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2021.7.4主日礼拝説教「世界が生まれ変わる日のために」(ルカ18:1-8)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
熱海市はじめ、全国の豪雨災害の中で被害を受けられた方々の上に、主の癒しと回復がありますように。
かく言う私も、明日(土曜日)は新発田朝祷会での早天メッセージです。今までは地元のミッション系大学の施設を利用していましたが、一月前に主催者から連絡があり、コロナ対策のために、「新発田城公園の中にある東屋(あずまや=吹きさらしの休憩所)で行います」と連絡がありました。
明日、降水確率90%の上に、新発田市の上に巨大な雨雲があるようなのですが、どうなるのか、未だに連絡がありません。おそらく皆様がこの更新したブログを見ている頃には、もう終わっていると思いますが、主日に喉を痛めていないようにお祈りください。
(7/10追記 朝祷会の時間帯[7:00〜10:00頃]、天候は落ち着き、無事に野外説教を行うことができました。公園のあずまやを朝祷会で一時占拠してしまいましたが、ごめんなさい。城(やぐら)をバックに説教というのも、なかなか新鮮でした。)
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2021.6.27主日礼拝説教「奇跡の人」(ヨハネ9:1-12)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
 今回のヨハネ9章は、私にとってとりわけ思い入れの強い聖書箇所です。私は神学校3年生のときに初めて豊栄教会でメッセージをしましたが、2回目に来たときに、自分の救いの証しを含めて、この箇所から説教しました。そしてその翌年、新潟の各教会を講壇交換で回ったときには、必ずこの説教を持って行って、自己紹介の代わりとしました。
 今回の説教は、それから20年近く経って、またはじめから作り直したものです。救いの証しは教会でその後何度も語っているので割愛しましたが、それでも40分という長い説教になってしまいました。
 19年前、新潟のある教会でこのヨハネ9章のメッセージを語ったとき、しばらくしてそこの信徒さんから長い手紙をいただき、「感動した」という賞賛をいただきました。説教でほめられたのは、あれが最初で最後ですね。それがよいと思います。説教者が、この説教でみこころを語ったと思えるときは、だいたい人には不評なことが多いですから。でも、その、一回だけ、説教者人生の中でほめられたことも、20年間の一千篇以上の説教を生み出してきた日々の糧になっていることも確かです。
 ヘレン・ケラーの誕生日に合わせて説教を作ったのではなく、説教を作った後にふさわしい例話がないか探していたら、たまたまヘレン・ケラーの誕生日でした。私ら40代(あと4ヶ月で50歳!)にとって、ヘレンと言えば、『ガラスの仮面』で北島マヤが井戸水をかぶって「ウォーター!」と叫ぶシーンを思い出すのですが、あれは後代の創作だそうです。その時点では、そこまではっきり発音できなかったようで、「w」から始まる奇声を上げたとのこと。それでもすごいと思いますが、「奇跡の人」はヘレンではなく、サリバン先生。
 うんちくも学ぶことができる、豊栄キリスト教会の説教を今後もご期待ください。週報はこちらです。
water.jpegコピーライトマーク美内すずえ・白泉社
よく見たら「ウォーター」って言ってませんね。子どもの頃見たときには、確かはっきりと言っていたような気がしたんですが。修正がかかったのでしょうか



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posted by 近 at 20:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.6.20主日礼拝説教「悔い改めは恵みへの扉」(使徒3:17-26)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
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2021.6.13主日礼拝説教「御名と信仰が出会うとき」(使徒3:11-16)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
 新型コロナウイルスへのワクチンがいよいよ若年層にも解禁となりました。オリンピック・パラリンピックも国民的コンセンサスがとれていないように思えますが、このまま開催という運びになるのでしょうか。

 私が左足を切断したのが1987年でしたので、今から三十年以上も前の時代でした。当時はパラリンピックという言葉なんてなかったよなあと思ってウィキで調べると、1988年のソウルオリンピックで初めてパラリンピックと呼ばれるようになったそうです。当時は義足のランナーがこんなに早く走ることができるということは考えられないことでした。

