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2024.4.14「恐れるからこそ“恐れるな”」(ヨシュア1:1-9)

 みなさん、こんばんは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
能登地方および台湾地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。

 今日の皇室関係の報道では、何かとお兄ちゃんちばかりが賞賛され、秋篠宮家はこき下ろされるような風潮がありますが、ヤフーニュースにこんな記事が掲載されていました。
「悠仁さまがキリスト教の大学を選択することにナゼ違和感? ICUと皇族の意外な接点」
記事によると、「美智子様が皇室に入られたとき、キリスト教の話題になったときに昭和天皇が大激怒した」という噂が皇室にゆかりのある者を通して広められたが、昭和天皇自身がその噂を聞いて、逆に憤慨したということが掲載されています。そして毎度おなじみの無責任コメンテーターたち(いわゆるヤフコメ民)からは「皇室なんだから悠仁様はキリスト教系のICUではなくて学習院に進学すべき」といった意見が寄せられています。

 昭和天皇とキリスト教との関係はわかりませんが、昭和天皇の末弟にあたる故・三笠宮寛仁(様)は私たち牧師(神学校)のあいだでは相当に有名です。というのは、旧約聖書を学ぶとき、カナン文化や古代エジプト文化に関するオリエント考古学の学びが必須ですが、三笠宮はまさにそのオリエント学の権威であり、学会創設に多大な貢献をなされた方でした。
 じつはこのブログの中で一番アクセス数を稼いでいる記事は、私が神学校で(ほぼ一夜漬けで)書いた旧約聖書緒論のレポート「カナン宗教の実態〜現代まで続いているバアル信仰」なのですが、これもわざといかめしい言い方をすれば、三笠宮の学問的業績に依拠していると言っても過言ではありません。皇室の象徴でもある八咫烏(やたがらす)が三本足なのは、かつて景教という形で伝来した、キリスト教の最大奥義である三位一体を表しているというのはオカルト雑誌「ムー」の受け売りですが、そんなまゆつばを引かなくても、近代日本の国際親善を牽引してきた皇室が、欧米だけではなく中東や第三世界でも多大な影響がある、聖書に無知であるはずがないのです。
 いま、少子化のなかで、日本の私立大学はたとえ首都圏やブランド校であっても、どこも定員割れの危険にさらされています。そんな中でやれICUはキリスト教系だ、学習院や国士舘は日本的だとかいう単純な発想ではなく、しっかりと来て、見て、理解しようと務める、そんな若者が一人でも現れるようにと願います。





posted by 近 at 22:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2024年のメッセージ

2024.4.7「すべての造られた者に福音を!」(マルコ16:9-20)

 みなさん、こんばんは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
能登地方および台湾地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。





posted by 近 at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2024年のメッセージ

2024.3.31「みことばを思い出そう」(ルカ24:1-12)

 みなさん、こんばんは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
能登地方および台湾地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。

 これを書いているのは3/31当日ではなくその週末の4/6なのですが、昨日、新発田市民文化会館にて敬和学園大学の入学式があり、同窓会長(名ばかり)として出席してきました。1991年の最初の入学式の日、一期生の総代として入学の式辞を壇上で読み上げたことを思い出します。そのときは文化会館ではなく、大学の講堂でしたが、一期生が三百人以上おりましたので(定員は200人ですが、そういう時代だったのです)保護者は別室でモニターで鑑賞するといったこともありました。まだインターネットが普及していませんでしたので、今のようなオンライン配信ではなく、ビデオ映像を有線でつなぐという、まさにアナログでした。
 そのときの式辞の中で、私は自分の教会の牧師から聞いた、敬和学園の創設者・太田俊夫先生の「開学の祈り」を引用しました。「もしこの学校から賛美歌の声が途絶えたなら、神がこの学校を潰してくださるように」というものでしたが、ずっと後になって調べてみると、「賛美歌の声が途絶えたなら」ではなくて「右や左にそれることがあれば」だったようです。しかし初代学長としてその式辞を受け取ってくださった北垣宗治学長は、そのときの私の式辞をその後もずっと覚えていてくださって、その後も回顧録などに記してくださいました。先日、大学事務局からメールがあり、その北垣先生が3月28日に94歳で帰天されたとのことでした。2002年に私がこの教会に赴任したとき、就任式にも駆けつけてくださり、翌年、二代目学長の新井明先生(故人)にバトンタッチされました。敬和学園大学のホームページで「カレッジレポート」という広報誌のバックナンバーがダウンロードできます。初期の頃のものを読むと、当時の空気感がよく伝わってきますので、一度ご覧ください。また北垣先生のご遺族に、神さまからの豊かな慰めがありますようにお祈りいたします。





posted by 近 at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2024年のメッセージ

2024.3.24「彼らはイエスを十字架につけた」(マルコ16:16-32)

