今回の説教は、映画の宣伝で言うならば「構想期間1年、制作期間4時間」といったところでしょうか。
制作期間はだいぶ盛ってしまいました。本当は2時間くらいかな。結構楽しんで作りました。
100年前の写真と、現在のGoogleマップを、定点観測のような形で並べるとこんな感じです。


常盤町通も、昔は花街として有名だったそうで、芸妓さんがたくさん歩いていたそうです。
私の夢は、今の朝市通が、アスファルト道路の上にテントを並べるようなものになっていますが、
これを大正風情漂う(鬼滅の刃の舞台みたいな)町並にしたいなあ、というもの。
実際は、古い家をどんどん壊して住宅やら駐車場にしているので、なかなか難しそうですが、
人口減が続いている豊栄を盛り上げるのは、新しいものを作ることよりも古いものを再生することではないかと。
ですからこれから建設する教会堂も、予算は厳しいですが、一部分だけでも大正テイストが入るといいなあと思っています。
そして一人でも二人でも、救いの向こう岸へと渡し届けること。それが私の後半のライフワークになりそうです。
聖書箇所 マルコ4章35〜41節
35 さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。36 そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。37 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。38 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。39 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。40 イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」41 彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」2017 新日本聖書刊行会
おはようございます。新年のはじめの日、1月1日、元旦を、いつものように、主日礼拝をもって始めることができることを心から感謝します。先週、先々週、そのまた前の週、昨年の52週間がそうであったように、今日も、来週も、礼拝を粛々とささげていきます。礼拝こそ、私たちの生命線、ライフラインです。みことばを受け取って、これからの一週間を歩んでいきましょう。それを毎週繰り返しながら、一年間を歩んでいきましょう。これからの一年間、どんなことが待ち受けていたとしても、この礼拝を大事にしていきましょう。
さて、一年のはじまりの、今日の礼拝は、「さあ、向こう岸へ渡ろう」という説教題でメッセージをさせていただきます。このタイトルは、35節にあるイエス様の「向こう岸へ渡ろう」から取っています。前の聖書では、「さあ」という呼びかけが入っていたのです。なんで取っちゃうのかなあ、と思うんですね。「さあ」、いい言葉じゃないですか。イエス様が音頭をとって、さあ、向こう岸へ渡ろうよ、と、この言葉だけで、何があっても耐えられるような気になってきます。この後の出来事を考えると、面白いですよね。「さあ」という言葉に押し出されて船を漕ぎ出すや、すさまじい嵐が襲ってくる。「さあ」とか言っておきながら、イエス様自身は、船の中でぐうぐう寝てしまう。
だけどね、やっぱりイエス様が呼びかける「さあ」は素晴らしいんですよ。「弟子たちはイエス様を舟に乗せてお連れした」と聖書には書いてありますが、実際は逆です。弟子たちがイエス様を舟に乗せたのではなくて、イエス様が弟子たちを舟に乗せているんです。弟子たちが舟の舵取りを間違えたらみんなドボンじゃないのです。たとえイエス様が寝ているように見えても、風も嵐も作られた神が人となって、弟子たちを小舟に乗せているのです。どうして沈むことがあるでしょうか。弟子たちはイエス様をたたき起こしましたが、そんなことをする必要はなかったのです。そこにイエス様がいる限り、決して舟は沈むことなく、動じることもない。弟子たちはただ信頼して、ただ波にゆられ、風に吹かれ、あるいは船酔いでげーげー吐いたかもしれないけれど、それでもイエス様にゆだねるならば、舟は必ず向こう岸に着くのです。