 今日、肢体障がい者に対する福祉サポートは、昔では考えられないほどに手厚くなっています。おそらく今パラリンピックの義足ランナーが使っている義足を当時手に入れようとしたら、(義肢に使われている技術レベルが比較にならないので粗い想像ですが)一千万円はくだらないことでしょう。しかし今は、相当のところまで保険で賄うこともできますし、かつてのように手足を失うことによる精神的ショックは、今と当時とではずいぶんと違うだろうなと思います。

 その意味では、肢体障がい者にとってはいい時代になった、と言えるかもしれません。しかし、もし私が今の時代に左足を失っていたとしたら、信仰(教会)に導かれていただろうか、ということを考えます。左足の切断手術を終えた夜、幻肢痛というどうしようもない痛みにうなされました。今は亡き母が、夜通し、ない足をさすってくれたことを思い出します。すべてが悪夢であってほしい、夢ならさめるから、と考えました。しかしそのような闇を通ったからこそ、私がキリストに出会うことができたのだ、ということを思うと、もちろん世の中の多くの人々からは一笑に付されるかもしれませんが、足を失い、その後、数年間、人生の答えを求めて彷徨したことも、私にとっては、幸いであったのだろうと考えます。

 今、パラリンピックで活躍している方々を揶揄するつもりは一切ありません。常人には想像もつかないような努力を積み重ねておられるのだろうと思います。しかしたとえ風切るスピードで走ることはできなくても、私も、別の方法で、それらの方々のように走り続けています。この先に何が待っているのかはわかりません。ですが、説教壇でのメッセージを一つ一つ大切にしながら、最後の時までみことばを語ることに力を注ぎながら歩んでいきたいと思います。

 オリンピックも、パラリンピックも、あらゆる人々に祝福されるかたちで開催できたら、一番いいですね。祈りましょう。週報はこちらです。




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2021.6.6主日礼拝説教「ナザレのイエス、その御名を」(使徒3:1-10)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
 私は主日礼拝の説教を、同じ原稿から計4回行っています。水曜日の事前録画、主日の第一〜第三礼拝での説教です。ですから説教はかつて金・土曜日に重い気持ちで作っていたのですが、今は月曜日から火曜日にかけて作っています。重い気持ちは変わりありませんが。
 第一礼拝は、比較的、原稿に忠実に語りますが、うまく伝わっていないかな?と思った表現などを第二礼拝で修正して語ります。逆に第二礼拝で、原稿にないことをアドリブで入れてしまい、残念な説教になることもあります。そして教会学校を挟んで第三礼拝に臨むのですが、体力的に疲れてしまっていて、だいぶ原稿をカットすることもあります。ただそれまでに三回語っていますので、逆に原稿に依存しない、またいい意味で力の抜けた説教が生まれることもあります。
 今回ブログにアップロードした説教は、第三礼拝のものです。なんと第二礼拝で録画したSDカードをパソコンで読み取ろうとしたら、データが壊れていました。そこでYOUTUBEで流していた6時間以上のライブ配信をダウンロードし、そこから第三礼拝のメッセージ部分だけを抽出した次第です。なぜ第二礼拝のものではなく第三礼拝かというと、疲れている様子が説教に出ているかどうかを確認したかったというのがありますが、どんな風に映っているでしょうか?
 第三礼拝に出席してくださっている方々からは「先生、お疲れですね」と声をかけられることがしばしばあるのですが、疲れがモロ説教に表れてしまっているとしたら、申し訳ないと思います。決して丈夫な体ではありませんが、「声が大きいのが取り柄」(妻・談)なので、マスク越しに今日も大きな声で叫んでいます。疲れた体を聖霊が立ち上がらせて最後まで語らせてください、と願いながら。週報はこちらです。





