存命であれば、「あいつ」をコンピューターではなくインターネットに置き換えたことでしょう。これを書いている今、オリンピック開会式が始まる5分前ですが、この数日間、担当者たちの過去の問題発言が次から次へとネットで掘り返され、批判・糾弾の嵐に見舞われています。障がい者に対する陰惨ないじめ、ホロコーストを揶揄するような表現、確かにオリンピック・パラリンピックという国際的饗宴を提供する側の人間としてはふさわしくないことです。
 しかしどこか気持ち悪さを感じるのは、四半世紀以上前の発言が、直前になって突然、掘り返され、突きつけられていくことです。
それが正義だと言えば、確かに正義なのでしょう。陰湿ないじめや、一民族に対する組織的大量虐殺を決して擁護するつもりはありません。
しかしこの正義は、誰にでも、いつでも、牙をむく正義です。
無名のときに不用意にしてしまった発言が、やがて有名になったときに突然、目の前に突きつけられていきます。インターネットという、世界を覆う蜘蛛の網の底に、あらゆる人間の発言や行動が記録され、ある日突然、公にさらされる、恐ろしさがあります。中国や北朝鮮のような共産主義国家の至る所にひしめいている検閲の目よりも、遥かに執念深い瞳が、私たちの生きる世界全体を取り巻いています。

 もちろん、私たちクリスチャンは、神が私たちのすべてを見ておられることを信じ、告白していますから、自分の言葉や行動に対しても、神と人の前に恥じることがないように生きることを心がけています。しかし神は、罪をあげつらうために私たちを見ておられるのではありません。親鳥が雛を見守るごとくに、この世界を見つめておられるのが、創造主の御姿です。

 今回の開会式に関わる騒動の中で、「あなたがたの中で罪がない者が最初に石を投げよ」というイエスの言葉が、多くの人たちによって紹介されていました。この言葉も、今回の出来事に単純に適用できるものではないように思えます。いつか、この箇所から改めて説教を語ることができたらと願っています。週報はこちらです。





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2021.7.11主日礼拝説教「私をあわれんでください」(ルカ18:9-14)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
説教の映像でお気づきかもしれませんが、先日から講壇設置のアクリルパーティションを新調しました。
今までのものは講壇の前に申し訳程度に置いていただけだったので、マスクを外すことはできませんでした。
しかし早朝から夕方までマスクをつけ続け、そのうち40分近い絶叫型説教が3回。終わる頃にはくったくったです。
表情が見えない説教を一年以上にもわたって聞き続ける会衆もつらかろう、ということで新しいパーティションを発注しました。
しかし講壇の形状が特殊なので、パーティションもオーダーメイドにせざるを得ず、見積もりは約4万円。
ただでさえ厳しい教会会計に請求するのはしのびなく、アクリルの舞台から飛び降りるつもりで、自費で発注しました。
そうなると少しでも安くするために、アクリルの板厚を薄くしたら、なんということでしょう、いきなりたわんでしまいました。
映像でおわかりになるとおり、顔だけははっきりと映っていますが、窓からの光景が映り込んでしまっています。
アクリル用両面テープで補強するつもりですが、宣教にお金を惜しんではならないという教訓になりました。とほほ
当教会は、現在、新会堂建設に向けて話し合っているところですが、現在、コロナ禍のなかで建築木材が高騰しているそうです。
経費をケチって同じような事態にならないように、予算配分には気をつけます。もっとも、全然まだそのレベルまで進んでいないのですが。
週報はこちらです。





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