今から十年以上前になりますが、当時、木崎のほうにありました、豊栄バプテスト伝道所が、同じバプテスト教団で3教会が一つになって東区のほうに移転して、私も献堂式に出席させていただきました。そのときに祝辞を述べられた、当時、新潟信濃町教会の牧師であった小渕先生のメッセージが面白かった。「新しい教会の名前は、主の港キリスト教会だと聞きました。主の港というのはすごく良い名前ですね。聖書にも、讃美歌にも出てきます。自分が思いつかなかったのが悔しい。先に思いついていたら、自分の教会につけたのに」。まあ、小渕先生は、牧師にしておくのが勿体ないくらい、サービス精神が旺盛で、祝辞とはいえ、少しほめすぎ(ごますりのジェスチャ)。でも、私も、主の港って、良い名前だなあと思いました。ところがそれから十年経って、あのときわ会堂の場所をいろいろ調べていたら、あそこは主の港ならぬ、主の渡し場であると思いました。
今日の週報の表紙に載せた写真は、もともと白黒ですが、写真加工が得意な方にお願いして、色をつけてもらったものです。ここからときわ会堂のほうに行くときに、わらび屋というお菓子屋さんが入っているビルがある十字路、下他門交差点というところがあるのですが、今は広い道路になっているその場所の、百年前の姿がこの写真だそうです。ときわ会堂がある常盤町通という場所は、そこから一本先の道路なのですが、百年前はそこが自然堤防のような場所であったそうですね。「河川蒸気」というお菓子のパッケージにも描かれていますが、こんな小さな蒸気船が、この豊栄から新潟まで、そんなに大して乗れなかったと思うんですが、人々の通学や通勤の足になっていたんですね。
この写真を見たときに思ったんです。ああ、もしかしたら私たちが不思議なタイミングで、あの場所を得ることができたのは、この小さな蒸気船や、小さな船着き場が、豊栄キリスト教会の姿なのではないか、と。「港」のようにたくさんの人が乗り降りするわけではないけれども、この小さな船着き場がなければ向こう岸に渡れない人たちが、この町にもおられる。彼らがこの船着き場にたどり着いたとき、小さな舟に乗せて、確実に目的地まで運んでいく。そのような教会でありたいと願います。どんなに小さな渡し場であろうとも、そこにはキリストが待っておられ、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言ってくださる。そして私たちキリストの弟子たちも、この渡し場で乗せてくれと頼んできた人は、一人でも、二人でも、拒むことなく、確実に向こう岸、救いの栄光にまで、渡らせていく、そんな教会と、宣教の働きを願っているのです。
今日、招きの言葉として引用したのは、パウロの手紙の中にある言葉です。「すべての人に、すべての者となりました。何とかして、何人かでも救うためです」。「何とかして」という言葉は、パウロの口癖です。聖書の中に「何とかして」という言葉が8回出てきますが、そのうち7回はパウロが言っています。そして私たちが驚くのは、パウロでさえ、「何とかして、何人でも」と言っていることです。一桁なんですね。宣教というのは、昔も今も、地道な働きです。いちどきに何千人も救われる、というのは初代教会の中でもごく一部の時代であって、パウロの宣教は、目の前にいる一人を徹底的に愛して、その愛された人が愛を知り、また別の誰かに愛を伝えていく、ということの繰り返しの中で、教会は成長していきます。みなさん一人ひとりが、自分に与えられた賜物を用いて、この地域の方々や、自分の友人と向き合いながら、何とかして、一人でも、二人でも、神の愛の中へと招いていこうではありませんか。
「さあ、向こう岸へ渡ろう」と、イエス様は今日も呼びかけておられます。小舟を漕ぎ出した瞬間、空には黒雲が立ちこめ、風と嵐の中、私たちは右往左往するかもしれません。しかし改めて言います。「さあ」と呼びかけたのはイエス様ですから、私たちは何もおびえる必要はありません。神に必死に助けを呼ぶのは間違ってはおりません。しかし彼らの必死さは「私たちが死んでもかまわないのですか」という、神の愛への疑いから生まれていました。私たちはそうであってはありません。神に向かって真剣に、しかし神の愛を一切疑うことなく、主にゆだねましょう。イエス様がおられるところでは、どんなに激しい風と嵐も、私たちの髪の毛一筋も奪うことはできないのです。これから一年間、いよいよ私たちは、実際の教会堂建設に向けて、具体的に予算を立て、設計図を審議し、屋根や壁の仕様に至るまで、建築家や大工さんを交えながら話し合っていく一年となるでしょう。今までよりも、人の思いがぶつかることも起こるかもしれません。ですが、それもまた、神が与えられた恵みでもあります。それを通して私たちは、神の家族の交わりの豊かさ、お互いを敬うことの大切さを学んでいきます。主が建ててくださった渡し場から、小さな蒸気船に乗って、向こう岸へ。その先には、私たちでさえまだ知らない、神の無限の計画が待ち受けています。教会員だけでなく、求道者や客員の方々に至るまで、この主の恵みの中に飛び込んでいきたいと願います。