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2021.5.30主日礼拝説教「あなたがたが十字架につけたのです」(使徒2:22-24、32-39節)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
先日、もと一部上場のIT企業に勤めていたO川牧師の証しを聞く機会がありました。マルカワでなくオーガワです。
あ、名前出しちゃった、ごめん。勤務先のイメージはたぶんこんな感じです。行ったことないけど。
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O川先生はサーバーの保守管理が担当だったのですが、サーバーの調子が悪いと決まって後輩がやってきて、
O川さん、いつものアレ、頼みますよ」と言われたそうです。
アレというのは「お祈り」です。そこでサーバーに手を置き、イエス様のお名前によって祈ります、アーメン。
すると必ずサーバーの調子が良くなり、「O川さん、イエスさんってすごいっすね!」と言われたそうです。
技術の粋を集めたIT企業とお祈りというミスマッチに、それを聞いた私たち(アナログ牧師)はみな爆笑。
ところが、じつはIT企業のサーバールームでは、まさに霊の戦いが起こっていることが、あるマンガに掲載されていました。
サーバーに魔よけのお札を!? 神頼みのIT企業描くギャグ漫画に「案外ウソでもない」と業界から証言
著作権の都合で、画像を紹介することはできませんが、こういう業界だったんですね。
IT業界で働いているクリスチャンの方々のために祈りたいと思います。がんばれ〜
ところで明日(土曜日)は新潟の下越を聖火ランナーが走ります。現場には行けませんが、応援しています。週報はこちらです。