 みなさん、こんばんは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
1月1日の能登半島地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。





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2024.3.17「生きる手立ては御手の中に」(ルカ20:45-21:4)

 みなさん、こんばんは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
1月1日の能登半島地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。
最近、「お祈りいたします」しか書いていないので、しょうもない小咄(こばなし)を一つ。
今日、結婚式場の前を車で通りかかったら、妻が「ロージンバードはどこにあるんだろうね」と一言。
老人バード?こんな鳥でしょうか?
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もちろんバージンロードのことです。それにしてもこの鳥(ヨタカ)の顔、夢に見そうですね。ではグッナイ





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2024.3.10「神を閉じ込める愚かさ」(ルカ20:41-47)

 みなさん、こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
1月1日の能登半島地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。





posted by 近 at 22:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2024年のメッセージ

2024.3.3「あなたは復活の子、神の子」(ルカ20:27-40)

 みなさん、こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
1月1日の能登半島地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。




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2024.2.25「あなた自身が神のもの」(ルカ20:20-26)

 みなさん、こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
1月1日の能登半島地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。




posted by 近 at 14:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2024年のメッセージ

2024.2.18「扉を開くのはあなた」(ルカ19:9-19)

 みなさん、こんばんは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
1月1日の能登半島地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。

「迷わず足切断 がんと戦った高校生」というヤフーの記事(元記事は「あなたの静岡新聞」)が目にとまりました。
 この高校生、寺田歩生(あゆみ)さんが戦った『がん』は、約40年前に私がかかったのと同じ、若年性骨肉腫です。私の場合もある意味「迷わず足切断」でしたが、手術直後にすごく後悔しました。
※そのときの証しは、ブログ右側の「ブログ内検索」で「骨肉腫」とサーチすると、いくつか出てきます
 私の場合は、命を生かすための切断でしたが、歩生さんの場合は痛みを和らげるためのものだったとのことです。そして彼女は勇敢に病魔と闘い続けた末、わずか18歳で亡くなりました。しかしその人生は決して無駄ではなく、残された人々も、これから生まれてくる者たちにも、生きる力を与える記録となるでしょう。
 「あなたの静岡新聞」では発病以来の歩生さんの人生をシリーズで特集しています。中学生の体育祭の前後に痛みを感じたこと、両親は最初「成長痛」だと思ったこと、切断の前に人工関節を入れていたことなど、私と同じで、他人事とは思えませんでした。
 私は左膝の骨を、当時新素材とうたわれていたニューセラミックで作った人工骨と入れ替えて、新しく転校した中学(山の下中学校)に数ヶ月だけ通いました。しかしある朝、まったく体が動かなくなり、大学病院に救急車で運ばれました。主治医が私の左足に注射針を差し込んだところ、まるでラードのような黄色い膿(うみ)が大量に注射器に流れ込んできたことをおぼえています。体がセラミックを受け入れず、内部で化膿し切っていたのです。それ以来、一度も学校には行けませんでしたが、校長先生が病室に来てくださって、私のためだけに卒業証書を読み上げてくださいました。お名前も覚えていないのですが、心から感謝しております。(そのときは生きることに精一杯で、とても感謝どころではありませんでしたが)
 あれから40年が経ちましたが、骨肉腫は初診時に転移がない状態で四肢に発見された場合でも、5年生存率は70%程度とのことです。逆に言えば、発見が早くても3割の人は5年以上生きられない、恐ろしい病気であることは今も変わらないということです。自分がいまこうして生きていることも決して当然ではなく、一日一日が恵みであるということはこの病気にならなければわからなかったかもしれません。どうぞ歩生さんの記事を読んでほしいと思います。そして彼女の人生が一人でも多くの方に記憶されますように。





posted by 近 at 14:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2024年のメッセージ

2024.2.11「心の鎧を脱ぎ捨てて」(ルカ20:1-8)

 みなさん、こんばんは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
1月1日の能登半島地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。





posted by 近 at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2024年のメッセージ