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2021.5.23主日礼拝説教「一人ひとりが、変えられる」(使徒2:1-13)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
ペンテコステに入りました。イースターが「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」というややこしい移動祝日?なので、ペンテコステもそのように見られる場合がありますが、ペンテコステはイースターの七週間後の日曜日とはっきり決まっていますので、迷うことはありません。正確に言えば、過越の祭りの七週間後(当日を含めて50日目)にある五旬節の直後の日曜日ということになるでしょうか。
説教の中でも触れましたが、五旬節は単純な収穫感謝(初穂の祭り)ではなく、出エジプトから二ヶ月後、シナイ山での律法の授与を記念する日という意味づけが与えられています。以前、祈祷会で詩篇の講解を行ったことがありましたが、五旬節の会堂礼拝においては、天地万象を神の声(ことば)として賛美する、詩篇29篇が朗読されるそうです。
4 【主】の声は力強く【主】の声は威厳がある。
5 【主】の声は杉の木を引き裂き【主】はレバノンの杉を打ち砕く。
6 それらの木々を子牛のようにレバノンとシルヨンを若い野牛のように跳ねさせる。
7 【主】の声は炎の穂先をひらめかせる。
8 【主】の声は荒野を揺さぶり【主】はカデシュの荒野を揺さぶる。
9 【主】の声は雌鹿をもだえさせ大森林を裸にする。主の宮ではすべてのものが「栄光」と言う。
 今日、聖霊の奇跡が、聖書そのものと切り離され、死者の復活や病気のいやしといった文脈のみで語られる傾向がありますが、あくまでも聖霊の諸々の奇跡は、みことばこそ神の主権と栄光の顕現であることを伝えるためにあるという理解にとどまらなければならないでしょう。ですから聖霊の働きを強調していながら、聖書通読も暗唱聖句も実践していないということがあれば猛省が必要です。
 ペンテコステについて毎年語ってきたなかで、弟子たちはこの五旬節こそ宣教(証言)の主である聖霊が降臨される日だと確信して祈るようになっていった、というのが私の考えです。それは「いつとか知らなくても良い」というイエスの忠言を否定するものではありません。私たちが毎日、聖書をいのちのことばとしてかみしめていくなかで、神はそのみことばを通して足元を照らし、いま何をすべきかを示してくださいます。いま、出口の見えない戦いの中におられる方は、期待して聖書を開いていただきたいと思います。
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2021.5.16主日礼拝説教「いたくない場所にこそ」(使徒1:1-11)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
俳優・田村正和さんの逝去、続けて星野源さんと新垣結衣さんの結婚、さらに私もファンの一人であった「ベルセルク」の作者・三浦建太郎先生の急逝、とまるでジェットコースターのように悲喜交々のニュースが続きました。
「ベルセルク」作者の三浦建太郎さん死去、54歳 世界中から悲しみの声
このブログの読者の方(主にクリスチャンの方)で「ベルセルク」を知っておられる方というのはあまりいないかもしれませんし、牧師としてもちょっと勧めにくい(残酷なシーンが多いので)のですが、その圧倒的ともいうべき画力(表現力)はやはり一度は見ていただけたらうれしいなと思います。ただ第一巻の最初から刺激が強すぎるので(お子様厳禁)覚悟が必要です。
30年以上にわたる長期連載のなかでも一向に終わりが見えず(ここらへんはONE PIECEに通じるものがあります)、この数年間は休載が続いていたので、完結を心配する声もありましたが、大動脈解離という病気で、54歳の若さで筆を置かれました。私の知人もこの病気で亡くなられましたが、たいへん危険なものです。
「ベルセルク」(三浦先生)の魅力は、そのストーリーや絵の書き込みもさることながら、まさに一コマ一コマを心血注ぎ出して描いていることが伝わってくるということです。それは私たち説教者にとっても、いつも心がけていなければならないことです。私はこのブログで説教を録画と原稿の両方を挙げていますが、やはり原稿や録画では伝え切れないものが、実際の礼拝出席にあるのではないかと思います。大げさかもしれませんが、講壇に立ち、聖霊の助けを求めながら語り始めると、命を削り出しながら語らざるを得ません。語る方がそうであれば聞く方もまたそうならざるを得ないと思うのですが、どうでしょうか・・・・?
みことばを本気で伝えようとする説教は気楽に聞けるようなものではありません。「ベルセルク」も気楽に読める作品ではありませんでした。数え切れない人々に感動を与えてきた三浦先生のご労苦に心から感謝し、冥福を祈ります。
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posted by 近 at 18:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.5.9主日礼拝説教「無力感を乗り越えて」(ハガイ2:1-9)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
本日の礼拝説教では、神殿再建工事が再開して一ヶ月のあいだに、民の心がしぼんでいった中での再チャレンジという文脈で、この第二のハガイのメッセージを語りました。説教の中では触れることができませんでしたが、この「第七の月の21日」には、工事が始まって約一ヶ月ということ以外に、神のタイミングとしてふさわしい重要な要素が二つありますので、追記しておきます。
1.この日は、第七の月の15日から一週間続く「仮庵の祭り」の最終日であったこと。(レビ記23:34-43)
2.この日は、ソロモンが第一神殿の奉献式を行ったのとちょうど同じ時期であったこと。(第二歴代誌7:1-10)
 仮庵の祭りは、イスラエルの民がエジプトを脱出したもののその不信仰により、荒野での40年間の放浪生活を余儀なくされたという、人の目には負の歴史を、逆に荒野で神が養い続けてくださったという神の目には正の歴史という転換を与えています。そしてこの逆転の発想というべき神の視点は、ソロモンの第一神殿に比べるとあまりにも貧弱なこの第二神殿(ハガイ2:3)が、「その栄光は先のものにまさる」(同9節)と言われていることに通じるものがあります。
 この工事再開の一ヶ月の中で行われた仮庵の祭りは、逆に工事の進行を遅らせるものになっていたかもしれません。またその中でソロモンの第一神殿の奉献が想起されたことも、民の心をくじいたに違いありません。しかしすべてのことが神のご計画の中にあり、そして人の失望のただ中にこそ、神のみこころは起こるのです。ですから私たちは勇気を失うことがありません。私たちの教会はいま、会堂建設に向かっていますが、工程表や財政計画など、どこから手をつけてよいかもわからないほどに未体験な事柄です。しかしそれでもなお、神のみこころだけがなる。そのような信仰をもって進んでいきたいと願っています。 週報はこちらです。





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posted by 近 at 21:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.5.2主日礼拝説教「現状をよく考え、主にゆだねる」(ハガイ1:1-15)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
本日の礼拝説教は、遅ればせながら、今年度の教会目標からのメッセージです。会堂建設が具体的に始まる年度の目標聖句は、このみことばしかあり得ないと数年前から考えていましたが、いよいよ今年の総会で建設準備委員会が発足しました。ただ会堂建設そのものが目標ではありません。教会の普遍的な目標は「すべての造られたものに福音を宣べ伝える」(マルコ16:15)という大宣教命令にあります。主イエスから付託されたこの使命をこれからも続けていくための通過点としての会堂建設です。ですからこの目標聖句は、目に見えるものだけを含んでいるのではありません。困難はこれからも予想されますが、困難があるほどに報いも多くあります。期待して歩んでいきたいと思います。
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posted by 近 at 19:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